ー 逃国の試練 ー
エリスと信太は、ティルの案内に従い、灰の民の隠れ街の門をくぐった。岩壁に囲まれた街は、霧の谷の外の荒々しさとは対照的に、静かで穏やかな雰囲気に満ちていた。石造りの家々は苔むした壁に青いランタンの光が映り、通りを歩く灰色のローブをまとった人々は、二人に興味深げな視線を投げかけながらも、静かに日常を続けていた。空気には清涼な香りが漂い、遠くで水の流れる音が聞こえる。エリスは手形を握り、胸元のネックレスがほのかに温まるのを感じながら、街の光景に目を奪われた。
「うわっ…なんか、めっちゃ落ち着く場所！ こんなとこが霧の谷に隠れてたなんて！」エリスは興奮気味に周囲を見回し、ティルに笑顔を向けた。「ティル、これ全部灰の民の街なの？ めっちゃ神秘的！」
ティルは杖をくるりと回し、にやりと笑った。「へへ、気に入ってくれたか？ ここは灰の民の聖域、星脈の力が宿ってる場所さ。聖教の目も届かねえし、魔物も結界を抜けられねえ。まぁ、さっさと統領に会いに行こうぜ。君たちの手形と…そのネックレス、統領に見せたら、話が早いだろ。」彼はエリスを指さし、軽快な足取りで石畳の通りを進み始めた。
信太はエリスの横に並び、背囊を背負い直しながらティルを睨んだ。「統領って…どんな奴なんだ？ いきなり会って、俺たちのこと信用してくれるのか？」彼の声には警戒心が滲み、胸元の星型刻印が脈打つように感じられた。
ティルは振り返らず、肩をすくめた。「統領は灰の民のリーダー、星脈の知識を守る賢者とよばれてるな。厳しいけど、悪い人じゃねえよ。手形を持ってる人間と、導き手の刻印持ってるお前なら、話くらいは聞いてくれる。まぁ、後は統領の気分次第だな！」彼はケラケラと笑い、通りを曲がって大きな石造りの建物に向かった。
建物は他の家々よりも大きく、入り口には星座を象った彫刻が施され、青い光が漏れ出ていた。ティルが扉を叩くと、低い音が響き、ゆっくりと扉が開いた。中にいたのは、灰色のローブをまとった老女だった。白髪を編み上げ、杖を手に持ち、鋭い青い目で二人を見据えた。彼女のローブには銀の糸で星の紋様が刺繍され、威厳と知性を漂わせていた。
「ティル、客人か。」老女の声は落ち着いており、言葉には重みが宿っていた。「星脈の力が騒いでいる。…そこの娘、手形を持つ者だな。」彼女の視線はエリスの胸元の手形とネックレスに注がれた。
エリスはゴクリと唾を飲み、手形を握り締めた。「あ、はい！ 私、エリス！ こっちは信太！ セレナさんにこの手形を渡されて、灰の民の隠れ街に来ました！ あなたが…統領さん？」彼女の声は少し震えていたが、好奇心と決意が混じっていた。
老女は小さく頷き、杖で床を軽く叩いた。「私はリシア、一応、灰の民の統領を名乗らせていただいている。セレナの名を出し、手形を持つなら、ただの旅人ではないな。…そのネックレス、灰の民の証とセレナの通行手形。セレナの匿った乳飲み子がここまで大きくなったか。」リシアの目はネックレスに注がれ、わずかに細められた。「入るがいい。話は中で聞こう。」そうリシアは笑みを零しながら部屋へ促され、エリスと信太はティルとともに建物の中へ入った。室内は広々としており、壁には星図が描かれ、中央には大きな円卓が置かれていた。円卓には青い宝石が埋め込まれ、かすかに光を放っている。リシアは円卓の主座に腰を下ろし、エリスと信太に席を勧めた。
「さて、エリス、信太。」リシアは杖を膝に置き、二人をじっと見つめた。「手形と灰の民の証を持ち、ダストが霧の谷を抜けてここに来た。その目的を聞きたい、聖教の目が迫る今、星脈の力に関わる者は、軽々しく動いてはならんからな。」彼女の声は穏やかだが、試すような鋭さがあった。
エリスは深呼吸し、ネックレスを握りながら話し始めた。「私…このネックレスが灰の民の証だって、セレナさんに教えてもらったんです。聖教がヴェリス王国を支配しようとしてるって…それに、信太が本当の王様の導き手で、星脈の刻印を持ってるって！ 私たちは聖教の計画を止めて、ヴェリス王国を救いたい！ 灰の民の力が必要なんです！」彼女の声は熱を帯び、瞳には純粋な決意が宿っていた。
信太はエリスの言葉に頷き、胸元の刻印を指でなぞった。「俺は…元の世界に戻りたいって思ってたけど、エリスの旅に巻き込まれてここまで来た。セレナさんが言うには、俺の刻印が王を導く鍵らしいし、何よりもヴェリス王国の現状を見て許せないと思います。灰の民の人たちがその手がかりを知ってるなら、教えてほしい。」彼の声は落ち着いていたが、言葉には静かな覚悟が込められていた。
リシアは二人の話を聞き終え、しばらく沈黙した。彼女の青い目は、エリスと信太の本質を見極めるようにじっと見つめた。「…灰の民と導き手の刻印。セレナが託した者たち。ヴェリス王国の運命は、確かに動き始めているということか。」彼女は円卓の宝石に手を置き、かすかに光が強まった。「だが、聖教の力は強大だ。星脈の力を扱うには、試練を乗り越え、己の心を鍛えねばならん。エリス、信太、汝らの覚悟は本物か？」
