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狐塚さんと狼崎さん  作者: あきほの
これでおしまいティラミスタルト
1/9

1ピース 「狐さんの気まぐれ」

「ティラミスタルトはいっときの夢でした。つまるところそれはわたしたち乙女とおんなじように、極めて短命の生ものだということです。けれどその夢も今日でおしまい。どうか狐塚(こづか)さん、わたしにその夢をくださいませんか」

 貴重な昼休みを潰すように現れたジャマ―は、サンドイッチに齧り付いたあたしに声をかけてきた。あたしのちょうどひとつ前の空席――主は委員会に出席中――に腰かけて、品を感じさせる笑みをこちらに向けている。

 クラスメイトの狼崎(ろうざき)だ。腰まで届く艶やかな黒髪が目を引く。苗字は、〝オオカミ〟が入るなんて珍しいからって入学式のときに配られた名簿で憶えてしまったんだけど、ファーストネームはなんていったかな。結構可愛い名前だった印象がある。

 妙ちくりんな声掛けをされたけど、狼崎とは別に親しいわけじゃない。初めてちゃんと話をしたのは、入学からだいたい五ヶ月経った先月の文化祭のとき――六日前だ。わけあって彼女に世話になって、お礼にクレープを奢った。けど、あれから今日までの間、彼女と言葉を交わしていない。なんとなく、敬遠しがちになっていた。

 それはたぶん、狼崎があたしの嫌いな〝お嬢様〟だからだ。見てくれだけだと、真面目な女子生徒って感じ。制服はどこにも乱れがなくてスカート丈は膝のすぐ上で、きっと先生からの評判はピカイチだろう。まあ、髪の長さはばっちり校則違反だけど。

 でも、雰囲気でだいたい分かるんだ。この娘がお嬢様だってことは。そういうものでしょ?

 とにかく、こういうやつは自分の思い通りにならなかったことがないから、たぶんあたしがここで彼女を無下にしても、諦めることはまずしない。きっと幾度も頼んでくる。そうすれば望みは叶うもの、という経験則がこういうやつにはあるからだ。それをすべて突っぱねたところで苛立ちを見せ始めて、結局あたしが折れなくちゃいけなくなる。だから俗にお嬢様って呼ばれるやつらは大嫌いだった。そういうやつとの付き合いのなかで良い思いをしたことは、一度だってなかったんだから。

 これはあたしが気まぐれに購買部へ行ったがために起こった悲劇だ。四限目をサボった上に購買部に一番乗りしてしまった罰なんだ。そうとしか考えられない。いやそもそも、一日三個限定のティラミスタルトを買って何も起こらないなんて、そんな御都合主義な話があるはずなかったんだ。購買部のティラミスタルトが発売してから今日で五日目。その短期間に起こったこのタルトにまつわる悲惨極まりない事件の数々は、誰もが知るところなのに。

 それなのにあたしは買ったものを机に広げて、悠々と教室でご飯を食べて。これじゃ、数多いるティラミスタルトを狙う人たちに、「あたし持ってまーす!」、って吹聴してるようなもんじゃないか。このタルトは隠しておくのが常套手段だ。

 ……とりあえず落ち着けあたし。まだこいつを渡すと決まったわけじゃない。そもそもこのタルトはあたしのものなんだから、譲る譲らないを決めるのはあたし。そうだ、初めから強気でいこう。まず潔く諦めてくれるはずもないけど、ここで愛想笑いなんか浮かべて断ったら、そこにある善良な心に付け込まれかねない。なにも狼崎の駄々に付き合ってやる義理は毛頭ないんだ。明確に嫌という意思を表明することが大切だ。

