プロローグ
日に日に寒くなっていく季節。普段ならば、こんな季節は嫌いでしかるべきなのだが、今日に限って言えば少年、クロサキ・ハヤトはほんの少しだけ嫌気がなかった。その理由は至ってシンプルで、冬よりも嫌いになったばかりの学園が二週間前の事件で――表向きは原因不明で――鉄を含んだモノが老化しているということで急遽学園全体が検査のために一週間ほど休みになっていたからだ。
正直な話を言えば、二週間前の事件でハヤトが本来の力を見せてしまったがゆえに学園での知名度が一気に急上昇した。それにともなって、話しかけてくる生徒まで出て来る次第だ。普通ならば、話す相手が増えれば嬉しいことなのだが、ことハヤトに至ってはそうではない。基本的に一人でいたがるハヤトにとっては話しかけられることがストレス紛いのものになっていたのだ。
そんな学園が休校。なんとも嬉しい知らせで、珍しくハヤトは早起きをして読書に耽っていた。
「今日はどんな本を読んでいるんですか?」
「ああ、これはレオナルド・ガーフェンが書いた『霊界の定義と本質』だ――――どうして、お前がここにいる?」
ハヤトは自分が読んでいた本の内容を聞かれて、いつの間にか答えることが日常化していたために自然と応えてしまってから今の状況のおかしさを見出した。
此処はハヤトの自室。アキですらあまり出入りせず、友人などいなかったので他人が入ってくることもなかった部屋だ。それなのに、その部屋でハヤト以外の声が聞こえた。しかも、聞き覚えのある声であるのが、またやるせない。
ハヤトは覗き込んでくる少女にもう一度だけ問うてみた。
「どうして此処にいる?」
「なんで二回も質問するんです? 私が此処にいる理由なんてわかっているでしょう、先輩?」
「…………すまん。嫌がらせ以外に何にも思い浮かばないんだけど」
「もちろん、嫌がらせをするためですよ?」
本当に殴る寸前だった。ハヤトは深く考えた上で適当に言ってみた最悪のケースが見事的中したことに、どうして自分はこんなやつを助けたのだろうと思いつつ、発射寸前の拳を戻すと距離感が日を見送るに連れて近くなっていくアーノルド・フィールに、つくづく呆れるようにため息をした。
とりあえず、椅子に座っているハヤトに抱きつくように本を覗き込んでいたフィールを離すと、代わりにベッドに座らせた。三分の一ほど読み進めていた本を閉じて、早速どうしてこうなったのかの近況報告を聞いてみようとするが……。
「んで、どうして俺の部屋に――」
「あ! 先輩、動物飼ってるんですか?」
全く人の話を聞かないフィールの悪い癖は一体どうやって治せばいいのだろうと思って、ハヤトは頭を押さえた。フィールが反応したのはハヤトが拾ってきた亀である。ハヤトはその育ち上、捨てられていたり死にかけているような生き物を見捨てられない。端から拾ってきてしまうのだ。
そういうことから、ハヤトの部屋には本とベッド、そして拾ってきた動植物たちがたくさんあった。その中の一匹の亀に興味津々なフィールにハヤトはどうにか話を戻そうと尽力する。
「わぁ! 可愛いですね! どこでもらってきたんですか?」
「拾ってきたんだ。近くの川で――」
「あれ? このゲージ……わんちゃんもいるんですか?」
「あ、ああ……今はアキの部屋に――――」
「後で見に行きましょうよ! 私、こう見えてわんちゃん大好きなんですよ!」
伝説の勇者候補も自分勝手で我の強いフィールは手に余ったようだ。こういうとき、年の功はどうして優位性を保たせてくれないのかが気になるところであったが、次々と興味が変わっていく若者に追いつけないハヤトは、一旦フィールを落ち着かせるために肩を掴んだ。
すると、それにびっくりしたらしいフィールがビクンッと体を震わせて自分を守るように手で顔を隠した。その行動に、ハヤトは自身の日常の接し方を一瞬思い返して、とりあえず頭を軽く小突いた。
