『太陽は全てのものを見、そしてあらわにする。然れど星は日光によりて見えず』
世界が突然変転するという事は、生きていく上で割り合いよくある事だ。特に俺は傭兵なんて稼業をやっているし、昨日の味方が今日の敵、なんて事もザラにあった。
だがこの状況は流石に今まで予想だにしなかった事態であるし、未だに実感が湧かない。
俺はまじまじと鏡を覗き込む。見返してくる褐色の肌と長い金髪に蒼と翠のオッドアイを持つ美少女の姿に、深々と溜め息が漏れ出るが、決して自分の姿にウットリする変態などではない。
これが自分の体でなければ、将来が楽しみな女の子だな、で終わらせられるんだが。何故この美少女が、今の俺の体なのか! 取り敢えず左右で目の色が違うからといっても、視力や聴力に異常が無いらしいというところは救いか。
裾の長い薄絹のドレスは首や胸元が覗いていて、ヒラヒラした長い飾り帯が腰のところで締められ、香油が塗り込まれたツヤツヤサラサラな髪には真珠の髪飾りが飾られ、額、首、手首、足首にもジャラジャラした宝飾品で飾り立てられ、手には指輪、足下は編み上げサンダル。
いったい今の俺の総額は幾らだ。傭兵で稼いでた年収、軽く越えてねえか?
これは屋内だからこんな軽装……あくまで服装の事な。着てる服の薄さだからな……らしいが、外に出るならば日除けの布で全身がっちりと身を守るように被らないと、日焼けを通り越して皮膚が火膨れを起こすらしい。
砂漠……ハンパねえ。
ずっと屋内で過ごしていても日中の気温はうだるほどで目眩を起こすし、夜は驚くほど冷え込んでガチガチ震えてくる。
もう一度言おう。
砂漠、ハンパねえ。しかしデルシャオード王国王太子宮の冷房・暖房設備は、もっとハンパねええええ!
砂漠ってさ、水が貴重な訳だ。それをじゃんじゃん吹き上げさせる噴水で、中庭付近の気温は昼間でもかなり下がってんだよ。室内に冷風を送り込む魔術とかいうのもかかってるし。
で、夜間は床下のパイプの中を、熱い熱風が通ってくとかで、全裸でも快適生活だ。
毎日大剣ぶん回して、酒と女と賭博を適度に楽しんで、宴会で盛りあがった時には「死ぬときゃ戦場か」なんてガハガハ笑ってた俺は今、デルシャオード王国のお姫様をやっています。
正しくは、笑い話じゃなくホントに戦死しちまった俺は生まれ変わって今度はお姫様になり、愛しの王子様の守護女神様にヤキモチ焼いた揚げ句に呪おうとして神様達から怒りを買い、前世の俺に体を乗っ取られる羽目になった。
彼女本人の自我は俺がこの体で目覚めた際、既にかき消したもしくは吹き飛ばしたとかで、もうホント、気が付けば俺がこの体に入ってた。
姫様本人は、前世の自我と存在を競って争う事を承知の上だったらしいが、結果的に俺が勝って目が覚めた訳で。
正直頭抱えたよ、ホント。
そりゃあ、生きたいと考えながら死んだ身の上だけどさ、生まれ変わった次の人生で、別の人格が生きてた体を乗っ取りたいって意味じゃねえんだよ。
この美少女姫様の名前はアンジェフェティナ・リダァーヌ・ディオール・デルシャオード……よし、無駄に長ったらしい名前、ようやく覚えたぞ。
前世の名前はザックス、つー覚えやすい名前だったのに、えらい違いだ。
とにかく、このアンジュ王女様のご乱心による一連の出来事は、愛しの王子様こと異母兄・ルク王太子殿下の胸に秘められる事となった。
これからどうしようか、って、俺もすっげー困って途方に暮れたさ、流石にな。
体を乗っ取った夜、俺が一晩中徹夜して呆然としてたら、一夜で心の整理を付けたルク王子様は翌朝、俺に色々と話をしてきた。
俺がどんな人間でどんな風に生きてきたのか、とか。このデルシャオードの特色は、とか。
だから俺も、一番気になってた事聞いてみた。
「ルク王子様は、妹を殺した俺が憎くはないのか?」
ってさ。
俺にとっちゃ不可抗力でも、王子様本人からしてみたら俺は憎むべき亡霊なんじゃねえのか?
