第4話 その存在
言えないことが、わしにはある。
わし……つまりは壬生 夜刀には、幼なじみであり、同級生であり、友人である碓井 水城に語れない、秘密があるのだ。
より厳密に言うなら、語っても信じてもらえないだろう、秘密だ。
それは、わしが、本来はこの世界……つまりは地球の出身ではないこと、そして本来は他の世界で、龍の神として、とある一族を守護していた存在だと言うことだ。
こんな話を、科学技術が発展しているこの地球の、しかも先進国である日本で、いったい誰が信じるというのだろう。
誰も信じるまい。
そんなことは分かっている。
だから、語らなかったし、語れなかった。
けれど、それで問題を感じたことはなく、だからわしはそれで全く構わなかった。
そもそも、もともと住んでいた世界で色々あって、守護していた一族随一の戦士たち三人に滅ぼされたわしは、体を失い、そしてその存在ごと、この世界にまで弾き飛ばされてしまったのだが、偶然やってくることになったこの世界は、思いのほか面白く、むしろ、ずっとここにいてもいい、と思えるような場所だったからだ。
もちろん、来た当初は、暴れた。
というか、どこだか分からない奇妙な庭にある池の中に飛び出てしまい、しかも出現すると同時に訳の分からない娘が眼前にいて、しかも敵たるに足りる力を持っていたため、戦わざるを得なかった、というのが正しいだろう。
もちろん、鬱憤もたまっていたし、何もなくとも、とりあえず周囲一体を吹き飛ばす位は暴れただろう。
しかし、的があるに越したことはなく、そしてその娘は的として十分な存在であるように思えたのだ。
けれど、意外なことにわしはその娘に、こてんぱんに叩きのめされてしまった。
いくら別世界とは言え、わしは龍神である。
普通の人間にぼこぼこにされるなどあるはずがなく、とてもではないが、信じられない出来事だった。
ただ、後に、その娘が自分自身だったと気づいた。
自分自身にやられたとなれば、それは特に不思議なことではない。
十分に力の戻っていない状態の自分が、万全な状態の自分にやれれた、それだけの話になるからだ。
ただ、それはだいぶ後のことになる。
なぜなら、叩きのめされた後、わしはその娘に記憶を封じられ、再度、滅ぼされたからだ。
わしは、これでも一端の神で、死がすべての終わりではない。
たとえ体が幾度消滅しようとも、年月をかけて、必ずどこかに復活する。
そういう存在だ。
ただ、どこに復活するのかはわしにもわからない。
さまざまな条件が絡み合って、わしらのような存在は世界に現れるからだ。
今回については、気づくと、わしは何かの胎内にいた。
滅ぼされてどのくらい経過したのかは分からないが、やはり、復活するようだった。
出現してから、体を完全に破壊されたことなど二度しかなく、一度目はアジール族の勇士たちに、そして二度目はあの娘に、である。
神の復活とはこのように起こるのかと感慨深いものを感じたくらいだ。
ただ、そのとき覚えていたのは、一族の勇士に滅ぼされた、という記憶だけで、その後、わしを滅ぼした娘についての記憶はなかった。
だから、この何者かの腹から出たら、また暴れてやろうと、わしの憎しみはまだ発散されていないのだと世に示してやろうと、そんなことを考えていた。
と言っても、そのときのわしにはまだ、大した力は戻っていない。
肉体が滅びた後、本来の力を取り戻すまで、長い年月がかかるのだ。
しかも、一度消滅したくらいならともかく、二度も完全に肉体を失っては、その力は小動物ほどに目減りしていた。
神とは言っても、基本的な自然の理から完全に外れているというわけではない。
だから、力の現象を自覚していたわしは、仮に暴れると言っても、数十年、いや、数百年あとのことになるだろう、と思っていた。
それまでは、力を貯めるのだと。
