後日談・八蝶の性別・連綿と続く生贄の物語
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鳥居をくぐればそこは参道。両脇には老舗の店からチェーン店と、古きも新しきもお店がずらり。ガス灯を模した明かりの下にはためくのは、国立博物館の特別展のお知らせだ。
『黄昏堂』の福岡支部の拠点は、この参道のそばの、ちょっと入り組んだ路地の奥にある。と言っても『鏡』の世界と同じで、普通の人は入り込まない異次元の場所だ。
だから仕事して引き受ける場合は、わかりやすいように参道で待ち合わせする。
この地名物の餅に、ソフトクリーム、いちご大福、某コーヒー店……。
わたしの隣には、『黄昏堂』調査員の一人であるサトシが、この参道の名物『梅の花の文様が入った餅』……ではなく、とっくにブームも過ぎたタピオカミルクティーを飲んでいた。
「……なんだよ」
猫のような目で、じとっとこちらを睨むサトシ。その向こうには、キャー、美少年がタピオカ飲んでるー、かわいい! と声をあげてサトシを見る、女子大生の姿がある。
改めてサトシの格好を見てみよう。緩やかにウェーブがかかる、肩にかかる茶髪を後ろで緩く一つ結び。今日は、白いワイシャツとサスペンダー付きの黒いテーパードパンツを合わせている。なるほど。女子にウケそうな、中性的な格好だ。
「タピオカを『カエルの卵』とか言うなよな。面白くもなんもねーぞ」
「言わないよ」
そんなひねりのないこと言うものか。わたしはにっこり笑って言った。
「わたしはただ、飲んでる姿がサトゥルヌスに似てるなあって思っただけで」
ゴヤのな。
殴り合いの喧嘩になった。ガチのグー殴り喧嘩だ。参道の真ん中で、大変迷惑な行為である。
女子大生たちはドン引きしながら、店の奥へ去っていった。
「うるっせぇぇ! ホントおま、あれだよな! 余計な一言マジで多い‼ おめーみたいなのがSNS界隈でクソリプ炎上させるんだよ! うざ絡みして叩かれんだよ!」
……あのー。
「はん、今頃タピるとかマジありえない三年ぐらい遅れてんじゃないの⁉ いまだにハンドスピナーとか回すタイプ⁉ 蒼#翔〇に頼んでタイムスリップしたら?」
あのー……。
「道端で座り込んでベイ〇レードとか遊〇王してるやつに言われたくねーんだよなあ! てめーこそWin〇owsに頼んで小学校時代からアップデートしやがれ‼ せめて7ぐらいにはアップデートしろ!」
「いや悪口が独特過ぎんだけど⁉」
その聞いたことがあるツッコミに、わたしとサトシはお互いの顔から視線を横にずらした。
駅の方向からやって来たのは、黒田君と夢原さんだ。今日は二人とも、ブレザーに、スラックスの制服を着ている。
「黒田く、黒田さん!」
「いいよ、君で。俺もそっちの方に慣れたし」
手をヒラヒラと振って、黒田君は言う。『鏡』とは違い、前髪は左分けだった。
あの時わたしと行動していたのは黒田君に似せた『鏡』だったが、ただ似せてたのではなく、魂を共有していたらしい。だから、黒田君もあの時の記憶が残っているんだとか。クラウドみたいなことするな『鏡』。
お言葉に甘えて、わたしは黒田君呼びを続行する。夢原さんも来てくれてありがとうございますというと、こくんと頷いた。この人、本当に必要以上のことは話さない。外で過ごすケイの態度とそっくりなんだよなあ、と思うと、ちょっと親近感がわく。
「後から中学生って聞いて驚いたよ……俺より年下なんて想像もしなかったし」
「あはは……照れますね」
ほおれ見ろサトシ。わたしは対外的には大人に見えるらしいよ?
