02 はじめての異世界ショッピング
森を抜け、石畳が現れたとき、私は改めて実感した。
「……人がいる。ほんとに、異世界なんだ……」
街の外周に聳えた石塀にて。鋲を打ちつけた鉄板の門扉が開かれ、門番らしき青年が二人、槍を携えて立っている。
その服装は中世ヨーロッパ的というか、ファンタジーRPGのモブ衛兵をリアル化した感じだ。想定していた世界観とそう大きくずれてはいなさそうで、少しばかり安堵する。
門の前には馬車が並ぶ列と徒歩の人間が並ぶ列が二つあった。どちらも数はいくつかといったところで、極端に寂れても栄えてもいなさそうないい塩梅である。
「旅の方かい? この街、グロスマールへようこそ」
恐る恐る人間が並ぶ方に並べば、門番の人が気さくに声をかけてくる。その言葉は日本語に聞こえたが、口の動きをよくみると微妙にずれている気がした。恐らくテンプレである翻訳機能が効いている。
軽く挨拶を交わし、「ええ、そんなところです」とジャパニーズ愛想笑いで誤魔化したが、門番は特に深く追及することもなかった。
「名は? ギルド登録はあるか?」
「あ、ないです……」
「初めての街か? この通行札を持ってる間は滞在許可が出てる扱いになる。なくすなよ。」
ふむふむ、と納得したように男は頷き、簡単な木製の札を渡してくれる。
そして私は、グロスマールの街に足を踏み入れた。
街並みは、想像していたよりずっと整っていた。通りの両側には木造や石造りの建物が並んでいる。街並みはどこかヨーロッパ風だが、建物の一部にはガラス窓があり、窓枠には花が飾られて華やかな様相。通りにはちゃんと排水路が設けられ、道の端には街灯っぽいなにかまで立っている。
道の舗装具合や建物の密度からして、規模としては街と呼べそうだった。人通りはそこそこ。馬車もちらほら見かける。
通りを行き交う人々はそれぞれに荷を抱え、忙しそうに歩いていた。老若男女、荷物を運ぶ人、行商風の人、兵士っぽい人、杖を持ったローブ姿……ぱっと見で「ファンタジーだな~」とわかるキャラ立ちがそこかしこにいた。
明確に貧富の差を感じるような服装の違いもなく、全体的に質素ながらも清潔感のある印象。
市場通りに出ると、露店がいくつも軒を連ねていて、干し肉、野菜、果物、そして布や陶器などが並んでいた。
野菜は大小様々で、ジャガイモに似た芋や、赤紫色のナスのような野菜もあれば、見たこともないトゲトゲの実もある。肉は獣肉が多そうで、鹿っぽいのもあるし、ちょっとグロいくらい大きな魚もあった。
ざっと眺めた感じ値札に書かれた文字が明らかに異世界のものだったが、翻訳機能のおかげでどれも自然に意味が分かる。ありがたい。
店先の一軒でチーズを買っている主婦らしき女性を見かけて、「あ、貨幣制度あるんだ」と安心した。見た目は金属製のコインで、銅や銀、一度だけ金色のものが使われていたのを見た。
街を歩きながら市場の様子をしばらく観察したのち、小さく意気込む。
「……さて、私も買い物デビューといきますか」
目的は二つ。現地通貨での買い物体験と、味見程度の軽食。
異世界の食べ物がどんなものか知るために、まずは軽く試す。この世界について知るにはこういう経験が必要だ。口に合わなければ今後はスキルで日本のご飯を買えばいいし。
まず目を引いたのは、木の屋台に山盛りにされた果物だった。赤紫の皮に斑点がある、卵よりやや小ぶりな球状の実。目の前で袋で買ったお兄さんが一つ摘み上げて、皮ごと口に放り込んだ。
「これ、ひとついくらですか?」
「お嬢さん、見る目があるねぇ。甘くて瑞々しいよ。ひとつ200G、たくさん買ってくれんならまけとくよ」
市場をざっと見た感じ、1Gで100円くらいと見て良さそうだった。びわみたいなもん、と思えば妥当だろうか。
街に着くまで歩いている間に、謎のインターネットスキルについて色々と試行錯誤していた。
まず、ステータスオープンとか言わなくてもウィンドウは出せる。そもそもステータスじゃないし。スキルを使うことを意識すれば出てくるので、あの時は「なんか有用なスキルとかあれ〜!」と祈りながらだったのが判定になったのだろう。
で、ウィンドウは目の前に出てくるが、サイズや位置を変えられる。そして他の人には見えない。視界の端に置いておけば出しっぱなしにしてもあまり支障はなさそう。
──そして神機能。
このスキルの『残高』、財布がわりにできる。
果物屋さんのおじさんの目の前でウィンドウを出しながらローブに手を突っ込んで、200Gの取り出しを意識。すると手の中に冷たい金属の感触が落ちてきた。
ローブから手を抜いて銅貨を2枚差し出すと、店主の男は特に疑いもなく受け取ってくれた。
「はい、ありがとよ。今日のは当たりだ。試してみな」
言われるがままに一口かじる。パリッとした薄い皮の内側には、ジューシーでねっとりした果肉が詰まっていて、味はマンゴーとブドウの間くらい。酸味がほとんどなくて、すごく甘い。
「んん、美味しい〜」
「だろ? 外れ年もあるが、今は豊作だからな」
にっこり笑うおじさんにお礼を告げ、半分になった果物を口に放り込む。
