01 今何してる?:異世界でSNS見てるなう
異世界に来て、もうすぐ半年になる。
といっても、私の生活は相変わらずだらけきっている。
朝は日が高くなってから目覚めて、
起き抜けに紅茶 (ティーバッグ)を淹れて、
ネットニュースで日本の時世を見て「えっ……」ってなって、
そのあとはひたすら、ポテチ片手に配信サイトでアニメや映画を見漁る。
森の中にある自宅で、ひとりパジャマ姿のままゴロゴロしながら。
「……あ、ダッツ無くなりそうなんだった。まとめ買いしとくか……。あと、ついでに水と炭酸と……カップ麺も足しとこ」
そう、私は異世界に転移した。
たぶん、帰れない。というか、帰る努力すらしていない。
でも代わりに、ひとつだけ神スキルを授かった。
それが──
・現代日本のネットにアクセス可能
・SNSや掲示板に書き込むなどのアップロード行為はできない
・閲覧やデータのダウンロード、通販サイトでの物品の購入はできる
というぶっ壊れ性能に、アイテムボックスやお財布などの便利機能が付属したチートスキルだ。
そしてこのスキルを盛大に贅沢に使いまくって、今日までこの森の中で自給自足ならぬ自堕落生活を満喫しているわけだ。
「そろそろ、次回納品分のシャンプーも準備しとくかぁ……」
ちなみに私は今、この異世界で商業ギルドに日本製のシャンプー・リンスを卸して生計を立てている。
私が初めてリンスインシャンプーを持ち込むまで、この世界の洗髪剤は石鹸を使っていた。流石に洗濯用や食器用とは別だが、髪が軋む性能だったのは違いない。
そこに、サラッサラの指通りとうる艶を実現する現代日本製のシャンプーを投入すれば、月に一度の納品で潤沢に稼ぐことができた。
完璧だった。
今までは。
──あの青年が、森で倒れるまでは。
「……んん、なんか、外……うるさくない……?」
ぼんやりとポテチを食べながらアニメを見ていた私の耳に、微かに聞こえてきたのは、馬の嘶きと、金属がぶつかる音。
この森は、静かだ。魔獣も殆ど存在せず、人も立ち入らない。その用事がないからだ。
あるとすれば、"私"か……それとももっと別の何かか?
いずれにせよ、この隠遁生活は他人に知られたくない。いざという時さっと逃げ出すためには、事態の把握が必要だろう。
転がっていたソファから渋々立ち上がって、アイテムボックスから双眼鏡を取り出す。
窓を開け、音が聞こえた方に向けてレンズを覗き込んだ。
「…………えっ、ちょっと待って、めっちゃ血出てない!?」
レンズの中に写ったのは、倒れている鎧を着た若い男。
近くには誰もいない。どう見ても重傷。
──さて。
ここでの選択肢は二つ。
1:放っておいてアニメの続きを観る
2:助けて厄介ごとに巻き込まれる
「……くそぉ、倫理観が勝った……っ」
私はサンダルをつっかけて、森へ駆け出す。
この異世界に来てからの、余裕綽々悠々自適の優雅なチート生活を心底惜しみながら──
@ @ @ @ @
薄暗い森の中、ひんやりとした空気が肌に触れ、湿った土の匂いが鼻をくすぐった。木々の間から差し込む木漏れ日が優しく揺れて皮膚を撫で、鳥のさえずりがどこからともなく聞こえてくる。
ゆっくりと重いまぶたを開くと、見知らぬ景色が目に飛び込んできた。
「ここは……どこ?……私はだれ?」
思わず漏れた一言にお約束のフレーズを加えるが、自分のことはきちんと覚えている。自分のことはね。ほんでココどこ?
思い返せば、数時間前までは確かに自室にいたはずだ。帰宅した後、仕事の疲れでソファで寝落ちした記憶がある。
そして今。気がつくとこの森の中だった。――ははーん、異世界転移? そんな言葉が頭をよぎった。
ゆっくりと起き上がり足を伸ばして地面に立つと、凝り固まった全身の筋肉が軋むが、痛みはない。体に異常はなさそうだ。
記憶にあるままの仕事着、白いシャツとグレーのパンツについた砂埃を払いながら周囲を見渡す。子供の頃の記憶から日本の森林の景色を引き出してみるも、詳しくないのでいまいち違いが読み取れない。小動物の気配はあるが、聞こえるのは風が葉を揺らす音と鳥の鳴き声だけだ。
「落ち着け、まずは状況を把握しないと……」
ゆっくりと深呼吸し、冷静さを取り戻そうとした。頭の中を整理する。スマホ、 財布、 持ち物。 どこにも見当たらない。スマホは生活に欠かせない道具だったのに。連絡も調べものもできないとなると、途端に不安が広がる。
何も持たない頼りなさに、真っ先に飛びついたのは定番の呪文。
「oh……神よ……。ステータスオープン! ──おわッ」
ぎゅっと両手を握り合わせ唱えたそれに応えて現れたのは、半透明のウィンドウだ。
「ま、マジで出た……。てことはやっぱり異世界なの?……ともあれまずは戦力把握が優先か」
モニターも何もないのに目の前に鎮座する画面に慄く。
現代日本には少なくとも普及していなかった謎の技術か現象かが、"異世界"という信憑性をまざまざと見せつけてくる。
だが、何故私が、とか、何のために、とかは今はいい。猛獣の声が聞こえるなどの差し迫った問題はないものの、いつ誰に、何に襲われるかも分からない。自衛の手段を求めて、ステータス画面に意識を向けた。が。
「んん〜〜??」
なんかこれ、ステータス画面ではなくない?