サトシが愛想笑いをしながらこっちを向く。――だからテメーの外見は詐欺なんだよ。中身が遊〇王とベイ〇レードとう〇こで占められてんじゃねえか。
わたしは負けずと笑みを張り付けてサトシに向ける。――うるせー誰がう〇こで占められてるんじゃおめーの口いっぱいにあんこを詰めて
「いや脳内で会話するのもやめてくれない⁉」
黒田君に悲鳴のような声で突っ込まれたので、この辺でやめておく。
と言うか、何で脳内で会話してるってわかったんだろう。
「袴田先生も今日、無事教職に戻ることが出来たよ」
黒田くんの言葉に、わたしは心から安堵した。
「そうですか。よかった」
ちら、と、夢原さんを見る。
夢原さんの表情はポーカーフェイスで、よくわからなかった。
あれから、真実は伝わったのか。袴田先生と夢原さんが親子であること、それはこちらが口にするべき言葉じゃないだろう。
「行方不明になっていた二人も、合格していたから編入扱いになったし。うちに入部してくれたんだ」
「へえ」
『エリーゼのために』を弾いていた女の子と、テケテケさんの女の子か。確かに二人とも、演劇部の中で重宝されそうだ。
……ちなみに調べたら、『エリーゼのために』の子って、昔某楽器店の全国音楽コンクールで上位に食い込んでた。今は指を痛めてしまい、現在治療中だそうだ。下手とか言ってほんっとゴメン……。寧ろペダリングどころか手首の位置も不自由の状態であれだけ弾けるのはすごいって……。
などと心のうちで言い訳しながら、わたしは彼にこう言った。
「一応、うちのカウンセリングが事件の記憶を封じたので、滅多なことでは思い出さないと思います。でも、思い出せなくても、精神的な苦痛がぶり返すかもしれません。その時は、連絡していただけますか?」
都合よく記憶を封じることは出来ても、傷がなかったことにはならない。
わたしの言葉に、わかった、と黒田君は頷いてくれた。
そして、少し考えて、こう言った。
「……なあ、今日はケイさんは?」
「ああ、ケイ? アイツ、人混み苦手なんだよ」
サトシが代わりに答える。
大宰府の参道は平日であっても、他県からの修学旅行に、海外からの旅行者も多い。今は某ウイルスの流行でがらんとしている日も増えたが、日によってはやっぱり人通りは多かった。
「じゃあ、あの人にもありがとう、って伝えてほしい」
「わかりました」
「…………そんでさ」
何故かそこで、黒田君は言いにくそうにした。
「こういうのって、指摘というか、口にするのは気を悪くすると言うか、マナー違反なのかもしんないんだけど……」
「何でしょう?」
「八蝶さんは……男なのか? 女なのか?」
「どちらに見えます?」
わたしは逆に尋ねた。
ちなみに今日は、茶色のブラウスに、サーモンピンクを落ち着かせたような色のフレアスカートを着ている。髪はギブソンタックだ。
「いやでも、あの時は男だって」
「『男の名前じゃ、珍しくないか?』って言われたから、『竹千代ってあるよ』と答えただけですよ」
わたし自身は、一度も男とか女とか言っていない。そして、どちらに対してもこだわりがある。
ハア、と隣でサトシがため息をついた。
「悪い、コイツいつもこんな調子。日によって着てる性別変わるし、口調も流動的だし。キャラ設定もどれかに統一しろっての」
「あら? サトシは、本物の自分がいるなんて信じてるの?」
わたしの言葉に、サトシが首をすくめる。それ以上は無駄だと思ったのだろう。また黙って、残りのタピオカを吸っていた。
黒田君は、それでも飲み込みづらそうな顔をしていた。何らかの複雑な事情があると思っているらしい。
「わたしは服を変えるのと同じように、性別も口調も変えているだけです。その場の気分、その場のノリなので」
これでも一応、TPOは守っているつもりだ。あの時『黒田君』と呼んでいたのは、恐らく年下だと知ったら、この人は不安になるだろうと踏んだからだ。
今は見栄張る必要がなくなったから、敬語に切り替えただけである。
「あ、黒田君が違和感を感じるなら、変えるよ?」
「あ、いや。そこまでじゃないから」
黒田君が手を振って言う。「うちでも、性別変わったり、口調が変わったりするのはよくあることだし。演劇部だから」
そこに嘘はないようなので、わたしはこの口調を続行することにした。
「それで、あの『鏡』は、今どうしていますか?」
わたしの問いに、黒田君は、なぜか梅干しでも食べたような顔になった。
「え、何か問題でも⁉」
「……えーと、八蝶さんが言った通り、警察から伝わった情報は『被害者は山に迷い込んでしまい、記憶喪失なため事件の真相は未だ不明』だったんだけど、生徒間の噂じゃ、『鏡の怪異事件』っていうことになったんだ。あれだけ離れた山に被害者たちがいたのも、『鏡』の世界が山に通じてるからだって」
それはこないだ、サトシが調査に行ってくれた時に教えてくれたな。
なんでそんなことになったかというと、元々あの土地には『山』と『神隠し』に深い関係があるかららしい。――結局こちらも、山の信仰を借りたわけね。
「またこぞって怪異を試そうとする奴らが出てきたんだけど、入ることは出来なくて、結局噂は噂だってことになって。俺も記憶喪失の体で過ごしてるから、詳しいことは絶対言えねぇし」
「基本異世界は、住人に誘われないと入れませんから」
「そうなの?」