長い年月を生きているわしにとって、それくらいの年月は瞬きをするくらいに短い。
対して長くはないな、と思っていた。
のんびりと待とう、とも。
ただ、いくら気長に待つつもりだったとは言え、完全に穏やかになったわけではなく、わしの暗く闇に満ちた気配は、思った以上に周囲に多く漏れ出ていたらしい。
わしはそのとき、誰かの胎内にいたが、そこにはどうやら多くの姉妹がいるようだった。
姉妹、と言っても、まわりが皆、わしのような神というわけではなく、脆弱な、小さな存在たちだ。
まさに小動物としか言いようがないものたちで、小さくかわいらしいとは思ったが、しかし、とてもではないが、本当の姉妹だとは思えなかった。
けれど、彼女たちは、わしの暗い気持ちを理解してか、それぞれが、語りかけた来た。
何も分からない彼女たちに、恐れはなく、また生まれてもいない彼女たちは純粋な存在だった。
ただ、何の含みもなく、彼女らはわしに言う。
いったい、何があってそんなに暗い気持ちをしているの、とか。
そんな風につらい気持ちをかかえていては、たいへんよ、とか。
小さなものたちらしい、かわいらしい気遣いだ。
はじめのうちは、わしも機嫌が悪く、煩わしい、わしに近づくなと、そんなことを思っていたのだが、母様の胎内で近づくな、などと無理に決まっている話だし、まだ体も出来ていないのにわしの方から胎内から出ていくわけにも行かない。
それに、彼女たちは人の迷惑などを感じて空気を読むとか、怒りに怯えて遠ざかるとか、そういう感情を抱くような複雑な精神をまだ、持っていなかった。
いくらわしが迷惑に感じようとも、彼女たちはわしに話しかけ、世間話をし、また、わしの言葉を楽しそうに聞いてくれた。
穏やかな時間だった。
今まで抱いていた、暗澹たる気持ちが、ゆっくりと溶かされていく。
そんな時間だった。
そして、そういうことをしばらく繰り返すうちに、わしは少しずつ、思い出してきた。
かつて守護していた一族、森の民、アジール族の誠実で、勇気あふれる若者たち、静謐な信仰と深い知識により一族を導いていた長老たち、そして、純粋に未来を信じていた子供たち……。
彼らのことを……彼らを慈しみ、その日々に幸福があるようにと願い、加護を与え続けた、あのよき日々のことを、わしは、思い出した。
そして、後悔した。
自分の心の中にあふれる憎しみ、辛苦、暗闇を覗こうとする死への執念……そういうものに負け、ありとあらゆるものに絶望を叩き込み続けた自分の所業を思い出し、その非道さを自覚して。
あぁ、なんということをしてしまったのだろう。
カジャクたち三人はどれほどの苦しみを携えて、わしを滅ぼしたのだろう。
わしは、アジール族を守護する神だったはずだ。
それなのに、彼らを守りきることが出来ず、それどころか多大なる迷惑をかけて、自らを鎮めてもらった。
守護していたはずのわしが、彼らに救われたのだ。
アジール族の者たちは、老若男女問わず、敬虔で、信心深く、いつだってわしに感謝を捧げてくれていたというのに。
何も出来ずにいた自分を、わしは、深く恥じ、もはや彼らに合わせる顔がないと、そう、思ったのだった。
ただ、もはや暗闇に呑まれることはなかった。
過去を過去として見つめ、反省し、もう二度とああいうことは犯すまいと、そう強く心に決めた。
もし、わしがただの人であれば、命を持って償う、と思ったかもしれない。
しかし、わしは残念なことに、神だ。
本当の意味で死を迎えることはなく、肉体が滅びようとも、永遠に生き続ける。
存在の消滅をもって償うということは出来ない。
だから、誓うしかない。
二度と、同じ過ちは犯さない、と。
その決意は周囲にも伝わったようで、わしの姉妹たちも賛意を示してくれたのだった。
そして、それからしばらくして、わしたちは母様の胎内から外へと送り出されることになる。
奇妙な出会いが、そこには待っていた。