そこんとこが理解出来なかったんだが、神々から祝福された血筋を守る王太子様は、俺みたいな凡人とは根本的に考え方が違う人間だった。
「神より授かりし試練は、我が王室の者ならば誰しもが覚悟しているもの。本来ならばアンジュは、女神の雷により一思いに消されるべきところを、慈悲深くも此度の試練を課して下さったのだ。
そして余への神罰は全てを見届け受け入れる事である故。仮にザックス殿を逆恨みするなどすれば、女神のご裁可に異を唱えるも同じ事。さすれば今度こそ余は、女神より見離されよう」
淡々と告げるルク王子様は、本当に俺に対して恨みつらみとか抱いてないようだった。
仕事柄、こういう勘にはそこそこ自信がある。殺気を察知するとか、誰が人の足を掬いに掛かってくるかの見極めはそれこそ死活問題、適度に冷たい殺伐さが背中合わせな暮らしだったからな。
俺のこれからの身の振り方をどうするかは、国王である父上も交えて相談したい、出来ればそれまではアンジュのフリをしていて欲しい……って頼まれて、ルク王子様が王様へ面会を申し込んで、乗っ取りの夜から数えて三日後の早朝、会談する事になった。
……住んでるところは別の宮とはいえ、実の親子なのに会いたいって申し出て、その日に会えないってのは理解出来ん。
で、それまで猶予を貰った俺は、バカンス体験とばかりに、お姫様生活に叩き込まれる事になった。
いきなりお姫様の中身がガサツな傭兵と入れ替わってたら、本人に成りすます事なんか到底不可能だとしか思えねえんだが、意外にも偽物じゃないかとか怪しまれる事も無く過ごせている。
デルシャオードではどちらかというと男が尊ばれて、女は男の後ろに控えてるもの、っていう習慣なんだな。
でもってアンジュ王女って、性格はかなり控え目な上に、幼少期から実母を見限って異母兄にべったりで、七歳から王太子宮にずっと引きこもってたから、十四歳になる現在、接触があったり、アンジュ王女の人柄をよく知る人間ってかなり少ないんだよ。
どうも、王太子の宮に入ったって事は、周囲からは実質的にルク王子様と結婚したと見做されて、本人も王女として表舞台には立ちたがらなかったらしい。
兄妹が七歳で同じおうちで暮らし始めたら婚姻扱いって、ここの王族の常識は分からん!
と、とにかくだ。
アンジュ王女付きの侍女に疑われさえしなけりゃ良い、って事で、ルク王子様は乗っ取りの翌日の昼、一計を案じた。
ガターンッ! バタバタ! ドガッ!
「ええい、アンジュ、いい加減にせぬか!」
「嫌だったらいーやーだー」
迫真に迫った怒声を上げるルク王子様と、棒読みの俺。
昨夜から王太子様と王女様は2人仲良くぐっすりとお休みで、お世話をしてくれている小間使いの人達は、主人達は本日、寝室から出て来ないものと思われていたようで、突如室内で始まった争う物音に、慌てたようにドアの前で複数の足音がする。
「……ザックス殿。もう少し、自然に振る舞って頂きたいのだが……」
「俺に演技とか期待するな」
「ならば、素のままでお話下されよ」
「……本気か?」
「無論」
でっかい寝台の上でボソボソと打ち合わせる俺達。
その間にも、寝室の部屋の前には人が集まってきたのか、控え目にドアがノックされた。
「いかがなされましたか、殿下?」
「なんでもねーよ、放っとけ!」
「は? あ、え……?」
ドアの向こう側からしたキビキビとした張りのある女性の声に、俺が普段通りの言葉遣いで怒鳴り返したら、彼女はよほど驚いたのか、戸惑ったように困惑した声を出す。
「構わぬ、入れ。
花瓶が割れた。アンジュが怪我をしては大事故、早急に片付けよ」
ルク王子様は威厳のある声で、入室を促す。
それを受けて、「失礼します」とドアを開けてしずしずと入ってくる揃いの服を身に纏った3人の女性達。彼女らが侍女さん達なのだろう。
俺は薄い寝間着姿で胡座をかいた体勢のまま寝台の上でそっぽを向き、彼女らの驚愕の眼差しを黙殺。
「アンジュ、そなたが常日頃から辛抱強く耐えておるのは余とて承知しておる。
じゃが、そなたはデルシャオードの第一王女。相応の振る舞いがあろう」
少し距離を置いて寝台に座っていたルク王子様はわざとらしく溜め息を吐いて、窘めるような言葉を吐きつつ立ち上がり、俺の前に立った。
「そなたが元来の質を抑え、本心を控えた振る舞いに気鬱を覚えておる姿、余とて胸が痛まぬ筈が無い」
「なら兄貴……」
「兄貴ではなく、兄上と呼べと、幾度も言っておろう」
割れた花瓶を片付けつつ、侍女のお姉ちゃん達の眼差しはチラチラとこちらへと向けられてくる。
やっぱ本来のアンジュ王女って、普段こんなんじゃねえんだな。当たり前だけど。
だけども、ここの宮の主であるルク王子様が、このガサツな態度の俺がさも『本来の性質』と言わんばかりに叱責してるもんで、お姉ちゃん達はびっくらこいて仕事に集中しにくいらしい。
「へぇへぇ、あーにーうーえー。
俺は堅苦しい暮らしはウンザリなんだ。『毎日お姫様らしく』なんて、ガチガチな暮らしはもう嫌だかんな!