「隠れ里って知っていますか? 『開けてはならぬ』間を開けるまでは、人間は歓迎されて入っているでしょう。浦島太郎も、亀に誘われて入っているし」
だから今回のケースは、結構ヤバイ。他人の空間を乗っ取るとか、そんな術士そうそういない。結界内なら集まったり飛び出したりする森レベルで自分好みの空間に変えられる局長でも、出来るかどうか。相手は外道だが、相当腕が立つのは間違いないだろう。
「んで、話がまた袴田先生とか俺とかに悪意ある方向に進むのもなんだからって、『鏡』が俺の姿を借りて校内うろついてるらしくて。こないだも、教室にいるはずの俺が、食堂にいたなんて話が出て」
「ん?」
「八つ目の怪談『ドッペルゲンガーにあったら死ぬ』が、追加されました……」
「……」
いや『鏡』、傍観どころか青春に参加する気満々じゃねえか。
黒田君とそっくりな顔で、ニャハハ、と笑う姿が容易に想像できた。『鏡の世界』以外でも活動できるようになったから、テンションが上がってるんだろう。
「あの俺、しょっちゅうアイツと会ってんですけど、怪異とか妖怪って、噂とかで影響されるんですよね? 俺、これから死んだり……」
「あ、それはないから安心してください」
生命を脅かす怪異というのは、そうそう作れるものじゃない。人間は面白がって喋っていても、ちゃんと「死」というものにストッパーをかけている。大体「死」の怪異が成り立つのは、本当に人が死んでしまった時だ。
だからこそ、『土蜘蛛』や『牛鬼』は怖い。出会ったら病にかかって死ぬ、という伝承が、昔から存在するからだ。
しかもその呪いには、どんなに高名な術士でも罹っている話が多い。源頼光の『土蜘蛛』退治では、源四天王と呼ばれた頼光さえ病に伏している。
――あの子を思い出す。
猫のような姿に変えられた術士は、いくつかの退治屋組織にたらい回しにされていたことが判明した。現在、あの子は黄昏堂預かりになっている。他所の退治屋では、かなりの団員があの子の邪気にあたり、病に伏せているようだ。
これは牛鬼の性質で、牛鬼の〈憑き物〉だろう、というのが、局長の推測だ。
『最初は自然的なものだったかもしれないが……今は人為的にいじられて、殆ど人間のベースが残っていない』
あの子が生徒の姿をとっていたのは、あの子自身が幻術を使っていたから。──つまりあの子はもう、猫のような姿から、本来の人間の姿に戻ることは出来ない。
今はあまり活動的ではなく、部屋の奥で眠っている時間が長い。動き回る姿も、何かを喋る姿も、わたしは見ていない。
七歳の子どもを、ずっと前からいじって? もう、寿命も幾ばくもない?
病気にされると嫌悪され、遠ざけられたあの子は、どんな思いであの『蠱毒』に参加したんだろう。あるいは、そこに憤りも疑問も感じられないほど、心が摩耗してしまったのだろうか。
それを、利用した人間は、誰だ。
──あの子を、消耗品として扱ったのは、誰だ。
「……おい、怖い顔をしてんぞ」
サトシに言われ、わたしははっとした。
わたしは撫で牛の前に立っていた。後ろには、参道を収めたような鳥居が立っている。
……そうだ、黒田君たちが「これから模試あるしお守り買いたい」って言っていた。黒田君たちは、お参りしに行ったらしい。
「……まあ、怒る理由はわかるけどよ」
黒田たちが心配するだろ、というサトシの言葉は正論だった。
わたしは、うん、とうなずく。
伏せたままこちらを見る撫で牛。その背骨を、そっと撫でた。
撫で牛は、悪いところに当たる場所を撫でると治る、と言われている。あの子のどこが悪いのかわからないから、とにかくあらゆるところを撫でる。
撫で牛の由来は、撫でて邪気をこすり付けて落とす信仰から来ているらしい。そしてここでは、牛は聖なる獣だ。
どうか、わたしの身体を伝って、あの子の身体が少しでもよくなって欲しい。
『無条件に貶めていい相手を見つけないと、アンタら人間は昔っからやっていけねぇもんなあ?』
『鏡』の言葉を思い出す。
撫でて、押し付けて、満足して。
そうして触れた、金属でできた牛の身体は、ただただ冷たかった。
──妖怪の在り方は、わたしたち人間の在り方の「鏡」だ。
恐怖や不安を何かのせいにしないといけなくて、それを押し付けるために、無条件に貶めていい相手を探す。
その姿の一つが信仰や神様になり、その姿の一つが妖怪になった。
わたしは袴田先生が犯人にされないように、『鏡』に押し付けた。人間じゃなくて、妖怪だからという理由で。
理不尽に嫌なことを押し付けられる苦しみも、それに対する怒りも知っている。なのにわたしには、それを清算する力なんてない。気づけばまた別の人に、モノに、押し付けている。
理不尽に対して怒るくせに、同じことしかできないし、してない。
『鏡』は言った。「そう在れ」と願われ、プログラミングされた妖怪と違って、人間は自由があると。
でも本当に、わたしたちは自由なのだろうか。──だとしたらわたしたちは、きっと自分が自由であることを恐れている。ルールで縛り、そのルールを存続させるために、誰かを犠牲にしている。
誰もが誰かの消費者で、誰もが誰かの消耗品だというのなら。
それで社会や生が成り立って、存続させるためにずっと生贄を求めているのなら。
じゃあ人間って、なんですか?
(第1話『鏡』 終わり)
参考文献
小松和彦『妖怪学新考 妖怪からみる日本人の心』1994年、小学館