2葉 「お誘い」
放課後。あたしはまやの隣を、自転車を押しながら歩いている。飽きるほど通った路でも、こうしてまやと一緒に歩いてみると、なんだか知らない土地に感じられた。先週末にも二人で帰途に就いているわけだけど、あのときは陽も沈んでいて、景色なんてあってないようなものだった。この辺は街灯も少ないし、尚更かな。
向かう先は言わずもがな、まやの住まい。ほなみに頼まれた「生クリームいっぱいのケーキ」という曖昧模糊な注文の品を作るためだ。どれくらいの量でもってスポンジケーキを生クリームでコーティングしてやれば、ほなみが満足するのかは分からない。けど、とにかくこれでもか! ってくらいに盛りつけるつもりだった。
「狼崎の鞄って、もしかしてなんにも入ってない?」
あたしは、自転車のカゴに入っているまやの鞄を見ながら言った。自分の鞄は基本的に背負ってしまうからカゴにはいつもなにも入れていないけど、入れていないからこそこういうときに活用するべきだという思考に至ったあたしは、まやの鞄を入れているのだった。だからまやは今、手ぶらで歩いている。
「んー、さすがに筆記用具は持っています。というか、なんにも入ってなかったら、なんでわたしはこの鞄を持ってきているのか、謎になりますね」
「それはほら、プリントとか配布物を持ち帰るためじゃない?」
「あくまで中身は一方通行なわけですね」
持ってはこないけど、持ち帰りはする、と。
「じゃあ筆記用具くらいしか入ってないってこと? 相当に軽いよ、これ」
カゴに入れたときにも思ったけど、この鞄には質量感がまるで無い。自転車の重みにプラスされている重量が感じられない。だからあたしはなんにも入ってないと思ったわけだけど、筆記用具しか中身が無いなら納得だ。
「あとはそうですね、お弁当箱とお菓子。その他、種々雑多なものが」
「……意外と色々入ってそうだね」
種々雑多の括りがどれほどのものかに依ってだいぶ変わってきそうな感じだ。
「それでも、最近は必要最低限のものだけに絞ってはあります」
教科書やノートは、ロッカーか机の収納に置きっぱなしなのだろう。まやは家でも暇な時間に勉強しているというイメージがあるけど、その実、そうでもないのかもしれない。あたしほど気まぐれに生きているなんてことはないだろうけど、それでもある程度、抜けるところは抜いて生きているのだろう。あまり気張っても疲れちゃうから。
「かくいう稲美さんはなにを持ち歩いてるんですか?」
「あたし? あたしも狼崎とそんなに変わんないかな。筆記用具にタンブラーに財布に。あ、弁当箱はないな。いつも購買部で買っちゃうから」
「サンドイッチ食べてましたもんね」
「よく憶えてるね」
たしかにあたしがまやに声を掛けられたあの日、あたしはサンドイッチを食べていた。
「えへへ。記憶力は良いほうなんです」
「ま、あたしも憶えてたけどね」
「そこは褒めてくださいよー」
ジト目で見られてしまった。
「ごめんごめん」
「あ、そうか。稲美さんも記憶力良いってことですね」
「すっごくポジティブだね」
それから二人して笑った。
そんな他愛無い話ばかりをしながら、あたしたちは帰路を歩いた。
◇
まやの住まいであり、まやママの洋菓子店である建物は、あの交差点からそう離れていないところに建っていた。そのあまりの近さに、あの日まやのことを家まで送っていかなかった自分を少し悔いたほどだ。
洋菓子店「Corail」。
洋風の二階建てで、一階部分をお店として、二階部分を居住の為に使用しているようだ。ブルーの鎧戸がとても可愛らしい。あたしの家には小豆色の雨戸しかないから、どうしても羨ましく思えてしまう。こういう洋風の建築物って、あたし好きだな。
「ここだけメルヘンチックな感じがするね」
あたしは通りを見渡しながら言った。まやの住まいは、庭とか門とかすべてに凝っている感じがする。ファンタジーに出てきそうな雰囲気がある。周囲を見てみても、ここまで整えてある家は無いようだ。やはりお店をやっているからなのだろう。
「第一印象って大切ですからね。また来たくなるように、外見は綺麗にしているんです」
第一印象、ね。
