14 これはノンフィクションです
「……俺は、レオナルド・アルバレスト。この国の先代国王の、落胤だ」
レオナルドの声は静かだった。その声は低かったが、言葉のひとつひとつが、霧を裂くように鮮やかに届いた。
部屋の空気が、張りつめる。壁に掛けたカーテンがわずかに揺れ、遠くで鳥が鳴いた。
私の手の中のマグカップが、ほんの少しだけ揺れる。さっきまで温かかったココアが、急に遠いもののように感じられた。
それでも、反射的に出るはずの驚きの声が、口をついて出ることはない。
代わりに少しだけ目を伏せてから、息を吐いた。
「…………」
「…………」
沈黙が二人の間を滑っていく。
私は少しだけ視線を上げて、彼の表情を見た。
「……感想は?」
沈黙に耐えかねたように、レオナルドがそっと問いかける。
けれどその声音には、試すような色も、感情の波もなかった。諦めと覚悟の境界で、ただ静かに事実を確認するような響き。
私は少し眉を寄せ、言葉を選ぶように口を開いた。
「うーん……王族、公爵、隣国の王あたりまでは想定してたから……"そっかぁ"って感じ」
「……そこまで想定していたなら、確かに一段劣るな……」
「だよね。なんなら、もっとこう……“女神の加護を受けた英雄”とか"人族に狙われる希少種族"とかまでいくかと思ってた」
「期待が重い」
レオナルドが数秒黙ったのち、ふっと目を伏せて笑った。少し呆れたように、でもどこか救われたような笑みだった。
彼の肩から、ほんの少しだけ緊張が抜けるのがわかった。
「……隠していたつもりだったんだがな」
「無理無理。私、そういうのいっぱい読んでるからね。テンプレってやつ」
「日本の娯楽は凄いな……」
最近ラノベを読み始めたレオナルドのしみじみとした呟きに、思わず笑ってしまった。
けれど、その笑いもやがて消えて、尋ねる。
「追われてる理由って、やっぱり……」
「現国王に、疎まれている」
淡々とした口調で、レオナルドは続けた。
まるで、よく磨かれた刃物のように、冷たく、曇りのない言葉だった。
「先代国王は──表向きは一夫一妻で、側室も持たなかったことになっている。でも実際は、短期間だけ密かに結ばれていた女性がいたらしい。……城の侍女だったそうだ。俺を産み落とし、亡くなった」
「……じゃあ、正真正銘の王子……というか、王弟殿下?」
「ああ。一応、継承権もある。現王家よりは下だが、他の傍系血族よりは上だ」
「おぉ、意外と高い……」
「とはいえ、実際に俺が王座に着くことはないだろうがな。仮に現王家が絶えたとしても、次の王は公爵家から立つだろう」
静かな声。そこにはまったくと言っていいほど野心がなかった。彼の言葉は、現実を冷静に見つめている人間のそれだ。
レオナルドはソファの背にもたれ、かすかに天井を仰ぐ。
「父は自身が信頼しているロウヘルト子爵家へ俺を預けた。子爵家は俺を養子に入れることはせず、表向きは嫡男の従者候補として引き取った子供として、彼と同じ教育を与えてくれた。が、進路については俺の望むようにして良いと。そして俺は騎士を志した」
語る彼の声には、微かに懐かしさが滲んでいた。
過ぎ去った日々への未練というよりも、その時間が確かに存在していたことへの確信のような。
レオナルドはそこまで語ると、一度言葉を切る。
窓の外から、夜の風が草木を揺らす音が聞こえた。
「けれど先代の死後、現国王──俺の異母兄にあたる人は、俺の存在を快く思わなかった。王座に執着する彼にとって、“血筋”というのは何よりも厄介な存在なんだ」
「……それで、排除されそうになった?」
「そうだ。俺は王座には興味がなかった。軍に籍を置くことで身を引いていたし、王都でも控えめに振る舞っていた。王は表向きは関知しない姿勢を取っていたが、俺が成人し、第三騎士団の副団長に就いたあたりから──少しずつ、風向きが変わった」
「団員とはうまくいってたんだよね?」
「ああ。上司も理解ある人物でな。戦地で命を預け合う仲だったし、評価もされていた。だが……」
彼の瞳が、淡く揺れた。
低く、落ち着いた声だった。怒りや恨みではない。ただ、事実を語っている。
「ある日突然、王の手の者が動いた。正規の命令ではなく、あくまで秘密裏に。襲撃を受けたのは、ちょうど巡回任務の最中だった。幸運なことに、同行者とは一時的に離れていた。そのまま逃走して……この森にたどり着いたのは、偶然だった。おそらく、敵も“外部の者”の手が届きにくい場所に追い込むことで、介入の可能性を断ったのだろう」
「“不毛の森”って特徴を、利用されたってこと?」
「そうだ。この森は、誰も来ない。魔力の濃い森であれば、魔獣に襲われたり遭難する可能性を見て捜索隊を派遣されることもあるだろうが……不毛の森から出られない、ということはまず無いからな。 おそらく、行方不明で処理される予定だったんだろう」
言葉の合間に、レオナルドはふっと目を細めた。鋭さではなく、どこか安堵のようなものが浮かんでいる。
「けれど──そこで、君に出会った」
「まさか不毛の森で隠遁生活してる奴がいるとは向こうも思わんかったろうなぁ……」
憐れみを滲ませた私のセリフに、レオナルドは目元を和らげてうなずいた。
「ああ。この森に君がいなければ──俺はあのまま、静かに死んでいた。君に助けられたのは、奴らにとって完全な誤算だっただろう」
