答え合わせ 1・答え合わせ 2・事件の収束・山の力
「まだとぼける気ある? 『七不思議』の第一位、『踊り場の鏡』さん?」
わたしの言葉に、黒田君――いや、黒田君の皮を被った妖が、ニヤリ、と笑った。
その瞳は、先ほどの人の好い笑みを浮かべていた人間には似つかわしいほど、妖しげに細められる。
「……へぇ? どうしてわかった?」
「マジで言ってる? あの暗闇の中で、懐中電灯もケータイの明かりもなしに、普通の高校生が『蜘蛛』から逃げ回っていた、っていう時点でおかしいでしょ」
それに、いくら時間が緩やかで体感時間が3時間と言っても、普通あの暗さで長くいたらもっと不安になる。おまけに命の危険も迫っているのだからなおさら。――そうならないように、被害者たちは心を閉じて過ごしていた。だからこそ、術士は被害者たちを操れたと言える。
要するに、普通の高校生にしちゃ、あまりに元気すぎたのだ。
「それに、黒田君の前髪は右分けじゃなくて、左分けだよ」
「あー、そこは気づいていても、鏡の性質上いじれなかったわ」
これなあ、と『鏡』は前髪を撫でる。
ガラケーの画面は逆にはなっていなかった。あれは、本物の黒田くんの所有物だったのだろう。
「……で、彼は?」
「安心しな。他の被害者たちと一緒に、2階の教室で眠ってんよ。無傷でな」
その言葉に、わたしはそう、と返す。
この蠱毒は、怪異を「戦意喪失」させれば、勝ち抜ける。
そしてわたしたちが脱出出来たということは、『鏡』には出会った当初から戦意がなかったということ。わたしが『鏡』の演技に付き合ったのは、それを確かめるためだった。まあ、最初から敵意なんてないのはわかってたんだけど、正体がわからなかったので。
何故戦意がないのか。そりゃ、自分の陣地から出る必要が無いからだ。『鏡』だもの。
「君は黒田君を守るために、参加したんだね?」
「ま、結果的にそうとも言えるけどよ。俺はいいようにされたくなかっただけだ」
胡坐をかいて、右手で頬杖を突きながら、『鏡』はふてぶてしく言った。
「お察しの通り、俺は、創立当時の校舎の代からあった、鏡の付喪神だよ」
「随分長持ちしたね?」
確かにあの踊り場の鏡、古そうではあったけど。この中高一貫、校舎こそ新しいが、創立当時って言ったら、140年ぐらい前だったはず。
「いや、鏡自体というよか、鏡に映った学校の時空間を蓄積した異界――に人格が出来たもの、って考えてくれたらいい」
学校の情報が鏡の世界に蓄積されているということは、今黒田君に化けている『鏡』は、情報を検索できるAIと言ったところか。
早い話、『鏡』は、生徒が作った学校の七不思議が出来る前から存在した妖怪だということだ。
「んで、術士が突然やって来て、『この学校を蠱毒の場所に使いたい』っつーから断ったら、俺の家が半分乗っ取られて、残った半分も蠱毒の場所に使われたってわけ」
自分の家に勝手に居座られたら、誰だっていい気分しねーだろ? と、『鏡』。
「被害者を鏡の世界に引き込んだのは君じゃなくて、半分乗っ取った術士、ってことでいいんだよね」
わたしの言葉に、そ、と鏡は肯定する。
『鏡の世界』は半分乗っ取られていた。だから幻の4階は、プレートの文字が反転しなかった。あそこは鏡の世界を半分乗っ取った術士の空間だからだ。乗っ取った半分を作り変えたのか、自分の世界を内在させたかは、専門家じゃないからわからないけど。
「本来、生徒たちの夜遊びだった学校の七不思議を流したのも、ソイツ?」
「そそ。今、SNSとかで簡単に広まるからな。すーぐ試したがるバカがやってきた。管理者権限(半分)で弾いてやったけど。なんとか入口だけは取り戻せたからな」
「でも、一人引き入れちゃったんでしょ? なんで?」
目を細めたまま、指をさして『鏡』は言った。
「そいつだよ。俺の家を半分乗っ取った術士」
『そいつ』とは。
わたしが今抱えている、猫のような姿をした『被害者』だった。
「……は?」
「生徒になりすましてたのさ。術か何かで」
「はぁぁぁぁ!?」
そんなバカなこと、…………あるかも。
だって最後の一人の被害者の情報、ここの学校の生徒ということしか思い出せない。男か女か、何年生なのか、顔もわからないまま、なのに疑問にすら持たなかった。
外部の人間すら、暗示がかけられてたってこと? プロが簡単に暗示をかけられてたのも怖いが、何より怖いのは動機だ。
「何で? 何で術士が生徒になりすまして蠱毒に突っ込むの? 自殺行為っていうか自殺そのものじゃん??? 勝っても負けたヤツの肉体と意識が混ざって、自分の肉体の原型も意識も殆ど無いんだよ? イカれすぎっしょ!?」
「さあね」
けど、と『鏡』は言った。
「そいつ、かなり身体を弄り回されている。魂の形からして、おおよそ七つ。となると、下手すりゃ赤子の時から改造されてんだろ」
身体を弄り回されている。七つ。赤子から。
それがあまりにも淡々と語られるから、わたしはうっかり、右から左へ流すところだった。
まさか、この子のこの姿は、身体を改造されて?
