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紅と蒼 5

やっと主人公登場。

自分で設定しておいて何ですが、中性的な口調って難しいですね。別作品(公開未定)で男女はっきり区別したものを書いている影響で、ユエの口調での台詞が中々決まらないです……。

 足元に倒れ伏したルイを見下ろしながら、Dユエは彼女の傍らにしゃがみ込んだ。地面に広がった彼女の長い銀髪をそっと撫で上げる。先程まで彼を見つめていた水色の瞳は、今は固く閉じられた瞼の向こうに消えていた。

 ルイが暫く目を覚ましそうにないことを確認したDユエは、静かに両方の掌を向い合せるように胸の前で構える。彼の両手の間に光の粒が集まり始め、やがてそれは人の顔程の大きさの鏡を形成した。その鏡はDユエの手から独りでに離れ、ルイの身体の上に浮かんで動きを止める。

 Dユエは彼女から視線を外し、地面から少し浮いた所に円を描くように指を滑らせた。円の軌跡に魔法陣が輝き始め、その上に一羽の烏が現れる。濡れたように光る漆黒の羽根は正しく烏だったが、その目は普通のものよりも大きく、顔の中心に一つあるのみ。只の烏ではなく、魔力を受けて変質したものだからだ。烏以外にも様々な変質した動物達が、遣い魔として重宝されている。この烏は、Dユエが唯一遣っているものだった。

 召喚された烏は静かにDユエの肩に止まる。烏の喉の辺りを軽く撫でてから、彼はルイに再び視線を飛ばした。


「……彼女が目を覚ますまで見張っていろ」


 烏は鋭い鳴き声を上げると、彼の肩を離れ、眠るルイの傍らに降り立った。大人しく彼女の側で立ち止まった烏に踵を向け、Dユエは森の中を歩き始める。彼の向かう先にあるのは、今は使われていない古教会。但し、彼は花畑の方に近付くつもりはなかった。ルイと共にいたあの少女達が、恐らくまだ近くにいるだろう。もし、突然いなくなったルイのことを知らないかと問われたら面倒だ。何より、子供の純粋な瞳というものが苦手だった。

 古教会の壁に背を付けて身を潜めながら、裏手にある花畑の様子を窺う。先程は古教会側ではなくこの花畑の方にいたが、ルイが森の方に向かっていったのを考えると、少女達の注目は其方へ向いているはずだ。実際、森と反対側にあるこの古教会を見ている者は、一人もいなかった。皆揃って心配そうに森の方を見つめている。

 彼女達を此処から離れさせなければならない。この辺りにユエを呼び出すつもりだが、それには彼女達が邪魔になる。どうしようかと思案する彼の視界に、ふと、少女達に近付く者が現れた。少女達より背は高いが、決して大きくはない、彼と同じぐらいの身長の少年が。


「ああ……手間が省けたな」


 誰にも聞こえない程の小さな声で呟き、Dユエは口の端を吊り上げた。そっと壁から離れ、古教会を見上げる。二階建ての建物と、それに寄り添うように一際高く聳え立つ塔。格子や硝子を嵌められていない塔の窓の中に、鈍く光る鐘が吊るされているのを見て、彼は静かに目を細めた。


 * * *


 倉庫の片付けを続けるリュクスに少し出掛けると告げて、ユエは城下町を歩いていた。陽が沈むにはまだ時間があるが、そろそろルイに近くまで戻ってくるように声を掛けておこうと考えていた。もし子供達の親が迎えに来るのであれば、わかりやすい所にいた方がいいだろう。それに、明るい内に旅に必要な物を買い揃えておきたい。

 通り掛かった人々からルイと少女達が古教会の方に遊びに行ったと聞き、ユエは街道に足を運ぶ。此処からその古教会へは、歩いて数分程しか掛からない。街道を少し進めば直ぐに見える位置に建っているが、その裏手には鬱蒼とした森が広がっている。夕方になれば、野生の動物の声が聞こえてくるようになるだろう。使っていない教会となれば、近くまで動物が来ることもあるはずだ。狼や野犬が出てくる前に、やはり呼び戻した方がいい。そんなことを考えている間に、ユエは古教会に辿り着いた。