 狼崎はティラミスタルトを下さいとは明言していない。だから拒否する前に、確認を取っておこう。

「狼崎がなに言ってるのかさっぱりだけど、まあつまり、あたしのティラミスタルトが欲しいってことだね?」

 「ええ、その通りです」、と狼崎は一層笑みを深くして頷いた。一般的に先生が正答した生徒に見せる、よくできました、という感じに。

 じゃあもう躊躇うことはひとつもない。あたしはまっとうに断るだけだ。

「当然だけど、これを買ったのはあたしだから決めるのもあたし。幾ら頼まれたところで、もちろん譲る気はないよ」

 微塵も笑わず目も見ずに、あたしは言い放った。ついでに食べかけだったサンドイッチを口にしながら。

 すると、狼崎はスカートのポケットから黒革の財布を取り出した。

「タダでなんてそんな不躾には頼みません。お金はもちろん払います。そうですね、なかなか手に入るものではないですから、ティラミスタルトの価格の上に、手数料として狐塚さんが提示した金額を支払ってもかまいません」

 出たよ、お嬢様発言。金があれば万事解決できる、と。財布はつやつやと光っていて、ちゃんと革の手入れがされているようだ。たぶん、あたしの財布の十倍くらいの値段はするものだろう。きっとこの財布、横文字のカッコいいブランド名の製品に違いない。あたしのしま○らのものとは大違いだ。しま○ら好きだから悔しくはないけど。

 それにしても手数料、ね。実際あたしのティラミスタルトへの執心は大したものじゃない。というか、ほとんどないと言っていい。たまたまサボりたい気分だったから四限目をサボって、みんなは今授業中だから購買部は空いてるよなって思ったから購買部に行って、「大人気!一日三個限定ティラミスタルト!」ってポップが目についたからそれを買った、それだけのことなんだ。「だいたい一日三個限定じゃ大人気もなにもあったもんじゃないだろ連日完売するのは当たり前だろ!」、って内心でツッコんだけどそれは今はどうでもいいことだ。とにかく、それくらいの軽い気持ちで買ったものだから、本来ならば譲ってあげてもいいんだ。手数料くれるっていうのなら尚のこと。

 だけどなんだか、狼崎を見てると譲りたくなくなる。それは初めに抱いた感情とおんなじ。やっぱりあたし、お嬢様が嫌いなんだ。金で解決しようとするところが特に気に入らない。そういう環境で育ってきたことも。そりゃあ多少は羨ましくあるけど、でもそれが恵まれてるなんてあたしは絶対に思わない。慎ましく、上手く金をやりくりして生活する方が断然楽しいと思う。なんでも欲しいものが手に入る、なんでも叶えたい願いが叶う。そんな環境は、最低だ。

 だけど、そうは言ってもあたしも女子高生の端くれ。金が手に入るなら、そりゃあ欲しいじゃんか。

「手数料ってのは……その、いくらぐらい払ってくれるの?」

 あたしは黒光りする財布を見つめながら訊いた。もう、我ながら見事な厭らしさだ。

「そうですね……」

 狼崎は財布を開いた。しげしげと中味を見つめる。

「今、払わないとダメですよね?」

「払うってことになったら、やっぱり今すぐかな」

 「ですよね……」、となんだか浮かない声音。どうしたのだろう、自分で言ったのになんだか渋るような感じだ。

 それからひとつ溜息をついてから狼崎は、「仕方ないですね」、と呟いた。

「上限は、これぐらいでしょうか」

 そう言って、彼女はあたしの机に金を並べた。


 三○○円だった。


「安ッッ!!」

 あたしは驚きのあまり五度見くらいしたが、いくら見てもどんなポーズで見てもそれは三○○円に違いなかった。

「上限が下限にしか思えないんだけどこれ。ホントにこれが上限なの?」

「ええ、ホントのホントですよ。ほら」

 狼崎は笑顔で財布を引っ繰り返してみせたが、紙幣はおろか、貨幣さえ一枚も落ちてこなかった。貨幣を入れておくところのチャックが閉められているという、安直な騙しでもないようだ。しっかりと開けられている。そうして幾度も財布を振っていると、秋に散る色づいた葉のように、最後に寂しげにレシートがひらひらと降ってきた。あたしはそれを手に取る。ファッションのセンターのしま○らのものだった。財布を買ったときのレシートだった。色はブラック。価格は千円だった。まさにその財布だった。

