表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/46

灰白の天使 2

 久しぶりに行った学校は抜き打ちのテストがあったりはしたが、今後に響くような問題はないだろう。弁当を広げたり遊んだりしている生徒が多くいる昼休みの教室で、机に突っ伏しているルイの頭を撫でながらユエはそう考える。静かな寝息を立てる彼女は弁当を食べながら、慣れない授業やテストに疲れたと言っていた。よく頑張ったという意味を込めてユエが撫でている内に、彼女は眠ってしまったのだった。決して煩くないとは言えないこの教室で寝てしまうとは、余程疲れていたのだろう。体力的な疲労なら旅をしている内に多少は耐えられるようになったが、こうも頭を使うことにはユエもそんなに慣れてはいない。

 次の授業が始まるまでには起こそうと決め、ユエはそっと彼女から手を離す。ふっと顔を教室の入り口に向けると、学食で昼食を食べていた黒斗と青音が戻ってきていた。


「あれ、ルイちゃん寝ちゃったの? お喋りしようと思ったのに」


「お弁当食べて直ぐに寝たよ」


 それなら一緒に学食に連れて行けばよかったと呟いて、青音はルイの顔を覗き込む。全く起きそうにないのを確認して、青音は直ぐ近くの自分の席に座った。彼女の机に寄り掛かるようにして、黒斗は立ったままだった。いつの間にか彼は前の時間にやっていたテストの問題用紙を片手にしていて、書かれた数学の問題を見ながらユエに問い掛ける。


「さっきのこれ、どのぐらい出来た?」


「あー、最後の問題はちょっと自信ない」


「私もその辺微妙だなー」


 青音は机に身を乗り出して、黒斗の持つ問題用紙を眺めながらそう呟いていた。黒斗はどうだったのかとユエが尋ねると、彼は自慢そうな表情を浮かべて「自信しかない」と告げる。流石だと思う半面、その偉そうな顔にユエは少々苛立ちを覚えた。わかったなら今の内に教えてほしいと頼むと、彼は机の上に置いてあった青音の筆箱からシャーペンを取り出す。「借りるよ」と一言口にすると、問題用紙の裏側、計算式のメモが書かれた面を上にして机に置く。そして空いたスペースに、問題とその回答を書き始めた。

 彼の手元を少しの間見つめてから、青音はその内容が理解出来なかったのか、お手上げだと言うように両手を軽く上げ、困ったようにユエに視線を向ける。書き途中の解答を見せてもらうと、確かにややこしい式を書かされる問題のようだったが、よく読むとそう難しい問題ではなかった。これぐらいなら思い付きさえすれば自分も解けただろう、とユエは納得する。本番のテストで解き方を思い付かなかったのが悔やまれた。恐らく、ルイもこの問題は出来ていないだろう。彼女と青音の学力はそう変わらない。青音がわからないのであればルイもそうである可能性が高い。

 今更テストの結果でどうこう考えようが、終わってしまったことを何時までも気にしていても仕方ないだろう。ユエはそう思って、それ以上テストのことを振り返るのはやめた。ただ、黒斗の書いてくれた計算のメモをノートに書き留めることだけはしておく。

 次の授業は何だったかと考えるユエに、ふと、青音が思い付いたように声を掛けた。


「そうだ。ユエ君達って今日の放課後、暇かな?」


「特に予定はないけど……どうして?」


「一緒に晩ご飯食べたいな、って思って。ついでにルイちゃんとちょっと買い物とか行きたいし」


 青音は寝ているルイの方をちらちらと見ながら、ユエの問いにそう言葉を返した。昨日もお世話になったのに本当にいいのだろうかと困った表情をうかべるユエに、遠慮する必要はないと黒斗が耳打ちする。彼曰く、普段は黒斗と二人だけで食事することが多いので、偶には皆で食べたいと青音は考えているらしい。

 先程予定はないと言ってしまった上、ユエは遠慮こそするが断る理由はないので、素直に彼女の誘いを受けることにする。ルイと仲良くしてくれるようであれば、彼はそれで構わなかった。その旨を伝えると、青音は喜んで今日は何を作ろうかと黒斗と相談し始める。仲睦まじい二人をぼんやりと眺めながら、そろそろルイを起こそうと彼女に声を掛け、その肩を軽く揺する。