 人気のない建物の前で耳を澄ますと、裏手の方から少女達の話し声が聞こえてくる。蔦が這っている壁沿いに進むと、その先には小さな花畑と、其処に佇み、何やら不安そうな面持ちで森を見つめる少女達がいた。


「どうかしたの?」


 ユエが声を掛けると、少女達は一斉に彼の方に振り向く。数時間前に会った時には笑顔だった彼女達は、今はそんな様子は微塵もなく、動揺すらしているように感じられた。


「お姉さんが、戻ってこないの」


 今にも泣き出しそうな顔でそう呟いたのは、一番年下らしい黒髪の少女だった。確か、マーシャと呼ばれていただろうか。出掛ける前にルイが彼女をそう呼んでいたのをぼんやりと思い出しながら、ユエは腰を屈めて彼女に視線を合わせる。

 スカートの裾を握り締めるマーシャの目には、大粒の涙が溜まり始めていた。頭を優しく撫でてやると、彼女は目元を腕で拭いながら口を開いた。


「あのね、私……お姉さんに此処にいなさいって言われたの。皆と離れちゃダメだって。お姉さん、それだけ言って森に入っていっちゃった。それでね、ずっと皆と待ってたの。だけど全然戻ってこなくて、どうしたらいのかわかんなくて、心配で……」


「森に? ……理由は言ってなかった?」


 マーシャは項垂れながら、何も聞いていないと答えた。

 彼女から一旦視線を外して、ユエはその後ろに広がる森に目を向ける。木々が生い茂ってはいるが、花畑に近い方はある程度手入れがされているようだった。だが、用もなく立ち入るような場所ではないのは確かだ。ルイが思い付きで森に入ったとは考えにくい。マーシャに言い残していった彼女の言葉も踏まえると、何かしらの理由はあったはず。此処から動かないようにすること、皆と離れないようにすること。その二言から考えられる理由は……。


――誰かが森にいた、ってことか。


 もし危険な動物らしき影を見たということであれば、その場で力を使うなりして追い返せるはずだ。それが無理そうなら、少女達を連れてこの場を離れるのが最善だろう。森に入ると言う選択肢は危険過ぎて、選ぶはずがない。

 森に人がいたと考えれば、ルイの言葉にも納得がいく。少女達に余計な不安を与えないように、詳しいことを話さずにいたのだろう。長時間戻らないことで、結果的には不安を煽る形になってしまったが。

 全く戻ってくる気配がないということは、森にいた誰かを追っている途中か、追っていった先で何かあったのだ。……面倒なことになっていなければいいが。

 ユエは表情を険しくする。直ぐに森に入ってルイを探した方がいいかもしれないが、自分まで森に入ってしまうと、少女達が余計に心配してしまうだろう。それに、ルイを探そうにも森は広すぎる。

 どうするべきかと考えていたユエの背後で、不意に低い鐘の音が鳴り響く。音のした方を向くと、塔の中に吊るされた鐘が大きく揺れているのが見えた。聞こえてきた鐘の音は、間違いなく背後の古教会のものだった。

 少女達も怪訝な顔をして、ユエと共に塔を見上げる。その内の一人が、ユエの服の裾を引きながら呟いた。


「変なの。今、教会は使ってないから誰もいないはずなのに」


「それ、どういうことなの?」


 ユエの問い掛けに対し、少女達は互いに顔を見合わせる。あの教会は建物が古くなり危険な為、これから建て直すつもりらしい。今は代わりに他の建物を使っている為、此処には誰もいないはずなのだと答えた。まだ工事は行われておらず、取り敢えず中に誰も入れぬようにしてあるのだと。

 そうは言っても、とユエはちらりと古教会の窓に視線を投げる。施錠こそされているのだろうが、窓には板が打ち付けられている訳ではない。その証拠に、木枠に嵌められた硝子の向こうには、薄暗い室内に椅子や燭台が置かれているのが見えていた。その気になれば、窓を破って入ることは可能だ。

 鐘が大きく揺れ、独特の低い音が聞こえたことからは、何者かが古教会の中で鐘を鳴らす仕掛けに触れたということがわかる。外からあの鐘に向かって何かを放ったのであれば、鐘は大きくは揺れない上に、音もよく響かないだろう。


