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見える非日常

 戦いが終わり一週間が過ぎた頃。ハヤトは療養のために引きこもりになっていた。医者からは二ヶ月は寝たきりになるかもしれないと言われていたがそんなことはなく、驚くべき回復力――主にキュウビの夢世界実現による副作用のため――によって一週間でほぼ治ってしまっていた。

 引きこもりになっていたハヤトは学園での自分の噂がどう広まっているのか、そしてフィールの怪我がどうなっているのかを全く知らない。アキに聞いてみたが何故か怒ったような態度で答えてはくれなかった。果たして、ハヤトは完治手前の体ならば学園へ行けとミサキに起こされていた……。


「ハヤト~! 今日は学園に行きなさい~」

「……まだ足が――」

「足は最初から問題なかったでしょ~? それに体はもう大丈夫だってタマモちゃんとキュウビちゃんのお墨付きだよ~?」

「いや、実は頭が――」

「それは初めからでしょ〜?」


 解せぬ。ハヤトはひどい言われようにぐうの音も出なかった。ミサキはタマモとキュウビを連れてハヤトの部屋にやって来るやいなやぐっすりと眠っていたハヤトを無理やり起こすと何が何でも学園へ行けと命令してくる。

 それもそのはずだ。ハヤトが引きこもっている間、アキは一人で学園へ通っている。もちろん、アキを守る領域はいないため変なやつが近寄ってくることもあるだろう。それを心配してのことなのだろうが、ハヤトには少しだけ待遇がおかしいんじゃないかと思えてならなかった。

 しかし、ハヤトにもそれなりに学園へ行く理由が無いわけでもない。周りからの自分の評価など微塵も興味はないが、フィールの怪我の具合を知るという点においては十分以上に行く価値のある理由だったのだ。

 体の痛みは殆ど残っていない。これならば、と。ハヤトはベッドから降りた。


「わかったよ。行ってくる」

「その前にシャワ~。そして、着替えはここに――」

「わかってるよ、母さん」


 告げてハヤトはミサキの横をすり抜けていく。その際にほんの僅かな時間だけ見えたミサキの表情と仕草に、ハヤトはわからなくてもいい感情ことに気がついてしまった。

 だからこそ、シャワーに行く前にそのことについて弁解をするか否かで足を止めてしまったのだ。

 そんなハヤトを不思議に思ってミサキがどうしたのかと聞こうとすると。


「あー……その、なんだ」

「ん~? どしたの~?」

「すまなかった。心配かけたな、『ミサキ』」


 久しぶりの呼びかけに、ミサキは本当にびっくりしていた。ハヤトがミサキと呼ぶのは実に十七年ぶりのことで、最後に呼ばれたのはハヤトが勇者候補としてジャパンを発つときだった。

 ミサキはかつて奴隷商売を営んでいた人身売買店から逃げ出したところをハヤトと国の長――クシナダ――によって拾われた少女であった。買い取ってくれた二人のうち、最も懐いたのはハヤトの方で何かと面倒を見てくれたハヤトのことを内心では気に入っていたのだ。

 だからこそ、ハヤトが子供になって意識を戻したときに真っ先に手を差し伸べたのがジャパンを脱出した唯一の生き残りであるミサキであった。

 そんな間柄である二人が、本当に久しぶりに過去の二人へと戻ったのだ。しかし、ミサキはすぐに現実へと自分を引っ張った。今は、自分は母親なのだと言い聞かせるしかなかった。


「早くシャワーを浴びてきなさい~」


 ミサキの笑顔を見て、全てを理解したハヤトは何も言わずにその言葉に従ってシャワーを浴び、着替えてから学園へと向かった。


 時間は優に十二時を回り、お昼時になっていた。とんだ重役出勤だな、おい。などと心の中で呟いて校門をくぐる。また、そんな時間に登校してきたハヤトは浮きに浮いていた。普段は全く自分のことを見ないのに今日に限ってはすれ違う人の全てが視線を向けてくる。それほどまでに遅刻者というのは目立つものなのだろうか。肩身が狭そうに念のため教室まで向かうと、教室ではまだ教師が生徒の質問に答えるために残っていた。