「何をそんなに驚くことがあるんだよ」
「あ、その……えへへ」
笑って誤魔化そうとするフィールであったが、ハヤトはどうしてもその妙な驚きに気が行ってしまって、知りたくなってしまう。いつもならば、すぐに引くところだったが、今日のハヤトは色々と邪魔されたこともあって、簡単には身を引かなかった。
「どうしたんだよ、お前らしくもないじゃないか」
そう言って、今度はハヤトが一歩フィールとの距離を縮める。同じくしてフィールは一歩下がって距離を取るが、それを追いかけてとうとうフィールを壁へと追いやった。後がないフィールはハヤトが近づいてくるに連れて顔が赤くなる。
そんなフィールの変化に、よもや風邪を引いているのではないかと勘違いしたハヤトは不意におでことおでこをくっつけた。
「やっ……せ、先輩……」
「熱は……無さそうだな。ん? どうした、フィール? さっきよりも顔が真っ赤になってるぞ?」
言うまでもなく、ハヤトは人付き合いがわからない。故に、人との接し方がわからない。要するに、なぜフィールが顔を真赤にして体を強張らせているのかを理解できないのだ。逆に、フィールはそんなことを知らないために、ハヤトがわざとしているのだと勘違いを起こす。この勘違いのオンパレードな負のスパイラルを止める手段は二人には存在しない。
お互いが何がどうなってそうなったのかを理解できない頃。一人の少女が珍しくハヤトの部屋を訪ねてきた。それが、正しく仇ととなって……。
「……トントン。何を二人でイチャイチャイチャイチャイチャイチャしてるのかな? ぜひとも、その続きに何を――ナニをしようとしていたのかを事細かく一切の嘘偽り虚栄見栄もなく私に教えてほしいんだけど。いいかな、お兄?」
ハヤトの部屋を訪ねてきたのは、ハヤトの妹にしてハヤトが知っている精霊使いの中でダントツで強いと確信しているクロサキ・アキであった。
ハヤトはアキの来訪に何の驚きもなく、むしろアキにどうしてフィールが赤くなっているのかの理由を聞くような態度で振り返る。すると、そこにいたのはハヤトが思い描いていた可愛らしい妹の姿ではなく、笑顔で隠しきれない怒りを放出した鬼のそれであった。
朝から不機嫌なアキは珍しくはない。ハヤトと同じく低血圧なアキもまた朝に弱く不機嫌になることが多かったからだ。しかし、今朝アキがハヤトを訪ねてきたのはフィールに会うずっと前の話だ。とっくに目が覚めて機嫌が上々になっていて然るべきなのだが、今に至ってはそうではなかった。
さて、と。ハヤトはそうそうに逃げ出す準備をした。と言っても、すぐに逃げられるように意識を集中させただけではあったが。
「ど、どうしたんだ、アキ? 見るからに機嫌が悪そうだけど……?」
アキは答えず。にっこり笑顔でハヤトに近づいてくると、不意に抱き抱えていた犬をフィールに渡した。
その意図がわからなかったフィールであったが、どうしてなど怒り狂ったアキに聞けるような豪胆さは流石に持ち合わせがなかったようで、先程までの自分勝手さを皆無にさせて静かに受け取った。
そして、起こったのは磁場。アキ中心に磁場が発生し始めたのだ。それは必然的にアキが精霊に呼びかけていることに繋がり、ブツブツと呟いているアキに危険を感じないわけがないハヤトはすぐさま人が1人だけ通れそうな窓へ走る。
フィールもアキの怒りに巻き込まれる前にせっせと部屋から離脱すると、それを契機にハヤトの部屋に窮屈そうに1匹の黄金の獅子が召喚された。
「クーちゃん、じゃれてあげて」
主であるアキの命令を忠実に聞いたクーデターはハヤトが出て行った窓を破壊して逃げていくハヤトを嬉しそうに追いかけていく。もちろん、クーデターの全身は嬉しさゆえの電気が流れていて、それは触れれば洒落にならない電圧であるのもまた事実であった。
