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iwakan ―違和感―

作者: 東条 合歓

敬愛する「iwakan」様へ捧ぐ。

透明標本のアクセサリーブランド「iwakan」さんから了承を得て、このブランドをモチーフにしたお話を短いですが書かせていただきました。

とある町の駅前の交差点で、一人の少女が信号が変わるのを待っていた。着ている制服は二駅ほど離れた場所にある県立高校の物で、秋で寒くなって来たからかベージュのカーディガンをYシャツの上に着ている。肩にかけたスクールバッグは少し年季が入っているものの乱暴に扱われた時のような傷は見当たらない。物を大切に使うタイプなのだろう、ローファーも少し汚れてはいるが、傷んでいるようではなかった。膝より少し上の丈のスカートが風に吹かれ、紺色の靴下との間で白い肌が見え隠れする。しかし少女は少しも気にした様子はなく、ただじっと信号を見つめていた。

やがて赤だった歩行者用信号が青に変わり、少女は歩き出す。周囲の喧騒も同時に移動し、定時に退社出来た幸運な社会人たちが足早に横断歩道を渡っていく。そうして急いでいたらしき社会人の一人は、少しうつむき加減に歩いていた少女と肩がぶつかった。

「すいません」

謝った相手に、少女は「いえ」とだけ答えて横断歩道をそのまま渡った。そういうものだ。ぶつかる度に真摯な対応をしてしまうとそれだけで多くの時間が費やされてしまうだろう。会釈だけで済ます人間も多い中、謝っただけでいい方だ。少女は横断歩道を渡り切り、ふと背後を振り向く。点滅する青信号に、あわてて横断歩道を渡っていく社会人たち。普通の人間ならば、その人の多さに嫌気がさすだろう。しかし、少女の目には全く別の物が映っていた。人の沢山の足が行き交いアスファルトすらほとんど見えない横断歩道の、ある一か所。

「あ、踏んじゃった」

うっかり少女はそう呟く。しかし周囲の人間は誰もそれを聞いていなかったようだ。少女は少しだけ首を傾けるように口をつぐみ、くるりと踵を返して帰路へと歩き出す。

人が全て渡り終え、道路の信号が青になる一瞬の空白。横断歩道では誰かが落としたらしいハンカチが風に吹かれてどこかへ消えていった。


少女は、ただの平凡な女子高生である。修学旅行も数日前終え、次のイベントである期末試験までの期間も長いここ数日、自由な毎日を謳歌しているただの少女だ。アイドルに熱狂的な視線を向ける事もなく、だからといってアニメや漫画が好きなわけでもなく、人気なドラマを見たり面白いと話題のバラエティーを見たりするごく普通の高校生である。

しかし、彼女には唯一、人とは異なる部分があった。いや、人と一括りにしても個体差があるために“異なる部分”は誰もが持っていると思うだろう。それは確かである。彼女はクラスメートの友人のようにアイドルの追っかけをしたことがないと言う点で既に異なっており、ベストセラーで連日テレビで取り上げられる本をすでに読んでいるという点で異なっているが、そういった次元の問題ではない。彼女はもっと根本的に他人と異なっている。

その説明をするには、四年前彼女の身に起きた出来事を紹介することから始めるべきだろう。中学生にあがった最初の夏、夏休みの一日。彼女は交通事故に遭った。幸運にも命に別状はなく骨折もしておらず、足の筋を傷めていくつもの擦り傷を負う程度で済んだのだが、彼女はこの事故がなぜ起きたのか覚えていない。気付くと病院のベッドで寝ていて、両親と兄がベッドサイドにいたのだ。どうやら頭を打ったらしいと彼女を診察した医者は言ったので、記憶が一部抜け落ちているのだろうと周囲からは解釈された。

そう、頭を打ったのだ。それは間違いない。記憶が一部抜け落ちているという部分も間違いないと少女は思っている。しかし、周囲は彼女の身に起きた大きな異変には気付かなかった。

