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聖域から落ちた純白の王子、辺境の島で無骨な修理屋に拾われる〜息が詰まる無菌都市を捨て、泥まみれの愛を歌う〜  作者: 水凪しおん


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第9話「反逆の腸内オーケストラ」

 船体にあいた巨大な穴から、上空の飛行船から降り注ぐ白光が容赦なく差し込んでいた。

 床には装甲を焦がされた兵士たちが倒れ伏し、空気中にはまだ燃え残ったガスの熱気と金属の焼ける匂いが充満していた。

 俺はアルフレッドの手を握ったまま、崩れかけた壁の裏へと身を隠した。

 外からは次なる降下部隊の規則正しい足音が、土を削るような音を立てて接近してくるのがわかった。

 彼らは先ほどの爆発で痛手を負ったものの、その機械的な規律に揺らぎはなく、無言のまま包囲網を縮めてきていた。


「カイ、タンクのガスは……まだ残っているのか」


 アルフレッドが息を弾ませながら、俺の耳元で囁くように尋ねてきた。

 俺は首を横に振り、彼の汚れた頬についたすすを指先で拭った。


「いや、さっきのでほとんど使い切っちまった。配管の圧力はもう空っぽだ」


 彼らが次に強力な魔法による殲滅攻撃を仕掛けてくれば、ガラクタの城塞ごと俺たちは吹き飛ばされて灰になるだろう。

 俺は周囲の瓦礫を見渡し、起死回生の手段を探すが、圧倒的な物量と魔力の前にはどんな小細工も通用しそうになかった。

 俺の胸の奥で、じわじわと焦りが熱を帯びて広がっていった。


 『ここまでか』


 『いや、俺はともかく、こいつだけは』


 俺がアルフレッドを逃がすための退路を考え始めた時、彼は俺の手を強く握り返してきた。

 彼の指先は信じられないほど熱く、その細い身体からは目に見えない圧力が立ち昇っているように感じられた。


「私が……やる」


 アルフレッドは真っ直ぐに俺の目を見つめ、静かだが決意に満ちた声で告げた。

 俺は驚いて彼の顔を見つめ返した。


「お前がやるって、どうやって。お前は魔法の枷を外されたばかりで、攻撃の手段なんてないだろ」


 アルフレッドは自らの下腹部に両手を当て、深く、長い呼吸を繰り返した。


「聖域の魔法は、外界の不浄を完全に遮断するためのものだ。だが、その結界は内側から発生する圧倒的な不浄には耐えられない。私は……自分の内にあるものを、すべて解き放つ」


 彼が何を言おうとしているのか理解した瞬間、俺は目を見開いた。

 彼は自らの身体で発酵し続けている生々しい真実を、武器としてぶつけようとしているのだった。

 それはかつて彼が最も恐れ、最も忌み嫌っていた自分自身の隠された姿を、敵の眼前に晒すという究極の反逆だった。


「本気か。奴らの前でそれをやれば、お前はもう二度と綺麗で完璧な王子には戻れないぞ」


 俺が問うと、彼はふっと口角を上げ、泥にまみれた顔でこの世の何よりも美しい笑顔を見せた。


「完璧な王子など、もう死んだ。私は今、君と同じ泥まみれの人間だ。私の腹の底の声を、彼らに聞かせてやる」


 アルフレッドは俺の腕の中から抜け出し、崩れた壁の隙間から敵の群れが迫る開けた場所へと歩み出た。

 純白の装甲兵たちは一斉に立ち止まり、彼に武器の先端を向けた。

 彼らはアルフレッドの顔を確認したはずだが、その姿があまりにも薄汚れているため、一瞬の戸惑いが動きに生じた。


「アルフレッド殿下。直ちに投降し、浄化の儀式をお受けください」


 合成された冷たい声が響いた。

 アルフレッドは彼らの言葉を鼻で笑うように無視し、両足を肩幅に開いて大地をしっかりと踏みしめた。

 彼は深く息を吸い込み、自らの意識を下腹部の奥深くへと集中させた。

 昨日から彼の中で活発に動き始めた腸は、摂取した食物を分解し、膨大な量のガスを蓄積していた。

 彼はそのすべての圧力を一点に集め、自らの意思で出口へと押し出していった。

 彼の身体が前傾し、顔は極限の集中によって赤く染まり、額には太い血管が浮き出ていた。

 兵士たちが異変を察知し、武器の光を強く輝かせたその瞬間だった。


 ブォォォォォンッ!! 


 空気を引き裂くような、図太く低い破裂音がアルフレッドの足元から爆発的に鳴り響いた。

 それは一瞬の音ではなく、腹の底から湧き上がるように長く、重く、連続して響き渡る巨大な管楽器の怒号のような、生命の雄叫びだった。

 地面の埃が振動で跳ね上がり、目に見えない衝撃波が前方に向かって扇状に広がっていった。

 同時に、濃厚なメタンと発酵の入り交じった強烈な匂いが、熱風となって兵士たちの隊列を直撃した。

 物理的な攻撃ではない。

 それは彼らの価値観そのものを破壊する、絶対的な不浄の奔流だった。

 兵士たちの装甲の表面に展開されていた魔法の障壁が、内側からの概念的な汚染に耐えきれず、ガラスが砕けるような音を立てて次々と崩壊していった。

 無臭と無音の世界で生きてきた彼らの精神は、この生々しい生命の暴力的な排気音と匂いを処理することができなかった。

 兵士たちは武器を取り落とし、仮面の上から自らの鼻と耳を塞ぐようにして地面に転げ回った。


「ひぃっ、あ……不浄が……匂いが……っ」


 統制の取れていた彼らの動きは完全に崩壊し、狂乱したように互いを押し除けて後退を始めた。

 アルフレッドはそのまま放屁の音を途切れさせることなく、自らの内にあるすべての空気を大気へと解き放ち続けた。

 その音は恥辱の象徴から、世界を震わすガス状のレクイエムへと昇華し、空を覆う巨大な飛行船の腹にまで響き渡っているように感じられた。

 彼の身体は激しい放出の反動で震えており、膝が折れそうになるのを必死に堪えていた。

 俺は瓦礫の陰から飛び出し、彼の背中をしっかりと抱き止めた。

 彼の背中は汗でぐっしょりと濡れており、すべての圧力を出し切った虚脱感に身体の力が抜け切っていた。


「やったな、最高のシンフォニーだったぜ」


 俺が耳元で叫ぶと、アルフレッドは荒い息を吐きながら、俺の腕の中で力なく笑った。

 彼の腹の音は完全に止まり、そこにはただ、生き抜いた人間の熱い呼吸だけが残っていた。

 敵の部隊は完全に戦意を喪失し、不浄の恐怖に怯えながら退却を始めていた。

 上空の飛行船もまた、地上の汚染が広がることを恐れたのか、ゆっくりと高度を上げて雲の向こうへと姿を消していった。

 社会の規範を粉砕し、虚飾の軍勢を打ち払ったのは、彼が最も隠したかった泥臭い真実の力だった。

 俺はアルフレッドの身体を支えながら、静寂を取り戻した空を見上げた。

 そこにはもう白く冷たい光はなく、いつもの灰色の雲の隙間から、柔らかな太陽の光が俺たちの汚れた顔を温かく照らし出していた。

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