エリスは即座に答えた。「本物です！ 私、絶対諦めない！ 信太と一緒に、どんな試練でも乗り越えるよ！」彼女は拳を握り、ネックレスが一瞬強く光った。
信太は少し照れ臭そうに笑い、エリスをちらりと見た。「…俺も覚悟はできてると思います。聖教だろうが何だろうが、道を開くためにやるしかない。それに帰るあてもないですしね」
リシアは小さく微笑み、杖を握り直した。「良し。ならば、灰の民の統領として汝らを導こう。だが、休息は必要だ。その傷なら3日ほど傷を癒し、力を蓄えなさい。明日、星脈の試練について話す。」彼女はティルに視線を向け、「ティル、彼らを宿に案内し、世話をしろ。手形の者を見ずぼらに扱うなよ。」
ティルはヘラッと笑い、敬礼した。「了解、統領！ 任せな！ エリス、信太、行くぞ、いい宿用意してやるからな！」彼は二人を促し、建物を出た。
ティルに連れられ、エリスと信太は街の中心にある小さな宿に案内された。宿はこぢんまりとした石造りの建物で、入り口には青いランタンが揺れ、温かな光を放っていた。内部は木の香りが漂い、暖炉の火がパチパチと音を立てていた。宿の主である中年の女性が二人を迎え、傷の手当て用の薬草と清潔な布を用意してくれた。
部屋は簡素だが清潔で、木製のベッドが二つと小さなテーブルが置かれていた。エリスはベッドに腰を下ろし、手形とネックレスを手にじっと見つめた。「信太…なんか、すごいことになってきたね。統領さん、めっちゃ厳しそうだったけど、信じてくれるみたい！」
信太は背囊を下ろし、ベッドにドサリと座った。「ああ、統領って人は本物っぽいな。けど、星脈の試練ってのが気になる。セレナさんの話より、もっとヤバいことになりそうだぞ。」彼は脇腹の傷に薬草を当て、顔をしかめた。
エリスは信太の傷を見て、慌てて近づいた。「信太、傷まだ痛む？ ほら、ちゃんと手当てしないと！ 私、セレナさんに教わった方法でやるよ！」彼女は宿の主からもらった布と薬草を取り、信太の傷を丁寧に手当てし始めた。
信太は少し照れながら、エリスの手当てを受け入れた。「…お前、こういうの慣れてんな。セレナさんにしごかれたんだろ？」
エリスは笑いながら頷いた。「うん、セレナさん、薬草のこととかめっちゃ教えてくれた！ 信太も、私のこと守ってくれてるんだから、私も信太のことちゃんと守るよ！」彼女は傷に布を巻き終え、満足げに手を叩いた。
二人は暖炉の火を見ながら、しばらく他愛もない話を続けた。エリスはネックレスの輝きを見つめ、ヴェリス王国の伝説や灰の民のことを語り、信太は元の世界のことを少しだけ話した。疲れと緊張が解け、宿の暖かな空気が二人を包み込んだ。
「信太、星脈の試練、どんなのだと思う？」エリスはベッドに寝転がり、天井を見つめながら、エリスの質問に少し間を置いて答えた。「…試練ってのは、たぶん俺たちの覚悟を試すもんだろ。セレナさんが言ってた星脈の力とか、ネックレスや刻印の秘密に関係あるはずだ。けど、正直、霧の谷のサングロームだけで死にかけたからな…。次は何が来るか、想像もつかねえよ。」彼の声には疲労と、どこか自分を鼓舞するような決意が混じっていた。
エリスはベッドの上で身を起こし、膝を抱えて信太を見た。「うん、でもさ、信太、私たちサングローム倒したじゃん！ ティルもビックリしてたし、統領さんも私たちのこと認めてくれたみたいだし！ 絶対、試練だって乗り越えられるよ！」彼女の声は明るく、ネックレスが暖炉の光に照らされてキラリと輝いた。まるでエリスの楽観的な心に応えるかのようだった。
信太は苦笑いを浮かべ、背囊から水筒を取り出して一口飲んだ。「お前、ほんとポジティブだな。まぁ、その調子で突っ走ってくれよ。俺は…置いてかれないように頑張るわ。」彼は水筒をしまい、脇腹の傷を押さえて軽く顔をしかめた。
エリスは信太の様子に気づき、ベッドから飛び降りて近づいた。「信太、傷まだ痛む？ 薬草、ちゃんと効いてる？ もう一回見てあげようか？」彼女は心配そうに信太の包帯を覗き込んだ。
「大丈夫だって。エリス、お前も疲れてんだろ。さっさと寝ろよ。明日、統領の話聞いてから忙しくなるぞ。」信太はエリスの頭を軽く叩き、彼女をベッドの方へ押しやった。
エリスは「むー」と唇を尖らせながらも、ベッドに戻って毛布をかぶった。「信太、ほんとお母さんみたいだね！ でも、うん、明日から本気出すよ！ おやすみ！」彼女はネックレスと手形を握り、目を閉じた。すぐに小さな寝息が聞こえ始め、信太は思わず笑みをこぼした。
信太は暖炉の火を見ながら、胸元の星型刻印を指でなぞった。元の世界に戻りたいという願いはまだ消えていなかったが、エリスの純粋な情熱と、セレナやリシアの言葉が、彼の心に新たな責任感を植え付けていた。「導き手…。マジで俺がそんな大役なのかよ…。」彼は小さく呟き、ベッドに横になった。暖炉の火がパチパチと音を立て、宿の静かな夜が二人を包み込んだ。
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