止めるったら止める!」
俺と向き合ってるもんで、侍女さん達からは背中を向けているルク王子様は、ビミョーな表情。中身は別人だって分かってても、昨日までの愛しの妹ちゃんとは全く違う言動に、なんか色々ショックらしい。
「……ようく分かった、アンジュよ。
そなたではそもそも、常に理想的な奥ゆかしい姫の演技をしながら暮らすなど、いずれ無理が生じていたであろうて。
余はもう、咎め立てたりなどせん。好きなように振る舞うが良い」
何か、長い事睨み合って如何にもルク王子様がついに折れた! みたいな発言と共に、とっても疲れたように首を左右に振る。あんたは無駄に演技上手いな、王子様もといアニウエサマ。
「なら、外で素振りしたい、素振り!」
ハイハイ! と、手を挙げて元気に訴える俺に、
「好きにせよ……と、言いたいところであるが、外に出て素振りなどすれば熱中症で倒れる。
せめて、中庭の日陰で行うように」
「いよっしゃーっ!」
ルク王子様はやれやれと肩を竦め、俺は万歳をしてみせたのだ。
で、それからはもう、王太子宮はてんやわんやの大騒ぎに……なってたらしい。
女主人が、
「楽な服と木剣の用意宜しく~」
とか侍女さんに笑顔で言い放つのも前代未聞なら、主人である王太子様本人も、
「余はあれに些か苦行を強いすぎた。しばらくあれの望む通りにさせてやれ」
とか言いきっちゃって、噴水の傍らでぶんぶんと木剣で素振りをする俺を、笑顔で眺めていたりしたもんだから。
つまりあれだ。
性格の違いを隠そうとするんじゃなくて、滅茶苦茶明け透け大っぴらに示して、『今までは猫被ってたんです』って事にしておこう、って作戦らしい。
アンジュ王女の親しい人間相手にならあっさりとバレそうなもんだが、悲しい事にこのお姫様、特別親しい相手ってのがルク王子様しか居ないんだな……だからこそ思い詰めて、神様を呪うなんて凶行に及んだのかもしれないけど。
まあそんな訳で、俺は気軽に王太子宮で働いてる人達に話し掛けて何気なく名前聞き出したり、「こんなドレスは勘弁!」とか言って、なるべく動きやすくてヒラヒラキラキラしてない服を用意して貰ったりした。
あまりの変わりように、中には目を剥いて倒れた人まで居たらしい。
『王女らしさの欠片も無い。殿下が秘されていたのも当然か』なんて意見が趨勢を占めたとか。
……勝手にアンジュ王女の尊厳や評判を落としているが、彼女の体を引き継いだのが俺じゃあ、名誉を守り通してやるのは土台無理な話だ。
そんな訳で、王太子宮に勤める人々に多大な苦労と迷惑を振り撒きつつ、王様と面会する朝がやってきた。
周囲から「せめてこれだけは!」と押し切られた服や宝飾品で飾り立てられ、俺は鏡を見ながら溜め息を吐いていた訳だ。
「アンジュ、時間だ。参るぞ」
「はーい、兄上」
ドアの向こうから声を掛けられ、すっかり呼び慣れてきた呼称で返事を返す。
どうもルク王子様的に、アンジュとして振る舞うのならばこれだけは譲れない一線であるらしく、『ルク王子様』とか『兄貴』と呼ぶと、困った顔をする。
『兄上様』なんて仰々しい存在を戴くのは初めてで、何か変な感じだ。
デルシャオードの王の私室に、アニウエサマと一緒に足を踏み入れた俺は、思わず卓に着いている人物をマジマジと眺めてしまった。
いくらこの体の実の父親だろうが、王様なんて職業の人、お目にかかるのは初めてだし。
アンジュ王女とルク王子様も、異母とはいえ兄妹だけあってよく似てるけど、親父さんも褐色の肌に金髪かー。アニウエサマはお姫様と同じオッドアイだけど、王様は両方蒼なんだな。
「我が守護神と王太子より、仔細は聞き及んでおる。
此度の事、災難であったなザックス殿」
王様に向かって礼をしたルク王子様が挨拶をするより先に、片手を上げて遮った王様は、渋面でそう切り込んできた。
「いえ、俺は……」
