【キルヒア・ライン】というものは
―――【キルヒア・ライン】―――
それはユーグニスタニア大陸三大勢力の一角にして最大の武力を持つ軍事国家、グラナベルト帝国の中でも敵性分子の粛清を主目的とした最精鋭部隊。
集団においてはリスリア王国が護国の剣である六人の【戦略級】術式師・【タクティクス・ブロンド】と同等の威力を見せつける対術式師集団で構成された、術式騎士部隊である。
諸国の恐怖の対象である【キルヒア・ライン】は筆頭であるアウルス・ディザンを長として、有数の副長たちの活躍によって日々、帝国の平和を守る一団でもある。
【キルヒア・ライン】は帝都部隊と外周部隊の二種の部隊に分かれている。
まず帝都部隊。
筆頭アウルス自らが指揮する【キルヒア・ライン】の本隊であり、多くの戦術級騎士が集う猛者の洞窟である。
いくら屈強な男でも並みの精神では根を上げて逃げ出してしまうと言われており、色々な意味で厳しい場所である。
こちらの主な任務は帝国の守護。
そして最大の威力としての武威を誇る、帝国の武の象徴の一つなのである。
もう一方の外周部隊。
こちらは帝国の治安を守ると同時に各領主では対応できない武力問題を解決し、侵入者がいればその都度、排除する。
言ってみれば警邏と軍事、冒険者的な仕事を同時行使する、実働遊撃部隊である。
リュウガとオルナは、この外周部隊の所属である。
帝国のみならず、全ての術式師集団から見れば、もっとも出会いたくない天敵であるものの、帝国自体が法国の戦乙女と呼ばれる【モモ・クローミ】に戦略的敗北を喫し、最近ではリスリア王国から単独で来襲した【タクティクス・ブロンド】に煮え湯を飲まされてしまっており、必ずしも一枚岩では無いという部分は否めない。
とはいえ【キルヒア・ライン】は帝国内では英雄視されるほどのエリート集団であり、入団しただけでも誉れ高いものとされている。
少年達にとっては憧れの対象そのものであり、少女達からしてみれば玉の輿の対象である。
しかし、いい事ばかりでは無い。
実はこの【キルヒア・ライン】、『女性の騎士登用及び女性騎士団の創設計画』の渦中にある部隊なのだ。
しかも現帝王がこの帝国を治めるようになるまでは、例え軍学校で優秀な成績を収めても一般の男子では【キルヒア・ライン】への入団自体が、余程覚えが良くなくては叶わぬ夢であった。
貴族が特権を振るって、その子息を入れていたためである。
それを帝王が「能力ある者に貴賎は無い。帝国の更なる力と成り得る優秀な人材を発掘せよ」との触れを出した事により、【キルヒア・ライン】への門戸も開かれたのだ。
これには今も【旧帝国派閥】を始めとした懐古思想の保守派が「我々貴族を蔑ろにするとは納得行かん!」と真っ向から反発しており、【新帝王派閥】との暗闘の元の一つとなっている。
その最も議論と話題を呼んでいる―――『女性の騎士登用及び女性騎士団の創設計画』。
『女性騎士登用問題』とも呼ばれ、保守派がこれを廃案に追い込むべく日夜励んでいるほど、現在の帝国において「国の根幹を覆しかねない」と保守派の反発を呼んでいる計画である。
才ある者を愛する、実力主義の帝王が
「女性でも能力があるものは騎士に取り立て、女性だけで編成された騎士団も作るべき」
と宣言したのが事の始まりだった。
現帝王はそれこそ『革新的な』考えを持って、帝国そのものの増強を図ったわけである。
だが、そうは問屋が卸さないわけで、この計画は【旧帝国派閥】を始めとした男尊女卑や懐古思想に凝り固まった者達―――つまり保守派―――からの一斉反発を招き、あまつさえ派閥間でのあからさまな醜い争いにまで発展する程の議論の応酬となった。
『女が騎士になる事は帝国の伝統に対する不敬と反逆に値する』とは【旧帝国派閥】の一人の言葉だが、女が男と対等に並ぶのを良しとしないというその裏には、自分達の権威が奪われると危惧―――あるいは邪推―――しての事だったのだろう。
オルナはその計画の第一号ともいうべき存在であった。だが実力こそあれ、女性蔑視を始めとした、保守派の思惑が絡んだ諸事情や経験不足―――あくまで百戦錬磨の団員や【タクティクス・ブロンド】に比べれば…だが―――、そして何より彼女自身の生真面目の過ぎる性格が災いし、団員からの評価は総じて低く、本隊勤務を意図的に避けられているのが実情だ。
『女性騎士登用問題』の口火を切る格好になってしまったオルナの【キルヒア・ライン】入団は派閥争いに拍車をかける事になってしまったのは言うまでもない。
当然ながら【キルヒア・ライン】内部にも異論は噴出していた。
オルナの性格を抜きにしても、『女性が騎士になるのは許し難い冒涜』というのが団員の中でも古参や保守派の子息達の言ではあるが、男尊女卑がまだまだ根強い帝国において、騎士の世界と言うのは男社会が基本であるという事なのだろうか…。
