黒の因果 8
色鮮やかなマカロンにクッキー、一口サイズのチョコレート。夕食から一時間程が経過した頃、ユエがテーブルの上に用意してくれたのは少々多過ぎると思える量のお菓子だった。二人分の紅茶を淹れるユエは、心配を掛けてしまったお詫びだと苦笑を浮かべていた。この量を食べたら流石に太るかもしれないと思いながらも、ルイはいそいそとチョコレートの包み紙を開けてしまう。ユエも彼女の隣に座りつつ、ティーカップを二つ机の上に置く。白いカップの中で華やかな香りを放つ緋色の液体は好きな銘柄に違いなかった。
さて、何から話そうか。思案したユエだったが、紅茶に息を吹きかけていたルイの方が先に口を開いた。
「昨日お前に聞けなかったことは、ある程度黒斗に聞いた。……お前は、大事にされているんだな」
彼女の言葉の意味がわからず、ユエはきょとんとした表情を浮かべる。昨日黒斗が言っていたことを一つ一つ思い出してみるが、どうしてそんな言葉が出てくるのか理解出来なかった。
ルイは紅茶を一口分飲み、苦笑交じりにほうと溜息を吐く。少し苦めの紅茶は、口内に残る甘さを和らげるには丁度よかった。
「お前を危険に曝すなと言われたよ。多分、ルシファーの本音はそれだ」
「え……」
「流星石を探す以上、世界の交わりには確実に関わることになる。黒斗はそれが『危険』だと言った。ユエのことを想うなら、今まで通り一人で探せと」
その根本にある感情が何であれ、ユエの存在はルイにとって掛け替えのないものであるはずだと。確かに黒斗の、彼の後ろにいるルシファーの言う通りだった。ユエのことは大切な存在だし、彼を危険な目に遭わせたくないという気持ちは勿論ある。
「……ルイは、どう思ったの?」
ティーカップを持つユエの手には、無意識の内に力が入る。自分のことを想い、危険から遠ざけるために別々の道を進むことを選ぶのか。折角交わった旅路を、なかったことにしてしまうのか。意志の堅いルイがそう決断しては、ユエには彼女を説得出来る自信がない。
俯きながら問い掛けたユエに対し、ルイは再び紅茶を飲んでから淡々と答えた。
「私が守ればいいだけのことだろうと思った」
戸惑うユエを他所に、澄ました表情を浮かべたままチョコレートを一粒口に放り込む。今目の前に並ぶこのお菓子の数々は、ルイのことを想ってユエが用意してくれたものだ。そんな風に自分のことを想ってくれている相手を、危険に遭わせてしまうからと遠ざけるようなことをするつもりはルイにはない。そんな選択をするなら、最初からユエと旅路を共にしようとは思わない。
ルイが守ろうと考えたのはユエだけではない。自分達のせいで他の誰かが危険に曝されることがあるのなら、責任を取る覚悟は出来ている。
ソファーの上で強く握り締められたユエの左手にそっと目をやると、銀の指輪がきらりと光って見えた。自身の左手を優しく重ねながら彼の方に向き直ると、ルイは静かに微笑む。
「心配しなくても、お前は私が守るよ」
途端にユエの顔は真っ赤に染まる。照れている彼の様子は、女のルイから見ても可愛いと感じてしまうものだった。
「……ほんと、ルイはかっこいいよね」
ユエは恥ずかしさに顔を背けた。つくづく、ルイには敵わないと思う。自分達に関わった者全てを守るとは、中々口に出来る言葉ではない。誰よりも芯の強い彼女が口にするからこそ、どんなに不可能なことでも可能にしてしまうような気さえしてくる。彼女が男であったら、間違いなくユエにとって憧れの存在となっただろう。
重ねられた彼女の手にそっと指を絡めながらティーカップを机の上に置く。ソファーに深く座り直して、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「俺も同じことで悩んでた。俺と関わるとルイが不幸になるんじゃないかって、ずっと心配してた」
ルイと共に居続けるということは、世界の交わりに、運命の日に関わり続けるということになる。それにより運命の日がそれだけ確実なものになると知ってしまった以上、それを阻止しようと動いているルシファーの存在がどうしても気掛かりだった。ルイのことを無理矢理にでも消そうとするのではないかと、心配で仕方なかったのだ。そうして彼女の命と運命の日により失われるであろう全ての命を天秤に掛けられたが、自分一人ではどうしても結論が出せずにいたことを打ち明けた。
