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呪いの龍は箱庭を与え  作者: 丘/丘野 優
龍神と学生とアジールと
6/9

第6話 アジール族集落のある家の一室

 ごう、ごう、とした音が外から響いてくる。

 それと共に、泥と水の混じったような、すえた匂いが家の僅かな隙間から漂ってくるのも感じる。


 今日は嵐だ。

 仕方のないことだろう。


 そう思って、アジール族の青年、ウラガ=スワラニは黙っていれば今にも早鐘を打ちそうな胸を押さえ、深く息を吸う。


「……落ち着け、ウラガ」


 そう彼に声をかけたのは、同じくアジール族の青年、バヒール=ジャファフである。

 彼はウラガと共にアジール族で育ち、今やウラガと並ぶ戦士の一人だ。

 しかし、そんな彼であっても、口から出した言葉の割にどこか焦っているような、そんな様子だった。

 アジール族でも一、二を争う強力な戦士であるこの二人が、これほどまでに焦燥にかられるなど、よほど強大な魔物が集落を襲おうとしているのであろうかと、彼らを知るものなら思ってしまうことだろう。

 しかし、実際には、そんな事実などない。

 ないのだが、場合によっては、そんなことよりもずっと大変な事態であるのかもしれなかった。

 ウラガは、バヒールの言葉に頷きつつも、アジール族の戦士には似つかわしくない反論を口にする。


「しかし……何もこんな日に、嵐など来ることはないだろう。俺は気が気ではないのだ。妻が……カリハが、無事にことを成し遂げられるのだろうか、と」


 不安げなウラガの口調。

 それに対し、バヒールは笑って、


「他人の妻にこんなことを言うのもなんだが……あのカリハ・・・・・が成し遂げられぬと、本当に思うのか? 俺にはむしろ、そんなことなどあり得ぬと、そんな気すらしているのだが……」


 妙な言い方をしたバヒールを一瞬見、それからふっと視線を逸らして、ウラガは言う。


「……カリハとて、女だ。今回のことは、女の人生において、考えられる限りもっとも大変な仕事なのだぞ。そう簡単に安心はできん……」


 確かに、ウラガの言うとおりで、いくらカリハが戦場においては一騎当千の勇士であり、ありとあらゆる魔物をその剣と弓で次から次へと切り倒していく強力な戦士であると言っても、絶対はない。

 女にとっての一大事……つまりは、出産という仕事は、それだけ厳しいものなのだということを、ウラガもバヒールもよく知っていた。


「お前の言うことも最もだが、しかしだからといって、お前に出来ることは何もあるまい? お前が慌てたとて、子が無事に生まれてくるわけでもあるまいし……それならむしろ、静かに祈るべきだ。我らが龍の神ア・ガリジャの加護が、カリハと、そしてこれから生まれてくる子に宿るようにと」