 その中にハヤトが急に入っていくものだから、教室中の視線を一身に浴びて、ハヤトはなんとも言えない恥ずかしさに己を焼いた。


「…………」


 物静かにハヤトは今日のスケジュールを確認して、緊急の連絡事項がなかったかを調べて、いつものように図書館へ向かおうとする。が、普段は声もかけられないのに今日に限ってはよりにもよって教師に声をかけられた。


「あー、クロサキ。その……なんだ。遅刻だぞ?」


 もちろんハヤトはそんなことを言われたのは初めて――普段は時間通りに出席した後に図書館へ向かうため――で驚愕の目を向けた。

 教師がハヤトを認識したのだ。否、存在を認めたという方が正しいかもしれない。学園の腫れ物扱いのように扱われてきたハヤトが、今日初めて教師に声を掛けられた。


「……はい」


 一体どうやって返せばいいのかわからずに、思わず敬語で応えてしまったハヤトは気を取り直して図書館へ向かおうとする。だが、教師の一言が起爆剤となって、まずは教室内の女子生徒がハヤトに話しかけてきた。


「ね……ねぇ。クロサキくん?」

「……えーっと、ごめん。名前がわからないや。えと、何かな?」

「その、一週間前のこと……なんだけど……あれって……」


 もじもじと女子生徒がいかにも不自然な行動をしていたので、ハヤトはトイレに行きたいのかなと思っていたがどうやら違ったことに気がついたらしい。

 女子生徒は明らかに自分が本当に一週間前に闇精霊を倒したのかと聞きに来ていたようだった。よく考えてみれば、当然のことだ。今まで存在を否定されていたようなやつが突如現れた絶望を切り伏せてしまったのだから。

 なるほど、ということはこの空気はそう言った質問をしたいという空気だったのか。ハヤトは今まで視線や教室内の異様な状況に察しがついて、そのことに少しだけ笑った。


「さあ? 俺だったかもしれないし、違うやつだったかもしれない。君が俺を見たというのなら、きっとそれが現実だよ」


 ハヤトはそう言い残して教室を出た。

 もちろん、闇精霊を倒したのはハヤトだ。しかし、それをさせたのはハヤトの意思ではない。もっと言えば、タマモとキュウビとの同調シンクロのおかげで倒せたのであって、間違ってもハヤト一人の力ではない。

 故に、女子生徒にはああ言ってごまかしておいたのだ。そして、もう一つの意味としては、今まで無視してたやつを本当に認識できたのかな? という意味も含まれておりどうやら女子生徒はそちらだけを取り得たらしい。

 誰もがハヤトのその二つ目の意図を汲み取って妙な静けさになった教室を出ると教室のドアの先にはキーマンが佇んでいた。


「……おはようございます」

「もうこんにちわだろ。ったく、一週間も休みやがって。こっちにも予定ってもんがあるんだぞ?」

「予定……ですか? 昼寝でしたら屋上が最適かと……」

「そうじゃねぇよ!?」


 はて、キーマンという人物を深く考えた結果、予定というのは昼寝かサボりか怒鳴られることくらいしか思いつかないのだが、様子からして違ったようだった。

 ならば、その予定とは何かと尋ねると、


「来い、クロサキ。クソバ……理事長が呼んでるぞ」


 完全にクソババアと言いかけたキーマンに、理事長呼ばれる理由が全く思いつかないハヤトは首を傾げたが、この期に及んでキーマンがそんな嘘をつく必要性のほうが思いつかず本当に呼ばれているのだろうと思って、ついて行こうとする。