あたしにとってのまやの第一印象は、実際にまやと話してみた印象と比較すると、大きく異なるものだった。どこぞのお金持ちのお嬢様っていう雰囲気しかなかったのに、今ではあたしと同じ、等身大の高校一年生でしかない。人は見かけによらないとか言われても、見かけに性格は滲み出ているものだとあたしは思ってきた。そして見かけによらない人なんて、あたしが生きてきたなかでは極めて少なかった。だからまやのことも見てくれから判じたんだけど、それは全然違ってて。
「あはは。なるほどね」
あたしはなんだか可笑しくなって、笑った。
「狼崎はもうちょっと、柔らかい感じになったほうがいいかも」
「柔らかい? プリンみたいにってことですか?」
「そうだね。そんな感じ」
「んー、それはだいぶむつかしい気が……」
まやは唇に人差し指を当てて考え込んだ。
だってまやがもうちょっと柔らかければ、柔和な雰囲気を纏うことができれば、あたしは文化祭の日に。いや、もっと前にでも――。
ううん、後からならなんだって言える、か。
それにあたしたちには〝これから〝があるんだから、大丈夫だ。
「じゃ、コレイルにお邪魔しようかな」
「コライユです」
まやに笑顔で訂正されてしまった。
「フランス語で、珊瑚の意味があるんですよ」
「珊瑚か。狼崎の名前にも珊瑚の〝瑚〟って字が入ってるよね」
「そうなんです。母が珊瑚を好きで、どうしても使いたかったらしいです」
真夜中の珊瑚――真夜瑚。とても綺麗な響きを持つ名前だ。クラスメイトなのに忘れてしまっていた名前だけど、今にして思えば、それほど他人に関心が無いあたしのことだから、別段不思議なことではないのかもしれない。ぱっと考えてみても、下の名前が出てこないクラスメイトは少なくないし。
なら、綺麗な名前だったという印象を憶えていただけ、まやへの関心はあったと言えるのかな。たとえ当時のそれが、好意とは真逆の意思であったとしても。
それにしてもいい加減、あたしはまやのことをちゃんと「まや」と呼びたいところだ。自分から言い出しておいて、まやはちゃんとあたしのことを「稲美さん」って呼んでくれているのに、あたしのほうが呼ばないってのはどうなんだ。
こほん、とわざとらしくあたしは咳払いをした。よし、呼んでみせる。
「まぁー……」
「うん? どうしました?」
「まぁーー……」
「稲美さん?」
「まぁーーーー!」
「稲美さん……」
まやが憐憫の視線になっているのはきっと気のせいだろう……。でもあたし自身でも、今のあたしはとち狂っているようにしか思えない。
「……まあ、急くこともないかな」
予定よりだいぶ早く諦めた。まだ渾名で呼ぶって言ってから三日しか経ってないし、しょうがないんだ、きっと。こういうのは時間が解決するものだと思うし。あたしがまやともっと親しくなれたら、自然と呼べるようになるだろう。
「そうですよ」
「だよね。急いては事を仕損じるって――え?」
「うん?」
「いや……なんでもない」
もしかしてまやはあたしのやろうとしていたことが解っていたのかな……。いや、まさかね……。でももしそうだとしたら、途轍もなく恥ずかしい……。
「さて、それでは中に入りましょうか」
「うん……」
あたしは項垂れた。
◇
お店のほうとは違う入口の鍵を開けながら、まやはあたしを振り返ってこう言った。
「今日は両親が帰ってこないんです。えへへ」
なにそのベタな台詞。そして、「えへへ」じゃないよ、まや。
「へ、へえ、そうなんだ」
なにこのベタな台詞。そして照れんなよ、あたし。モジモジすんな。
話を聞いてみると、どうやらまやの両親は、まやママの実家のほうに行っているらしく、しかも結構な距離があるために泊まり掛けだということだった。明日には戻るらしい。お店の入口には「close」というプレートが提げられていたから、お店が休みなのは解っていたけど、そういう事情があったのか。
あたしはまやに続いて中に入った。キッチンスペースというか厨房というか、とにかくお菓子を作るところの脇へ入ったようだ。こちら側が狼崎家としての玄関なのだろう。
靴を脱いで、まやの後ろを付いていく。
と、まやはくるりとあたしのほうを向いて、微笑んでみせた。
「とりあえず鞄を部屋に置きに行こうと思うんですが、稲美さんはどうします?」
「入ってもいいならあたしも行くよ」
「もちろん、どうぞ」