 諭すように言ったバヒールの声は優しい。

 バヒールにも、何もウラガの気持ちが分からないわけではない。

 ウラガとカリハにとって、初めての子なのだ。

 でんと構えている、という風になれないことは理解している。

 しかし、やはりウラガに出来ることは何もないのも事実なのだ。

 こういうとき、男親というのはつらいと思うが、本当につらいのは実際にことに当たっているカリハの方でもある。

 静かに祈り、時を待つ。

 それだけが、男親に出来る唯一のことだ。


「……龍の神の加護か。やはり……宿るのだろうか」


 ウラガはそう言って、自分の右腕を見る。

 そこには漆黒の墨で描かれた龍を象った文様があった。

 バヒールはそれを見て、龍神が確かに存在していることを思い、敬虔な気持ちになるが、しかしウラガの表情は妙に暗い。

 いったいどうしたのかと気になって、言う。


「……ウラガ? その腕の……龍紋は、お前の一族の誉れだろう? それなのに……どうしてそれほどまでに浮かない顔をしている?」


「俺の顔は……暗いか?」


「そうだな、ナンダが食卓にあがった時と同じくらいには」


 ナンダとは、アジール族の集落近くに流れる川からとれる魚の名である。

 味は悪くはないのだが、極端に小骨が多く、食べるのに難儀するので、ウラガはあまり好まなかった。

 バヒールはそこをからかったのだ。

 真剣に悩んでいたのに、そんな風に何事も笑い飛ばそうとするバヒールの様子に、なんだかウラガはバカらしくなって、ふっと笑う。


「……お前と話していると悩んでいても仕方がないような気分になってくるな」


「なんだ、何か悩んでいたのか? であれば、この俺に話してみると言い。笑い飛ばしてやるから」


 そう言って、身を乗り出してきたバヒール。

 それは気遣いだったのだろう。

 妻の出産に心が安らがないウラガに対しての。

 ウラガはそれを理解し、頷いて、


「……では、そうだな。話してしまうことにしよう」


「うむ」


「バヒール……お前は、この龍紋について、どう聞いている?」


「それは……かつて龍の神ア・ガリジャを龍討の三英雄が倒したときに、最も功績のあったカジャク……お前の祖先を称えて、龍の神自らが刻んだ祝福の印だと……」


 本来ならアジール族を守護する神である龍神が、自らを抑えられずに暴れた。

 それを危険を顧みず鎮めた三人の勇士に、龍神は消滅する直前、感謝し、そしてカジャクに祝福の印を刻んだ。

 アジール族に伝えられる伝説、その中でも最も勇敢なもののうちの一つである。

 けれどウラガは首を振って、


「それは間違いだ。これは呪いだ。龍の神を弑したカジャクを呪い、龍の神が刻んだ呪紋。それがこの龍紋なのだ……」


 さらりと言われたその内容は、バヒールにとっては驚愕に値することで、一瞬、息が止まる。

 それから、バヒールはウラガの肩をとり、揺らしながら尋ねた。


「な、なんだと……それは本当なのか!? だとすれば、龍の神は……アジール族を呪って死んだと!? そうなのか!?」


 そうだとすれば、この森で、龍の神を信仰しながら生活をしてきたアジール族の生活はすべて、何の意味もなかったということになりかねない。

 そう思ってのバヒールの反応だった。

 ウラガの口から語られたのはそれくらい、アジール族の存在意義を揺るがしかねないことなのだ。

 けれどウラガは、全く慌てずに、バヒールに言う。


「それがそう単純な話でもない。龍の神は、アジール族を呪ってはない。呪ったのは、カジャク個人だった、という話だ。だからまぁ……そこは心配せずともいい」


「そ、そうなのか……? いや、しかし、それでも、お前は……」


 ウラガの言葉に少しだけ興奮を抑えられたバヒールだが、しかしすぐに問題に気づく。

 カジャク個人を呪い、そしてその呪いの証がウラガに宿っているということは、ウラガの一族を呪っているという事だと。

 そしてそうであるならば、これから生まれる子も……。


「だから、お前は、それほどまでに不安そうなのか……?」


 バヒールが尋ねると、ウラガは頷いた。


「あぁ。呪いは、俺の代で終わりにならないものかと思ってな。受け継がれなければいいのだが……」


「それは……」


 それこそ、神のみぞ知ることであり、バヒールには答えようもない。

 ただ、めまぐるしく動く頭が、ふと、疑問を一つ思いつき、バヒールはウラガに尋ねた。


「……ウラガ、その呪いとは、いったいどういう……?」


 そうだ。

 ウラガは呪い、と言ったが実際にどういう問題があるのかは聞いていない。

 子が出来る、ということは子孫を残せぬ呪いというわけではないのだろう。

 それに、五体満足で生きている上、アジール族でも一、二を争う戦士であるウラガに、何かしら健康に問題があるようにも見えない。

 この疑問は、意外にも核心を突いていたようで、ウラガは少し考えてから言う。


「それは俺にもよく分からん。呪いだと、代々伝わってきたらしいのだが、しかしその呪いがその身に降りかかったものは今のところいないらしい」


 この答えにバヒールは首を傾げ、


「何も問題がないと……それは……呪い、なのか?」


「いや、それは間違いないらしい。俺の一族にはこれが呪いだと伝わっているが、村長の一族にも同じ内容が伝わっているようだからな」


「村長もご存じなのか……」


「あぁ。村長の方がこれについては詳しかった。それによると、どうもカジャクたちが生きていた時代には、村人全員が知っていたらしいのだ。だが、村を代表して龍の神を滅ぼす、などという大業を成し遂げてきたカジャクが呪われるなど、あんまりだと思ったらしくてな。後世にその呪いを原因として子孫が迫害されぬようにと、呪いであることはカジャクの一族と村長の一族の胸のうちだけにしまっておく、ということになったらしい」