 しかし、ただ命令を聞くだけなのは癪だったので、


「あの死に損ないは地獄耳ですからね。きっと聞こえてますよ?」


 いつかのやり取りを思い出すかのように言葉を投げかけると、その言葉に聞き覚えがあったキーマンは面白いやつだと笑って、


「お前の方がひどいじゃないか」


 そんな平和な会話をしながら二人は理事長室へ向かうのだった。


 キーマンに連れられてやってきた場所は、入学のときに一度だけ立ち入ったことのある理事長室だった。他の教室とは一風変わったドアで、いかにも偉い人がいそうな雰囲気だが、実際は偉いというよりはおかしい人物がいることを理解しながらハヤトはドアを開いた。

 すると、ドアの先には校長と教頭、そして各人役職を持つ教師たちがずらりと並び、その更に先に理事長が椅子に座っていた。

 一体、これは何なのだろうか。ハヤトが嫌な予感をひしひしと感じながら部屋に入る。夢であってほしいが、天井から吊り下げられたモノに『祝 クロサキ・ハヤト特別学級移籍』などと書かれていた。


「……理事長。お呼びになったということでしたが、なんでしょう?」

「いいよいいよ。君の敬語は鳥肌が立ちそうだ。それよりも、やってくれたね、クロサキ・ハヤトくん?」


 ムカつく言い回し。最もハヤトが嫌いな人物を挙げろと言われれば真っ先に名前を叫ぶであろう人物。それがカリシュトラ学園の理事長にして、かつてハヤトを含む勇者候補たちの支援に尽力した存在、名をクルーエル=∨=カリシュトラ。世界一の財閥を所有、運営を任されている世界きっての成金婆さんである。

 そんな理事長に呼び出された理由は既にハヤトには理解できた。一週間前の事件。そこで自身が本性を晒してしまったからであろうことは聞かずともわかることで、理事長の狂った頭の思考回路からそれを出汁にまた良からぬことを吹っかけようとしているのだとハヤトは思っていた。

 果たして、それは当たったということになるのだが、できればそうでなかったほうが何億倍もマシだったと肩を落とした。


「さて。君が呼ばれた理由はわかっているね?」

「一週間前のこと……ですよね?」

「敬語、直した方がいいよ?」


 にっこり笑顔でそう言う理事長にハヤトは周りの――主に未だに自分のことを認めていなさそうな目で見てくる校長や教頭の――反応を見つつ、仕方ないといつものように話を続けた。


「……で? 結局なんで呼ばれたんだ?」

「そうそう。君はそうでなくちゃ面白くない。えーっとね。随分前に、校内で雷が空に降ったって事件を知っているかな?」


 はて。ハヤトは思っていたこととは違うところからのアプローチに首を傾げた。もちろん、その事件ならよく知っている。なにせ、自分の妹が起こしてフィールが解決したはずの事件であったからだ。

 何を今更そんなことを蒸し返すのだろう。そう思っていると、何か変なことを考えているような顔で理事長がハヤトを見つめながら話を続けた。


「その時に破壊された物の弁償をまだ払ってもらえていないんだよね」

「……確か、男子生徒たちが暴れてそうなったと聞いてるが?」

「そうなんだけどね。その男子生徒たちが一向にお金を払ってくれないんだよね。でね? 話は変わるけど、これ」


 急に話を変えて、理事長が差し出したのは紙とペンだった。紙には特別学級への移籍同意書と書かれており、名前を記入する欄のみが存在していた。

 これは? ハヤトが恐る恐る聞くと、


「見ての通り、君のための同意書だね。君は来月からこの特別学級というモノに移籍してもらうからね」

「……拒否権は?」

「もちろんあるね。ただ……とある女子生徒が君に言っておいて欲しいって伝言をもらっていてね。それによると『理事長の申し出に、ハイもしくはイエスと言え』ってあってね。この意味がワタシには全然さっぱり全くわからないんだけど、君はわかるかな?」


