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不穏な雲行き

 結論から言えば、ハヤトの考えていたハヤトを待っているであろう人物の可能性は見事的中していた。しかし、結果的にそれは最悪にも三つの可能性全部が的中したことになった。

 学園へ着いたハヤトはおぶっていたフィールを降ろすと、あまりいい思い出のない体育館へ連れられてアキとともに訪れていた。体育館に入るやいなや、やっぱりいたかと呟いてしまうほど会いたくない人物と、唯一話がわかる人物、そして見たこともない人物たちが勢揃いしていた。


「えーっと、これは?」

「はい! これは、学園の修理でお披露目できなかったのでそれを兼ねての顔合わせです!」


 顔合わせ。それはあったこともない人物たちに限られるだろう。見れば、金髪の女性と見るからに中学生ほどの背丈の元気そうな少女の二人が端の方で立っていた。だが、ハヤトが聞いているのはそんなことではない。なぜ、気に食わない理事長がここにいるのであろうかという問いに早々に答えてほしいと目を向ける。すると、それを悟ったように理事長が憎たらしい言葉とともに言葉を介し始める。


「ここはワタシの管轄だからね。それに、君は文句は言えないはずだけどね」


 なんて、理事長は一枚の紙をひらひらさせて、ハヤトに牽制する。その紙はハヤトも一度見たことのある紙だった。紙に書かれている内容は大方知っている範囲で言えば『学園の修理費』であるに違いない。

 ハヤトは学園の金属性の精霊をほとんど食い尽くして、耐久度を急激に下げた前科がある。それがハヤトに何も言わせない条件になっている。渋々ハヤトは食い下がるのをやめて、静かに事の終わりを待つ方向で収まった。


「さて、もちろん此処に来たのはそれだけではないね。ときに、クロサキ・アキくん――いや、さんと言ったほうが良かったかな?」

「……どちらでもいいです」

「そうかい。じゃあ、アキちゃん。君、こちら側に来る気はないかね?」


 結局呼び方が提示されたどれでもないことは置いておいて、こちら側とは一体どういう意味だろうか。もちろん、アキもその意味がわからなかったようで聞き直す態度を見せた。


「こちら側……ですか?」

「あ、そうだね。アキちゃんには言っていなかったかもね。アキちゃんのお兄さん、要するにクロサキ・ハヤトくんだけどね。晴れて、特別担任生になったんだよね。つまり、君とは別の次元になったわけだね。そこでもう一度聞くけどね? アキちゃん――いや、成績トップで誰からも慕われていて、何をとっても完璧であり続けたクロサキ・アキくん。分かっていた事実だとは言え、兄に一瞬で追い抜かれた気分はどうかね?」


 にたり。理事長の口が釣り上がる。その表情の意図を一体この場にいる何人が理解できたであろうか。少なくとも、長い付き合いであるハヤトはその表情をした理事長の思惑までとは行かなくとも、何をしたいのかだけは重々理解した。

 つまるところ、理事長はアキを使ってまた良からぬことを考えついたらしい。当然、そんなことを安々とさせるハヤトではない。大切だと思っているアキに危険が及ぶかもしれない言葉を排除しようと、口を挟むために一歩前に出る姿勢を見せた。


「待て、死に損ないのクソババア。今度アキに手を出したらどうなるか前に――」

「どういう意味か。詳しく教えてくれませんかね?」


 バチバチと、この場を支配するのは電流。しかも、その発生源はアキの後ろに存在する未完成の精霊機獣ではないか。

 まさか。一同がそう目を丸くして見た。精霊機獣を詠唱なしで可視化まで落とし込もうと無意識でしていたアキの行動は、この場においても全く以って異常であった。そんな異常を起こさせていたのは怒り。兄に劣っていると言われたためであろうと推測できるが、その実は兄に負けたことなどではない。

 アキは、理事長に兄に一瞬でも勝っている時期があったのではないかという不遜な事実の提起に怒っていたのだ。アキは一瞬でもハヤトに勝っているなどと思ったことはない。むしろ、永遠の目標で有り続けたハヤトを誇っていた。

 誰からもバカにされてもなお、その強さを誇らずに隠し続ける兄に疑問を持ったことはあるにせよ、それでもやらねばならないときには躊躇なく本気を出して何かを助けるために奔走する兄は、他ならぬアキの目には輝いて見えたのだ。アキだけはハヤトをヒーローだと思い続けたのだ。