どちらかといえば、パソコンのデスクトップ画面では?
目の前に出ているウィンドウには、ヘッダーの右端に小さく日時(今は12:03らしい。陽が出ているので昼の、だろう。24時間周期なのかは不明)、アンテナらしき棒から周波が出ている謎の電波アイコン、サウンド設定のスピーカー。
そして画面の左側に、見覚えのある大手検索エンジンのアイコンが並んでいる。
……出来るんか、検索?
ゆっくりと右手を伸ばして、ウィンドウの検索エンジンのアイコンをタップ――いや、触れるというよりは意識を向けた瞬間、勝手に点滅し始めた。
「うわ……こっわ。思ったことが即反映されるとか、思考ダダ漏れってこと?」
画面が切り替わり現れた見慣れた検索バーに、とりあえず無難に「現在地」と打ち込んでみる。
検索結果が一瞬でポップアップされた。……が、結果はエラー。GPSが機能していないらしい。位置情報設定を確認してください、と言われたが、デスクトップに戻って探し出した歯車アイコンから設定を弄ろうとしても、位置情報設定は機能していなかった。
「でも、やっぱり検索自体は出来そう? うわ、SNS入れた〜やった〜。え、ちゃんとリアルタイム更新してる? な、謎機能〜〜」
暫しSNSを弄ってみると、ユーザーの投稿はきちんと更新されていくし検索機能も生きている。自分の使っていたアカウントにログインもできた。が、ログの確認は出来るものの、新しく書き込みはできない。
通話やメールも同様で、アプリのダウンロードは出来たものの、日本の知り合いや公的機関への連絡は叶わなかった。
つまり――こちらからの発信は一切できない。一方通行のネット。監視されているのか、配慮されているのかは分からないけれど、まるで観測者のように現代を覗くことはできるけれど、そこに触れることはできない。そんな、皮肉な立場。
ともあれ、現代日本との繋がりがあることに安堵する。いつもと変わらない"日常"が画面の向こうにあることに安らぎを得て、そんな場合ではないとわかっていても、現実逃避のようにSNSの投稿を眺めてしまう。
そして不意に、ユーザーの投稿と投稿の間に挟まる、大手通販サイトの大型セール情報が目に入る。
「あ〜、そういえばそんな時期……おっと?……まさか?」
私。こういうラノベ、めっちゃ読んだことある。オタクなので。
一社会人として必要最低限の労働に身を窶しながら、様々な娯楽で己を癒してきた。
最近流行りの異世界転生、転移もの。当然いくつも読んできた。その中に、異世界に転移した主人公がインターネットに繋げられるスキルを得る物語も沢山ある。
ただ、それらの多くは今の私のようにただSNSを眺めたりするためのスキルではない。そのチートスキルは──通販サイトが利用できるスキルだ。
恐る恐る、通販サイトを開く。……開いた。
今手元にあって困らない手頃な商品、チョコレートをカートに入れる。……入った。
購入手続き、……ログインは出来たが、届け先などの会員情報が文字化けしている。
ひとまずそのまま購入手続きを進めてみるが、今の私は無一文だ。クレジットカード情報も生きているとは思えない。
ここまでか、と思いつつ注文確認ボタンを押すと、見慣れた確認画面に移る。
「うん? ……所持金?」
見慣れた確認画面に、半透明の小さな別窓が重なって出てきた。
表示されている項目名は『所持金』。横に並ぶ数字は6桁半ばくらい。……この金額には見覚えがある。今の貯金額がこれくらいだった気がする。
そのまま、注文確認画面の確定ボタンを選択。チャリン、と軽い音がした後、目の前に小さなものがふっと現れて地面に落ちていった。
「ま、まぁじか……」
恐る恐る地面に手を伸ばし拾い上げたのは、コンビニでよく見る手のひらサイズのチョコレート菓子。パッケージには見慣れたメーカーのロゴ、裏面には栄養成分表示と原材料。どこからどう見ても、リアルな「日本の」商品だ。
思わず袋の上から指で押すと、中身がコロコロ転がるのがわかる。封を切り、ひとつ口に入れる。甘くて懐かしい味が舌の上に広がった。
「……ほんとに、届いた……」
震える声が自分の口から漏れた。
それはまるで、現代日本から投げ込まれた救命ブイのようだった。たった一つのチョコレートが、異世界という未知の海の中で、"私"という存在の輪郭を確かにしてくれる。
通販が、使える。
これは、とんでもないチートだ。ネット小説で百万回読んだもん。