 ものすごいムカつく笑顔で言う理事長は、絶対にすべてを把握した上でハヤトに遠回しにサインをしろと命令する。

 当然、理事長の会話の広げ方には意味があった。アキが起こした事件で、ハヤトは確かにフィールの言うことを聞くという代償があった。そして、それを今使ったということは、まず間違いなく理事長とフィールが手を組んでいるという証拠であり、最初からこうなる運命であったという布石にも思える。

 なるほど、ハヤトは最初からこの状況に陥るように仕向けられていたのだろう。でなければ、ここまで上手く話が進むわけがない。

 十八番の諦めるということを発動したハヤトは肩を落としながら同意書にサインをした。


「……これでいいか?」

「うん、いいね。これで君は来月から特別学級の生徒だね。あ、言い忘れてたけど担任はキーマンくんだね」

「……一つだけ質問させてくれ」

「なんだね?」


 同意書を渡されて上機嫌な理事長にハヤトは半分本気の混じった殺気を放ちつつ、答えに偽りを混じらせないように威嚇しながら質問をする。


「一週間前の闇精霊の件。実際、どこまで分かってやってた?」

「……難しい話だね。全て、と言うには予想外のこともあったね。でもまあ、概ね半分くらいかもね。でなければ、キーマンくんに君を迎え入れるためのパーティーグッズを買いに行かせないからね」


 見れば、天井に吊るさっているものも、飾り付けに使われているものもキーマンが理事長に買い出しに駆り出されていたときに一緒に買ったものだった。

 後ろで控えていたキーマンに目を向けると、キーマンは仕方なかったんだと肩を竦めた。どうやら、最初から――本当に最初からここまでの道のりを考えた上で嵌められたことであったようで、ハヤトはこれがアキが言っていた嫌な予感だと確信して、同時にそんなものにどうやって対処しろと言うのだ。なんて思いながら、深く息を吐いた。

 だが、負けっぱなしのハヤトではないと言わせたくて、ハヤトは最後に怒気を持ってこう告げた。


「次にアキが危険になるようなことをしたら、世界を喰らい尽くすからな」

「おー怖いね。でもいいのかね?」

「……何がだ?」

「それじゃあ、君のお気に入りの子が死んでしまうかもしれないね。それでもいいのかなーと思うけどね?」


 本当に嫌な性格だ。そう心の中で毒づいて、ハヤトは心底嫌そうな顔で理事長を見た。

 ハヤトにとっての大切なものは言うまでもなくアキとミサキである。だが、それだけでないということにハヤトよりも理事長のほうがよく分かっていた。守るものが増えればそれだけ縛りが多くなる。故にハヤトは大切なものを作るのが苦手であり、作ろうとさえ思わなかったのだ。

 しかし、ついこないだのことである。ハヤトは一人の女生徒のために剣を抜いてしまった。絶対に守るという制約を結んでしまったのだ。『武士』という精神がハヤトの中に辛うじて息づいているのならば、ハヤトはその人物に忠誠を誓わねばならない。

 剣は武士にとっての商売道具である。そして、それを賭けるに等しいと認めることは命を賭けることに等しい。つまり、命を賭けてまで守りたい存在の証明になり得るのだ。

 そのことに他でもない理事長が理解していた。その上でそれを利用した。よって、ハヤトは手も足も出ずに言うことを聞く他無いのだ。


「……」

「君がどう思うと勝手だけどね。これだけは言っておくね」


 言って、理事長は人差し指を天井に向けて、最初から揺るがぬ満面の笑みで、


「待ってるよ」


 ただそれだけを告げて、このよくわかったものじゃないパーティーを閉会した。先程の意味を理解できていないハヤトはとりあえず――これ以上になく癪なことではあるが――言われるがままに『上』へ向かってみると、結局のところ屋上へたどり着いてしまった。

 普段は開いているはずのない屋上の扉が開くと、そこには車椅子に乗った見知った女生徒がいた。


「……フィール」

「どうも、ご無沙汰ですね。先輩」


 そこにはハヤトが命を賭けるに値すると認めたフィールが車椅子に乗って風に靡かれていたのだった。

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