『自由に動ける方がいいから』と自ら外周部隊を選んだリュウガとは違い、そういった事情が暗に絡んでいる関係上、必然的に外周部隊に回されてしまった、という事に尽きてしまうだろう。
そして【キルヒア・ライン】の規律は、帝国の数ある騎士団、兵団の中でも非常に厳しいという事でも有名である。帝国最精鋭の部隊であるが故に素行の悪さは問題外として、無銭飲食したり、婦女子を傷つける等、【キルヒア・ライン】の身分を笠に着た横暴な行為は一切許されていない。
強さは当然として、帝王と帝国に忠を尽くし、常に己を律し、帝国の盾になり、外敵を打ち払う剣にならなければならないのだ。
それ故にこれについていけない、堅苦しくて嫌だという理由で脱退したり、逃げ出す者も後を絶たない。この傾向は主に貴族連中の子息に多く、彼らがどれだけ親の庇護で甘やかされてきたかという証左になっているのもまた皮肉な現実であった…。
*
「はぁっ!」
「甘い!」
「ぐ…っ、何のっ!」
「(これほどの打ち込みをものともしないとは、この男…)来い!」
今日も今日とて【キルヒア・ライン】の修練場では、リュウガとオルナの手合わせが行われている。
まるで今までの鬱憤を晴らすかのようにオルナの木剣が激しい勢いで繰り出される。リュウガの木剣と木盾も乾いた音を鳴らしつつ、これを弾き、受け流す。
常在戦場な外周部隊で子供のチャンバラごっこをやろうものなら、間違いなく袋叩きにされるだろう。まして相手がオルナならば尚の事。
剣だけならば互角かそれ以上、だが術式を織り交ぜられれば明らかにリュウガにとって分が悪い。何しろ、彼が使うのは主に白―――主として治癒と復元―――の術式で、尚且つ色を全て見れるとはいえ術式師としての能力はオルナに大きく劣り、彼女が得意とする黒の―――特に肉体強化を主体にした―――術式との相性も悪かったからだ。
「おいおい。あのバカ、また一本取られてるぜ」
「全く、これじゃ賭けにもなりゃしねぇよ」
「術式の力も低いくせに。何だってあんなバカがここに入れたんだよ。俺ならクビにするぜ!」
「おい。あいつもあのオンナと同じく、帝王様が直々に起用なされたんだ。滅多な事言うな」
「あんなバカのどこを帝王様が気に入られたんだか…。納得いかねぇや」
「ま、まともにあのオンナの相手が出来るのは、隊長や上役を除けばあの『変人』しかいねぇってこった」
バカ、変人―――
【キルヒア・ライン】におけるリュウガの渾名に等しい呼び名である。
バカはともかくとして、変人と呼ばれるのには理由がある。それは思考と思想が他の団員と一線を画してしまっているためだ。
―――『強い者に男も女も無い』
―――『戦う者に貴賎無し』
この言葉を公言して憚らないリュウガはたちまち他団員―――特に保守派や先輩格の正騎士―――の顰蹙と嫌悪を買った。更に『女性騎士登用問題』についてもこの言葉を言い切ってしまったほどだ。
―――『帝国のために戦う勇敢な者達が増えるのは、とても良い事だ』
これが致命打となったのか、帝国の騎士や兵、貴族達から『変人』の代名詞のように認識され、帝国内でも指折りの変人として、その名を轟かせてしまう羽目になる。尤も肝心のリュウガ本人には馬耳東風であったのだが…。
騎士見習いの少年達にも―――例の先輩格の正騎士達によって―――この『変人』の渾名が浸透し、当のリュウガ本人は普段は意に介していないが、必要な時には拳による矯正を行うため、騎士見習いは誰もが彼の元に付くのを嫌がるようになった。
そしてリュウガには、並みの者なら一撃で悶絶しかねないオルナの打ち込みにも耐えられるものがある。
それは肉体の頑強さだ。生来の素質だったのだろう、オルナさえも凌駕しかねない武術の才と人並み外れた打たれ強さがリュウガの強みであり、そこに目を付けた帝王がリュウガを【キルヒア・ライン】へ編入させた秘密である。
他の―――オルナや筆頭、一部の隊長格を除いた―――団員はリュウガのその強みを知らない。
それは「術式能力が低いから」と完全に彼を格下と見なして見下しており、相手にすらしていないからだ。リュウガ自身も彼らを相手にすらしていないが。
他にも帝王と筆頭しか知らない力を彼は備えているが、それは後に明かす事にしたい。
リュウガ自身、この【キルヒア・ライン】に編入させてくれた帝王に深い感謝の念と恩義を抱いている。元々は父のために目指したこの道を、帝王が後押ししてくれたも同然だからだ。
それ故に帝王に対する忠義は誰にも―――オルナにさえも―――負けていないと自負しているし、「騎士たるものは忠義があるからこそ規律を守り、国を守る事が出来る」という概念も持っている。
だからこそ帝国のために戦える。
だからこそ正騎士としての務めも苦にならない。
故に誇りを持って生きていける。
それが【キルヒア・ライン】外周部隊所属正騎士―――リュウガ・アスラナーダの誇りなのだから。
後に彼はオルナから一本を取る事が出来るようになるのだが、それはもう少し先の話である。
かなり説明めいた文章構成になってしまいました…。