「それは……確かに、そうするより他ないだろうな……」


 アジール族は誇り高い一族だ。

 たとえカジャクが呪われたにしても、それは村を代表してしなければならないことをした結果であって、その報いは一族全体で負わなければならないことだと理解できる。

 しかし、だからといって絶対もないのだ。

 徐々に時代が下るに連れて、カジャクの一族が迫害される可能性はないではない、と当時の村人たちは考えたのだろう。

 だから、後顧の憂いをなくすため、あえて真実を語らぬことにした、ということなのだろう。

 真実はカジャクの一族と、村長の一族だけが知っていればいいことだとして。


「話は分かった……しかし、それが正しく呪いだとして、結局お前にも何の災難も降りかかっていないのだろう? となれば、だ。もはや、それは呪いとして効果が残っていないのではないか? それほど心配することではないのではないか……」


 長い年月が、いくら神の呪いとは言え、効力を失わせたのではないかと思っての言葉だった。

 それは期待でもあったし、友人を気遣っての言葉でもある。

 しかしウラガは首を振って、


「いや……この紋様が残っている限りは、心配は尽きぬ。俺はここに龍の神の力が宿っていることを、毎日感じているのだ。効果はまだ、尽きていない確信がある。あぁ……ちなみにだが、呪いの効力は"龍の神が再びこの世界に戻ってきたとき、俺の一族が龍の神の忠実な僕になる"というものらしい……それが本当なのだとすれば、それほど悪くはなさそうだが……」


「龍の神の、忠実な僕か……ふむ。確かにな」


 そもそもが、龍の神の僕として、森を守っているアジール族である。

 それが強制されたからと言って、嫌だとは思うことはない。

 何も変わることはないからだ。

 ただ、龍の神がかつてのように荒神となり、世に害悪をまき散らすような状態になったとしたら、そのときに僕として働くことは御免被るというも正直なところだった。

 アジール族は、あくまでも、穏やかに世を見守り、森を育む龍の神をこそ信仰しているのだ。

 人やこの世界を滅ぼそうとする荒神にではない。


「まぁ、そういうわけでだ。俺の心配は実際のところ、大したものではないのかもしれないが、全く忘れるというわけにもいかないものでな……俺たちの子に、受け継がれなければ良いと、そう願わずにはいられないのだ」


 ウラガの言葉に、少し、沈黙がその場を支配した。

 親なら、誰でも願うことだろう。

 健康に生まれ、幸せに生きてほしいと。

 呪いなどないようにと。

 しかし、ウラガの一族にはそれが許されない。

 ひどい話だった。


 それから、バヒールがふっと思いついたように言う。


「そういうことなら……そういうことなら、いっそ、今すぐに龍の神が現れてくれればな」


「それはなぜだ?」


 首を傾げるウラガにバヒールは言った。


「そう……お前の子に受け継がれるかもしれぬ呪いを、俺に移すように願うのだ。そうすれば、問題なかろう? 龍の神が荒神になり果てたときは……お前と俺は、お前の子供に討ってもらえばいいのだ」


 あまりの提案に、ウラガは一瞬呆気にとられる。

 しかし、だんだんとおもしろくなってきて、ついにはウラガは大笑いしてしまった。


「はっはっは! お前もおもしろいことを言うな……だが、なるほど。龍の神が聞き届けてくださるなら、それは悪くない提案かもしれん。まぁ、俺は、我が子とは言え、それほど簡単にやられるつもりはないが……」


