03 異世界でも働きたくないでござる
異世界に転移してから、ようやく街に入り、宿を取り、初めて「自分の場所」を手に入れた実感がある。けれど、ここはあくまで仮の場所。今日の宿代は払えたが、ここから先はどうする?
「戦闘スキル、なし。魔法もない。護身用にナイフは買ったけど……インドアオタクに肉弾戦ができるかっていったらまぁ、お察し」
この世界がどれだけ物騒な場所かはまだ分からない。だが、自分が脆弱な存在であることだけははっきりしていた。無理して冒険者になっても、最悪命を落とす。そんな選択肢は最初から捨てるべきだ。
「生きていくためには、お金が必要」
私には残念ながら、この世界の労働環境で遜色なく働ける自信も戦闘力もない。
でも──他にない唯一の武器がある。
間違いなくチートなこのスキルがある以上、それを活かして生きるのが一番簡単で確実だ。
問題は、何を売るか。
私はベッドに寝転んで、通販でメモ帳とボールペンを買った。
「食品……は、ナシかな」
口で却下しながら、買ったばかりのまっさらなメモ帳にボールペンで書き付ける。
市場で食べ歩きした限りでは、この世界の人と大きく味覚が離れていることもなさそうだった。保存食やインスタント食品なんかは、確かに便利で需要もありそう。
でも、原材料や調理法の説明を求められたら困る。現代と似たような食材も見かけたが、大半は見たこともない異世界産の食材だった。現地で再現ができない味は不信感を招くかもしれない。
「便利グッズもダメだな」
文房具、電池式のライト、生活雑貨、……あれもこれも便利だけど、あまりに異質すぎる。
食料品と同じく、素材や製法を誤魔化すのが面倒臭そう。それに現地の技術水準から飛び抜けた品を無闇に広めては技術的な混乱を招いたり、どこかの勢力に目をつけられる可能性もある。これから先、あるいは今まさに開発を頑張っている人の手柄を奪うことになるのも罪悪感がある。
生きていくためにはお金が必要だ。ネットが使えるとなれば、出来れば贅沢ができるくらいに欲しい。だが、あまり目立つことはしたくない。
お金を稼ぐのが第一、あるいは地位や名誉が欲しければ王城にでも乗り込んで営業をかければ済むが、そんなことはない。
お金を稼ぐためには物珍しいものを売るのが一番だが、珍し過ぎては目立ち過ぎる。何事も程々が一番。できれば既にこの世界にあるジャンルで、かつ未だ存在していない分類、みたいなのが良いが。
「う〜ん、先に販売形態を考えるべきかな」
果たして自分に向いた業務形態とはどういった形なのか。
食品、グッズと書いた箇所から少し下げて、露店、屋台、店舗と今日見たお店の形態を書き連ねた。
オーソドックスにいくなら、露店や屋台から始めて、稼ぎが安定してきたら店舗を構える、というのが定番なのだろうが……。
「店舗、店舗かぁ……」
この宿の雰囲気が良いのは否定しないが、やはり宿暮らしというのは不安がある。せめて借家でいいので"自分の家"というものが欲しいのは確かだ。
店舗を構える、というのは確かに魅力的に思う。自分だけの拠点を持ち、安定した売上が見込める固定客を相手にできるのなら、異世界での生活も随分と楽になるだろう。住居を兼ねた構えにしてしまえば、宿代もかからない。通勤も必要ないし、安全面もコントロールしやすい。
そういう意味では、店舗というのは確かに目標としては見合っていると思う。
けれど、それにはひとつ、どうしても避けて通れない問題があった。
仕入れ、である。
この計画は、商品をスキルで購入することを前提にしている。この世界のどこにも存在しない、現代日本の製品だ。当然ながら仕入れルートなんて存在しない。
しかし、日本の製品が人気になればなるほど、「仕入れ先」を意識する者は増えるだろう。初めは同業の商人から、果ては客自身まで。
疑問に思うのが悪意ある相手とは限らない。仕入れルートは企業機密です、で大抵は通用するだろう。
が、下手をすれば、商品の出所を探るために裏で画策する勢力もあるかもしれない。そこで私が全然街から出ないとか、荷物の搬入が商品数に見合わないとか気付かれたら……どう挽回すればいいか、ちょっと思いつかない。
もちろん、フェイクを用意するという手もある。
たとえば、別の街に仕入れ先があることにして定期的に出かけたり、間に立つ“仕入れ担当”という存在を用意しておくことで、表向きの帳尻を合わせる。
が、そのフェイク担当者を演じてくれる第三者が、今の私にはいない。
信頼できて、秘密を守ってくれて、演技も上手で、その辺でうろうろしては定期的に戻ってきてくれる協力者。そんな都合のいい人材を、転移直後の見知らぬ土地で確保できるかといえば……無理。完全に無理。
「……そもそも私、店舗経営するほどしっかり働きたいのか……?」
ここで、ふと立ち止まる。
……たぶん、答えは否だ。
地に足をつけて商売をし、毎日決まった時間に開店し、接客して、帳簿をつけて、在庫を管理して……って、そんなきっちりした生活、やる気になればできなくはない。一応、社会人として労働はしていた身だし。
でも、わざわざ異世界に転移してまで、それをやるべきか? やりたいのか?
