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呪いの龍は箱庭を与え  作者: 丘/丘野 優
龍神と学生とアジールと
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第8話 愛し子

「……龍の神に仕えている、だと?」


 ウラガが、ジャハルユーレンと名乗った大男の言葉を繰り返して首を傾げた。

 龍の神ア・ガリジャ、それはウラガ達アジール族が先祖代々信仰する、実在の神であるが、それを信仰する他の一族の存在など、ウラガは今まで一度も聞いたことがなかったからだ。

 いや、より正確にいうなら、遥か昔にはアジール族より分かたれ、世界中に散っていった一族がいくつかあったと聞いている。

 しかし、今ではそのような一族もいない。

 龍の神が荒ぶる神となり、すべての一族はかの神を鎮めるために動いたからだ。

 その結果として、現在においては、いずれの一族も、おそらくは滅びたか、縮小し、歴史の波間に消えていったのだと言われている。

 実際、この数百年間、アジールの他に龍の神を信仰する他の一族の記録はないのだ。

 だからこそ、そんな中、同じ神を信仰している、と突然言い出す者がいれば、驚くのも当然の話だった。


 とはいえ、普通に考えれば、ジャハルユーレンたちは、そう言った滅びた一族の末裔かなにかである、ということになるだろう。

 荒ぶる神に滅ぼされず、しかし静かに、脈々とその命脈を今まで伝えてきた、そう言った一族もあったのかもしれないと。

 そう思って、ウラガは尋ねる。


「ということは、貴方がたは我らアジールの分かたれた一族のすえということか?」


 しかし、この質問にジャハルユーレンは即座に首を振る。


「……いや、そういうことではないのだ」


「では、どういう……」


 ウラガが改めて質問しようとしたそのとき、


『……カリハ様! カリハ様! どうなさったのですか!?』


 と、ウラガの後ろにある扉の向こうから、若い女の叫び声が聞こえてきた。

 それに続いて、ウラガの妻、カリハの叫び声が響く。

 それは恐ろしいほどの絶叫であり、ウラガですら今まで聞いたことのないようなものだった。

 これに慌てたウラガが、


「か、カリハ! どうした! なにがあった!?」


 と立ち上がり、扉に駆けようとしたが、そんなウラガをジャハルユーレンが止める。


「離せ!」


 即座にウラガはそう叫ぶが、その言葉を聞いてもジャハルユーレンは動かない。

 そもそも、そんなことをわざわざ言わずとも、ウラガを腕力で止められる人間などいないはずなのだが、ジャハルユーレンはまるでびくともしない。

 戦士として、勝てないかもしれない、と感じたことは間違いではなかったとウラガは悟ったが、しかしだからといって妻の危機に駆けつけないという選択肢もありえない。

 だから何としてでも、と力を振り絞るが、やはりどうにもならないのだ。

 そんなウラガを片手で静止しながら、ジャハルユーレンは、


「……エッセ、エテルノレガ。始まったようだから、お前たちが行け。流石に出産の場に俺が行くわけにもいかないからな。ウラガ殿とバヒール殿は俺が抑えていよう」


 二人の女性陣にそう言った。

 ジャハルユーレンの言葉に、白髪赤眼の女性、エッセが、


「……ジャハルユーレン。承知しましたが、お二人にはしっかりと説明して差し上げるのですよ」


 と言い、また銀髪銀眼の少女エテルノレガも、


「ジャハルはわらわよりよほど荒っぽいことをしているように思いますよ。ウラガ殿、バヒール殿、信じていただけるかは分かりませんが、奥様には危険はございません。我々が必ず救いますから。詳しいことは、ジャハルにお聞きください」


 そう言って、二人そろってカリハの出産している部屋へと向かっていった。

 それから、


『あ、貴方がたは誰ですか!? 今はカリハ様が出産をされているところです! 出ていきなさい!』


 と言う、産婆の怒鳴り声が聞こえ、それからいくつか問答の声がカリハの叫び声の合間に聞こえたが、しばらくして、カリハの叫び声が徐々に弱まっていくと、産婆の怒鳴り声も聞こえなくなった。

