鬼帝国編 4
後日、ユエとルイは国を出る為に、サリナに連れられて、国境の方に向かっていた。
「まさかこんな所で役に立つなんて思わなかったな」
物質界で使っていた、姿をより人間らしくする為のピアス。ユエ達はそれをすることで、自分達の特徴を変えた。勿論、服装は普段中央界で着ている物だが。
これなら周囲の目も、多少は誤魔化せるだろう。それに、いざとなったら全力で逃げるつもりだ。
しかし、油断は禁物である。周囲に注意を向けながら、ユエはそう考えていた。その注意は、衛兵達に対する物と、もう一つ――Dユエに対する物。
Dユエなら、やはり昨日の様に、不意打ちで来るだろう。ルイに知らせていない以上、彼女は自分で身を守ろうとしても、不意打ちでは手遅れになってしまう可能性がある。彼女に危険が及ぶことがないように、自分が目を光らせなければと、ユエは思っていた。
国境に着くと、やはり衛兵が其処に待っていた。検問所を構えている。ユエはルイを背に隠しながら、そっと近付いた。
衛兵はユエ達の方を少し見たが、特に声を掛けるようなことはしない。それに密かにほっと安堵の息を吐き、ユエはサリナに軽く会釈をする。サリナは片手を上げて挨拶を返す。ユエはそれを確認して、検問所を抜けようとした。
だが、何故かルイはユエに続かず、その場に立ち止まってしまった。どうしたのかと問い掛けるような視線を送ったユエは、彼のマントを掴むルイの手が震えていることに気付く。
「…どうしたの?」
ユエの問いには答えず、ルイはただ、口元を押さえて俯いていた。顔色が悪い。
大丈夫かと尋ねようとしたユエだったが、ふと、ルイが彼女の後ろに視線を送ったのに気付き、ユエも其方を見た。
しかし、其方の様子を確認する直前、ルイが急にしがみついて来たので、ユエは驚いて彼女に視線を移す。
「ユエ…出ない方が、いい」
「え?」
刹那――ユエ達二人を、幾人もの軍人が取り囲んだ。背後から感じる殺気に、ユエはルイを庇うように抱えながら振り返る。
軍人達が揃って携えていた物を、一斉に構える。ユエには、それに覚えがあった。
嘗て、物質界と中央界が分裂したばかりの頃――同じ物が二つの世界に存在していた頃の物の一つ。中央界からは消えてしまったが、物質界にはまだ残っていた。物質界で進んだ"科学"。それに於ける兵器の一つである、"銃"という物。
――まだ中央界に残っていたなんて…
ユエの頬を、冷たい汗が伝う。これを見たことで、彼は気付いていた。この国に来て思った、物質界に似た賑やかさ。もしや、それは物質界と同じ文化が残っているからではないかと。
ルイも同じことを感じていたのだろう。彼女は本能的に感じ取っていたのだ。今、自分達に向けられている物が、危険だということを。
やがて軍人達の後ろから、一人の少女が現れた。
「ユエ、あれは…」
「…エミル、だよね」
味方だったはずのエミルが、何故銃を向けて来るのか、ユエ達にはわからなかった。
「エミル、何しているの!」
サリナが半ば叫ぶように問い掛けると、エミルは淡々と答えた。彼女の目はただひたすら、空虚な光を湛えている。
「デヴィド様の命により、貴方達を捕縛し、城へ連れて行きます」
「…何で、お前がそんなことを?」
自分達の味方ではなかったのか、それとも――疑問に思うユエを余所に、軍人達は徐々に彼等に迫る。
サリナは彼等の方へ駆け寄ると、エミルを睨み付ける。
「エミル、今直ぐやめなさい。彼等は関係ないわ」
「関係があるからやっているのですわ」
サリナに吐き捨てると、エミルはすっと片手を上げた。同時に、軍人達が一斉にユエ達に襲い掛かる。
ユエは素早く長剣を抜き、近付いて来た軍人の銃を、次々に叩き落とした。相手にケガをさせないよう、気を使いながら。
どうも相手の様子がおかしいと、ユエは感じていた。相手には、一斉に襲って来たりと、軍人らしい計算された動きがない。まるで素人のような動きなのだ。そして、皆一様に、焦点の合わない目を向けている。
――そうか、これは…!