「勘弁してくれぇ――――!!!!」
伝説の勇者候補であったクロサキ・ハヤトの日常はこうして始まりを告げるのである。
それから数時間後。一頻りクーデターと命を賭けた鬼ごっこを済ますと、ハヤトは汗だくになって家に帰ってきた。家に着くやいなや、ハヤトはペットである犬――名前はハヤブサ――とダイニングで遊んでいるフィールに今度こそどうして家まで押し掛けてきたのかの理由を聞き出そうと試みた。
「あ、先輩。おかえりなさい」
「あ、ああ……ただいま」
「どこまで行ってきたんですか?」
「ちょっと城の周りを三周くらいだ」
なるほど。そう思って、疲れているであろうと考えたフィールが自分が座っている椅子の半分を譲った。もちろん、譲られたハヤトは相当疲れているので何の躊躇もなくそこに座ると、自分が何をしようとしていたのかを一瞬のうちに忘れてしまった。
はて、と。ハヤトはフィールに此処にいる理由を聞き出そうとしていたことを思い出そうと尽力するが、疲れのせいか一向に思い出せない。代わりに、フィールの犬と戯れる声が頭に流れてきて思考の邪魔をする。
「えへへ、くすぐったいよぉ♪」
その様子を見て、ハヤトは珍しいと思った。フィールがそういう性格なのはよく知っていたが、それではなくハヤブサが家族以外に懐くのが珍しいと思ったのだ。
ハヤブサはハヤトの家にいる時点で捨て犬である――犬を買うほどの余裕はクロサキ家には存在しないため――。それ故に、店で飼われているような犬とは比べ物にならないほどに人嫌いである。番犬としては十分にその真価を発揮してくれるが、友人を家に呼べないというデメリットも生じてしまっているのだ――そもそも、家に呼ぶような友人が父母兄妹揃っていないが――。
そんなハヤブサが出会って一時間しない付き合いのフィールにお腹を見せるほどに懐いている。これは如何に。ハヤトはなかなかどうしてフィールは好かれる天才なのだろうかと思ってしまった。
「どうかしました?」
「……いや、フィールは動物ならなんでも好かれるんだなと思ってさ」
「……? あ! 先輩が私のことを好きって話ですか!? いやぁ、照れちゃうなぁ。先輩みたいな強くてかっこいい人に好かれるって凄い幸せなことなんじゃないですかね!!」
馬鹿言ってろ……、と。ハヤトは言い切って、乾いた喉を潤すためにキッチンに向かった。キッチンにはミサキが居らず、アキもいなかった。アキに関しては部屋にいるのだろうが、ミサキはこの時間はどこにいるのかハヤトには見当がつかない。
休日ではないため仕事の可能性もあるが、何分ミサキの仕事はいつ来るのかわからないもの――遺跡探索・救出・解読のチームに所属――であるため、収入も安定しない。
念のためどうなったのかをフィールに訪ねてみると、
「ミサキさんですか? えーっと、確かお買い物に行くって言ってましたよ?」
「買い物……? まさか……!」
ハヤトは急いで冷蔵庫を開けると、恐れていたことが起きていることに気がついた。冷蔵庫の中身が空っぽになっていたのだ。先月の家の収入はほぼ皆無に等しい。父親の仕事でなんとか過ごしていたような形であった。つまり、現状先立つものが何一つとしてない。
というのに、だ。ミサキは買い物に行ったという。お金がないのに、買い物などできるはずがない。お金の概念に疎いミサキはお財布が寒い季節になっていることを把握していないのか、それとも何らかの方法でお金を手に入れていたのかの二択に絞られてしまう。当然、後者は確定的にゼロである。要するに……。
「あの馬鹿……一文無しで店に買い出し行きやがった……」
「……はい?」
ハヤブサを連れたフィールが慌ただしいハヤトを不審に思ってキッチンにやって来ると、ハヤトがふと呟いた言葉を聞いて首を傾げてしまっていた。