「……言っとくが、俺のところに来た奴は、別の――まだちゃんと『人間の形』をした術士だった。どうやら後から来たそいつは、半分乗っ取った世界を引き継ぎされたらしい。
他にも共犯者がいるんなら、『黄昏堂』みたいに組織ぐるみなんだろう。そいつのバックボーンが、かなりイカれてるっていうのが妥当じゃね?」
わたしはほぼ反射的に応えた。
「その、バックボーンって、一体?」
「さあね。術が解けるんなら、そいつに聞いてみなよ。……そいつの身体が、どれぐらい持つかはわからないが」
……わたしは、猫のようになったその身体を抱きしめる。
心臓の音が脈打つ。不安になるぐらいか細い鼓動。でも、あたたかい。それを一つ一つ確かめるために、わたしは一旦目をつぶる。
そしてしっかり見開いて、ふたたび『鏡』に向き合う。
「それで『鏡』が、どうして黒田君の真似を?」
「まあ俺も聞いた話だけど。蟲じゃない『蠱毒』って言うのは、ただ入れるだけじゃダメなんだそうだ。決められた数が必要で、今回の場合は七だったな。それより少なくても多くても発動しない」
「七……」
被害者は三人。そして生徒に成りすました術士が一人。黒田君。『鏡』。そしてわたし。階段の怪異は、多分階数を言及したわたしだった。七つ目の「人知れず不幸になる」怪異は、『鏡』によって保護され、成りすまされた黒田君だろう。
まあ途中で、ケイが乱入しているんだけど。数の条件は、あくまで発動時、ということか。
……そうだ。数が乱れた時点で、蠱毒の条件は壊れていたはずなんだ。
「蠱毒の儀式の条件が満たされれば、後は殺し合いだ。だが儀式が始まらない限り、被害者たちは外に出られない。
そんな時、黒田が『黄昏堂』に依頼するために、怪奇現象を撮影するなんて言い出した。『黄昏堂』の噂は聞いてたから、一か八かかけたのさ」
「だから君は、黒田君を保護して、黒田君のフリをしていたのか……」
自分のパソコンの中に、アバターを作るようなものだ。
「ん? でも君、今も普通にいるよね? ここもう、鏡の世界の校舎じゃなくて、現実の屋上でしょう?」
「みたいだな。言っておくけど、今までできたわけじゃねえぞ? アバターが鏡の外に出られるんなら、こんな賭けには出てねーし」
つまり、本人にもわからないということか。
蠱毒の『壺』として使われたということで、何か異変が起きたのかもしれない。
まあ、それは後で報告書を書くときに考えるとして。
ここでは、『事件の収束』を考えないといけない。
「それで、この事件の公表の仕方なんだけど」
わたしが言い切る前に、『鏡』が先回りした。
「――『黄昏堂』としては、妖怪が起こした事件として公表は出来ないけど、噂としては流すことが出来るから、俺に濡れ衣を着せるって?」
軽蔑の色が混ざった歯に衣着せぬ言葉に、わたしは答えた。
「着せるんじゃない。――着てくれないかなー、って」
「神経大根なの?」
妖怪にドン引きされた。
確かに、我ながらやべぇこと言ってるなあ、と思う。思うけど。
「既に、君が黒田君を引き込んだ動画は流布されている。対外的には、『鏡の怪異が人を引き込んだ』という風に見えるんだ。これを使わない手はない」
大衆が袴田先生にかけている容疑を晴らすためには、わかりやすい理由と原因が必要だ。大衆にとってそれは、犯罪者でも、妖怪でも構わない。とにかくもう危機は去ったとわかれば、安心できるのだ。例え本当はそうじゃないとしても。
わたしからしても、『蠱毒』や『牛鬼』なんてヤバい妖怪の噂より、勝手に侵入者を弾いてくれる無害で特定の鏡が原因だと噂される方が、よっぽど安全だと考える。
「なるほど。つまり、別の生贄をご所望ってわけ」
「……だめ?」
「なーんでそこでいいとか思っちゃわけ? 冤罪だよアナタ? 法律的にはアウトっしょ? 人の嫌がることはしちゃいけませんって親御さんに教わらなかった? 人じゃねえけど」
「――でも君、黒田君たちのこと、好きでしょう?」
だから解決したがっていたんだよね、という言葉に、『鏡』はあんぐりと口を開けた。
「袴田先生が犯罪者になるのも、黒田君がインターネットでヤラセとして叩かれるのも、夢原さんが心無い噂で傷つくのも、君の本意ではないはずだ」
このまま人為的なものだと認定されれば間違いなくそうなるよ、と、付け加える。
暫く、沈黙が流れた。
「……ま、いっか」