少女は、どうして事故に遭ったのかは覚えてはいないが事故に遭った瞬間の事は覚えている。彼女は鮮明に覚えている。

自分の視界を覆ったトラックと、その奥に青い空を見たことを。


少女の目は、あらゆるものを透過した。普段は命あるものだけが透けて見えるのだが、たまに無機物すらも透けて見えることがある。服だけが透けるわけでも服だけが見えるのでもなく、彼女の目に見えている全ての人間は理科準備室に良く居る骨格標本だ。人間や服の輪郭はぼんやりと色づいているが、顔は見えない。ディスプレイされた服は見ることが出来るが、誰かが着ると見えなくなってしまう。それはただの布と洋服の違いなのかもしれない、と少女は思っていた。

人間だけでなく、散歩中の犬や水族館の水槽の向こうの魚たちも、彼女の目に映るのは生きている骨格標本だ。

しかし、少女は幸運と言うべきか、マイペースなところがあった。短所にも長所にもなりうるこの性格はこの状況では限りなく長所となり、ありえないと叫ぶことなく、骨が見えると主張することもなく、「こういう事もあるのか」とただ彼女を納得させた。この状況に対し不満一つ、不安一つ吐かなかったのである。それどころか「人間の全裸しか見えないよりかはましだ」とすら思っている。

少女の持つ違和感に周囲は何も気づかない。少女が黙って抱え込んだその違和感は、誰にもそうであると認識されないまま放置された。


ある日、少女は県内の水族館を訪れていた。新聞の無料招待券の抽選に当たったらしく、母親が友達と行きなさいと渡してきたのである。しかし誰とも予定が合わず、招待券の期限ぎりぎりで少女は一人水族館にやって来ていた。普通の人間ならカップルが大勢いる中を一人で歩くことに居辛さを感じる事もあるのだろうが、そこはマイペースな彼女である。何も感じず、「無料で入れてラッキー」と意気揚々と水族館にやって来ていた。

変な広がり方をした水面から骨だけのイルカが飛び上がり、骨格標本が持つ棒の先に吊るされたボールを鼻先で突き、それを見た骨格標本たちが歓声を上げる。アナウンスの声は可愛らしい女性の物なので、どうやらイルカのトレーナーは女性らしい。少女はそんな事を思いながら室内の展示スペースへと足を向ける。

「クラゲが追加されたのかー」

入り口すぐに置かれていたパネルに書かれていた文をちらりと読み、少女は人の流れに身を任せてそちらに歩いていく。新しくクラゲの入ったという水槽の周囲には人が多く集まっていたが、少女の目はそれらも透かしてその先の水槽を見ることが出来た。しかしそこには何もいない。少女はそれに少しだけ首を傾げ、それから理解したようで手を叩き、足早にそこを後にした。人混みが少し少なくなってから、苦笑する。

「そりゃそうだ、クラゲ骨ないし見えないわ」

そう呟きながら、ふと彼女は視界に違和感を覚えた。疑問を頭の中に浮かべながら目だけを動かし、そしてそれを見て驚いたように足を止める。その視界の先に居たのは、つまらなそうに水槽を見ている一人の女性。着ている服から少し少女より年上だろうと感じる。彼女は視線に気づいたのか、つまらなそうな目をそのまま横に動かした。少女と目が合い、女性も目を丸くして動作を止める。その髪の動きも皮膚の質感も、少女にとってはとても懐かしい物だった。

「…こんにちは」

少女は躊躇いながら言う。視界の中で唯一の人間は、四年も一人で過ごした彼女にとって懐かしく暖かなものであり、それでいて不自然なほどの違和感を孕んでいた。



iwakan

(違和感を纏え)


美しい透明標本のイメージで書かせていただきました。

iwakan様へ愛をこめて。

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― 新着の感想 ―
[一言] とても読みやすいお話でした。 透明標本の世界の中で、自分以外にもう一人存在する肉体に違和感を感じるシーンが綺麗に描かれていたと思います。 残念に感じた事として、少女を平凡な子だと表現する箇…
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