ハヤトは特別変なことを言った気はなく、フィールに一応の事情を話してみると、
「お金が……ない? え、先輩のお家って……」
「絶賛一文無しだが?」
「………………ぷっ」
バチコーン。そんな鈍い音とともにフィールの頭が頭一個分下がった。ハヤトは反射的にそうしてしまったために悪い気はしたが、笑うほうが悪いと割り切って、代わりに頭を撫でてやった。
フィールもフィールで少し――本当にほんの少しだけだが――悪気があったのが否めなく、そのかわりと言っては何だがと、ある提案を持ちかけた。
「じゃあ、先輩。例のごとく、私の言うことをひとつだけ聞いてくれたら、その対価を支払ってもいいですよ?」
「…………今度は何をさせる気だ? また学園を救うのは勘弁だぞ……」
「やだなぁ、先輩ったら! アレは私の画策したことじゃないって何度言えば分かってくれるんですか!」
先日の大事件。その首謀者は紛れもなく理事長で、フィールはクロサキ・ハヤトに会いたいが故に命令を聞いていただけにすぎないと、フィール本人から吐かせた。まあ、そんなことだろうとは考えていたハヤトであったが、理事長に関わると碌なことがないとつくづく理事長嫌いが進行していく。
とりあえず、明日からのご飯に困るのは困る。ハヤトは後先考えず――一応念のために未来を捨てるという諦めはした――フィールの言うことというやつを聞いてみた。
「んで? 何をすればいい?」
「とりあえず、一緒に学園に行きましょう!」
「……は?」
ハヤトはどうして朝が苦手なのに早起きしたのかを今一度思い出す。学園が休みだったからだ。そう、朝よりも大嫌いな騒がしい学園に合法的に行かなくていいというお達しがあったからだ。だのに、フィールは今、学園に行こうと言った。
ハヤトは目眩がして倒れそうになる。またか。またなのか。それだけを繰り返して、ハヤトは深い溜め息を着く。
「あ、あれ? どうしました、先輩?」
「なあ、フィール」
「は、はい?」
「それ、行かなきゃダメか?」
もちろん、ダメに決まってるじゃないですか。極めて笑顔に近い困り顔でそういうフィールに、ハヤトは再び息を吐いた。
学園に行く。だが、学園は休みだ。それすなわち、学園でハヤトを呼び出して誰かに会わせたいということ。会わせたい人物の可能性は三つ。一つはキーマン。もう一つは顔を会わせたくもない理事長。そして、最後の一つが上記とは全く関係ない人物。
考える余地なく、理事長の可能性が非常に高いのは言うまでもないだろう。
なるほどそうかそういうことか。ハヤトは理解した。フィールは本当に嫌がらせをするためにハヤトに会いに来たのだと――まあ、それだけでは当然無いだろうが――。要するに、ハヤトにとって一番の敵に当たるのはフィールであったという簡単な話だった。
しかし。否、しかしである。ハヤトは極々微小な可能性――フィールがハヤトに本当の意味で嫌がらせをするためだけに来たわけではないという要素――に賭けて、フィールにやっとのことで思い出した聞きたかった理由を問うてみた。
「フィール」
「なんですか?」
「最後に一つだけ聞いていいか?」
「もちろんいいですよ!」
「お前、どうして俺の家に来たわけ……?」
ハヤトの問が難しかったのだろうか。否、そんなはずはない。ならばどうして、一瞬驚いたような顔で迷ったのか。それはよもやここまで来て気がつかないハヤトのせいであった。
フィールは少しだけ残念そうな表情をみせたかと思うとすぐに明るい顔になって、最終的に小悪魔のごとく可愛らしさの残った妖艶な顔で、
「もちろん、先輩に理事長との会談の話をするために決まってるじゃないですか♪」
盛大に裏切られたハヤトは、がっくりと肩を落とすと、いつの間にか足元に擦り寄ってきていたハヤブサにぽんと膝に前足を置かれて元気づけられるのであった。