 それでどうやらカリハを襲っていたらしいなんらかの危機は去ったようだということが分かったが、しかし、それでも何の説明もしないでいさせるウラガではなかった。

 ウラガはジャハルユーレンを鋭く見つめながら言う。


「しっかりと説明してもらえるのだろうな?」


 それは獣の唸り声と見紛うような強烈な意思の込められた質問だったが、ジャハルユーレンは涼しい顔で、むしろ冷静に答えた。


「もちろんだ。だが、そのためにはまず……」


「まず?」


「お二人とも、座っていただけるかな? 今にも剣を抜こうとされているようでは、流石に俺も居心地が悪い」


 この言葉に、ウラガは今まで一言も発さなかったバヒールの方を見た。

 すると、バヒールの腕はほとんど剣のところまで伸びており、またウラガ自身も手が剣のところに伸びかけていることに気づいた。

 ほとんど無意識だったが、それだけに緊張していたらしい。

 ただ、問題はたとえ剣を抜いても二人とも、おそらく素手のジャハルユーレンには勝てないということだろう。

 これだけ殺気をぶつけても、ジャハルユーレンはびくともしない。

 そのことが、両者の実力差を如実に示している。

 もちろん、それでも妻のため、また友のためとあれば向かっていくのがアジールの勇敢な戦士と言うものなのだが、カリハの危機は去ったのだ。

 ここは、ジャハルユーレンの言葉通り、落ち着き、話を聞くべきだろうと二人が共に判断し、そして体からゆっくりと力を抜いて、腰かけた。

 それを注意深く見届けてから、ジャハルユーレンもまた、初めの位置に腰かける。

 そして口を開いた。


「寛大な行動に感謝する。お二人の気持ちは痛いほどに分かるゆえ、無理を言っているのは分かっていた。にもかかわらず、剣と殺気を修めてくれたことに、まず感謝をしたい」


 と礼儀正しく頭を下げた。

 この謝罪に、真心を感じたウラガとバヒールは、たった今起こった揉め事による確執をすべて水に流すことを即座に決めた。

 戦士とは、そういうものだからだ。

 それに、妻の命がかかっているとはいえ、ウラガとバヒールがジャハルユーレンたちを疑いの目で見ていたことは間違いない。

 それは、戦士の態度として、本来は正しくないことだ。

 いつでもどんな状況でも対応できるように常在戦場の心構えを持つことは大事だが、それは他人を先入観を持って見つめることとは別だからだ。

 だから、ウラガもバヒールも、ジャハルユーレンに対して素直に頭を下げ、


「いや、こちらこそ、疑って申し訳なかった。妻の命がかかっていて、我を忘れてしまっていたのだ。修行が足りない……」


「俺もだ。友と、その大切な妻の一大事だと……本来なら向けるべきでない相手に殺気を向けた。どうか、許してくれ」


 そう言った。

 この態度に、ジャハルユーレンは、


「……今の世に、このような立派な戦士のいるところがある。俺はそのことが嬉しい。もちろん、許そう。そもそも、すべては俺たちの行動が悪いのだからな……それで、詳しい話だが、いいか?」


 と、続けたので、ウラガは後ろの扉、カリハの様子を気にしつつも頷く。

 ジャハルユーレンはウラガの様子に気づいて、


「……では、単刀直入に言おう。その方がすっきりするだろうしな……つまり、ウラガ殿の奥方は今、出産されようとしているわけだが、先ほど苦しんでおられたな? その原因を抑えるために我々はやってきたのだ」


 と、不思議なことを言った。

 それはつまり、ウラガの妻、カリハがあのような叫び声を上げるほど苦しむことを、ジャハルユーレンたちはここに来る前から知っていた、ということになる。

 もちろん、出産となれば、それに望む女性が叫び声を上げることなど珍しくもない、むしろ普通のことだが、ジャハルユーレンの言う苦しみの理由とは、出産自体のそれを言っているようには聞こえなかった。

 首を傾げて、ウラガは尋ねる。


「……カリハが叫んでいた理由は……何か出産でおもわしくないことがあったからではないのか? そしてそれは普通のことでは……?」


 これにジャハルユーレンは頷いたが、それに続けて、


「通常の出産の苦しみと、カリハ殿のそれとは少し違うのだ。もちろん、出産の苦痛もあるだろうが、それ以外に、カリハ殿が背負ってしまっているものがある。ウラガ殿。ウラガ殿の腕にあるだろう、龍紋、それこそが、原因だ」


 これにウラガもバヒールも驚く。

 なぜなら、ウラガの龍紋の存在は、アジール族の者しか知らない秘中の秘だからだ。

 一族の外に漏らしてはならぬと言い伝えられ続けてきたものだからだ。

 それなのに、ジャハルユーレンはなんでもないことのように続ける。


「なぜ知っている、と聞きたそうな顔だな? 気持ちは分かる。が、とりあえず最後まで聞いてくれ……龍紋、それは龍の神をウラガ殿の祖先が滅ぼしたときに刻まれたものだが、それは呪いであるということも知っているな?」