「ルイ、もうすぐ次の授業が始まるよ」


 ユエの声に反応して、ルイはうとうとしながら渋々起き上がる。眠たい目を少し擦ってから、起きろと自らに言い聞かせるように両頬を軽く叩いた。そして深く息を吐くと、ユエの方に向き直る。彼女が起きたことに気が付いて、青音は彼女に話し掛けた。先程ユエに提案したことと同じことを彼女にも伝えると、彼女もそれで大丈夫だと言った。


「じゃあユエ君は黒斗と一緒に私の家で待っててよ。晩ご飯作らなきゃいけない時間には帰るから」


「う、うん。わかった」


 女子の家に野郎二人だけでいるのもどうなのか、ユエはそう思ったが、黒斗も青音も気にしていないようだった。二人がいいならまあいいか――無理矢理自分を納得させたユエの耳に、予鈴の音が届く。

 お喋りはこの辺にしなければと、三人との会話を打ち切って、ユエは次の授業で使う教科書やノートを机に並べた。


 * * *


 黒斗と共にリビングに置かれたテレビを見ながら、ユエはルイ達の帰りを待っていた。珈琲やお茶といった飲み物は好きに淹れて飲んでいいと青音に言われているのだが、流石に自分で勝手にやるのは失礼じゃないかと遠慮したユエに、黒斗が珈琲を淹れてくれた。彼は最早そういったことを気にしない程、此処にいるらしい。

 特にやることもなく、二人は此処に来てから適当にチャンネルを変えつつ様々な番組を見ている。ソファーに寄り掛かって、ユエは溜息を吐いた。


「まだかなぁ、あの二人」


 壁に掛けられた時計の針は、現在七時近くであることを示している。ユエの隣に座っていた黒斗が時刻を確認して、仕方ないと言うような表情で徐に立ち上がった。何処に行くのかと問えば、そろそろ近くにいるはずだから見てくると返してくる。自分も行こうかと迷うユエに、黒斗は留守番をしているようにと口早に伝えて、さっさと青音の家を出て行った。

 取り残されたユエは、途方に暮れてソファーに深く座り込む。ただ待っているだけなのも何だか申し訳ないので、せめて片付けをしようと、黒斗が飲み終わってそのまま置きっぱなしにしていた空のマグカップを手に取った。自分の使っていた物も持って、台所へと向かう。さっさと洗って仕舞い終えると、リビングへと戻る。点けっ放しになっているテレビと、自分以外誰もいない部屋を見て、ユエは寂しいと感じた。青音はいつもこんな気持ちで家にいるのだろうか。部屋の中に立ち尽くしたユエは、彼女の気持ちがわかるような気がした。

 ふと、掛け時計の下に設けられたスペースが目に入る。雑誌が収められている小さな棚と、その上に置かれた雑貨の入った小物入れ。そしてその隣に置かれた、何枚もの写真の貼られたコルクボード。ユエにとって、写真は珍しい物だった。中央界には、写真やカメラは存在しない。似顔絵が一般的だ。携帯電話はこの世界で手に入れているが、実際に現像した写真はまだ持っていない。

 コルクボードには様々な人物の写真が貼ってあった。小さい頃の青音と黒斗だろうか、今とそう変わらない様子で写っている二人が最初に目に付いた。他の写真には、二人の友人と思われる人物が何人も写っている。

 暫く写真を眺めていたユエは、その中につい最近の日付の物があることに気が付いた。ユエとルイが彼女に初めて会った日から、大体二週間前の日付だ。『おかえりなさい』と色ペンで書かれたその写真は、青音を中心として黒斗や彼女の両親と思われる人物、それからユエも知るクラスメイトの面々が此方に笑顔を向けている。背景に写っているのは、病院らしい名前の掲げられた、白い壁の建物だった。


――青音が、病院に?


 あのように元気な姿を見せている青音が、つい最近まで病院に行くようなことになっていたのだろうか。むしろ入院していたのだろうか。そのことは中心に写る彼女と、『おかえりなさい』の文字から推測された。だが、彼女からも黒斗からも、それらしいことは聞いた覚えがない。


「どういうことなんだ?」


 入院していたとしても、それがユエ達に隠さなければならないこととは思えない。言い忘れているだけの可能性もあったが、ユエにはどうにも引っ掛かる気がした。何が引っ掛かっているのかは、彼自身よくわかっていない。ただ、今にして思えば、あの二人は最初から何処か変だった。普通、目の前で魔法を見たからといって、自分達の世界ではあり得ないことを簡単に信じるだろうか。もしユエが二人の立場であったならば、絶対に信じようとしないだろう。

