前編
「……ちゃん起きて」
ええと、これ――誰だっけ?
夢うつつ。
声が響いたのがあたしの夢のなかでのことかどうかあやふやで、「どこか聞き覚えのある声だ、これって夢なのかな、あたし夢見てんのかな、ううん起きてる気がする、布団気持ちいい、ああ眠たい」とか支離滅裂に思考していたら、より声量のある第二波がやって来た。
「おねーちゃん起きて!」
……夢の外だった。つまり、現実。
ようやっと意識がはっきりしてきて、あたしは起こされているのだと理解した。聞いたことある声というか、毎日聞いている声じゃん。これは妹のものだ。
現在中学二年生。名を〝狐塚穂南〟という。あたしとおんなじで、染めていないけど茶色がかった髪。いつもそれをふたつ結び。やや低めの身長。俗にいう〝しっかり者〟で、ほなみはクラス委員長をやっている。あたしみたいに気まぐれで行動するタイプとは、大きく異なる性格だ。
あたしは彼女に背中を向けているから分からないけど、たぶん制服であるセーラー服を着ているのだろう。彼女が起こしにくるときは、だいたい家を出る折だ。つまり、あたしは遅刻ギリギリということ。もっと早く来てもいいじゃんとも思うけど、起こしてもらえるだけでもありがたいのに、そんなこと言えるわけもない。
そういえば、ここ最近は目覚ましできっちり起きられていたから、こうしてほなみに起こされるのは久しぶりだ。きっと疲れが溜まっていて、無意識に目覚ましを止めてしまったに違いない。
「んー……。起きてるよ……」
放っておくと、このあとも再三起こされそう――いやもう、起きてるけどね――だったから、あたしは渋々返事をする、けど、布団から出られない。というかしばらく出たくない。今日は月曜日だし、なにより寒いじゃん。もう十一月だよ。まだ十一月と言われればそれもそうなんだけど、あたしにとっては充分寒いんだ。
「寝てるってそれ。ほらぁ、布団から出てきてよっ! ねえねえ!」
布団の上から身体を揺さぶられた。隙間から冷えた空気が入るからやめて欲しい。
せっかく返事をしたというのにまだ言われるのか……。なら方針を変えよう。起きているのをアピールすることの逆、つまり、狸寝入りをしてみることにした。
「ぐう……」
「また寝てるじゃん!」
諦めてくれるかと思ったんだけど、効果がなかった。今日はやけにしつこいな……。
「起きてなきゃ〝ぐう〟なんて漫画みたいな寝息立てられませんー。だから起きてますー」
「……おねーちゃん、屁理屈ばっかり」
あからさまに、呆れた声音で言われた。
あたしが身じろぎすらせずに布団から出る意思を見せないでいると、いい加減焦れてしまったようで、ほなみは嘆息を漏らした。ついに限界が来たらしい。
……ちょっと待って。声かけるくらいならいいけど、もしかしてほなみ、一般的な起こすときの定番をやろうとしてたり――
「んもうっ!」
バサッ、と思いきり布団を捲り、あたしから暖を奪ったひやあぁ! 寒い寒い寒い……。あたしが激烈な寒がりってことくらい知ってるくせに!
「この鬼畜ちゃんめ……」
言いながら、ごろん、とほなみのほうを向いて身体を丸める。腰に手を当てて佇んでいる彼女は、意想外にも寝間着のままで、髪もまだ結んでいなかった。そしてなぜか、部屋の隅にかかっているあたしの制服のブレザーをじっと見つめている。どういうわけか昨日、貸して欲しいと言われたから貸してあげたけど、そんなにこの制服が好きなのだろうか。あたしにはよく分からない。セーラー服のほうが可愛いと思うんだけどなあ。
ほなみは、あたしに視線をうつして微笑んだ。
「苺ジャムで、美味しいトーストつくって待ってるね」
そして彼女は、部屋から出て行った。
……あれ。ほなみ、ツンデレだったっけ?
あたしが来るのを待っているらしいので、仕方ないから起きることにする。……ん。待ってるって、そんな余裕あるの? 枕元の時計で時間を確認すると、通常の起床時間の一○分前だった。つまり目覚ましは止めたんじゃなくて、まだ鳴る時間にはなっていなかったということだ。
あたしはもうじき鳴るであろう目覚ましを止めて、起き上がる。
寝間着姿にパンを焼くという発言、このふたつから、遅刻ギリギリではないということはよく考えてみれば思い至ることだったけども。
ええとこれは……。
とどのつまり……。
どういうことなの?