「う~ん……やりたくない」
気づけば、声に出ていた。
働きたくない。人間関係って面倒臭い。毎日遊んで暮らしたい。5兆円(非課税)欲しい。アニメ見て漫画読んで生きていきたい。
それが叶わないから、仕方なく働いていた。生きていくために必要最低限。オタ活するために必要な分。
この世界でも、できればそうしたい。幸い、謎ウィンドウのおかげで配信サイトや電子書籍サービスも使えそうなのだ。
自由に、気楽に、現代の娯楽を貪りながらのんべんだらりと生きていきたい。
それができる面白いスキルを手に入れたんだ。なんなら、できるだけ頑張らずに生きるための“チート”としてこのスキルを使いたい。
好きなタイミングで物を売り、稼ぎ、あとはひとりでひっそり隠れて暮らす。そういう生き方のほうが、ずっと自分には向いていると思う。
「じゃあ……店舗ナシでやる方法を考えよう」
少しだけ方向転換する。大きな資本や人手がなくても、現地に深く根を下ろさずに済むやり方──その方法を。
翌日、街の食堂で昼食を終えた私は一度宿に戻った。部屋で準備を済ませてから宿を出て向かうのは、街の中心部に位置する商業ギルド。
通りを歩いていると、昨日までよりも少しだけ人の顔がはっきりと見えるような気がする。まだ、この世界での生活は始まったばかりだけれど、こうして目的があるだけで、ほんの少し世界の輪郭が馴染んでくる。
商業ギルドの建物は、石と漆喰でできたどっしりとした構えで、冒険者ギルドと少し離れた斜め向かいに建っていた。木製の看板には《商業ギルド・グロスマール支部》と翻訳された文字が掲げられている。
扉を開けると、室内には受付カウンターと待合用の長椅子があり、商人風の人々が数人、帳面を開いたり書類をまとめたりしていた。
「こんにちは。ご用件をどうぞ」
受付にいた中年の男性が、私を見て軽く頭を下げた。見た目は柔和だが、目元には商人らしい鋭さがある。
「こんにちは。商品を卸す相談をしたいのですが」
「ふむ、納品のお申し込みですか。ギルド登録は?」
「いえ、まだです。この街へは来たばかりで」
私の答えに、男はすぐに「なるほど」と頷いた。
「それではまずは担当をお呼びしましょう。どのような商品をお取り扱いのご予定ですか?」
「洗髪剤を用意しています。石鹸や美容品の分野に詳しい方であれば助かります」
「かしこまりました。それでは、こちらへどうぞ」
受付の男性に案内され、廊下にいくつか並んだ同じような扉の内の一つから別室──応接間へと通される。
室内は質素ながら整えられており、小ぶりなテーブルとソファが向かい合わせに二脚。壁際には小さな書類棚があった。窓から差し込む光が室内を暖かく照らしていて、堅苦しさはあまり感じない。
ほどなくして、ノックの音と共に扉が開く。
「お待たせいたしました。商品取扱を担当しているセルディと申します」
入ってきたのは、二十代半ばから後半と思しき女性だった。紺色のスーツ風の装いに身を包み、肩までの茶髪をすっきりまとめている。ややつり目がちな瞳は理知的で、いかにもできる女性といった風格だ。
「こちらこそ。お時間をいただきありがとうございます。灯と申します」
軽く頭を下げると、セルディも穏やかに笑って頷いてくれた。
「それでは早速ですが、お取り扱いの商品についてお聞かせ願えますか?」
「えぇ、こちらの洗髪剤を」
そう言って、持参していたトランクケースの中から、手のひらに乗る程度の大きさのコルク栓付きの瓶を取り出した。
中には無香料のリンスインシャンプーが淡い乳白色で満たされている。高級品でもなんでもない、日本のドラッグストアで売っている安価なやつだ。
「こちらが?」
「洗髪用の液体です。水に濡らした髪に少量を馴染ませて泡立て、また水で流せば完了です。香りはついていませんが、髪を清潔にし、滑らかに保ちます」
なるべく簡潔に、使い方と効果を伝える。
セルディは手に取り、瓶の中身を軽く傾けながら観察した。