この華奢な体で無一文で叩き出されたり、妹の仇として拷問にかけられたりしてない。それどころか、王太子宮でかなり美味い飯食わせて貰ってたんだから、俺自身はまあ、正直なとこあんまり深刻な災難だとは思ってなかった。
うん、王様と話す前、この時点まではな。
「ザックス殿。そなたには不本意であるかもしれぬが、その体がそなたのものとなった瞬間から、デルシャオード王室の役目を担い、背負う義務が生じておる」
掛けなさい、と勧められた王様の正面の椅子にルク王子様と並んで座ると、王様の口から重々しいお言葉が。
「そなたは最早、傭兵ザックスではなく、デルシャオード第一王女たるアンジェフェティナ・リダァーヌ・ディオール・デルシャオードなのだ。故に、自由に生きよと解放する事は出来ぬ。
余は王として、アンジェフェティナ王女に、祖国の為に生き、王家の一員としての役割を果たす事を求める」
……ちーっとばっかし面食らったが、まあなあ。王女様が急に人格変わったからって、ただ遊ばせておくだなんて、税金の無駄遣いだよな。『どっちでも良いから働け』ってのは、家長として当然の反応かもな。父親としてはどうなのかは分からんが。
「俺自身は単なる流れ者に過ぎねーんですが、そんな俺に王女様なんて務まりますかね?」
そもそも俺、男だし。
俺の言葉遣いはやっぱカルチャーショックだったのか、王様しばし絶句。
俺のお隣に座っているアニウエサマはだいぶ慣れてきたのか、慣れさせられてきたのか、達観した表情で無言のまま茶を啜っている。
「……初めから完璧なる王族など居らぬ。今後、王女に相応しき教養を身に着け、励むが良い」
「王様、励めって具体例としては何を?」
俺の発言に、やっぱり王様は調子が狂うらしく、こめかみを指先で揉んでいる。
これがあくまでも私的な対面であって、正式な謁見の間とかじゃないからこそ、俺、もしかして命拾いしてる?
「デルシャオード王族との間に姫を儲ける事、これは必ずしも王太子の子でなくとも構わぬ。
その外、政略結婚によって他国へ嫁ぐ、国内貴族への降嫁、国内に留まり臣下として王太子の治世を支える、どの未来となるかは、今後の情勢を鑑みて命ずる事となる」
「……王女様の大きな役割って、子供生産と政略結婚だと言わんばかり?」
「挙げた例は大まかなものに過ぎぬ。
アンジェフェティナ王女は今後、一年以内に十四年分の学習を身に着ける事を命ずる」
俺が王様の発言に唖然としている間に、面会時間は終了になった。王様はこの後、朝食会談の予定が入ってるらしい。
王様がさっさと次の予定に向かって行き、部屋に残された俺がルク王子様に向き直ると、彼は思案げに額に手を当てていた。
「……陛下はやはり、王としての務めを優先なされたようじゃ」
「って言うと?」
「余はザックス殿を、王宮から解放してやって欲しいと願い出た。だが、下された下命は聞いての通り」
「はあ……」
すっかり温くなった茶を啜り、俺は内心、展開についていけずに頭の中がぼんやりしていた。
親子しか居ない部屋の中でも、呼び方は『王太子』に『王女』に『陛下』……あれが親子の会話。
大事なのは血を残す事だとばかりに『子を産め』発言。
……アンジュ王女って、なんか可哀相だな。
俺みたいな野郎に体乗っ取られて、その死も『無かった事』にされて、父親からはまるで道具扱いだし。
「アンジュ、余はそなたに前世を完全に捨てろとは言わぬ。
しかし、今後はデルシャオードの王族として生きて欲しい」
……ああ、お姫様。あんたの大好きな『兄上様』からの唯一絶対の愛称ですら、今俺に奪われちまった。
「陛下の心中を汲んで差し上げてくれ」
王様の考えてる事なんか、俺には分かんねえ。
ただこれから先、俺は生きていきたいと思う限り、お姫様、あんたが享受するべきものを、清濁併せて全て引き受けなくちゃならねぇんだろう。
……取り敢えず目下の大問題として、十四年分のお勉強を一年で学べって……俺、ホントにそんな勝率も生存率も絶望的な戦場に、まるで丸腰状態で送り出されんのか?