 少し変わっているとは思っていたが、今になってそれは不信感へと変化した。思い過ごしであればいいが……。

 暫く考え込んでいたユエは、玄関のドアが開く音に我に返る。慌てて廊下に出ると、買い物袋を手にした黒斗と青音、そしてルイが帰ってきていた。


「遅くなってごめんねー、直ぐに晩ご飯作るから!」


 申し訳なさそうに微笑んで、青音は買い物袋を持って黒斗と共に台所に向かっていった。ルイは何やら小さな紙袋を片手に、ユエの元へと歩み寄ってくる。彼女は紙袋の中を漁って、一体何かと疑問に思う彼に、髪留めやネックレスといった雑貨を見せた。似合う物を青音に選んでもらったのだと、ルイは嬉しそうに語った。普段笑みを見せることの少ない彼女だが、青音との買い物は余程楽しかったのだろう。珍しく笑顔で話していた。

 彼女の話を聞いている内に、ユエはすっかり毒気を抜かれてしまった。彼女がこれだけ嬉しそうにしているのに、青音に不信感を抱くのはどうなのかと思い直す。

 夕食の席で、屈託のない笑顔を向けてくる青音と、少々ぶっきらぼうな態度の黒斗に、いつもと変わった様子はない。ユエは少しでも彼らのことを疑わしく思ったことを申し訳なく思った。

 それでも、彼女の写真のことは誰かに聞こうと考えていた。


 * * *


 後日、ユエは学校で、青音のことをよく知るクラスメイトに声を掛けた。どうやら、青音とは中学時代からの顔馴染みらしい。あの写真にも写っている人物だった。


「ああ、あれ? 彼女が退院するって聞いて、皆で駆け付けた時の写真だよ」


 その言葉で、ユエは確信を得た。やはり青音はつい最近まで入院していたのだ。だが、一体どういう理由でそんなことになっていたのだろう。ユエが問い掛ける前に、クラスメイトが説明してくれた。

 ことの始まりは一か月前。学校からの帰り道で、青音は交通事故に遭ったのだ。横断歩道を歩いていた所を、信号無視してきた車に撥ねられたのだという。その場には黒斗もいたのだが、青音に庇われ、彼は軽症で済んだそうだ。しかし撥ねられた青音は重傷で、暫く意識不明の状態が続いた。黒斗が毎日彼女の元に訪れていたがなかなか意識が戻らず、退院する数日前にやっと目を覚ましたらしい。

 そんな状態でいたのであれば、目が覚めて数日で退院出来るとはユエには到底思えなかった。だが、事実として彼女は数日間のリハビリだけで完治し、無事に退院した。医者も家族も、誰もが不思議に思ってはいたが、それも一つの奇跡だろうと今でも皆が考えている。どうやら青音自身もそう考えているようだ。

 話をしてくれたクラスメイトと別れ、ユエは自分の席に座って聞いたことを頭の中で整理する。青音について得られた情報は、再び彼に不信感を抱かせた。あっという間に完治したというのは、どう考えてもおかしいのだ。普通の人間であるはずの彼女に、それだけの治癒能力があるはずがない。彼女が本当に、『普通の人間』であればだが。

 そこまで考えて、ユエの頭に二つの仮説が浮かんだ。一つは、彼女が『普通の人間でない何か』かもしれないこと。そしてもう一つは、何者かが彼女の傷を治したのではないか、である。疑わしい人物に、ユエには何人か心当たりがあった。

 一人目は、青音とずっと共にいた黒斗だ。ユエが彼から魔力などを特別感じたことはないが、もし彼が感知出来ない弱さながらも何かしらの治癒魔法、あるいはその能力を持っていたとしたら、青音のケガが早く治ったことを説明出来る。他の疑わしい人物についても同様のことが言えるだろう。

 他に怪しい人物を挙げるとすると、今も五つの世界の何処かにいるであろうルシファー、それから中央界以外でまだ会ったことはない上、攻撃以外の魔法はまだ見たことがないが、ちょっとした治癒魔法程度ならば心得ているかもしれないDユエだ。ルシファーに至っては、治癒魔法ではなく、自らの羽根を与えることで眷属となることと引き換えに彼女を助けた可能性もある。例え堕天していたとしても、天使の身体の一部を体内に入れれば、人間を超越した力が手に入る。高い治癒能力を始めとした天使と同じ力、長寿、あるいは不老不死の肉体。その力を受け入れることさえ出来れば、人間でもほぼ天使と同じ存在になれるのだ。