■□■
フィールの嫌がらせを経て、仕方なく嫌いになったばかりの学園へ赴かなくてはいけなくなったハヤトは、なぜかアキも連れてきてほしいというフィールのお願いを聞いていた。
平日ではあるが、時間的にはそろそろ正午になろうかという時間。人通りはあまりに少なくなっていた。そんな中、ハヤトとフィール、そしてアキは三人で仲良く――見えるようでそんなに仲良くはない――学園への道のりを歩いていた。
「お兄はいいとして、なんで私まで……」
「いいじゃないですか。どうせお暇でしょう?」
「ホンット、フィールさんって一言多いような気がするんだよね」
仲がよろしくないのはアキとフィールの方で、どちらかと言えばハヤトは仲良くしようとしている感じではあった。しかし、この会話の中にハヤトが入らなかったのは、入っても仕方ないのと入ったら入ったで何かを言われそうだったからだ。
現状、ハヤトは左にアキ、右にフィールと言う形で町中を闊歩している。しかも、腕を組んでの歩行だ。なるほど、ここで不適切な言葉など言えば報復は免れない。結局、どっち付かずな恰好が一番ハヤトにとっては生存率が高い選択肢であったのだ。
しかし、ふとハヤトはこの状況を疑問に思った。
「…………?」
「あれ、先輩。どうかしました?」
「いや……ちょっといいか、フィール。お前、足は半年くらい動かせないって言ってなかったか?」
そう、ハヤトが疑問に思っていたのは先日の事件で両足と膝を複雑骨折したフィールが何不自由なく町中を『歩いて』いる現象に多大なる疑問を生じさせたのだ。
複雑骨折というものが一体どれだけの重体なのかはハヤトにはよくわからない。だが、『複雑』というだけあるのであれば、通常の骨折とはわけが違うということだけは重々理解していた。なればこそ、ハヤトはフィールがたった二週間で活気よく歩いている姿を見せていることに物申さずにはいられない。
対して、フィールは言っていなかったっけ? などと顔に出して首をかしげる。つまるところ、これを説明しうる何かを伝え忘れていたわけである。
「えっと、言ってませんでした?」
「ああ、何一つとして教えられた覚えは無いが……?」
「あー。えーっとですね。実はこれ、リハビリなんですよ。筋力が落ちないように普段行うはずの運動を減らさないようにするっていうやつでして……聞いてます?」
なんだか難しそうな話が始まりそうな予感に、ハヤトはそうそうに異世界に視野を向けたくなった。そう言えば、今朝方読んでいた本に『異世界とは夢の中に存在する霊界と呼ぶに極めて間違いのない空想上の自己他律型多機能性多重世界構想を持っている』なんて書いてあったことを思い出して目をそらす。
だが、それがどうしても許せなかったフィールは組んでいた手をハヤトの顔に持っていくと、強制的にフィールに目を向けさせた。
「き・い・て・ま・す?」
「き・い・て・ま・せ・ん」
「はぁ……どうしてこう、先輩は先輩なんですかね……」
どうして、などと言われても困るのはハヤトだけだ。こういう性格になったのには幾つもの理由があるが、大体を占めるのは産まれたその直後の光景のせいだろう。それに加えて、ハヤトはただでさえフィールの倍は生きている存在だ。考え方に大分の違いがあったとしても否めるものではない。
かくして、とりあえず聞いてくださいから始まるフィールの小難しい話はハヤトに向けて発信された。
「こう見えて、実は膝に負担を掛けないようになってるんです。知っているかもしれませんけど、私も風属性の精霊が扱えるんです。それを応用して、足元に風のクッションを作り出して、体重を皆無にさせた状態で足は動かせるようにしてるんですよ。こうすれば、多少なりとも筋力の衰えは押さえられますし、膝にも負担は少ないですから。まあ、連続で歩くのは一時間までってお医者さんに言われちゃいましたけどね」