このままではルシファーがルイの命を狙うかもしれない。そうならなかったとしても、世界の交わりを起こしている危険な者と関わることになる。情けない話ではあるが、ユエには自分の力でどうにか出来る自信などなかったのだ。ルイのように特別強い力を持っている訳でも、誰よりも剣の腕がある訳でもない。自分よりも強い者など山程いる。ついこの間Dユエと戦った時も、負ける一歩手前だったのだ。更に、実際に世界の交わりが起こる様子を見て、不安はより大きくなった。こんな自分に何が出来るのかと、悩み続けていた。
「それでも俺はルイと一緒にいたい。ルイが俺を守るって言ってくれたように、俺もルイのことを守りたい」
例え誰が何と言おうとも、どんなに危険な目に遭おうとも、共にいる覚悟は出来た。一番大切な存在は、絶対に自らの手で守ってみせると。ルイの手を取りながら真剣な眼差しでそう告げたユエの顔付きは、先程まで可愛らしく照れていた少年とは思えない程に凛々しく感じた。
今度はルイの方が照れる番だった。はにかむように笑いながらユエの手を握り返した。
「今までもお前は私を守ってくれていたじゃないか。……これからも宜しく頼むよ」
ユエは本当に優しいな――彼のその好意をどう受け止めるかは、最早ルイにとってはどうでもいいことのように思えた。勿論、彼のことは好きだ。だがそれが一般的に恋だとか愛だとか言われるものであるのか、そんなことは彼女にとって重要ではなかった。自分のことを理解した上で傍にいてくれる、掛け替えのない存在だと思える相手。それで充分だった。もしもその意識を変えてほしいとユエが思うのなら、その時にまた考えればいい。
一先ずそう結論を出してしまったのは、他にどうしても引っ掛かっていることがあったからだった。本当にルシファーに未来が見えているというのなら、今になってルイの存在を邪魔だと思うのはおかしな話だと考えたのだ。共にいると問題があるということがわかっていたのならば、そもそも出会うことを回避する手段など幾らでもあっただろう。今の状況から推測するに、接触は回避不可能なものだったのだろうか。そうでなければ、ユエに指輪を渡した理由にも説明がつかない。
――もしかしたら、ルシファーはユエのことを試していたのかもしれない。
それだけ覚悟が必要なことが、この先に待っているということなのだろうか。具体的なことがわからないまま危険性だけを伝えられては、流石のルイも少し不安になる。
思考を現実に戻すと、どうしたのかと問い掛けるようなユエの顔が視界に入った。折角悩みが解決出来たのに申し訳なくなるが、ルイにはもう一つだけ伝えなければならないことがあった。
「その、機会がなくて話せなかったことがあってな。……サエのことなんだが」
ルイの口から出た名前には聞き覚えがあった。風邪で寝込んでいる間何か変わったことはなかったかと問い掛けた際、彼女が口にした名前だ。あの時は黒斗のことで頭が一杯だったせいで詳細を聞かずにいたが、学校の友人以外で彼女を見舞う程親しい者がいたのだろうか。
困ったような笑みを浮かべたルイは、ユエの感情を刺激しないよう、出来るだけ柔らかい口調で言葉を続けた。
「あのー……お前のドッペルゲンガーが見舞いに来てくれて……勝手に私が『サエ』って呼ぶことにしたんだ」
恐る恐るユエの表情を窺うと、彼は言葉の意味を飲み込めないのか一瞬固まった後、慌ててルイに詰め寄った。
「は? え、待って、彼奴が来たの!?」
ああ、やっぱりこうなるか――ユエに両肩を掴まれたルイは、激しく揺さぶられる頭の片隅でそんなことを考えた。動揺するユエの肩に優しく手を置き、どうにか落ち着くよう説得する。手の届く位置にあったマカロンを一個取ると、喚く彼の口に捻じ込んだ。暫くマカロンと格闘するユエを眺めてから落ち着いたかと問うと、彼は元の位置に戻りながら、申し訳なさそうな表情と共に小さな声で「ごめん」と呟いた。冷静さと口の中の水分を取り戻す為に紅茶を一口飲んで、改めてルイに尋ねる。
「えっと、彼奴は何しに来たの? 本当にお見舞いだけ?」
「多分。昼食も作ってもらったしな」
結構美味しかったと感想を述べると、ユエはあからさまに不満そうな顔をしていた。オリジナルである自分よりも高い評価をされているようで気に入らないのだろう。ユエの作るご飯も充分美味しいと宥めると、機嫌を直したようだ。
