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15 突撃!となりの隠遁生活



 森の夜は静かだ。星々の光が樹間を縫って差し込み、地面には月影がまだら模様を描いている。わずかに肌寒い夜気が、葉擦れとともに窓をくぐり、頬に触れた。


 木目の温かみを残したテーブルには、湯気の立つホットココアが並び、慎ましいがほっとする空気が漂っている。けれど、その穏やかさとは裏腹に、テーブルの上には開かれたタブレットと手書きのメモが散乱していた。


 レオナルドは腕を組んで座り、硬い表情のまま沈黙している。

 私は横に置いたタブレットに指を滑らせながら、メモアプリに要点を書き込む。今話し合っているのは、王子との接触についてだ。どうすれば、安全かつ確実に本人と会話できるのか──。


「……やっぱり、王城に直接行くのはリスクが高すぎるね」


 ぽつりと呟くと、レオナルドはすぐに頷いた。


「いきなり顔を見せるのは危険だな。内部には現国王の私兵もいる。俺の顔を知る者も多い。王子殿下と話す前に、王の手の者に囲まれる可能性が高い」


 私は思わず唸った。

 国王側の人間にバレずに潜入して、王子だけに接触するなんて──スパイ映画やファンタジー作品の中だけの話だ。いや、ここファンタジーだった。とはいえ、こちらは異世界通販スキル頼りの一般人。忍者でもエージェントでもない身で、そんな高リスクミッションをこなせるはずがない。


 私はタブレットを開いたまま、ソファにもたれ直した。指先でスワイプしながら表示されたのは、王子の行動記録。レオナルドから聞き出した断片的な情報を、なんとか整理して可視化したものだ。


「外での公式行事に出席する機会……ここ半年で二回だけか」


 表示された日付と行事名を眺めながら、私はつぶやいた。


「あとは主に書面での執政補佐に関わっているらしいな。政治的にはほとんど表に出てこない」


 レオナルドの言葉に、私は苦々しい思いで顔をしかめた。


「じゃあ……街で接触するルートは?」

「公務や視察で外出する機会はあるだろうが、そのスケジュールは民間には出ない。護衛もつくし、面会申請のない接触者は不審者として排除されるだろうな」


 やっぱり。そう簡単にはいかない。

 できれば、偶然を装って自然に出会えるのが理想だった。何かの市民イベントでふと出くわすような、そんな都合のいい舞台装置があればよかったのに。でも、現実はそこまで甘くない。


 王子殿下の周囲は、完全に国王側の管理下にある。手紙ひとつ届けるにも、必ず他人の目が入る。

 私はタブレットから目を離し、天井を見上げた。


「王子に近づけそうな人物、協力者の候補……あとは王都周辺の、商業ギルドとか、王立学舎とか、騎士団とか……」


 小声でつぶやきながら、指先でテーブルを叩く。手段はいくつかある。だがそのどれもが、情報収集から始めなければならない。時間がかかるし、こちらの正体を少しでも知られればそれでアウトだ。


「やっぱ王城に現代技術を売り込みに上がるかぁ……」


 一番簡単で、一番確実な方法。

 それを口にした瞬間、レオナルドが眉間にギュギュッッと深い皺を刻み、苦い顔で私を見る。


「……君が危険だ」

「まぁそうなんだけどさぁ」


 苦笑を浮かべた。レオナルドの心配はもっともだ。でも、彼のその過保護な態度、ちょっと可愛いと思ってしまう自分がいる。


「それに、何を持っていく予定なんだ」

「それもねぇ。間違っても軍事利用されそうなものは持っていきたくないし。王女様とかがいれば話が早いんだけど、いないんだもんね?」


 そう言いながら、私は横目でレオナルドを見た。


「王太后陛下は現国王の即位の際に離宮に篭られて以来、表に出てきていない。王妃殿下は数年前に体調を崩されて療養中。王子の妹御である王女殿下は数年前に二つ隣の同盟国に輿入れされた」

「きなくさぁ……。しかも隣国じゃないあたりが徹底してんなぁ……」


 思わず漏らした感想に、レオナルドは反応しなかった。ただ、静かにカップを手に取り、冷めたココアを一口すすった。


「いっそ、レオナルドくんが継承権放棄したら済む話だったりしない?」

「……そう考えたこともあった。が、継承権の放棄は王城で本人が直接手続きをしなければならない。……そして、あの方は、俺が城に上がるのを嫌がる」

「器ちっっさ。知ってたけど」


 私は鼻を鳴らして言い放つ。言葉はきつかったかもしれないが、怒っているわけではない。呆れているだけだ。彼の現国王に対する諦めと疲労が入り混じったような感情には、見たことすらないというのに、既に共感の念を抱いている。


「……この家以外の場所では口にしないよう気を付けろ」


 レオナルドは静かに釘を刺してきたが、その口元にはかすかな苦笑が浮かんでいた。怒ってはいないらしい。


「だから俺は、仮にも王国所属の騎士団の副団長という立場にありながら、城内に上がったことが殆どない。用事がある時は、いつもは団長や、それなりに高位の貴族家出身の部下に任せていた」