「とろみのある液体ですね。栓を開けても?」
「はい、構いません」
「では……。匂いは、確かにほとんどありません。製造に関してお聞きしても?」
「申し訳ありませんが、製法と原材料は、企業秘密ということで」
「えぇ、道理ですね。失礼いたしました」
一瞬ひやっとしたが、セルディはそれ以上は追及せず、表情を変えずに小さく頭を下げた。
「それで、この商品をどのような形で取り扱いたいとお考えですか?」
「未熟さを晒してしまうようでお恥ずかしいのですが、このような美容品を取り扱う商会や、これをお望みになる高貴な方への伝手がありません。そこで商業ギルドへの納品を考えております」
そう述べると、セルディは小さく目を細めて、静かに頷く。
「なるほど……商品の性質上、対象となる層はある程度限られてくるでしょうね。ですが、初見ではあっても、ご提案いただいた内容に関しては興味深い点もあります」
初対面の小娘が放言した、貴族にも需要が生まれるという自信の大きさ。しかしセルディはそれに言及することなく、瓶をそっとテーブルに戻すと、手元の小さな手帳に何かを素早くメモしてから顔を上げた。
「この商品、つまり『液体の洗髪剤』という発想は、現在の市場にはありません。身体用と髪用に別の石鹸を用意している方もいらっしゃいますが、こうした専用製品はそういったこだわりをお持ちの層には非常に魅力的に映るかと」
「私も、それを期待しています」
「ええ。そして、無香料というのも、ある意味では武器になります。香りに敏感な方や、香水を日常的に使用される貴族の中には、他の香りと混ざらないものを好まれる方も多いですから」
なるほど、そういう需要もあるのか。単純に、無香料のリンスインシャンプーは庶民向け、香料入りのシャンプーとリンスを高級路線の貴族向けにしていくつもりだったが、一考の余地があるかもしれない。
「一点確認を。これは、どの程度の頻度で供給可能とお考えですか?」
来た。やはり供給体制について突っ込まれる。
用意しておいた答えを慎重になぞりながら、私は言葉を紡いだ。
「こちらの瓶ひとつでおよそひと月分。現状では、月に一度程度、五十瓶前後の納品が可能です。大量生産は難しいのですが……状況が安定すれば、もう少し増やすこともできるかもしれません」
「なるほど。小規模から始める形ですね。商品が継続して供給可能であれば、ギルドとしても試験的な取り扱いを進める意義はあるかと」
セルディは、頷きつつさらに続けた。
「まずはギルド内部での試用を行います。そのうえで、安全性や品質の確認が取れた場合、少数の顧客向けに限定販売を始めましょう。その結果次第で、当ギルドから取り扱い商会や販売ルートを広げていく形で問題ないでしょうか?」
「はい。よろしくお願いいたします」
正直、それが理想だった。ギルドが顧客とのやり取りを代行し、私はただ納品すればよい。表に出ることなく、誰かと付き合わず、なるべく静かに暮らしていたい。
「では、契約に向けていくつか確認と準備を行います。ご協力をお願いいたします」
その後、セルディの案内で簡易的な商人登録と納品者の仮契約手続きを済ませた。
名前や年齢、居住地(これは今の宿の名前でよかった)を記載し、筆跡確認のサインを残す。証明書代わりの木札もその場で受け取った。
仮契約の内容は、サンプルを内部で試用・検査・評価を行ったうえで、三十瓶を初回納品としてギルドに卸し、本契約と販売開始の可否を判断するというもの。報酬は試用結果に応じて後日支払い予定とのことだった。
用意していたサンプル分の5瓶をセルディに預け、手続きを終えて応接室を出る頃には、窓の外の陽が少し傾き始めていた。
「お疲れさまでした。それではサンプルの試用結果と初回納品につきましてはまた5日後、商業ギルドへお越しください。今回はありがとうございました」
「こちらこそ、ご丁寧な対応をありがとうございます」
軽く頭を下げ、私はギルドの建物を後にした。