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呪いの龍は箱庭を与え  作者: 丘/丘野 優
龍神と学生とアジールと
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第2話 不正確な記憶

 これは確か、五歳ころの記憶だ。


 自分の母方の実家が、東京ドームに匹敵する土地を持っているということに気づいたのは最近のことだが、当時、自分は両親に連れられて母の実家に帰る度、祖母のことを心の中でひそかに“魔女”と呼んでいた。

 別に恐ろしかったとか、意地悪だったとか、そういうことはない。

 確かにちょっとだけ、意地悪なところもあったのだけれど、それはたとえば夜中に古い作りの屋敷の中を探検したのが見つかった時に、“夜は向こう側の人がやってくる。子供だけで歩いていると連れられてしまうよ”とか、ちょっと脅かしてくるくらいのものだった。

 屋敷の周囲には他に民家などまったくなく(当たり前だ、見える限りの土地は、すべて祖母のものだったのだから)、屋敷の内部を静かにぽつりぽつりと一定間隔で照らしている蝋燭の明かり以外には光源の一つもない柔らかな暗闇の中で、ぼんやりとその闇の向こう側から腰のわずかに曲がった祖母がゆっくりとした様子で現れるのは、いっそホラーだったと今でも思う。

 ただ、それでも当時の自分が祖母のことを恐ろしいと思わなかったのは、彼女に嘘をついている気配が一つもなかったからに他ならない。

 彼女は、すべて真剣な口調でいい、また実際の自分の口から出た内容を信じているようだった。


 迷信深い人だった、というわけではないのだ。

 祖母はむしろ論理の人だったように思う。

 年の割にはパソコンや携帯も使いこなす人で、東京と祖母の家との連絡はネットを介したテレビ電話で行われるという有様だったくらいだ。

 趣味はナンプレと判例読解であり、暇つぶしにゲームもやるような人だ。

 得意なのは格闘とFPSであり、現代っ子であるはずの自分の方がついていくのが難しかったくらいだ。

 どう考えても、幽霊とか妖怪とか、そういうものを、心から信じるようなタイプではなかったように思う。


 けれど、それでも祖母は、見えないもの、触れられないもの、超自然的なものに対する素直な敬いが存在していた。

 森を一緒に散歩すれば、そこここに見える動物たちの影に妖異の存在を口にし、また花や草木に宿る霊的な力についても語った。

 それはわかりやすい物語調で、若い時分に祖父が狐に化かされた話や、出口のない家に迷い込み数時間立ち往生した話などであった。

 今にして思えば、それは遠野物語から題材をとっているのかもしれない、と想像できるのだが、しかしもっと深く考えると不安になってくる。


 あれはすべて、真実だったのではないか。

 想像や借り物のエピソードではなく、昔はよくあったことなのではないか。

 そんな気がしてしまうのだ。


 そう感じるのは、何も祖母が不思議な人だったから、というだけではない。

 自分自身の経験に基づく話だ。


 そのとき、確か自分は祖母の家の大きな庭にある池にかかった朱塗りの太鼓橋の上から、池を悠々と泳ぐ鯉たちを眺めていた。

 極彩色の、大きな魚たちが池を泳ぐ姿は、それだけで不思議と気持ちが落ち着いてくるもので、あのころの自分は祖母の家に来るたびに、暇なときはずっとそこを定位置としていたような気がする。