「バカを言え。俺だってそうだ。ただ、お前とカリハの子だからな……どれほどのものになるのか考えるだけで恐ろしいような気も……」


「確かに……というか、俺の血よりもカリハの血がな……」


 結局、真剣な話をしていたはずなのに、バヒールが変わったことを言うものだから、笑い話になってしまった。

 実際、心配するだけ無駄な話でもある。

 神のしたことだ。

 人であるウラガやバヒールにどうにか出来るものでもなかった。

 だから、あまり深刻になりすぎないのが正しいのだろう。

 あとは、なるようになる。


 そう思って、はじめとは異なり、いつも通りの落ち着きを見せ始めた二人である。

 その後の雑談は穏やかなものになった。


 それからしばらくして、


 コンコン。


 と、家の扉が叩かれる音がした。

 バヒールとウラガは顔を見合わせる。


「……こんな嵐の日に、客人だと? 誰かと約束でもあったのか?」


「思いつく限り、何もなかったはずだが……仮にあったとしても、この嵐の中、集落の外から人がやってくるわけもないだろう。誰か、集落の者がやってきたのではないか?」


 ウラガがそう答えつつ、立ち上がり、それから扉に近づいて、


「……誰だ?」


 そう尋ねると、


「こんな夜更けに失礼いたします。私どもは、山向こうから参りました者で、この度のカリハ殿のご出産に際し、祝福を与えに参りました」


 意外なことに、若い女の声である。

 しかしそれよりも気になったのは、その来た場所であった。


「山向こうから……?」


 祈祷師やまじない師が、この辺りの集落のものの出産の際に、祝福や呪いを与えるために訪ねることは確かに少なくない。

 普段であれば喜んで迎えるところだが、しかし今日、外は信じられないほどの嵐である。

 こんな天候の中、アジール族の集落に、しかも険しい山の向こうからやって来るほど熱心な祈祷師や呪師などいるはずがない。

 きわめて怪しいと言えた。


「……こんな日に、遙々来ていただいて申し訳ないのだが、また、日を改めてはもらえぬだろうか。こんな天候だ。いくら祈祷師どのや呪師どのとは言え、知らぬ者を出産の最中にある妻のいる我が家に招くわけにはいかないこと、分かっていただけるだろう。とはいえ、もちろん、今から山を越えて帰れとも言わぬ。宿は、村長殿のところに行けば紹介してくれる。宿代はこの俺、ウラガにつけておくように言ってくれれば、心配はない」


 それは丁重な断りの台詞だった。

 実際、祝福を与えてくれるというのはありがたい話である。

 いくらか払わねばならないだろうが、しかしやってもらって悪いことではない。

 ただ、今日は駄目だと、それだけの話だ。

 けれど、扉の外の者は食い下がってきた。


「そこを何とかお願いできませぬでしょうか。我らは決して、貴方様や奥方様を害そうとする者ではございません。ただ、その出産を無事に終えていただきたいがため、参ったのです」


「それは俺とて望むところだが……」


 どうも、妙である。

 扉の外の者の話はきわめて怪しい。

 だが、その口調には何一つ歪みは感じられないし、敵意も殺気もない。

 むしろ、懇願するような誠意のみが伝わってくる。

 それに、話しているのは一人のようだが、扉の外には三人ほどいることが気配で分かった。

 祈祷師や呪師が三人連れだってやってくる、というのも珍しい話だった。

 普通は、一人、多くて二人だ。

 いったいどういう者なのか、その時点でウラガにはよく分からなくなっていた。

 黙っているウラガに、扉の外の者は言う。


「早くしなければ、奥方様、そしてお子さまの命にも関わることなのです。どうか、どうか入れてはいただけませんでしょうか……」


「なんだと……?」


 その内容に、ウラガは一瞬殺気立つ。

 祈祷師などに何が分かるのかと、そう思ってのことだった。

 けれど、それでも、やはり悪意は感じないのだ。

 扉の外の者がいったいどういう意図を持っているのか、判断できず、困惑しながらウラガはバヒールを見る。


「……どう、思う?」


 訪ねたウラガにバヒールは答える。


「……お前と同じだ。よく分からぬ祈祷師だが、悪いものではないようだ。入れてやっても構わないのではないか? 何なら、俺とお前で見張ればいい。何かしそうなら、即座に切り捨てればそれでいいだろう」


「それもそうか……」


 物騒なことを言っているが、場合によっては仕方がないだろう。

 それくらいの覚悟を持って入ってくるなら、許そうという意味もあり、ウラガはバヒールとの会話の内容を扉の外の者に伝える。


「そこまでおっしゃるなら、入れても構わない。しかし、俺の妻や子に、何か害を与えようとした場合には、その命は保証しない。それでもよろしいか?」


 ここまで言えば、ただの祈祷師風情なら脱兎のごとく逃げ帰るだろう、と思ってのことでもあった。

 しかし、意外にも扉の外の者は即答で、


「それで構いませぬ。どうか、扉をお開きくださいませ……」


 と答えた。

 これには、もはやウラガも否定する言葉を持ち合わせず、


「……良かろう」


 そう言って、扉を開いたのだった

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