――ルイじゃないな。森に向かったみたいだし、こんな悪戯みたいなことするとは思えない。


 ユエは嫌な予感を覚えた。誰かが気配を消して古教会に潜んでいる。少女達が気配に敏感とは思えないのに、そんなことをする必要はないはずだ。それなりに慣れていないと、人の気配をはっきりと感じることは難しい。そう、今教会にいる存在はまるで、ユエから隠れているように思えるのだ。

 少し考えた後、ユエは腰に差した長剣に右手を添えながら、少女達の方に向き直った。


「結構近いし、皆だけで帰れるよね」


「大丈夫だけど……お兄さんはどうするの?」


 ユエの服の裾を掴んでいた少女がそう問い掛ける。不安そうな表情を浮かべ続けている少女に対し、ユエは優しい笑顔を返した。


「教会にルイがいるかもしれないから、ちょっと見てくるよ。もしかしたら何か理由があって隠れてるのかも。此処にいるよって教える為に鐘を鳴らしたなら、早く行ってあげないといけないし」


 多分違うけど――頭の片隅でユエはそう付け足した。嘘を吐いていることに罪悪感があるが、少女達を納得させられる言葉はこれぐらいしか思い付かなかったのだから仕方がない。

 考えるような素振りを見せた後、少女はユエの服から静かに手を離す。お姉さんに明日も遊んでって伝えて、と言い残し、少女達は何人かで手を繋ぎながら街道の方に消えていった。

 彼女達の後姿を見送ってから、ユエは古教会の正面へと回る。入り口の大きな扉は人通りの多い街道の方に向いているが、目隠しとして背の高い木が植えられている上に、この教会自体が街道から少し森に入った所にある為、街道からは屋根や更に高い塔の部分しか見えない。

 入り口の扉の前に立ったユエは、深い溜息を吐く。本来ならば封鎖していたはずのものと思われる大きな南京錠と太い鎖が、無残にも砕かれた状態で地面に落ちていた。風雨に晒されたその二つの表面は錆び付いているが、破壊された鎖の欠片の断面は錆びていない。壊されたのがつい最近であるのは間違いなかった。少女達と話していた時によく聞いていれば、これを壊す音に気付けたかもしれない。

 南京錠を拾い上げながら、この教会にいるのがルイではないとユエは確信した。もしルイが何らかの術を使って壊したのであれば、恐らく鎖も南京錠も跡形もないだろう。もし残っていても、粉々になっているはず。鎖や南京錠の破損の仕方を見ると、剣や鎌などの金属製の武器で叩き割られたように思える。ユエも鎖だけだが試してみたことがあるが、同じように割れた覚えがある。

 ユエは静かに長剣を抜いた。長剣を持たぬ方の手を扉に添え、ゆっくりと力を掛ける。扉の軋む音が響き、薄暗かった古教会の中に僅かに光が差す。四角い扉の形に切り取られた光の中に自分の影が伸びるのを見ながら、視線を徐々に前に向ける。身廊には破れた紅い絨毯が敷かれ、壊れ掛けた長椅子がその上に無造作に置かれていた。奥の祭壇には十字架が掲げられていたが、嘗ては全体に施されていたであろう美しい金の装飾が僅かに残るだけで、今はそれすらも埃を被り、褪せて見える。

 人々が神を信仰していた場所。ユエのように闇に属する者が、忌み嫌う場所。

 だが、不思議とユエは居心地の悪さすらも感じてはいなかった。生来の光の力が呼応するように、彼の中で騒ぎ出す。此処が本来あるべき場所であるかのような、何処か懐かしさを覚える不思議な感覚がした。

 静寂に包まれた身廊に、ユエの足音だけが響く。祭壇の前で立ち止まり、彼はステンドグラスの窓を見上げた。天使や神を描いたそれは外の光を受け、寂れた教会の中でも色鮮やかに輝いている。中心に嵌めこまれた一際大きなステンドグラスには、ユエも知る双子の神の姿があった。太陽の煌めきを映したかのような見事な金の髪を靡かせる男の神と、ひっそりと夜空に浮かぶ月を思わせる銀の髪を伸ばした女の神。ユエの目は、思わず女神の方に釘付けになる。