なんて笑うフィールに、ハヤトはもう一度疑問を生じさせた。
事細かく説明された内容が理解できなかったわけではない。流石にバカで定評のあるハヤトでもあそこまでの説明をされたら分からないわけにはいかない。つまるところ、ハヤトが気になったのは、どうしてわざわざ『歩いて』学園まで行こうと考えたのかの方だった。
「車椅子なり、メタルゴーレムなりを出して行けばいいじゃないか。そっちのほうが楽だろ?」
「…………はあ。ホント、先輩ってどうして……いえ、こういう人だっていうのは分かっていたんですけどね……」
はて。ハヤトは自分が善意で言った言葉に何か不自然な点でもあったかと思い返すが、百パーセント善意で出来た言葉にはやはり善意以外の何も入っていなかった。そして、そうであろうと分かっていたフィールはもう一度大きなため息を着いた。
ギュッと、ハヤトの裾を掴むと、ムスッとした顔で、
「だって、こうやって隣で歩きたいじゃないですか! 車椅子に座ったら私、先輩に押される形になってしまいますし! 精霊に任せたら先輩完全に私のこと無視しません!?」
「いや、無視って……。でもそれ、負担にならないようにしてるって言っても負担にはなるんだろ? 何をするにも、まずは体を癒やしきってからだろ」
ハヤトの言葉にも一理ある。今のフィールは紛れもなく怪我人。それに無理をして治療が長引いても確かに困るのはフィール自身だ。だが、フィールはそうじゃないのだと、その内心をどうにかしてハヤトに届けたいと思ったが、何分思いを伝えるのは一人の問題がいるのだ。
左で待機していたアキがハヤトの横の腹をぐいっと抓る。鈍い痛みでハヤトが体をくねらせると、アキは本当にどうしようもない兄に、一つだけお節介を焼いてみた。
「お兄。要するにフィールさんが言いたいのは『大好きなあの人の隣で一緒に歩いてる私マジ幸せ』ってやつだよ」
「…………? フィール、アキと歩けて幸せなのか? もしかして、お前もアキのファンだったり?」
この男、本当にダメかもしれない。
二人の美少女にそう思わせるハヤトは一貫して自身に好意を向けてきているなどとは一切合切思っていなかった。逆に、ハヤトは女性にまでファンを募らせる妹マジ天使などと考えるあたり、本当にダメ男なのかもしれない。
じれったさに耐えられなかったのはどうやらフィールのようで、急にハヤトに抱きついたかと思うと強制的におんぶさせた。
「お、おい……」
「知りません! もういいです!」
「いや、もういいって……歩けるなら歩けよ?」
「膝が痛いです!」
「じゃあ、メタルゴーレムでも呼び出して――」
「調子悪いんです!」
どうしよう、凄いめんどくさい。ハヤトは急なワガママにどうすればいいのかが全く見当がつかない中で、アキに助けを求めようとした。しかし、こればかりはハヤトが悪いとフィールの肩を持つアキに、とうとうハヤトは味方を失った。
学園までの道のりは後半分ほど。フィールくらいの重さならば余裕――でも無いが、降りようとしないのならばこのままおぶっていくことは確定的に明らか。ハヤトは、どうしてもフィールを降ろしたいと思うが、それによって怪我の完治に時間を延滞させるわけにもいかなかった。よって、ハヤトのお得意な『諦め』を発動させて、非常に遺憾であるがおぶっていくことにした。
まあ、少なくともハヤトにもメリットはあった。フィールのそこそこ以上に成長した乳房がおぶることによって押し付けられる感触は多少なりともハヤトに喜びを与えたのだ。
だが、当然そんなことお見通しなアキはまたハヤトの横の腹を抓る。
「な、なんだよ……」
「お兄のえっち」
「…………」
アキの一言に何一つ言い返すことができない不出来なハヤトはそのまま学園へと足を運ぶのだった。




