1: 不思議な招待状
1話。普通の少年が手紙を受け取ってから、飄々としたお気楽運転手とともに研究所へ向かうまでのお話です。
少年が森の中の研究所に招待される理由など、少年には思い当たる節は全くなかった。
いつも通りの生活を続け、明日も同じように続くと確信していた。
いつも通りとはすなわち、目覚めて身支度を済ませ朝食を取り、学校に行き夕方まで勉強をし、夕食を食べて、本を読み、風呂に入って眠る、そして、週末に時々家族で遊びに出かける生活のことだ。
そんな日々を変えたのが、昨日ポストに届いた一通の手紙だった。
学校帰りに自宅の前のポストで、いつものように郵便物が届いていないか覗くと、雪の日だというのに濡れた気配のない、美しい手紙が一通だけ入っていた。
丁寧に、手で梳いた上等の紙で作られた封のされていないその手紙を手にとると、何とも言えない不思議な思いに駆られ、じっくりと手紙を眺める。
不思議な思いに駆られたのは、宛名のせいだろう。
あなたが誰かを知りたいあなたへ、という奇妙な宛名。
特定の名がないにも関わらず、なぜか自分に向けて送られた手紙のように思えてならない。
屁理屈を言うならば、今日の授業は自画像を描き、自分についての作文を書いたという自分にまつわる出来事が既に二つ偶然に起きていた。二度ある事は三度あるかもしれない。
そうこう悩んでいるうちに、ふと思い至る。
「元に戻せば読んだ証拠は残らない。」
そう気付いたとたんに、指は手紙を取り出そうと手際よく動く。僅かに切れ端が透けて見える美しい紙を広げると、丹念に綴られた文が書かれていた。
“あなたが誰かを知りたいあなたへ。
手にとって戴いたこの偶然を私はとても嬉しく思います。
自分が誰かを知りたいと思うなら、同封したチケットを持って後ろの森の奥深くにある、研究所の赤いボタンを押してください。あなたが誰かを知るヒントを教えて差し上げます。
道順は心配しなくても結構です。
明日の朝、お迎えの車が来ますから、それに同乗すればいいだけです。
もし知りたくなかったら?
答えは簡単です。知りたくなければ、乗らなければ良いのです。乗らないからと言って、あなたを咎めたりはいたしません。
では、お越しになるのをお待ちしております。道のりは寒いですから、暖かくしてどうぞ。”
少年は手紙とチケットを丁寧に仕舞うと迷わずポケットに手紙を入れ、玄関のドアを開いた。ただいま、と言う声と同時に雑然とコートと靴を脱ぎ、階段を駆け上がって自室のデスクの上にコートのポケットから抜き取って手にしていた手紙をそっと置く。
少年は何とも言えない高揚した気分に駆られた。こんな不思議な手紙を送る人は一体誰なんだろう。
研究所というくらいだから、科学者か?
ひょっとしたら、手の混んだいたずら?
それとも誘拐犯のおびき出す手口か?
少年は子供だったが、サンタクロースはショッピングモールなどにいる誰だか知らないおじさんの扮装で、自分たちを喜ばせるための存在だということを知っているくらいに世界を知っていたし、知らない人にはついていかないという分別もあった。
だがそれでも、今の高揚したこの気分を直ぐに止められるものは見つかりそうにない。降りかかった自分史上最大のミステリーを解くにはどうする?
もし、手紙が本当なら明日の朝、手紙の相手は迎えに来るだろう。そいつに自分が受取人だと気付かれないように、どんな奴かを見極めればいい!都合のいいことに、自分の部屋の窓から、玄関前の通りが見えるし、観察するには申し分ない環境だ。
なかなかいいアイディアじゃないか?
少年は自分なりに導き出した結論に満足をするそのタイミングで、母親が食事ができたと声をかけてきた。
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翌朝ちょうど日が昇る頃、こっそり部屋の窓から覗こうとカーテンを開けると、昨晩から降り続いた雪のせいで、窓に結露ができていた。指でこすり、水滴に滲む窓からの景色に目を凝らすと、雪に埋もれたようにぼんやりと黒い瘤のような形が二つ連なって見える。
あれは何だろう…?