ぶらぶら歩きながら次に目に留まったのは、焼き串を売っている小さな屋台。肉と野菜が交互に刺さっていて、じゅうじゅうと香ばしい匂いを立てている。
「それ、一串いくらですか?」
「銅貨2枚。カフ鳥の肉だよ」
(カフ鳥……、鳥ならまあいけるか)
再び銅貨を取り出し、一本受け取る。まだ熱々で、木串の先が少し焦げていた。
ひとくち。香ばしい表面の下から、しっとりとした肉汁が広がり、間に挟まった玉ねぎっぽい野菜がしゃきっと音を立てる。割としっかり鶏っぽい。少し濃い味だけど、香草の風味がいい。
思わず笑みがこぼれた。明らかに文明が違うのに、食べ物の美味しさってちゃんと通じるんだな、と思う。
最後に、素朴な焼き菓子を売っている老婦人の屋台で、花の形に焼かれたクッキーのようなお菓子を見つけた。
先の二つの店は値札が掲げられていなかったが、このお店は手書きの値段が書かれた木札が立ててある。
「ひとついただけますか?」
「もちろんさ。甘さ控えめだよ、旅の疲れにも優しい味だ」
値段は銅貨2枚。これも無事に支払って、紙に包まれた焼き菓子を受け取る。ホロホロと崩れるような食感で、ほんのり蜂蜜の香りがした。
少し警戒しながら始めた買い物だったけれど、店主たちは親切で、値段もまぁ、日本に比べたらちょっと高いか?という部分もあったが、この世界の生産や流通を鑑みたら良心的なのだろう。
異世界という得体の知れない場所に足を踏み入れた直後の不安が、ほんの少しずつほぐれていくのを感じる。
食べ終えた焼き鳥の串とクッキーの包装紙は、ウィンドウのゴミ箱で回収できた。通販で買ったもの以外も処分できる、神スキルだな、本当。
小腹を満たして一息ついた私は、再び街道を歩き出す。
ひとまず、宿を取ろう。
この世界の相場や制度のことはまだほとんど分かっていない。けど、体力的にも精神的にも、そろそろ休める場所が必要だ。なにより、寝床の確保は安全の確保でもある。
市場通りの端っこに、掲示板のような立て札が見えた。どうやら求人や雑報、それから宿の案内なんかも貼られているらしい。わりと人通りがあるのに誰も破ったり落書きしたりしていないのは、きちんと管理されている証拠だろう。
手書きの案内をいくつか流し見てから歩いていると、花が彫られた木製の看板がぶら下がった、二階建ての建物を見つけた。看板に書かれた文字は《旅籠アスター》と翻訳されている。
木と石を組み合わせた外壁に、丸い窓、蔦の絡まる屋根。まるで童話のなかから切り抜いたような佇まいで、異世界建築のテンプレートという感じでテンションが上がる。
ちょっと良いお宿に見えるが、そこまで高級そうではない。だが市場の近くというかなり良い立地。まだ残高には余裕があるし、今は安全面を優先したい。
扉を押して中に入ると、ふわっと木と煙草の混じったようなスモーキーな香りが鼻をくすぐった。天井は低く、照明は燭台風のランタン。
カウンターの奥には、がっしりした体格の女性が肘をついて帳面を見ていた。私に気づくと、顔を上げてにこりと笑う。
「いらっしゃい。部屋、探してるのかい?」
「はい、一泊……できれば、何日か連泊できると助かるんですが」
「そうかい。個室なら一泊銀貨2枚、夕食付きで銀貨2枚半だよ」
「……じゃあ、食事付きでお願いします」
正直ご飯は通販でも良さそうだが、この世界の食事事情や相場感を掴むためにも、勉強として頼むことにした。
ウィンドウを目の端に呼び出して、銀貨を2枚と銅貨を5枚、手元にそっと出現させる。何も見えていない様子の宿の人は、それを普通に受け取った。
「はい、確かに。じゃ、鍵を渡すね。部屋は階段上がって右側の突き当たりよ。トイレは廊下の奥。お湯は夜までには沸くと思うから、使うなら言ってね」
「はい。ありがとうございます」
こうして、ようやくこの世界で初めての“寝床”が決まった。
階段をのぼり、案内された部屋の扉を開けると、シンプルながら温かみのある空間が広がっていた。
ベッドは小柄な体には十分すぎるくらい広く、シーツはきちんと干したての香りがした。木製の机と椅子、小さな洗面台、明かり取りの窓。荷物棚には鍵もかけられる。ちゃんと清潔で、寝られるという事実がこの上なくありがたかった。
荷物を置いてベッドに腰を下ろし、ようやく大きなため息をつく。
「……ようやく、落ち着けた、かも」
最初の街。最初の市場。最初の宿。
じわじわと、現実味が私を包み込む。身体にたまった疲労が、ベッドの柔らかさと共に抜けていくような感覚。
でも、ここからが本番だ。
「さて……」
文明、文化、言語、政治、経済。調べたいことは山ほどある。
でもそれ以前に、生きていくための仕事も必要だ。今はまだ猶予があるが、貯金の残高にも限りがある。
ひとまず過ごす場所を確保した今、次は“この世界で生きていく手段”を、探さなければならない。
冒険者? 戦うなんて無理。畑仕事? やったこともない。となれば。
私は、そっとウィンドウを開いた。
ネット通販。私に与えられた、唯一にして最強のチートスキル。
「……よし。次は、商売の準備だ」