階段を上がって廊下を右に折れる。その突き当りにある部屋がまやの部屋だった。あたしの部屋は女の子らしい部屋とはかけ離れたひどくシンプルなもので、可愛らしい部屋というのがどういうものなのか定義として怪しいところがあるけど、それでも間違いなくこの部屋は可愛らしい部屋だと確信した。
小さめのソファーとかクッションとか、全体的にふわふわとした感じで、水彩画のような色調をしている。壁にはフレームに入った写真が幾つか飾られていて、あたしの知らない人の笑顔で溢れていた。その他、お菓子をモチーフにした可愛らしい小物類が置かれている。あたしだったら掃除するのが難儀そうだからと、絶対にやらない装飾だ。統一したテーマに基づいて家具だとか小物を揃えるとこういう部屋になるのかな。
そしてなにより良い匂いがする。甘い感じの匂い。
どこかで嗅いだことがあった。
あたしは深呼吸する。
ああ、そうか。思い出した。
あたしがまやとポッキーゲームしたときに、ブレザーのなかで嗅いだ匂いだった。
ぽーっと、熱に浮かされたみたいにあたしは思考停止していると、まやが話しだした。
「椎ちゃんと遊んだ時以来です。この部屋に友人を招いたのは」
「椎ちゃん?」
「あ、わたしが中学生だったときの友人です。背が低くて、とっても可愛いんですよ」
ふふっ、とまやは嬉々として笑う。
「ふうん。あたしと気は合いそう?」
「どうでしょう。椎ちゃんは溌剌としているので合わなさそうな気もしますが、椎ちゃんは良い人なので……うーん、なんとかなります!」
「……だといいなあ」
とてもぞんざいな結論だった。
まあ人間、会ってみないことには馬が合うかどうかなんて判らないものだよね。いつか会えたら、まやのことをたくさん訊こう。
あたしはベッド脇に鞄を置いた。
「お菓子を作るのに制服のままはちょっと躊躇われるので、着替えますね」
「うん」
そう言うとまやは、クローゼットのなかからホワイトのロングシャツとデニムを取り出し、それをベッドの上に置いた。
胸元の赤いリボンに手を掛けて引っ張ろうとしたのだけど、手を止めてあたしのほうを見る。
どうしたのだろう。
まやは頬を染めて、なにやら躊躇しているようだった。
「どうしましょう。稲美さんに見られていると意識すると、どうにも脱ぎにくくて……」
チークをのせたみたいに可愛らしく染まった頬のまま、まやはぎこちなく笑った。そして俯いて、髪で隠れて顔は見えなくなる。
……ちょっと、そんな反応されたらあたしまで恥ずかしくなるっての。
「じゃ、じゃあ、あたし、先に下行ってるよ」
そそくさと、そう言い残してあたしはまやの部屋を出た。階段を下りる。
体育の前とか一緒の更衣室で着替えてるのに、やっぱり二人きりだと意識しちゃうものかな。あたしの部屋で、あたしがまやの前で着替えることを考えてみると、たしかに羞恥を感じてしまう気がする。というかあたしたち女の子同士なのになあ……。
そうしてしばらく悶々とまやを待っていると、準備を済ませたまやが戻ってきた。
「お待たせしましたぁ」
クジラのポケットがついた可愛いエプロンを身に着けて、髪をポニーテイルにしている。下ろしてるところしか見たことなかったから、かなり新鮮な感じ。
まやは「これは稲美さんのです」とイルカのエプロンを差し出してきた。
どうしてどっちも海洋生物なのか気になるところだけど、受け取りながら、あたしは別のことを考えていた。
――よく考えてみると、というか考えてみなくても、まや一人だけで今晩を過ごすんだよね
陽はだいぶ傾いていて、間もなく夜が訪れるようだ。
ぐるぐると、良くない想像ばかりがあたしのあたまを通り過ぎてはまた巡ってくる。
ケーキが出来たらこの娘を一人にして、あたしは帰るの?
ほなみも心配だし、そりゃあ帰らなきゃいけないけど。
そんなことは、できない。
あたしは自然と口を開いていた。
「ねえ、狼崎。今晩あたしの家に泊まらない?」
読んでくださった方、ありがとうございます。あきほのです。
実に八か月ぶりの更新となりました。申し訳ないの一言に尽きます……。
定期的に更新できるように努力していきますので、これからもどうかよろしくお付き合いくださいませ。
そうそう。『あめのなか、あめのいろ』もよろしくお願いいたします。
近日中に第一話を更新いたします。
それでは次回の更新でお会いしましょう。