 しかし五歳の子供である。

 そんな場所に一人でおいておくのは危険だという認識は両親にも祖母にも勿論あり、普段はしっかりと彼女たちの監視の目が光っていた。


 けれど、記憶を深く思いだしてみるに、なぜかそのときは、周りに誰もいなかった。

 直前まで母と祖母が庭でずっと自分を見ていたのに、ふっと、何かが反転したような感覚が通り過ぎて、あたりが完全な無音になり、そして誰もいなくなったのだ。

 先ほどまでさわさわと頬に吹いていたはずの風も止まっていることに気づいたのはどれくらい時間が経ってからのことだろう。

 顔を上げて周囲を見回し、誰もいなくなっていることに気づいて、驚いたものだ。


 しかし、そのときの自分はそのことについてあまり深くは考えなかった。

 そろそろお昼になるくらいの時間帯だ。

 祖母も母も、昼食を作りに屋敷の台所に行ったのだろう、とそれくらいしか考えなかったのだ。

 実際のところは違ったのだが、五歳の考えることである。

 そんなものだった。

 一人っ子だったこともあり、あまり人にべったりとくっつくタイプではなく、一人で遊んでいるのが好きだったことも影響したのかもしれない。

 誰かがいないからと言って、それほど心配しない性格だったのだ。


 だから、気づいた後も、自分はずっと鯉を眺めていた。

 時間が来ればきっと祖母か母が呼びに来ると、そう、思って。


 けれど、現実に自分を呼んだのは、そのどちらでもなかった。


「……もし。もし、ミズ……じゃなかった、そこな少年よ」


 振り返ると、そこには少女がいた。

 当時の自分と同じくらい。

 五歳程度の、白いワンピースを着た少女だった。

 長くさらさらな黒髪を垂らして、麦わら帽子をかぶっているその姿はどこかのお嬢様のようで、少し心がときめいたのを覚えている。


「……えっと、ぼく、のこと?」


 名前を一瞬呼ばれた気がしたが、それは気のせいだったようで、しかし、“少年”と言ったのだから自分のことを呼んでいるのだろうと推測するのは難しくない。

 なにせ、周囲にいる人間は、自分とこの少女だけで、少年、と言える存在はとなると、自分しかいないのだ。

 簡単な話だった。

 少女は頷き、


「そうじゃ。お前のことじゃ」


 そう言った。

 言葉遣いが妙だったが、テレビやアニメで、よくこういう言葉遣いをしている少女は出てくる。

 当時も確か、こんな口調の少女が出てくるアニメがやっていたような気がするし、きっと真似しているのだろうと思った。

 だからさしてその点については気にしなかった。

 それよりも気になることは、祖母の家の敷地内、庭であるここに、どうして他人であるこの少女が堂々と立っているのか、ということだった。

 こんな少女が屋敷にいるなど聞いたことがない。

 だから訪ねることにした。


「きみは、だれなの? 僕のおばあちゃんの家に、どうしているの?」


「ん? ううむ、それはまた、難しい質問じゃ。しかし……まぁ、わかりやすくいうのなら、運命、ということになるかのう。こうするより、他に手段がなかった」


「うんめい……」


「そうじゃ。今から、ここにわし・・が来るでの。抑えねばならん」


「きみが?」


 意味が分からなくて首をかしげるが、少女は微笑んで、


「そう、わしが……っと、言っている間にもう来おったぞ。ミズキ。下がっておれ」


「えっ……?」


 自分は果たして名前を名乗っただろうか?

 そう疑問に思うも、それ以上にその場で起こったことの方が驚きだった。

 目の前にある池、その中心に鯉たちが集まって暴れて水しぶきを立てている。

 それだけなら餌を欲しがっているのだろうかと思ってしまうが、そうではないことは、その水しぶきが徐々に大きくなっていくことから知れた。

 そして、ついに、鯉たちが池の外にはじき出された。

 鯉たちは水の外、玉砂利の上に投げ出され、びちびちと暴れまわっている。

 それから……なんだろう。

 池の奥底から、何かが上がってこようとしている。

 それが見えた。


「あれは……なに!?」


 そう叫ぶと、少女は呆れたように答える。


「わしじゃと言うたじゃろうが……と言っても、そうじゃな。この世界・・ではこんな現象は起こらぬか。まぁ、よい。見ていればわかるぞ――ほれ」


 穏やかに笑いながら少女が人差し指を向けた先を見てみると、池の中心からばしゃりと大きな水しぶきを上げて、何か太く長いものが飛び出してくるのが見えた。

 太陽に照らされて、その何かの表面はてらてらと虹色に輝いており、何かきれいなものがそこから出てきたのだと理解がいく。

 それから、少女は、


「よく見るといい……あれが、わしじゃ。本来の、荒ぶる神と恐れられた……な」


「かみさま……?」


 言われて、改めて見つめてみると、それが巨大な龍であることが分かった。

 表皮には美しい鱗が何枚も見え、その体は太く長い蛇のようである。

 それだけでも恐ろしかったが、その頭部には雷光を纏う角が三本生えており、目には深い知性が宿っていた。


 美しく、力強い生き物だ。


 そう、思った。

 けれど、それ以上に何かかわいそうな生き物だとも。

 その龍の瞳に宿っていたのは、知性のみではなかった。

 悲しみと、怒りと、憎しみも同時に存在していたのだ。

 何があったのかはわからない。

 けれど、間違いなく、この生き物は何か大きな悲しみに触れて自らの感情を制御できなくなっている。

 そんな感じがした。


「……ほう、良い洞察力じゃな。若くとも、ミズキはミズキか……さて、わしはあれを止めてくるゆえ、少しそこで見物しておれ。なに、お前のことはわしが命を賭して守ろうぞ」


 そう言って指を振ると同時に、少女の指先が光った。

 自分の周りを見ると、その瞬間になにか透明な球形の壁のようなものにおおわれているのが分かる。

 そして、徐々に浮いていくのも。

 竜と少女から少し離れた位置で上昇は止まった。


 それから、龍と少女の戦いが始まった――とは言っても、ぶつかり合いはすぐに終結した。

 ただ力の限り暴れ続ける龍に対し、少女の方は的確にその行動をつぶしていくのだ。

 尻尾を振ればそれを何か不可視の力で地面に貼り付け、かみつこうとして来れば光の輪を投げてその口を封じた。

 爪でひっかこうとしてくれば、その腕をいつの間にか持っていた刀で切り裂き、そして最後には地面に龍を完全に貼り付けて、勝利宣言をしてしまったのだ。


「……我ながら、無様じゃ。カジャクたちにも悪いことをしたが……恩はこれ返すことにしようぞ。さて、わし・・さまよ。聞こえておるじゃろう。今からここでわしと戦ったというお前の記憶をしかるべきときまで思い出せぬようにし、ある場所に送る。憎しみは忘れ、新たな人生を生きるのじゃ」


