番外編「君の黄色の残像」
新しい発酵タンクの内部で生命の分解活動が始まり、かすかな震動が床を伝わってくるようになった頃のことだ。
夕暮れ時の薄暗い船内で、俺は修復したばかりの蓄音機のぜんまいを巻き上げていた。
アルフレッドは部屋の隅にあるガラクタの山に身をかがめ、何かを熱心に探し回っていた。
俺が初めて彼にこの世界の泥臭い真実を教えた時に見せた、あの色褪せた雑誌の切れ端の山だった。
紙の擦れる乾いた音がしばらく続いた後、彼が小さく弾んだ声を上げた。
「あった。この色だ」
彼が手にしていたのは、黄ばんだ紙片の束だった。
そこには、前世の異国の祭りで、色鮮やかな黄色のドレスを着て踊る人々の姿が粗い印刷で残されていた。
彼はその紙片を大切そうに胸に抱え、俺の元へと小走りで近づいてきた。
「カイ、私はこの布の切れ端で、同じような色を作ってみたい。あの夜、私たちが初めて手を取って踊った時のように、今度はこの色を纏ってみたいのだ」
彼の翡翠色の瞳は、新しい遊びを見つけた子供のように純粋な光を放っていた。
俺は彼の手にある紙片を見下ろし、それから部屋の隅に積まれた使い古しの防護布の山へと視線を移した。
もとは灰白色だったその布は、油汚れと泥ですっかり薄汚れていた。
これを鮮やかな黄色に染めるには、島に自生する特定の植物の根を煮出す必要があった。
「手間がかかるぞ。根っこを掘り起こして、泥を落として、すり鉢で細かくすりつぶさなきゃならない」
俺がそう言うと、彼は迷うことなく力強く頷いた。
「やる。私の手で、あの黄色の残像を現実のものにしてみたいのだ」
翌日の朝から、俺たちは島の岩肌に張り付くように生える硬い植物の根を掘り起こす作業にかかった。
先端が欠けた金属の棒を地面に突き立て、体重をかけて岩の隙間をこじ開けた。
アルフレッドも泥だらけになりながら、自らの爪を黒く汚して根を引き抜いていった。
集めた根を船に持ち帰り、表面の泥を粗い布でこすり落とすと、強い土の匂いと青臭い植物の香りが鼻腔を刺激した。
石のすり鉢に細かく刻んだ根を入れ、重いすりこぎで何度も何度も叩き潰していった。
植物の繊維が断ち切られる鈍い音と、黄色い汁が滲み出して石の表面を染めていく様子を、アルフレッドは息を詰めて見つめていた。
彼の額には汗が浮かび、肩で息をするほど疲労しているはずだが、その手は決して止まることがなかった。
砕いた根を湯の沸いた鍋に放り込むと、一気に独特の渋みのある匂いが蒸気と共に立ち昇った。
湯の色が徐々に深い黄色へと変化していくのを確認し、そこに丁寧に洗った防護布を沈めた。
布が染料を吸い込み、くすんだ灰色から鮮やかな山吹色へと生まれ変わっていく過程は、魔法の存在しないこの世界における小さな奇跡のようだった。
数日後、乾燥させたその布を、アルフレッドは自らの手で不器用な形に縫い合わせ始めた。
太い針と麻の糸を使い、何度も指先を刺して微かな血のにじみを作りながらも、彼は誰の助けも借りずにその布を衣服の形に仕立て上げていった。
『随分と不格好なドレスができそうだな』
俺はその作業を口出しせずに見守りながら、彼の内側にある強烈な自己表現の欲求が、確かな形を持って具現化していくのを感じていた。
そして、月明かりが天窓から差し込む夜がやってきた。
俺は修復した蓄音機の針を落とし、かすれがちな弦楽器の旋律を部屋の中に響かせた。
暗がりからゆっくりと姿を現したアルフレッドは、自らの手で縫い上げた黄色の布を身に纏っていた。
裾は不揃いで、縫い目はあちこちでつれていた。
聖域の仕立て職人が見れば失神するような代物だが、彼が動くたびに黄色い布が夜気を孕んで揺れる様は、どんな高価な絹織物よりも生々しい生命力を放っていた。
彼は素足のまま床を踏みしめ、蓄音機のリズムに合わせて身体を揺らし始めた。
布が擦れ合う音が音楽のノイズに混じり、彼の足の裏が鉄板を叩く音が独自の打楽器のような響きを生み出した。
俺は壁に背中を預け、腕を組んで彼のステップを見つめた。
最初の夜のようにおぼつかない動きではなく、彼は自らの体重移動と関節の曲がり具合を完全に把握し、重力を味方につけるようにして空間を旋回していった。
大きく足を振り上げた瞬間、彼の下腹部から空気を押し出すような短くはっきりとした音が鳴った。
彼は動きを止めることなく、むしろその音を音楽の一部として楽しむかのように、口角を上げて俺に向かって鮮やかに笑ってみせた。
放たれたかすかな発酵の匂いが俺の鼻腔に届き、彼が身体の内側から外側まで、何一つ隠すことなく俺にすべてを晒しているのだという事実を伝えてきた。
俺は壁から離れ、彼に向かって両手を広げた。
アルフレッドは俺の胸の中に飛び込むようにして足を踏み出し、俺たちは強く手を繋ぎ合って狭い部屋の中を力強く旋回し始めた。
互いの呼吸が荒くなり、汗の匂いが混ざり合い、布の擦れる音と不規則な腹の音が奇妙な調和を生み出していった。
不格好な黄色のドレスは、羞恥という名の虚飾を完全に脱ぎ捨てた彼にとって、最も純粋な真実の衣装だった。
俺たちは息が切れるまで踊り続け、やがて床に倒れ込んで声を上げて笑い合った。
月明かりに照らされた彼の横顔は、泥と汗にまみれながらも、この世界のどの星よりも強く、温かく輝いていた。