食料、衣類、工具、薬品、情報……全てがネットの海に揃っている。異世界がどれほど魔法や剣の世界だろうと、現代日本の物流網は別ベクトルの奇跡だ。
「いやいや……私、選ばれし主人公とか、そういうの柄じゃないんだけど……」
思わず苦笑いが漏れる。
でも、選ばれたかどうかはさておき、“与えられた”のは事実だ。異世界に転移した理由も、このスキルが与えられた理屈も分からないが、役立てない手はない。
「とりあえず、物資を確保しておこう」
状況が不明な以上、まずはサバイバル用品だ。ウィンドウで再び通販サイトを開き、ざっと検索して必要そうなものをカートに放り込む。携帯食料、飲料水、サバイバルナイフ。
今履いている靴が仕事用のパンプスだったので、シンプルなトレッキングブーツ。コスプレ用だが生地がしっかりしていそうなモスグリーンのフード付きマント。それから、買ったものを入れるための帆布素材のナップザック。なお、これらはよくある中近世ヨーロッパ風、という世界観を想定して目立たないのではないかと考えてのチョイスなので、この世界が近未来SF系の世界だったら逆効果の選択である。賭けに勝つことを祈ろう。
注文確認画面の「所持金」表示は、チョコレートの金額分がちゃんと減っている。数字に反映されるということは、日本の銀行口座とリンクしているのか、それともこの世界だけの仮想残高なのか。
そもそも商品自体、日本から実物を輸入しているのか、こちらの世界で創造されているのか……。前者であれば怖いことになっていそうだが、そしたらいずれネットニュースになるか。それで確かめる他ない。
慄きながら注文を確定すると、先ほどと同じようにチャリンと決済音が響き、空間から商品が現れた。段ボール梱包はされておらず、商品毎の外箱のまま足元にどさどさと積まれていく。中身をひとつずつ確認しながら、現実感がじわじわと迫ってきた。
「これは、武器だよね……サバイバルナイフって。刃が本物……こわ……でも助かる……」
乾パンやチョコバーも、カロリーメイトも、非常食として頼もしすぎる。
外箱やビニールを剥がしてナップザックに詰め込めば、残るは残骸……ゴミである。これの処理、どうしよう。流石に環境汚染は気が引ける。現地人が拾ってしまって騒ぎになるのも避けたい。
この手のラノベでの定番は……、とウィンドウ画面を探る。画面右下のゴミ箱アイコンを選択すれば、ゴミ箱画面が開いた。中には何もない、ということか、中央に大きなゴミ箱のイラストアイコンが薄く映っているのみ。
そのウィンドウに向けて、マントが入っていたビニール袋をそっと近づければ──私の手からスッと霞のようにビニールが消え、ウインドウ内に"ビニール袋"と表示が増える。少し触れば"ゴミ箱内のすべてのデータを削除"ボタンも見つけた。……データなの、これ?
更に、デスクトップ画面に箱型のアイコンがあるのに気が付く。それがなんとアイテムボックス機能だった。
今私が所持している物、先程買った物と元から着ていた衣服を含め、すべてのアイテムが一覧になっており、その名の横に"収納"の文字がある。チョコレートの項目の"収納"を押せば、手元にあった小袋が先程のビニールのように消えてなくなった。代わりに、アイテムボックスのチョコレートの項目から"収納"が消え、"取出"の文字が出てきた。
「た、助かりゅ〜〜天才のスキルか〜〜?」
思わず語尾がゆるむ。現代人のための異世界チートパックじゃん。すごすぎる。便利すぎる。神か。誰だか知らんけどありがとう、異世界の采配……。
気を取り直して、ゴミをすべて処理し、ブーツに履き替える。パンプスと食料品の一部をアイテムボックスにしまった。
ナップザックを背負ってフード付きのマントも羽織る。コスプレ感はあるけど、防風性と日除け、あと虫よけの観点でいえば有用だ。実際、マントを羽織っただけで、森の空気がちょっとだけ遠くなった気がする。安心感、でかい。
最後にもう一度アイテムボックスを確認。購入した物資がすべて整然と並んでいて、なんとも安心感がある。しかも、必要なときは「取出」を意識するだけで即座に現れる。
スマホやタブレットのような実機がない操作はおぼつかないが、それらを奪われないという利点は大きい。これは強い。下手な魔法よりよっぽど便利。
「これなら……何とか生きていける、かも」
現代日本との繋がりを手に、少しずつ希望が芽生えてくる。
整えた荷物をしっかりと背負い、今度こそ本格的に歩き始めた。