 これにも二人は驚く。

 その話は、ウラガが先ほどバヒールにするまで、ウラガと族長しか知らなかったことだ。

 他に漏れているはずなどないのだ。

 それなのに、この男は知っている。

 驚かずにはいられない。


「その呪いは、本来、龍の神がウラガ殿の先祖に、その子々孫々まで屈服させようと刻んだ執念の代物だ。だからそれはウラガ殿の一族が滅ぶまで受け継がれる……そういう性質のものだ」


 この言葉に、ウラガはむしろ、自分たちよりもこの男ジャハルユーレンの方がこの龍紋について詳しいということに気づく。

 どこまで受け継がれるか、どういうものか、それを正確にはウラガも、族長も知らなかったのだから。

 ジャハルユーレンは続ける。


「しかし、それはあくまで、龍の神が怒りと憎しみに我を忘れているときにそのように考えて刻んだだけに過ぎない。元の聖なる神に還られた龍の神が、その龍紋を呪うために使うことは無い。むしろ、それを通じて、祝福を与える可能性の方が高いだろう。なにせ、ウラガ殿のご先祖、カジャク殿は龍の神に最も愛されたと言ってよい、アジール族最強の戦士だったからな……。それを呪うなど、本意ではなかったはずだ」


 まるで見てきたかのように、ウラガの先祖のことを語る男に、ウラガは徐々に奇妙な感覚がしてきた。

 その瞳の奥に、なにか覗き込めない暗闇を感じる。

 決して、まがまがしいものではない。

 ただ、深ずぎてそこの見えない井戸を見ているような、不思議な感覚だ。

 怖いような、それでいて惹かれるような。

 

「実際、今までウラガ殿の一族はいかなる呪いにも襲われていないだろう? それが証拠だな。まぁ、そもそも、龍の神は今まで、そのようなことが出来る状態にはなかったのだ。実は、龍の神は今、この世界にはいない。別のところで暮らしておられるのだが……色々あってな。愛し子をこの世界に送り込まれることになったのだ。そのために、この世界の生き物との唯一の繋がり――その龍紋を利用して、愛し子を、ウラガ殿とカリハ殿の子として出現させるべく、力を使われたのだ」


「愛し子……」


 その存在を、ウラガは聞いたことがあった。

 神々が特別な加護を与える存在。

 神に愛された子。

 特別な使命を背負って生まれてくる、普通の人間とは異なるもの。

 それが、ウラガとカリハの子だという。

 それは龍の神に仕える者として、光栄なことであったが、同時に恐ろしいことでもあった。

 自分の子が、世界の問題の渦中に放り込まれることを予言されているようなものだからだ。

 歴史は伝える。

 神の愛し子として生まれた者が、平穏に生きたことなどかつてないと。

 だから出来ることなら自分たちの子供には、普通の子供として生まれてほしかった。

 しかし、それはもはや望んでもどうしようもないのだ。


 けれど、ジャハルユーレンはそんな青ざめたウラガの内心を読んだように微笑み、


「……とはいえ、安心するといい。ウラガ殿とカリハ殿の子は、何の使命も背負っておらぬ。龍の神は、好きに生きよと仰せだ。ただ、よく鍛えるように、とはおっしゃっておられたが、な」


 そう言った。

 それは救いの言葉だったが、しかし本当なのだろうか。

 ウラガには確信が持てなかったが、それを言うならジャハルユーレンの話全体が本当なのかどうかわからない。

 そして、ジャハルユーレンは核心を言った。


「つまり、カリハ殿が苦しんでおられたのは、愛し子を腹に宿し、それを生むことになったためだ。龍の神は、今まで愛し子をこの世に現出させたことは一度もない。慣れておられないのだ。古き神としては非常に珍しいことだが、その結果として、カリハ殿に大きな負担をかけてしまっている。その負担を軽くし、母子ともに健康に出産を終えられるように、我らは来たというわけだ。特にエッセとエテルノレガはそう言ったことの専門家だからな。全く問題なく終えたようだから安心するといい」


 ジャハルユーレンがそこまで話し終わったところで、後ろの扉の向こうから声が聞こえた。

 それを聞いたバヒールが、


「お、おい! ウラガ!」


 そう叫んだ。

 当然だ。


 その声は、赤ん坊の泣き声だったのだから。


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