服に着替えて裏庭からこっそり除き込むことにしよう。そう決めると、沢山の服を着込んでコートを羽織り、家族に気付かれないよう家を静かに出る。
外では、黒い車の前で真っ黒のコートの男が立っていた。
挨拶をする隣に住んでいるおばさんに、ハットに掛かった雪を下ろしながら、寒いですねえ、とにこやかに挨拶をしていた。
知り合いだろうか。
いつもご近所さんと噂話ばかりしているおしゃべりおばさんが彼を警戒していないのだ。
おしゃべりおばさんと談笑するその様子に少年の警戒心が解け、帽子の影でわかりにくい顔を見てやろうと身を乗り出すがその拍子で庭の木に強くもたれかかり、頭の上に枝に降り積もった雪がどさりと身の上に落ちた。
しまった。
少年は声をあげることもできず、雪に埋まってしまったが、帽子の男は少年に気づいたようでまっすぐこちらに向かって雪の中をかき分けるように進んできた。
少年は雪に埋もれたまま一歩も動けずにいた。男が一歩一歩進む度に不安に駆られ、焦るが手も足も出ない。
その顔がはっきりと見て取れる距離にさしかかると、急に身体が引っ張られる感覚がした。
男は植物を引っこ抜くように、雪の中に埋まった少年を引っ張り出しで抱きかかえたまま玄関の前まで連れて行き、静かにおろす。少年は無言のまま、雪を払ってもらうその音で我に帰る。
気を取り直した少年は恥ずかしそうにお礼を言った。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
男はそう言うと、自分がチケットの持ち主と知らないのだろう。あっさり車のほうに戻ろうとするので、少年は反射的に声をかけた。
「あの」
「何か?」
「たぶん…僕です」
男は断片的な言葉の意味が掴めず何のことやらと一瞬眉を顰めるが、直ぐににこりと笑った。
「ああ!あなたがチケットの持ち主ですね。」
男の言葉に少年はそうですと頷く。
男は帽子をとってうやうやしく頭を下げた。
「ようこそ。ご主人様がお待ちですよ。」
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同乗者もなく、ひとり少年を乗せた車は轍がうっすらと残る一本道を戻るように森の中を進む。朝も過ぎたというのに、森の中は雪の白さに反射され青く、ほのかに薄暗かった。エンジン音以外の音のない静寂な空間に残されたのは気まずさだ。聞きたいことは山ほどあるのに、静寂のなかではどうにも聞きづらい。
「あの…。」
静寂を破るか細い声に、男は運転席から目を離さず、だが優しい声で答えた。
「はい。」
「僕がもし、今チケットを持っていないとしたら、どうしますか。」
少年は手紙を部屋の机の上に置いたまま来たのに、男に促されるまま車に乗り込んでしまったのだ。証拠もないのに乗っていいものか、ずっと気にかけていたのだった。
「ああ、私もうっかりしていました。チケットをきちんと確認していませんでしたね。」
男の返事は少年の思いとは裏腹に鷹揚で、うっかりしていたと言うよりは気にも止めていないという体だった。
「それに、あなたで間違いないと私は確信してますよ。」
「どうして、僕で間違いないと思うんですか?」
男はバックミラー後しに微笑んだ。
「まず第一に、あなたはチケットの存在を知っていた。第二にあなたは迎えの車が来ることを知っていて外にいた。第三にチケットの持ち主があなたかと聞いたときあなたはそうだと頷いた。」
確かに少年は持ち主は僕だと表明したのだ。これ以上の理由もあるまい。
「あなたは自分が誰かを知りたいのでしょう」
少年は男の質問には答えられなかった。自分というよりはむしろ彼らが何者かを知りたくて陰から見たかっただけなのが実際のところで、断るタイミングを見つけられず、さあさあと促されるままに乗ってしまっただけなのだ。
知らない人にはついていってはいけないと言われ、それくらいはわかっていると自分でも思っていたのに。なんであの時、身を乗り出したりしたんだろう。
「きっかけはどうあれ、すでに旅は始まっています。」
落ち着かず、せわしなく脚を動かす少年の思いを見透かしたように男は言った。
「家に帰れないのですか?」
「帰れると思いますよ。」
「じゃあ家に帰してください!」
二度と家に帰れない気がして、少年は反射的に叫ぶと、間を置いて静かに車は止まった。男は振り返ってシートに座る少年を見る。その目は優しいはずなのに、なぜかとても恐ろしかった。
「こわいのですね。」
少年は目をきつく瞑る。素性も知らぬ男の車に乗ったのだ、家に帰れるってちゃんと言ってくれなきゃ困る。そうじゃないと……気が気ではない。
「君も迂闊だったね。君は誘拐された。生きては帰ってこれないよ。」
ふと、はっきりとはしない、そんな男の声が聞こえたような気がした。
「誘拐犯…やっぱり誘拐されたんだ。」
不安げに本音を口走る少年に男は吹き出し、仰け反って笑いだした。
「そうですか。私が誘拐犯ですか。こりゃあ傑作だ。ご近所さんと世間話して、のんびり家の前で待つ誘拐犯がいたら、あっと言う間に捕まるでしょうね。」
男の笑い声に今度は少年が呆気にとられ、狐につままれたような顔をしたが、我に帰ると不愉快そうに男を睨んだ。
分からぬ事は怖いに決まっている。笑うなんて失礼だ。
「疑われても仕方ないでしょう?あなたは、あなたが誰かだなんて、今の今までずっと言ってない!」
少年の反論に男は困ったように笑う。
「難しい質問ですね。」
「えっ?」
「私が誰か。正直、私は自分が誰かまだわかってないんです。」
少年は身を乗り上げて即座に否定する。
「そんなわけがないよ。ご主人様が居て、僕を連れているのだから、誰の運転手なのか言えばいいことじゃない。それから自分の名前とか、ご主人様のこととか、結婚してるとか、子どもがいるとかいないとか、何かあるでしょ。じゃなければあなたがいい人か悪い人かもわからない。」
男は黙って話を聞くと、顎を摩り考え込んだ。
「うーん、では君は、その人がどんな人なのか、あるいはいい人か悪い人かは、仕事があるかないか、あるいは家族がいるかいないかで決まっていると思っているんですか?」
「それは…違う。」
盲点を突かれ少年は口籠った。
「では何がいい人か悪い人かを決めているんでしょうね?」
少年は投げられた問いについてしばし考えると、正直な思いをそのまま吐露する。
「ごめんなさい……わからない。」
男はにっこり微笑むと言った。
「では、この旅を続けながら、その答えも探してみませんか?」
ここまで読んで下さって有り難うございます。
この後、少年は研究所で、たくさんの不思議な体験をしていきます。
物語を書くのって本当に難しい!
特に会話。会話の情景が見えるいい表現が出てこなくていっつも苦しんでます。気になる所はアップ後も随時訂正すると思いますので、感想いただけても嬉しいですし、「こういう表現にするといいよ」などのご指摘などいただけるともっと嬉しいです。宜しくお願いします。