 よもや、そんな目標であったハヤトを超えたなんて思えるはずがない。アキは、その言葉の真意を聞きたくて仕方ないという目で理事長を見ていた。


「…………いやいや、すまないね。ちょっと、アキちゃんの本気というものを見てみたくなってしまってね。こう見えて、好奇心旺盛なんだよ、ワタシはね」


 すると、アキの怒りを見ても笑顔を変えなかった理事長はすっと態度を変えたかと思うと、一枚の紙をアキに手渡した。渡された用紙を覗き込んで、アキは片眉を上げた。

 気になってハヤトがすぐさまそれを覗き見ると、その紙はアキの移動についての書類であった。しかも、その移動先が――。


「特別担任生……。おい、クソババア。これは一体――」

「君は当然関係ないことだよね。これはアキちゃん自身の問題だね。口出しは、少なくともアキちゃんの後にしてもらえると助かるかな」

「…………」

「いいよ、お兄。――理事長。これは、そういうことでいいんですね?」


 そういうこと。つまり、アキが特別担任生としての資格を与えるということ。それすなわち、理事長が少なからずアキを特別であると認めているということにつながる。そして、それはアキがハヤトに少しでも近づけたという証拠になる。

 ハヤトはこのことを遠回しに、しかもアキならばわかるように説明した理事長に舌打ちした。そんな条件ではアキがイエス以外を取るはずがないとわかっているのだ。

 もちろん、アキは悩まなかった。即座にその紙を破り捨てたのだ。


「……!?」


 初めて、理事長が笑顔を崩した。驚きの表情は全てアキへと注がれ、破りしてる姿にハヤトも同じく驚いた。絶対に受けると、そう思っていたのだ。

 この中で状況を分かっていて驚かなかったのはたった一人。笑ってみせたフィールだけだった。提示された目標に近づけた根拠をそのままにアキは理事長に向かってさらなる怒りを見せた。


「私は、誰かに認めてもらうためにお兄を目標にしているわけじゃありません。私は、私がお兄に近づけたと、自分自身を認めるためにお兄を目標にしているんです。だから、こんな茶番はやめてください。私は理事長に認めてもらおうなんて微塵も思わない」


 その怒りは確固たる希望への願望だった。どうしても追いつきたい人物がいるのだと、その人物に追いつけたと認識したいのだと、単なる願いが願望へと変わったのは、はて幾年前のことだったか。アキは気がついたら、ハヤトに近づいていると思いたい、ただそれだけを胸に思っていた。

 しかし、その意とは反して、理事長は高らかに笑った。それはそれは本当に楽しそうに喜ばしそうに笑うではないか。かくして、理事長は本当にアキなる人物を『認めた』のだ。


「合格だね! あそこで書類にサインするようならこちらこそ微塵も興味がなかったけど、ここまできっぱりと切り捨てるような子なら、今後に楽しみが残っていそうだね! ああいい! いいね、クロサキ家は! どうしてこうも、ワタシを楽しませてくれるのかね!?」

「知らねぇし、うるせぇよ……。用が済んだならさっさと、出ていけよ……」

「確かに、此処での用は済んだね。でも、ハヤトくんへの用はまだ残っているんだよね」


 言って、ハヤトの襟を掴むと、理事長のご老体の一体どこからそんな力が出るのか。抵抗するハヤトをいとも軽々と引きずって体育館を後にしようとする。ふと、何かを思い出したかのように出入り口手前で立ち止まって振り返ると、初めと変わらない笑顔で集まっていた諸君に対して報告する。


「アキちゃんの歓迎会を始めていてくれていいね。ワタシはハヤトくんに予てからの用があるから少し借りていくね。おめでとう、アキちゃん。君がどう思おうと、ワタシは君を認めてしまったね。これからの成長に期待しておくね」