ユエは確信する。本気で敵意を向けている訳ではなく、軍人やエミルは皆――操られているのであると。そうなると、近くに術を掛けた者がいるはず。
ユエが周囲に怪しげな人影はないかルイに問うと、彼女は視線を四方に向けた後、ある一点を指差した。
城を取り囲む塀の上に、逆光に照らされた人影が見えた。よくは見えないが、恐らく男だろう。
「ルイ、彼処に攻撃を…」
「わかった」
ユエの指示に、ルイは頷き、両手の間に力を溜め始める。そして、閃光と共に、彼女の手から青い光線が放たれ、人影の方へと向かって行った。
と、人影はそれが直撃する寸前に、その場から飛び降りて避けてしまう。建物の陰に隠れてしまった為、ユエ達はそれ以上の対応を諦めた。今は、目の前のことが重要である。
術者がいなくなった為か、エミルを含む軍人は皆、武器を取り落として、暫し呆然としていた。
その隙を見て、ユエはルイの手を引き、今の内に国境を越えてしまおうと試みる。
軍人達の間をすり抜けた直後、突然、ユエが握っていたルイの手から、力が抜けた。慌ててユエが振り返ると、ルイはその場に倒れ込んでしまっていた。彼女の背後に立った軍人の一人が、手にした銃で、彼女を殴って気絶させたのだ。
「ルイ!」
抱き起こそうとルイに近付いたユエは、額に冷たい物が当てられたことに気付く。金属独特の冷たさに、それが銃であると悟った。
ユエがゆっくりと視線を上げると、エミルが銃を構え、蔑むような目つきで睨んでいた。彼女は片腕でルイを抱き上げると、背後に立った軍人の一人にルイを預け、ユエに銃を向けながら後退する。
エミルが少し距離を取った瞬間、ユエは素早く剣を抜き、彼女に斬り掛かった。
当然、単純な動きであるが故に見切られて避けられてしまうが、ユエは構わずエミルの横をすり抜け、ルイを抱えた軍人へと刃を向ける。
だが、サリナが「危ない!」と叫ぶと同時に、ユエは彼女に腕を引かれ、無理矢理離れさせられる。彼が文句を言おうとした瞬間、彼の足元で銃弾が爆ぜる。
驚いて立ち止まってしまったユエの手を引き、サリナはエミルに近付く。彼女が再び攻撃を加えようとする前に、サリナは素早くエミルの腹部を殴って気絶させると、彼女を抱えてそのまま去ろうとする。勿論、ユエも連れて。
「離してよ、ルイが…!」
「出直しなさい!今は分が悪いわ!」
なおもユエは嫌がるが、サリナに引かれるがまま、街の中へと向かう。追い掛けて来る軍人を撒く為に、彼等は近くの民家の倉庫へと逃げ込んだ。
「地下通路から逃げるわ。エミルを連れて行ってくれる?」
「……」
ユエは何も言えず、ただただ頷くだけだった。
サリナは近くに置かれていた大きな木箱の蓋を開け、ユエを手招く。彼が箱の中を覗くと、木箱に引っ掛けられた縄梯子が、箱の下へと伸びる穴の中に消えていた。
「…ルイは」
「明日、私達――革命軍は動くわ。城を占拠し、この国を変える。その為には、エミルの力も必要なのよ。操られている様子だったから、術は仲間の魔導師に解かせるわ。だから…彼女は、その時に。貴方も、協力してくれるわよね?」
ユエはしっかりと頷いた。ルイをこのままにしては置けないのだから。
だが、ユエは知らない。ルイが攫われた理由が、何であるのか。何故あの時、ユヱではなく彼女を先に攫うような真似をしたのか――