 だが、もしその二人のどちらかが青音を助けたのだとしたら、ユエにはその理由がわからなかった。青音の傷を治すことで、二人には一体何の得があるのだろうか。全く想像が出来ない。単純に青音の命が助かることで得をする人間は、黒斗や彼女の家族、そして彼女の友人ぐらいだろう。そうすると、彼女と交友関係のある人物は皆怪しくなってくる。

 悶々としているユエは、その肩を後ろから軽く叩かれたことで意識を現実に戻す。叩かれた肩越しに後ろを見ると、ルイが心配そうな顔を向けていた。


「ユエ、ずっと考えごとをしているみたいだが……何かあったのか?」


「あ、いや、何でもないよ」


 愛想笑いでそう返すと、ルイは少し悲しそうな表情を浮かべていたが、それ以上は何も言ってこなかった。ユエの答えに納得してはいないのだろう。しかし、聞いても話してもらえないとわかっていた為に、彼女は問うことをやめた。

 ユエの良心は痛んだが、今は何も話せなかった。確信がない内に変なことを言って、彼女を悩ませる訳にもいかない。

 そっと視線を青音に向けると、彼女は特に変わった様子もなくクラスメイトや黒斗と話していた。どう見ても、彼女におかしな点はない。しかし、あの驚異の回復を見せた事実を聞いてしまっては、勘違いで済ます訳にはいかないとユエは思っていた。


――あー、もう、今日はいいや。考えるのも疲れた。


 青音についてこれ以上考えていても仕方ないと思い、もう少し情報が入るまでこのことは一旦置いておくことにする。

 溜息を零しながら、彼は携帯を取り出した。最近のニュースのテロップが画面の下の方に流れている。暇つぶしにそれを眺めていると、気になる一文が彼の目に飛び込んできた。『謎の巨大な鳥が現れた』という内容のニュースだった。気になって検索してみると、多くの目撃情報と共にその概要が紹介されていた。夜になると現れる、人と変わらぬ大きさの巨大な鳥が、最近になって目撃されるようになったという。しかも、この学校の近辺でよく見掛けられるらしい。一緒に掲載されていた写真には、小さくだが確かに鳥に似た黒い影が写っている。


――まさか、これ……。


 嫌な予感がした。もしユエの仮説が正しければ、この写真の巨大な鳥の正体はルシファー、または彼の力を手に入れたかもしれない青音だ。

 もっと詳しい情報はないかと調べていると、写真に対する書き込みの中に妙なコメントを見付けた。誰が書いたのかはわからないが、『この鳥を捕まえてみないか』というものだった。よく見ると、それに乗った者のコメントも多数見受けられる。


――もしかすると、青音のことは俺が思っているより、大ごとになっているのかもしれない。


 ユエは密かに冷や汗を流していた。


 * * *


 いつも通り寄った青音の家からの帰り際、黒斗は携帯でメールやニュースを見ながら、街灯で照らされた道を歩いていた。頭の片隅では、今日はユエの様子が何処か辺だったと考えていた。


「……またこのニュースか」


 思わず呟いてしまったのは、ユエが昼間見ていたのと同じニュースが目に入ったからだった。黒斗が覚えている限り、十数日前からこのニュースは度々報道されている。オカルト専門の学者や報道陣の勝手な解釈の並ぶ画面にうんざりして、彼は携帯を仕舞った。


「巨大な鳥、ねぇ。やらせのような気がするんだけどな」


 顔を上げてすっかり暗くなってしまった空を見るが、よくいるスズメしか飛んでいない。報道されているような巨大な鳥が、本当にこの辺で目撃されているのか、黒斗は疑わしいと思っていた。

 ふと、彼は不思議な羽音を耳にする。最初はスズメではないかと思ったが、よく聞いてみると違った。その辺の鳥とは思えない力強い羽音、そうでありながら確かに鳥と思われる羽音だった。

 周りを確認してみると、今までいたはずのスズメが一羽もいなくなっていた。次の瞬間、建ち並ぶ家々の上を、巨大な鳥が過ぎ去った。否、黒斗の目に映ったのは鳥ではなかった。本当に一瞬であったが、彼は確かに見た。鳥とは違う大きな翼の生えた人間が飛び去っていったのを。そしてそれが、彼のよく知る人物――青音であったのを。


「青音!」


 幾つもの羽根が舞い落ちる中、思わずその名前を叫んで黒斗は走り出した。飛び去った彼女を、必死で追い掛ける。

 自分の後ろからゆっくりと走ってくる、一台の車の存在にも気付かぬまま。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