「安もんじゃーん!」

 というかよく見ればあたしのと色違い。

 ショックの勢いで椅子ごと後ろに倒れたあたしは、スカートを払いながら起き上り、椅子を戻してまた腰かけなおす。クラスメイトの視線がかなり集まっていた。恥ずかしさを紛らわすために、わざとらしく咳払いをする。

「狼崎って、お嬢様なんじゃないの?」

 訊くと、狼崎は苦笑いを浮かべた。

「わたし、よくそう言われるのですが、ホントはお嬢様でもお金持ちでもないんです。むしろお金はあまり持ってないほうですよ。狐塚さんに手数料を提示してもらったところで、それを払うことなんてとてもできません。今の持ち合わせはこれだけですから。さっきのはただのハッタリです」

 一体あたしがどれだけの額を要求すると思っているのかこの()は……。たしかに三○○円で安いって言ったけどさ。

 狼崎の財布の中味はこれしかないみたいで、この娘、あたしより金がないらしい。あたしでも、いつもだいたい千円は持っているから。たまたま狼崎は今日それしか持っていなかったのかもしれないけど、それにしても少額だ。なにか緊急に金が入り用になったときは、どうするつもりなんだろう。

 ホントに狼崎は金持ちのお嬢様なんかじゃないようで、あたしは彼女に向けていた牙を少し隠した。まったく、ハッタリをかまされるとはやられたもんだよ……おもしろいじゃん、狼崎。興味がでてきた。だけど。

「三○○しかないのは分かったけどさ、これじゃティラミスタルトも買えないじゃん。タルトの価格は三八○円だよ。分かってる?」

 買えないということは、そもそも交渉が成立しない。手数料なんてものは端から持ち合わせてなかったんだから。買えるだけ金がないからこそ、あたしのところに頼みに来たのかもしれない。

「ハッタリはおもしろかったけど、タルトを買うだけの金額もないのにくださいってのはごめん、無理だ」

 言うと、すぐに狼崎はあたまを下げた。背筋は伸びたまま、つむじが見えるほど深く。

「ごめんさない。けれどこう言わなくちゃ、狐塚さんは折れてくれないんじゃないかと思いまして」

「どうして?」

「クラスのとある方が、『狐塚は貧乏性だ』、って話していたのを耳にしたことがあったので」

 とある方……心当たりがある。そして文化祭の一件が原因だろうな……。あれはあたしに非があったと言っていいから、そんなクラスメイトを責めることはできないけど、あたしだって反省したんだからそろそろ時効にしてほしい。卒業まで引っ張られるなんてことになったら敵わない。――というか狼崎、貧乏性と貧乏は別物だ。

 困ったな。あの一件について反省したところを見せるにはすんなり譲ってあげるのも良策で、そうすればもしかしたら貧乏性なんて言われなくなるかもしれない。けどそれだと、あたしは損しかしてない。四限目をサボるか購買部がある階に教室を構える三年生になるかしないとまず手に入らないティラミスタルト、それを易々と、四限目を出席してかつ買えるだけの金もないこの娘に譲るなんて。貧乏性と言われなくなるのは、決して得したとは言えないだろう。貧乏性、って言われてることを知らなかったんだから、言われていようとなかろうと、生活に大差ないからだ。

 ――買えるだけの金もない。

 ん。いや、そうか。単純な解決策があるじゃないか。

「狼崎、またこんど買うってのはどうかな。八○円ならなんとかならない? そんなに食べたいなら、授業サボって買えばいいんだしさ。それになにも今日に拘る理由はないんでしょ?」