――ルイみたいだ。


 ステンドグラスの中で慎ましく微笑むその姿は、強い口調で話すルイとは正反対だ。だが、それでも何故か重なって見えるのだ。

 もしルイが、この女神と同じように微笑んだら――考えてみて、ユエは頭を振った。何をしようとルイはルイだ。見た目を女神と同じようにしても、中身は変わらない。それに、普段の気の強い表情に、時折見せる女の子らしい部分との差。それが彼女の魅力だろう。はっきり言って、大人しい彼女はらしくない。

 其処まで考えて、ユエは我に返る。今はこんなことを考えている場合ではない。此処に来た理由を忘れ掛けていた。普段立ち入ることのない教会という場所にいることで、どうしても思考が逸れてしまうのだ。それは単純に、実際に見たことのなかった物に対する興味と好奇心故のものだった。


「呑気に芸術鑑賞か。呆れた奴だ」


 突然降ってきた声に驚いて振り返る。入り口の直ぐ横に設けられた、塔に上がる為の螺旋階段。その手摺りに片手を掛け、目を細めて此方を眺めているDユエの姿が其処にあった。彼の背後の壁には、鐘を鳴らす為の仕掛けらしき物が見えている。

 彼の姿を認めて、ユエの長剣を持つ手に力が籠る。嫌な予感は的中した。鐘を鳴らして自分を此処へ誘い出したのは、間違いなく視線の先にいる彼。選りに選って、ユエが一番苦手とする相手だ。直接戦ったことは殆どないが、それでも直感的に理解していたのだ。今の自分では、彼に敵わないことを。

 緊張から身体を強張らせ、警戒心を露わにするユエを他所に、Dユエは緩慢な動作で螺旋階段を降りる。先程までユエが眺めていたステンドグラスに目を向けると、彼は何故か納得したような表情を浮かべた。


「あの絵がルイに見えたのか?」


 わからなくもないが、とDユエは言葉を付け足した。彼の視線が自分から外れているのを確認して、ユエは外套の下でゆっくりと腰のホルスターに手を伸ばす。静かに短剣の柄を握り締め、鞘から引き抜いた。

 Dユエは尚もステンドグラスを見上げながら、ユエの直ぐ横を通り抜ける。擦れ違った瞬間、ユエは素早く身を翻し、たった今向けられた背中目掛けて短剣を薙いだ。

 しかし、切っ先は相手を掠めることすらなかった。ユエに背中を見せるまでの僅かな時間の間に、Dユエはその手に自分の短剣を握っていた。ユエの短剣が風を切る音と共に、彼も短剣を振るう。互いに振り翳した剣身がぶつかり合い、火花が散る。

 ユエは舌打ちする。完全に行動を読まれていた。容姿だけでなく思考まで写し取られている――彼の裏をかくのは簡単ではなさそうだ。ユエの考えを肯定するように、Dユエは短剣に掛ける力を強めながら呟いた。


「貴様の考えることぐらい直ぐにわかる。写し取ったものが姿形だけだと思うな」


 硬質な音が響き、ユエの手から短剣が弾き飛ばされる。ユエはその場から飛び退くと、先程まで短剣を持っていた方の手を軽く上げた。短剣はくるくると回転し、空中に弧の軌跡を描きながら彼の元へと落ちてくる。丁度手の中に落下してきた短剣の柄を掴み、今度は逆手に構えてDユエを睨み付けた。

 意外にも強気ではないか。鋭い光を放つ蒼い瞳を見つめ返しながら、Dユエは口角を上げる。戦闘を避けようとするかと考えていたが、どうやらそれ程臆病でもないらしい。

 両手に武器を構えるユエとは対照的に、Dユエは手にしていた短剣を仕舞う。やはり戦うつもりでいたのだろう、武器を仕舞ったことに対して、ユエは不思議そうな表情を浮かべていた。


「そう殺気立つな。ルイが何処にいるのか、気になっているのだろう?」


 ユエの肩がぴくりと動く。窓から注ぐ光を反射して、剣身が煌めいた。

 ルイに関することを口にすれば、より殺気を放つようになるだろうとDユエは予想していた。そもそもユエが此処にいるのはルイを迎えに来たからだ。彼女が中々戻らないのであれば、必ず捜しに来るとDユエは知っていた。