 どうやら、アキが特別担任生になることは既に決まっていることだったらしく、ここにアキが呼び出された理由はアキの特別担任生祝を兼ねた歓迎会だったそうだ。

 ならば、一体ハヤトが呼び出された理由とは……。


「さあ、行こうか。ハヤトくん」

「お、おい。待て、クソババア! もしかして、俺が呼び出された理由ってクソババアの話を聞くためじゃないよな!?」

「もちろん、そのためだけだね? フィールくんが言わなかったかい? 嫌がらせをしに行ってきて欲しいと言っておいたのだがね」

「なっ……勘弁してくれぇぇぇぇ!!!!」


 またしても、嵌められたハヤトは一瞬笑顔のフィールを見たかと思うと、大嫌いな人物との会話のために体育館を退場する。そんなハヤトを尻目に、アキは注がれた飲み物を飲んで、ほんの少しだけハヤトに近づけたのかもしれないと思った。


 □■□


 さて、理事長に連れてこられた場所はいい思い出のない理事長室だった。いつ見ても高価なものやなんで此処にあるのか疑問に思わされるモノが混雑しており、だが決して散らかってはいない不思議な空間。ハヤトには此処を異世界に近いものと思わせるのも無理はなかった。

 早速連れてきたハヤトを放ると理事長は自分の席に座って、起き上がろうとするハヤトに声を掛けた。


「さて、単刀直入に言うね。クロサキ・ハヤトくん――――いや、それとも昔のように『千人斬り』って呼んだほうがいいのかね?」

「……昔の通り名だろ。いつも通りにしろ」

「あはは。いいねいいね、君のその顔。まあ、茶番は此処までにして、早速だけど話に移ろうかね。ワタシもアキちゃんの歓迎会に参加したいからね」


 言って、理事長は机の中から一枚の紙を取り出した。ハヤトは何でもかんでも書類にすればいいってものじゃないと言いたかったが、話が拗れるのは嫌だったので言わないでいた。それ以上に、理事長が手渡す書類がただの紙切れであるはずが無いのは、経験談であったのだ。

 とりあえず、書類に目を通してみると、ハヤトは不思議な文章に我が目を疑った。


「……なあ、ヴァハラ・シルビーって誰だ?」

「ん? こないだ君が右腕を切り落とした少女の名前だね。それが?」

「……なあ、学業保証人ってなんだ?」

「身元保証人と同じ仕組みだね。対象がちゃんと勉学に励んでいるかを保証する人物のことだね。つまり、監視役のようなものだね」


 どうやら……そう、どうやらハヤトの見間違いではなかったようだ。

 理事長が手渡してきた紙には最重要な箇所を抜けば概ねこう書いてあった。『対象:ヴァハラ・シルビーの学業保証人認定書』。これすなわち、ヴァハラ・シルビーなる者の学業保証人になる為の書類であったのだ。

 さてさて、ハヤトはしばし考える。見間違いではないことは確定した。しかし、一向にこの紙を渡された理由が皆無である。よもや手渡す紙を間違えるような失態を狡猾な理事長が犯すわけがない。ならば、この紙の真意はたった一つ。クロサキ・ハヤトにヴァハラ・シルビーの学業保証人になれと言っているのだ。

 無論、そんなものになるつもりは毛頭ないが、この紙にサインしないといけない理由が少なからずあることもまた確か。ハヤトは、ヴァハラ・シルビーの腕を先刻方切り捨てたという、罪に匹敵するものがあったのだ。


「どうしたのかね? ……いやいや、それについては絶対になれと言っているわけではないんだ。ただ、彼女を助けたければ――わかっているね?」

「た、助ける……?」


 助けるとは。ハヤトはその意味が理解できないでいた。当然、それを計算に入れていたであろう理事長はやれやれと何も知らないハヤトに知恵を与えた。

 どうやら、事態はハヤトが呑気に考えているよりも大きく信仰しているようで……。


「いいかね? 彼女――ヴァハラ・シルビーは闇に冒された所謂超々危険指定猛獣だね。しかも、精霊使いの資質を持ち合わせてしまっているね。こんな危険な生き物を、このご時世の潔癖症な国が放っておくと本当に思っているのかね? 良くて殺害、悪くて研究材料がいいところだろうね。君は、彼女を救ったように思っているのかもしれないが。その実、地獄は今から始まろうとしているんだね」