「なにを言ってるんですか!」

 唐突に声を大きくすると、狼崎はあたしの机に両手をついて立ち上がった。ほんの少し、睨むような目つきになっている。紛うことなく、激高した、という感じだ。

「〝またこんど〟じゃ遅いんですよ!手遅れです!」

 そうあたしを糾弾したところで狼崎は、はっ、となりすぐに座る。

 「ごめんなさい。取り乱してしまいました……。わたし、甘いもののことになると、つい感情的になってしまうのです。ホントにごめんなさい」、とまた深々とあたまを下げた。心ない謝罪ではなく、ホントに申し訳ないという感じで。たぶんこれは演技なんかじゃなく、本心だろう。これを見て演技だと訝るほどには、あたしは人間終わってない。

「いや、いいよ。あたしもなんか分かってないみたいだしさ」

 なかなかに長くあたまを下げているから、気にしていないとアピールするためにそう告げる。実際狼崎が今日に拘る理由はよく分かっていないのだ。狼崎が相当な甘党だということはよく分かったけど。

 この娘の誕生日は今日だとか、そういう事情があるのだろうか。あるいは、あたしからもらえれば授業をサボらずに手に入る可能性があるわけで、あたしがタルトを持っている今日中に交渉しようと考えているのかも。

 しかしそう言ってあげても狼崎は、「すみません…」、と項垂れたままなので、後頭部に手刀を落とした。「わあっ」、と狼崎は顔を上げて、目をまん丸くする。

「事情を聞かせてよ。なんで今日なの?」

 あたしが話を聞きたがっていることが伝わったようで、狼崎は居住まいを正す。もとから背筋は伸びていたが、なおさら真っ直ぐになった気がする。この娘、たぶんあたしと身長変わらないな。

「実はですね、そのティラミスタルト、今日までの限定商品だったんです」

 ああ、そういうことか。――「その夢も今日でおしまい」

 あれは今日までの限定という意味だったのか。そういえばさっきこのタルトを買ったとき、購買部の人がそんなことを言っていたような。

「つまり、これを食べられないと――」

「もう食べることはできない、ということです」

 狼崎の瞳は綺麗だった。澄んでいるというか。その瞳が、揺るぎなくあたしを見つめている。一歩も引けない、という気迫を感じた。

「ならあたしだって、じゃあどうぞ、とは譲れないな」

 どうでもよかったティラミスタルト。だけど今は、あたしも食べてみたい。この娘がこんなに食したいと望むタルトがどんなものなのか、この舌で味わいたくなってきた。

「狼崎は、コンビニのティラミスタルトを食べればいいんじゃない?」

「どうしても、そのタルトが食べたいのです」

 狼崎はきっぱりと、あたしの挑発を跳ねのけた。

「今はお金がありませんが、必ず支払います。それでいかがですか?」

 教室の壁掛け時計に目を遣ると、昼休みはあと二○分というところ。あたしは紺色のスクールバッグのなかから、お菓子の箱をひとつ取り出す。ここでティラミスタルトを持って逃げることは容易だ。出し抜いて今すぐに食べることだってできる。だけどあたしには、この娘を無下にしたくないという思いがあった。それは単純に、この娘が気になっているからだ。

「金はいらない。勝負しよう」

 あたしは短く、そう告げる。

 狼崎は状況を理解しきれていないみたいで、ぽかん、としている。

「あたしと、このポッキーで。もちろん勝ったほうが、このティラミスタルトを食べられる」

 あたしはポッキーを一本抜き取ると、親指を支点にくるり、と回す。狼崎は目を大きくしている。その瞳は、あたしを見つめたままで固まっている。けどそこには確かに、光が宿っていた。希望を見ている目だ。ティラミスタルトが手に入るかもしれないという、希望だろう。

 演出過剰かもしれないけど、あたしは笑顔を作って宣言する。

「それじゃあ今から、ポッキーゲームをしよう!」

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