「……ルイに何かしたのか」


「少なくとも殺すようなことはしていないが」


 その言葉に、ユエは一先ず安堵の息を吐く。ルイの命に関わるようなことがあれば、今頃はDユエに斬り掛かっていただろう。

 ルイが森から戻らないことに彼が関わっているのに、先程の一言でユエは確信を持った。彼女に何をしたと言うのだろう。返答次第では、やはり斬り掛かることになりそうだ。彼の行動を注意深く観察しながら、ユエは短剣を鞘に収め、使い慣れた長剣を両手で構える。

 ふと、ユエの視界の端を黒いものが通り過ぎた。Dユエの元へと飛んでいったそれは、一羽の烏。漆黒の翼を羽搏かせ、烏はDユエの肩に降り立つ。紅い髪に擦り寄るように止まったその烏に、目が一つしか存在しないことにユエは気付いた。自然では有り得ないその姿は、人為的に生み出された証拠。恐らくは、Dユエの遣い魔だろう。相当な魔力がなければ、遣い魔を生み出し、手懐けることは不可能だ。改めて、彼の力がどれ程のものか思い知らされる。

 烏の方にちらりと視線を投げ掛けたDユエは、ユエには聞こえない程の声量で何か囁いていた。その直後、烏は彼の肩から離れ、ユエの傍を擦り抜けて背後の螺旋階段の方へと消えた。恐らく、先程も其処を通ってきたのだろう。螺旋階段の先は鐘の吊るされた塔の中。塞がれていないその窓から、教会の外と中を行き来しているのだ。再び外に出たということは、外に何かあるのだろうか。

 ユエは疑問を感じながらも、烏に向けていた視線を自分の前方へと戻す。視線の先にいるDユエの周囲には、何時の間にか四枚の鏡が浮かび、彼を囲うように旋回していた。魔法の一種かとユエは思ったが、詠唱らしいことをしていた覚えはない。攻撃することよりも盾として扱いそうなものに見えるが、注意した方が良さそうだ。

 長剣を構えたままのユエの様子を見て、Dユエは肩を竦める。例え武器らしいものを持たずにいても、自分の一挙一動に対して警戒しているようだ。わかりやすく殺気を放ち、武器を隠そうともせず構えている。相手の出方を窺う場面では、あまりいい行動とは言えないな――Dユエは心中でそう呟いた。


「ルイは何処にいるんだ」


「焦らずとも直ぐに来る。メイズに呼びに行かせた」


 メイズ、とは先程の遣い魔の烏の名前だろう。Dユエが烏の消えた方へと目を向けていたことから、ユエはそう考察した。

 それにしても、武器を仕舞い、使い方のわからない鏡を浮かばせているDユエには、ついこの間まで放っていた敵意らしいものが感じられない。彼は最初に出会った頃から、ユエの感情を逆撫でするような行動ばかりを取っていた。ルイに何かをした、と言う点では今回も同じではあるが、今の所はユエの言葉にも素直に応じている。


「今日は随分大人しいんだな」


 思わずユエの口からはそんな感想が出ていた。そう、Dユエが妙に物静かに感じるのだ。ユエだけを誘き寄せる為に、気配を消して此処に潜んでいた。それならば納得がいくのだが、彼はユエが姿を現した後も、自ら攻撃するようなことはしていない。ただ話す目的で呼んだ訳でもなさそうだが、直接戦おうとする素振りもない。

 Dユエは少しの間考えるように口元に指を当てていたが、何か思い当たることがあったのか、「ああ」と呟いた。


「ルイがいないからな。彼女に対してオリジナルが出来ないことを出来る――ドッペルゲンガーの方が優れている所を見せつけられて、いい気はしないだろう? 貴様の悔しがる顔は中々見物だ」


「……お前って性格悪いな」


 呆れた顔でそう返すが、Dユエは澄ました表情を変えなかった。彼が癪に触るようなことをする理由が漸くわかったが、オリジナルである自分から来ているものだとは思いたくない。恐らく、Dユエの元々の性格の悪さ故だ。

 何故彼はそんなことをするのだろう。思えば、彼の行動には数々の疑問があった。単純にユエの反応を見たい、と言うのは確かに理由の一つかもしれないが、それだけではないだろう。それに、彼は以前までルイの魔力を狙う為に行動していた覚えがある。ユエを揶揄うのはあくまでも『オマケ』だった。しかし、今の彼は明らかにユエに対して何らかの目的があって動いている。少し前から彼の魔力が桁違いに強くなっていることと、何か関係があるのだろうか。