「へぇ……じゃあ私は、国王による暗殺計画を台無しにした功労者ってこと?」
軽口めいた言葉は、自分でも驚くほど自然に出た。緊張を和らげるための無意識だったのかもしれない。
レオナルドは苦笑する。
「そうとも言えるし、逆に言えば君を巻き込んだということでもある」
「まぁそれはそう」
レオナルドの声には、苦味のようなものが滲んでいた。自分の存在が、誰かの平穏を脅かす原因になってしまったこと。それは彼にとって、何よりも重いことなのかもしれなかった。
私は軽く肩をすくめて言ったが、心の中では確かにそれを受け止めていた。
事実を否定することはできない。けれど、それを責める気持ちはなかった。ただの偶然──けれど、選んだのは自分自身だ。それが私の中で、既に答えになっていた。
「でも……後悔はしてないよ」
それは心からの本音だった。
あの日、森の中で倒れていた彼に手を伸ばしたこと。それはきっと、人生を変える選択なのだと、あの時すでに予想していたことだ。
あのとき見捨てていたら、今こうして彼と向かい合っている自分はいなかったはずだと思うと、選んだ行動に悔いはない。
レオナルドが少しだけ視線を上げる。その目に、ゆるやかな光が差し込んだ。
「君には、感謝している。命を救ってくれたこと、匿ってくれていること、そして……今、こうして、話を聞いてくれること」
「そんな大層なことじゃないよ」
真っ直ぐに向けられたその言葉は、重くも、温かくもあった。
彼の中で、私の存在がどれほど意味を持っているのか。その一端が、ようやく伝わってきた気がした。
言葉では軽く流したが、それでも、彼の感謝が嬉しくないはずがなかった。
静寂がふたたび訪れる。けれどそれは、先ほどまでの緊張とは違って、どこか落ち着いたものだった。
私は言葉を選びながら切り出す。
言葉が重くなる。けれど、口にした方が、現実が明確になる。
「でも、その王様がそこまでレオナルドくんに執着してるってことは……」
「"俺の死体"を確認したがるだろう」
「だよね」
レオナルドの言葉は、あくまで静かだった。まるで天気予報でも語るかのように、淡々としている。だが、その内容は比べ物にならないほどに重く、冷たい現実を突きつけてくる。
「──君に、迷惑をかけたくない。一人でこの森を出ることも考えたが……」
「あんま意味ないよね」
たぶん、それは本気で考えた選択肢だったのだろう。私を守るために、自ら孤独を選ぶ道。
彼の気持ちは理解できる。でも、現実はそんなに都合よくいかない。
あっさりと切り捨てた私の言葉に、レオナルドもすぐに頷いた。
「あぁ。俺の死体を探しにこの森を捜索すれば、君の存在に気付くだろう。……俺が生きていることを隠さず、堂々と凱旋すれば話は別だが」
「それ、なんか解決する?」
わざと軽い調子で返したつもりだった。でも、自分の声が少しだけ強張っていたのが分かる。
「しないな。俺が死ぬまで狙われ続けるだろう」
事もなげに言ったその言葉の裏に、どれだけの諦念と、どれだけの覚悟があるのだろうか。
彼の瞳には怒りも悲しみもなかった。ただ、静かな現実だけが映っていた。
「何か解決の手立てというか、頼れるアテは? 子爵家の人とか、お母さんのご実家とか」
「子爵家の彼らのことは信頼できる。が、あくまで子爵家だ。現国王相手に手は出せない。母方の実家も男爵家で、没交渉だ。騎士団も……第三騎士団は継ぐ爵位のない貴族の三男坊や平民で構成された団で、権力という面では弱いと言わざるを得ない」
「うーん……」
沈黙が少しだけ流れる。その隙間を縫うように、彼が口を開いた。
「あとは──王子殿下か」
「王子? 面識あるの?」
意外な名の登場に、私は思わず身を正した。
「あぁ。……俺の存在は公にはなっていないが、多少なりとも調べればすぐに分かることでもある。騎士団の視察という名目で、何度かお会いしたことがあるんだ」
「味方になってくれそうなんだ」
語る彼の目には、わずかに思い出を辿るような色が浮かんだ。
希望を込めて問う。けれどレオナルドは、ほんの少しだけ口を引き結んだ。
「……どうだろう。王家の中のことまではわからない。ただ、彼が優秀だというのは知られたことだし、もう十七になるというのに……まだ立太子していないんだ」
「国王が駄々捏ねて止めてるってトコ?」
私は苦笑しながら言った。
王という存在にしては、あまりに狭量で幼稚な印象だが──実際、そうなのだろう。
「恐らくな」
レオナルドの返答には皮肉も怒りもなかった。ただ、わずかに疲れたような響きがあった。
「じゃあ、ひとまず目標は王子との接触かな」
私は思案するように口にする。
突破口になるかもしれない道が、ようやく一筋見えてきた。それが希望か、はたまたその逆かはまだ分からないけれど。
「それが妥当だろう。……だが、難しい話でもある。基本的には王城にいるわけだからな」
「敵の縄張りでもある、と……」
言葉に出した瞬間、その重さに肩が沈む気がした。
それでも、動かなければ何も変わらない。
夜の深まりとともに、私たちは沈黙した。
今ここにいるのは、王に追われる落胤と、それを匿う名もなき一人の人間。
この小さな森の家から、やがて王城に手を伸ばす──その始まりの夜だった。