 何を言っているのかはわからなかったが、何か重要なことを言っているらしい、ということはわかった。

 龍の方は未だぎらついた目で少女を見ていたが、少女がその龍の表情に苦笑し、手を掲げると、龍は完全に気を失い、目を閉じた。

 すると、自分の入っていた球体が少女の方に引き寄せられ、そしてぱん、とわれる。

 少女は改めてこちらに向き直り、言った。


「……お前の記憶も、消さねばならん。すまぬのう」


 本当に申し訳なさそうに言うものだから、自分は笑顔で首を振った。

 なぜかはわからないが、この少女に悲しい顔をしてもらいたくなかったのだと、今にして思う。

 たぶん、一目ぼれしたのだろう。

 幼かったが、美しい少女だった。

 そうなったのも仕方がないことだろう。

 そして少女はそんな反応に微笑み、


「やはり、変わらん……いつか……また……」


 少女が手を差し出す。

 額に触れられると少し冷たく、ひんやりとした感覚が夏の暑さの中、はっきりと残った。


 そして、僕の意識は暗闇に落ちる。


 そこまでが、あのときの記憶。

 不思議な記憶だ。


 もっとも不思議なのは、つい最近までこの記憶が思い出せなかったということだろう。

 あれは何だったのか。

 未だにわからない。


 ただし、もっと奇妙なのは……。


 東京都の一角にあるアパートの一室にいると、ドタドタとした音が聞こえてくる。

 階段を上る音だ。

 俺の家は二階にある。

 アパートの階段は古く、体重が軽いものが乗ってもかなりの音がする。

 走っていればなおさらだ。

 そして、その音は俺の家の前で止まり、それから、ぴんぽん、とインターフォンが鳴る。


「……はい、どちらさま……」


「わしじゃ! 開けてくれ、ミズキ!」


 そうだ。

 あの少女はいまだにここにいる。

 あのときのことは最近思い出したが、あの少女は、あの時以来、俺の祖母の実家に居座ったのだ。

 祖母の説明によれば、あれは実は俺の遠い親戚であり、預かっているのを言うのを忘れていた、ということなのだがその説明は甚だ怪しい。

 説明するときの祖母の目は、かなり泳いでいたからだ。

 ただ、付け加えて祖母は、


「この娘はあなたが倒れているところを見つけて、家まで運んできてくれたの。こんなに小さいのにね。家にはこんだあとも、起きるまで一生懸命看病して……。悪い子じゃないのはわかるでしょう? 仲良くしてあげて」


 と言われ、それ以来、ずっと幼馴染として生活している。

 同じ小学校に転校してきたときは驚いたが、中学、高校、大学ともう腐れ縁である。

 今更お前は何者かと尋ねるのも正直馬鹿らしく、いろいろ思い出した後も何も言えていない。

 そもそも、思い出したのか、これは。

 ただの妄想ではないのか。


 そんな気もして。


 がちゃり、とドアを開けると、あのときよりもはるかに成長した少女がそこには立っている。

 去年大学に入学し、もう十九になる彼女は立派な大人である。

 あまり男の家の入り浸るのもどうかと思うが、彼女は気にしていないようだった。

 それどころか最近は妙に距離も近く、困っているのはむしろ俺の方だ。


 あのときに考えていた通り、少女は美しく成長した。

 細身であり、髪もあのころと変わらない長さのさらさらとした黒髪で、体型も困ったことに大変魅力的に育った。

 一目ぼれした、という記憶を思い出すまではただの幼馴染として扱っていられたのだが、一度意識してしまうとそれも難しくなってきている。


 この頃は、どう接していいかもわからないのだが、少女の方は今まで通りふるまうので、俺の方も条件反射的に行動している。


「はいはい……今日も来たのか。別に毎日来なくてもなぁ……」


「いつ生まれるかわからないと言ったのはミズキじゃぞ!」


「それはそうなんだけど」


 生まれるのは別にこの少女の子供というわけではない。

 俺が買っている熱帯魚の話だ。

 少なくない数を飼っているので、出産も結構頻繁である。

 だから、わざわざマメに見に来ることもないのに。

 そう思ってしまう。

 けれどそんな俺の気持ちなど考えてもいないようで、


「ともかく、入れてもらうぞ! 飲み物はお茶をくれ! 日本茶じゃぞ! 玉露のいいやつ!」


 見た目通りというか、言葉遣い通りというか、古風な趣味である。

 俺はため息をつきつつも中に入っていく少女の後姿をぼんやりと眺めながら、彼女のリクエストについて考える。

 たしか、日本茶のストックはまだ二袋くらいある。

 一人ならひと月持つのだが、あの少女が来ると一週間くらいしか持たない。

 お茶代がかさむが、まぁ、初恋の女の子をこの年になっても部屋に迎え入れられるのはうれしいことではないか。

 そう自分に言い聞かせて、俺は部屋の扉を閉めた。

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