「まあ、それが目的ではないがな。ついでに言えば、魔力を狙うことも違う」


 思わぬ否定の言葉に、ユエは戸惑う。前者についてはそうだろうとおもっていたが、後者まで否定されるとは思っていなかった。


「もう魔力そのものには大した拘りもない。充分な力は手に入れた。後は、本来の目的を達するだけだ」


 Dユエの目が細められ、紅い瞳が怪しく光る。薄笑いを浮かべ、彼はユエの方へ静かに歩み寄ってきた。

 俺はこんな表情はしない――自分と同じ顔が見せる、自分とは全く異なる表情に、ユエは寒気と同時に違和感を覚えた。やはり目の前にいる彼は、自分とは異なる存在なのだ。

 妙な不気味さこそ感じるが、Dユエから殺気は感じられない。どうすべきか迷うユエの目の前に立った彼は、向けられた長剣に自ら手を添えると、その剣身を掴んだ。掌に食い込まない程度に握りながら、切っ先をユエの方に向ける。首筋に刃が添えられたが、押し返そうにもユエの両手には何故か力が入らなかった。


「俺が大人しい、か。そうだな、貴様と戦う気はない。貴様がそのつもりなら相手をしてやってもいいが」


 見つめてくる紅い瞳の中に映る自分が血の色をしているように見えて、ユエは息を呑んだ。自分の色であるはずの蒼が消失したように見え、その鋼玉ルビーのような紅に吸い込まれそうになる感覚に陥る。

 だが、ゆっくりと皮膚に当てられた金属の冷たさに、感覚が一気に戻ってくる。


「っ、寄るな!」


 無理矢理刃を押し返すように長剣を振るうと、Dユエは瞬時に飛び退いた。紙一重でユエの斬撃を避けた彼の瞳には、既に怪し気な光は宿っていなかった。

 危うく術中にはまる所だったとユエは気付く。あの紅い瞳の光は、間違いなく催眠術に近いものを使っていた証だ。武器を持たないことで油断させ、ユエに近付いたのだ。あわよくば先程当てた刃を、そのまま引くつもりでいたのだろう。

 刃を当てたユエの首筋にうっすらと滲む血の色を見て、Dユエはくつくつと声を抑えるようにして笑っていた。


「やはりそう簡単には殺せないか。その方が面白味があるが」


「……ルイの魔力の次は、俺の命が欲しいってことか」


「御明察」


 腕を組みながら答えたDユエに切っ先を向けるように、ユエは長剣を構え直す。見す見す殺される訳にはいかない。Dユエが何かしようものなら、今度こそ斬りつけてみせるつもりだった。三度目は絶対に外さない。

 ユエが長剣を構える一方で、Dユエはそれでも武器を持とうとはしなかった。腕を組んでいては、直ぐに剣を振るうことも魔法を放つことも出来ない。ユエを殺すつもりでいる割には、未だにそれらしい動きがない。

 自分の周囲を旋回する鏡の内の一枚に手を触れたDユエは、其処に映る自分とユエの姿を眺めながら告げた。


「本当は俺が直接殺してやりたい所だが、生憎、『今日一日だけ』止められているのでな」


 一体誰に――問い掛けようとしたその言葉を口にすることは出来なかった。

 突如としてユエの隣で、古教会の壁が吹き飛んだ。窓硝子の破片や壁を形作っていた木片、粉々になった煉瓦が飛散する。土煙の向こうから徐々に外の光が差し込み、薄暗かった室内を照らし始める。残った壁から破片が崩れ落ちる音に続いて、ユエの耳には風を切るような音が届いた。差し込む日光と共に、鋭く尖った氷の刃が飛び込んでくる。真っ直ぐに自分を狙って飛んで来たそれを、ユエは慌てて避ける。氷の刃は彼の背後の壁に刺さり、あるものは窓硝子を突き破って外へと飛び出していった。

 ユエは土煙の向こうに立った人物を見て目を見開く。銀の髪が風に靡き、アクアマリンのように透き通る水色の瞳がユエを捉えていた。


「嘘でしょ……?」


 呻くように呟いたユエの背を、冷たい汗が伝う。先程の遣い魔を肩に乗せた少女――ルイの瞳に映った彼の顔には、動揺と戸惑いの色がありありと浮かんでいた。

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