今までDユエはユエよりも相当血の気が多いと思っていたが、実際の彼はルイが思っていたよりもずっと優しかった。自分のせいで彼女が体調を崩したようなことをぽつりと漏らしていたが、責任を感じて見舞いに来たようだ。ルイが勝手に名前を呼んだ際も、怪訝そうな表情はしたものの、怒っている訳ではなかった。彼女の話もちゃんと聞いていたし、会話よりも眠ることを優先するように注意したのも、彼女を気遣ってのことだ。先日のルイからの問いに答えたことも考えると、何か思うこともあったのだろう。
「それで、少しだけ彼奴のことを聞いたんだ。……本当は誰かになりたい訳じゃないって」
更に彼は、ユエの命と引き換えにルイの魔力が欲しいとも口にしていた。誰かに成り代わろうとするのは、彼が彼として生きていくのに充分な力がないからだ。そして、彼は自身を封印した魔導士を酷く恐れているようだった。
「彼奴の提案を受け入れるべきか、お前の意見も聞かせてくれないか?」
ルイにとっては殆ど損のない提案だった。受け入れても構わないと言えば構わないのだが、もしもの時に彼女の魔力を必要とするのはユエだ。彼の意見を聞かないままにするのはどうかと考えたものの、素直に納得してくれるとも思えなかった。案の定、彼の表情は曇っていた。
「……暫く、考えさせて」
やはり二つ返事でよいとは言ってくれないようだ。ルイは肩を竦めながら「わかった」と返す。ただ、悩まないでほしいということだけは付け足しておいた。最終的にどうするのか決めるのはルイだ。ユエの意見は参考までに聞いておきたいと思ったのだ。
お互いに話したかった話題も終わり、沈黙が場を支配する。残っていた紅茶を飲み干したルイは、一旦シャワーを浴びてくると言い残して席を立った。お菓子はまだ食べたいから残しておいてほしいとも。
もしかしたら気を使わせてしまったかもしれないと思いながら、ユエは苦笑と共に彼女の背を見送った。彼女の姿が廊下へと消えていったのを確認して、盛大な溜息を吐いて頭を抱える。黒斗のことばかり考えていたせいで、今まで彼女の話を聞かずにいたことを後悔した。
中央界から態々この世界まで来たというのに、Dユエはルイの前に現れた。恐らく、自分がその場にいないことを知った上で。自分に邪魔されない所で話をしたかったのだろう。選択の主導権を彼女に与えたのは、ユエに決定権を与えない為かもしれない。
少なくとも、Dユエを牽制しているのはルイの存在に間違いなかった。これでは、Dユエのことは全てルイに任せてしまっているようなものだ。本当ならオリジナルである自分がどうにかしなければいけない問題であるのに。
――今のままじゃ、彼奴と対等以上になるなんて無理だ。
実力の差は圧倒的だ。せめて真面に魔力を扱えるようになればまだ望みはあるかもしれないが、教えを乞うことの出来る相手がいない。心当たりのある中ではルシファーが最も魔力の扱いには長けているだろうが、彼を頼ることなど以ての外だ。
ふと昨夜のことを思い出し、徐に自分の部屋に向かった。カーテンの隙間から外の明かりが差し込む部屋の中は薄暗い。勉強道具の置かれた机に近付くと、引き出しをそっと開ける。僅かな光を反射して輝く、青い結晶が其処にはあった。折角手に入れたのに、ルイに渡すことをすっかり忘れていた流星石だ。
手の中に収まる大きさの結晶を持ち、再び先程の部屋へと戻る。電灯に透かして見てみるが、昨日のあの虹色の光は見えない。脳裏に浮かんだのは、散り散りになった景色と、それを繋ぎ止める流星石の様子だった。こんな小さな欠片一つですら、その強大な力の一部を秘めているのだ。これを必要とするルイの力がどんなに強いのか、改めて思い知らされたような気がした。彼女を守ると誓ったのに、彼女よりも弱いままでいる訳にはいかない。
「もっと、強くならなきゃ……」
大切な存在を、もう二度と失いたくない。その為にまずは、自分の偽物だけは自分の手でどうにかしなければ。
心の奥底に生まれた激情を押し殺すように、そっと紅茶を口に運ぶ。すっかり冷めてしまったものを飲んだにも関わらず、燃え上がるような感情は少しも冷めなかった。
2020年滑り込みセーフ(?)
ちょっと短いけどこの章はここまで。