 ……つまり。

 ハヤトはそうやって己の中で結論を構成していく。

 ここでハヤトがこの紙にサインしなければ、最悪ヴァハラ・シルビーはこの世界のために生を奪われる可能性があるということ。

 しかし。だがしかし、それでもハヤトがヴァハラ・シルビーのアフターケアをしなければいけない理由は此処に至るまで何一つとして存在しない。確かに、ハヤトは彼女に己がたどり着くことのできなかった人類の力を証明してみせろと生かした。それでも、ハヤトが彼女を守ったわけでないのだ。

 ハヤトは、自身が本当に守らなければいけない者を見誤ったりはしない。もちろん、危険が少しでもある彼女を匿うような真似はある一言が無ければ絶対に悩んだりはしなかった。


「そう言えば、とある研究所が闇に即効性のある兵器を作ったらしくてね。その実験に伴って闇を患った人物が欲しいと依頼が来ていたんだった。あ、そうそう。問題の彼女、今ね。君の後ろにいるよ?」


 ゆっくり、ハヤトが振り返ると、呼ばれていたのであろう女生徒、ヴァハラ・シルビーがハヤトの後ろで心許なさげに立っていた。右腕は切り落とされたはずだが、義手のようなものを使っているらしくて存在していた。

 そんな弱々しい小動物のような彼女を前に、ハヤトはどう言葉を選ぼうか深刻に悩んでいた。


「早くしてくれると嬉しいね。彼女を引き渡す時間が近いんだよね。此処に来てからやっぱり引き渡しはなかったことに――なんてできないからね。せいぜい、あと十分くらいかね」

「………………」


 ハヤトが沈黙していると、弱々しい彼女は先刻の狂ったときの声を張った大きな声ではなく、本当に消え入りそうな声で話し始めた。


「……クロサキくん。ありがとう。あの時、ボクに真摯に向き合ってくれたのは君だけだった。だけど、もう迷惑はかけられないよ」


 ヴァハラ・シルビーは決心していた。自分の犯した罪は自分が清算しなければならない。当たり前のことをただするだけ。彼女にとってはケジメの行為である。

 だが、ハヤトにとっては他ならぬ弱い者いじめに見えて仕方なかった。そして、それはハヤトが一番好まないものでもあったのだ。

 それに、ハヤトに僅かながらに疑問に思うことだってあった。


「クソババア」

「なんだね?」

「その研究所のやつらに帰れって伝えておけ。こいつは――――ヴァハラ・シルビーは俺がもらう」


 言うやいなや紙に殴り書くようにサインして振り返るハヤト。驚いた表情でハヤトを見つめていたシルビーにハヤトはさっさと行くぞと目で指示して早々に立ち去ろうとする。

 しかし、それだけでは納得できないのがシルビーだった。


「ど、どうして!?」

「あ? 何が?」

「な、なんでボクをここまで助けてくれるの?」

「助けるも何も……あんたを生かしたのは俺だ。俺以外のやつにあんたを利用されたくなかったのさ。特に、クソババアの所有する研究所の奴らにはな」


 理事長は一言としてそんな事は言っていないが、シルビーが理事長に視線を向けたときバレていたかと言うかのように肩をすくめる姿を見て、利用しようとしていたのだと確信した。

 兎にも角にもシルビーの命は首の皮一枚で繋がった状態になった。

 ヴァハラ・シルビーの学業保証人の証明書を確認して満足そうな理事長に初めから疑問に思っていたことをハヤトは最後に訪ねてみた。


「なあ、クソババア。最後に一つだけいいか?」

「なんだね?」

「ホンッッッッッッッッッッッッッッッッッッット、あんたって性格悪いよな」

「はは。褒め言葉としてとっておくよ」


 理事長がしたかったのは面倒事を抱えている生徒の排除であった。もちろん、そんな面倒な存在をおいそれと引き取ってくれるところもない。殺すのも忍びないので自分が保有する研究所で極秘に実験台にしようと画策していたのだ。

 しかし、そこにクロサキ・ハヤトの存在が浮上してきた。当然、これを見逃すことなど無い理事長はハヤトに面倒なことを押し付けて、それに翻弄されるであろう姿を観察して楽しもうと考えていたのだ。

 つまり、理事長がしたかったことは最初から最後までハヤトの(いや)困る姿を()体現するらせをするということだけを宣告どおり考えていたのだ。

 だからハヤトは、そんなことを最後にシルビーの手を取って理事長室を後にした。

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