両親はもう職場に向かったため、家にはあたしとほなみだけ。ふたりは別々の仕事だけど、ふたりとも朝は早く出なければならない。とは言っても母は夕刻には帰宅し、父も七時頃に帰ってくるから、家族間での交流が薄弱というわけでもないのだった。
それはあたしたち姉妹にも言えることで、友人の〝きょうだい〟関係と比べれば、充分に仲が良いほうだろう。まあ杏璃姉妹には比肩しないにしても、それでもあたしはちゃんと妹の面倒を見ていると言える。
そう。〝見て〟いるのであって、〝見られて〟いるわけじゃないんだ。
たまに起こされることはあっても、それは遅刻ギリギリにまで寝坊してしまったときに限った話だ。それにほなみがすることといえば、鞄を自分の部屋に取りに来たとき――もう登校する時刻――に、その二階に来たついでであたしに声をかける、それだけのことなんだ。決して面倒を見られているという感じじゃない。
それが今日はどうだろう。こんなに早く起こして、ほなみがあたしにトーストをつくる? いやいや、明らかにおかしいでしょ。下心があるとしか思えない。
あたしはスリッパをつっかけて階下へ向かう。
キッチンでほなみが、パンがトーストされるのを、あくびをしながらぼーっと待っていた。彼女もまだ眠いのかもしれない。けど夜更かしするような娘じゃないし、なにより「人前であくびはしないのが乙女の嗜みだよ、おねーちゃん」とあたしにはよく分からない説法をするくらいだから、これは滅多なことではない。朝とか夜とか関係なしに、この娘はいつも溌剌としているものだ。もしかして、眠れなかったのだろうか。しかしなんにせよ、あたしのためにパンを焼くという行為と相まって、より妹が奇々怪々に感じられるのはたしかだ。
そうしてほなみを見ていると、彼女はあたしに気づいたようで、挨拶をしてきた。
「おねーちゃん、おはよ」
「ん。おはよう」
さて、どうしたものか。あまりに献身的すぎて怖い。頼んだわけじゃないのに、あとでサービス料金とか請求されたりしないだろうか。
考えるのも面倒だし、理不尽に起こされてちょっぴり不愉快だし、ストレート投げてもいいかな。もしかすれば理不尽ではなく、ちゃんとした道理があるのかもしれないけど、確かめないことには、ね。訊いたほうが、考えるのと比べれば相対的に確実で、納得もできるというものだよね。
「ほなみ。なに企んでんの?」
あたしは笑顔で訊いてみた。
その問いに、果たしてほなみは目を泳がせた。明らかに動揺している。
「あっ、おねーちゃん、えっと、ほら、もしかして、マーフィーの法則って知ってたりするんじゃない?」
「知らないけど、あたしの質問にはまったく関係がなくて適当にあたしの知らなさそうな言葉をぶつけてなんとかこの場を誤魔化そうとしている意思だけは、はっきりと伝わってきた」
「……ぐう」
狸寝入りではなく、ぐうの音が出たらしい。追い詰められたのならぐうの音も出ない状態じゃないとおかしいけど、そこはほなみのすることだから大目に見よう。
「それで、なに企んでんの?」
「な、なんにも企んでないよっ! というか、どうして私がなにかを企ててるって思ってるの?」
「ほなみがあたしを起こす時間にしては早すぎるし、なによりあたしにパンを焼くなんて奇特な行いが為されているから」
沈黙。
ほなみはなにも言わないまま、オーブントースターと向き合った。自分でも確かに不自然なことだと自覚しているようだ。だからこそ、何も言えないし反論できない。
うーん。あと一押しというところかな。でも、いつまでも煙に巻こうとしてくる可能性も否めないと言えば、それもそうなんだよね。
まあなんにせよ、策は準備をしながら考えよう。
とりあえず部屋に戻って、着替えることにした。
読んでくださった方、ありがとうございます。
紆余曲折あって久方ぶりの更新になってしまいました。
後編もほぼ完成しているので、気になっているところを直し終わり次第、更新いたします。
それではまた次話でお会いしましょう。
追記。
新しく始める連載はもう少し時間がかかりそうですので、読んでくださる方がいましたら、お待ちください。