 彼の語り口は冷静だったが、そこに滲むのは諦めではない。冷ややかな現実に対する、ある種の達観のようなものだった。

 この国で、そしてこの立場で、生きていくということ。それがどれほど面倒で、不自由で、思い通りにならないか、彼は嫌というほど知っているのだろう。


「城内の警備は第一とか第二の担当って感じ?」

「あぁ。第一が王族の警護、第二が城の警備だ。第三と違い、貴族家出身者や爵位持ちが多い」

「……つまり、国王に忠実な可能性が高い?」

「だろうな」


 改めて、やりづらい場所だと実感する。


「やっぱり、正面突破はないなあ」


 独りごちた私に、レオナルドは何も言わず、ただ静かにうなずいた。重たい沈黙が、部屋の空気を一層濃くする。


 ──その沈黙を引き裂いたのは、私でもレオナルドでもなかった。


 ピピッピピッ──ピピピピ──ピーッピーッ!


 私たちは同時に顔を上げた。短く鋭いアラームが、屋内のセンサー端末から鳴り響く。しかも、ひとつではない。二重、三重に重なるように、複数の信号が重なって鳴っている。

 私は一瞬固まり、それからすぐさまタブレットで森の地図を表示した。センサーアラームの設置場所が表示される。


「西南の小道、北東の川、南側の崖沿い……」

「囲むつもりか」


 レオナルドが即座に部屋の奥の保管棚に向かい、長剣を手に取った。無駄のない動き。これは、すでにただ事ではないと理解している証だった。


 私はアイテムボックスから取り出した、暗視機能搭載のカメラを備えたドローンを手早く起動する。小型で音を抑えた機体が、森の頭上を滑るように飛び始めた。


 数十秒の沈黙。やがて、モニタ上に映像が映し出される。


 画面に映っているのは、森の浅瀬で身を低くして進む数名の男たちの姿。マントとフードで姿が隠されており、性別の判別は難しい。ゆっくりと、だが迷いなく森の中を進んでいた。


「……いた。三人。岩陰に伏せてる。こっちは、ふたり。軽装だけど、腰に刃物……あっちも……」


 ドローンが高度を上げ、広範囲を俯瞰する映像へと切り替わる。

 アラームの範囲内に入っていない場所にも、三〜四人ずつの人影が確認できた。数は十数人規模。人数はそれほど多くないが、問題はその配置と行動だ。


「動きが慎重すぎる。全員、明確な目的があって隠れてるって感じ」


 私はモニターを睨みながら呟いた。画面に映る彼らは、不用意な動きを一切見せていない。まるで何かの合図を待っているかのように静かに、しかし確実に布陣を整えているのが分かる。


 茂みや岩陰、地形の陰影を活かし、視界の死角に潜むように配置されたその姿勢には、明らかに経験の蓄積が見て取れた。彼らはただ隠れているのではない。こちらに気づかれずに"見つけ出す"ための行動だ。

 しかも、距離があるにも関わらず、どの拠点でも同じタイミングで動いているように見える。あれは偶然ではない。何らかの魔法か魔道具か、連絡手段を持っていそうだ。


「これ……前回とは違う」

「ああ。単なる通りすがりでも、試しの侵入でもない。明確な意図を持って、俺たちの居場所を探している」


 レオナルドの声は、低く、冷えていた。

 私は別のタブレットで赤外線カメラの映像を表示させる。いくつかの部隊がカメラの範囲内で止まっていた。


「全員、まだ様子を伺ってる感じ……罠の範囲までは入ってないから反応してないけど、完全に探してるね、こっちの拠点……ここを知っている可能性は?」

「低いと思う。もし正確な位置が分かってたら、こんなふうに広範囲に散開しない。現時点では“この森のどこかにいる”という認識だろう」


 レオナルドがモニターを睨みながら、短く分析する。その目が細まり、口元が引き締まる。まるで戦場で敵陣を睨む騎士のような顔。


「となると、包囲して圧力をかけながら、位置特定を進めている段階か……前回のアレで確信したってこと?」

「恐らく、俺でなかったとしても確認さえできれば構わないのだろう。だが俺が生き延びていることを想定し、今回は完全に仕留めるつもりで動いている」

「納品に出てるタイミングじゃなくてよかった……」


 私は膝に力が入るのを感じた。もしこのタイミングで家を空けていたら。もし戻ってきたとき、森の中で彼らが待ち構えていたとしたら──その想像が喉の奥を締めつける。


「……これ、本格的にヤバいやつだよね」

「ああ。間違いなく王の意志だ。おそらく、雇われた冒険者とは違う──戦闘訓練を受けた兵士」


 レオナルドの声が、低く響いた。


 ドローンの映像は、木々の間にちらつく人影を追いかけていた。

 森の静寂が、かえって不穏な気配を際立たせる。


 ──避けられない嵐が、森に近づいていた。



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