第3話「ガラクタの城塞とメタンの夜」
窓の外では完全に日が落ちており、隙間風が船体の鉄板を震わせる低い音が夜の静寂を際立たせていた。
バイオガスランプの炎が揺らぐたびに、積み上げられたガラクタの影が壁に長く伸びては縮む。
アルフレッドと名乗った青年は、ベッドの上に身体を起こし、膝を抱えるようにして座っていた。
純白だった彼の衣服はすっかりシワだらけになり、泥と油、そして自らの身体から滲み出た汗によって薄汚れている。
もはや聖域の第一王子としての完璧な姿はどこにもなく、そこにはただ怯えと戸惑いを抱えた一人の等身大の人間がいた。
俺は錆びたドラム缶を加工したストーブの上に小鍋を乗せ、手際よく木べらで中身をかき混ぜている。
鍋の中では島で採れた根菜と保存肉を煮込んだスープが音を立てており、湯気と共に強い香辛料と獣脂の匂いが部屋中に充満していた。
アルフレッドはその強烈な匂いに何度か顔をしかめたが、同時に彼の腹の虫が自己主張するように小さく鳴り響くのを止めることはできなかった。
「ほら、食える時に食っとけ」
俺は凹みのある金属の器にスープをたっぷりと注ぎ、アルフレッドの目の前に差し出した。
熱い器を受け取ったアルフレッドの指先は微かに震えており、立ち上る湯気を前にしてどうしていいかわからないというように視線を泳がせている。
聖域では食事すらも無味無臭の魔力カプセルで済ませ、消化や排泄というプロセスを完全に排除しているのだと彼は語った。
自分の口で固形物を噛み砕き、胃腸で消化するという行為自体が、彼にとっては未知の恐怖であり、同時に抗いがたい誘惑でもあったのだろう。
「私は……こんな不浄なものを身体に入れるわけにはいかない。私は、完璧でなければならないのだ」
アルフレッドは震える声でそう言い訳を口にしたが、器を持つ手は決してスープを遠ざけようとはしなかった。
俺は自分の分のスープを木のスプーンで掬い、音を立てて啜り込んでから彼を真っ直ぐに見据えた。
「完璧ってなんだ。息を止めて、腹の底の声も出さずに、ただの綺麗な作り物として生きることか」
俺の言葉は荒っぽかったが、その奥には確かな熱があった。
俺は立ち上がり、部屋の隅にあるガラクタの山から、ボロボロになった一冊の古い雑誌を引っ張り出してきた。
それは俺が前世の記憶と共にこの世界に持ち込んだ、色褪せた写真が載っている古い週刊誌の切れ端だった。
俺はページを開いて、アルフレッドの膝の上に乱暴に放り投げた。
そこに印刷されていたのは、泥だらけになって笑い合う子供たちや、汗水流して働く大人たちの姿だった。
「見ろよ。こいつらはみんな、腹の中にガスを抱えて、汗をかいて、汚物を出して生きてる。隠さなきゃ愛されないなんて、そんな息苦しい世界の方がどうかしてるんだよ」
アルフレッドは雑誌のページに視線を落とし、そこに写る人々の飾らない笑顔に目を奪われたようだ。
聖域の冷ややかな美しさとは違う、体温を持った生々しい生命の輝きがそこにはあった。
彼は自らの腹部にそっと手を当てた。
先ほどの強烈な排泄の感覚は、彼にとって最大の恥辱であったはずだ。
しかし、その恥辱を通り抜けた後に残ったのは、絶望ではなく、胸の奥から湧き上がるような生への執着だったに違いない。
『こんなにも、身体が軽いなんて』
アルフレッドの表情は、そう物語っていた。
アルフレッドの瞳から再び涙が溢れ、今度は隠すこともなく頬を濡らして落ちていく。
彼は決意を固めたように器を持ち上げ、木のスプーンで不格好にスープを掬って口へと運んだ。
香辛料の刺激と肉の旨味が舌を打ち、熱い液体が喉から胃へと流れ落ちていく感覚がはっきりと伝わってくる。
初めて味わう生命の味に、アルフレッドの表情から硬い緊張が抜け落ち、子供のような無防備な顔つきへと変わっていった。
彼は声を出して泣きながら、何度も何度もスープを口に運び続けた。
俺は何も言わず、ただストーブの火をいじりながら、アルフレッドが自らの内なる声を受け入れる過程を静かに見守っていた。
窓の外から吹き込む風は相変わらず発酵の匂いを運んでくるが、アルフレッドにとってそれはもはや忌避すべき不浄の匂いではなくなっていたはずだ。
ガラクタで築き上げられたこの城塞の中で、二人の間には言葉を持たない奇妙な連帯感が生まれつつある。
それは社会の規範を粉砕し、隠匿されたタブーを叩き割った者だけが共有できる、究極の肯定の形だった。
ストーブの火の粉が爆ぜる音と、アルフレッドの微かな啜り泣きだけが、メタンの匂いに満ちた夜の空間に静かに溶けていった。