『鏡』は立ち上がって、わたしを見下ろした。
「付き合ってやんよ。──無条件に貶めていい相手を見つけないと、アンタら人間は昔っからやっていけねぇもんなあ?」
両手を広げ、『鏡』は言う。
鏡の世界とは違い、月光によってよく照らされた屋上。
光があるからこそ、黒田君の姿だったモノの顔を、逆光によって真っ黒に塗りつぶした。
ただ、目と口は、今夜の月のように笑って見えた。
「ああそうだよ。俺は人間が大好きさ。騙されてたまるか、自分にとって不都合なことは起きてたまるかって、先の先、言葉の裏をかこうとして、結果自滅する姿がな。
よくわからん理不尽な力じゃ、面白くないだろ。人間の破滅っていうのは、もっと自業自得じゃなきゃ」
「要するに、自由に悩める青春を見るのが好きなのね。君」
「……勝手に言葉の裏読まないでくださいますぅ?」
明らかに拗ねた口調。
しかしその続きは、随分と柔らかい口調になった。
「……けどまあ、アイツらのバカ騒ぎを、こんな形で利用されるのはムカつくからな」
先の見えない将来を見据え続けて、疲れた受験生たち。
怪談のオチも、先生たちに怒られる後先も考えずに、ただその一日だけを考えて、笑って過ごした。
「妖怪とは違って、人間は自分の頭で考えて、ルールから外れることができるんだ。まあ、ちっぽけで一瞬の自由だけど、それすら妖怪は持っていない。指示通りに動いて、憎まれて、嫌われるのが俺たちだ」
決して参加することは出来ない。そこに『鏡』はいない。ずっと、見ているだけ。それを自分の世界にずっと蓄えて、大切に、大切にしてきた宝箱のように『鏡』は語る。
――百年以上見続けた『鏡』にとっては一瞬のことでも、十八年しか生きていない人間にとっては人生の六分の一の出来事だということを、きっと『鏡』は気づいている。
随分お人よしな人でなしだ。
「そんじゃ、俺はもう寝るわ。後はアンタらの好きにしたらいい」
『鏡』はわたしに背を向けた。その背中に向けて、わたしは言葉を投げた。
「ありがとう」
「やめろやめろ、まるで俺が自己犠牲でやってるみたいじゃねぇか」
あんたらに脅されてやってんのによ、と、手をヒラヒラとさせて、
そしてこちらに振り返った。
「……なあ、アンタ。アンタは――」
そこまで言いかけて、いや、と『鏡』は言った。
「やめとくわ。やっかいなことに巻き込まれそうだからな!」
『……行ったか』
スウっと背景に溶け込むように消えた『鏡』を見届けた後、コートからくぐもった声が聞こえた。
「あれソメさん。起きてたの?」
わたしの問いに、コートのポケットから、杼――〈ソメさん〉が出てくる。
ふよふよと宙に動きながら、〈ソメさん〉は『アヤツに叩き起こされた』と言った。アヤツとは『鏡』のことだろう。
『あの「蠱毒」の術、我らを取り込もうとする気満だったのう』
「そうだねー……」
教室の扉開けた時、ダイ〇ンかって思うぐらい、ものすっごい力で引き込まれたもんね、わたしたち。
付喪神である『鏡』がカウントされるのなら、わたしと一緒にいた〈ソメさん〉も数に入っていたはずだ。だからわたしが鏡に引き込まれた時には、すでに八人になっていたはず(『鏡』や〈ソメさん〉を人と数えていいかはひとまず置いておく)。
生贄を用いる術は基本、多くても少なくても発動しない。
それなのに、蠱毒の術が発動したと言うことは。
「〈ソメさん〉、『鏡』に眠らされてた?」
『これから敵の本拠地に行くと言うに、我らがのんきに寝てると思うかえ?』
「だよねえ」
ケイと違って、わたし自身に退魔の術はない。妖怪や幽霊を祓うどころか、本来なら妖怪も幽霊も見えない。それで退治屋の仕事が出来るのは、〈ソメさん〉の力を借りているからだ。
だがら今回も〈ソメさん〉の力を借りて、パパっと蜘蛛を退治しようと思ったんだけど、なんと『鏡の世界』に入った瞬間、〈ソメさん〉の意識がなくなるというトラブルに見舞われてしまった。今回は『蠱毒』だったから、逆にそれで助かったんだけど。
あのまま暴力的に倒していたら、被害者や黒田君、そして今抱きかかえているこの子と融合してしまったかもしれないし。
「さっき言ってた、『鏡』の管理人権限ってやつなのかな。〈ソメさん〉さえ弾き飛ばせるなんて、すごいね」
『八女の近くであるし、山の力も借りているのだろうよ』
〈ソメさん〉にそう言われて、わたしは、目の前にそびえる山々を見上げた。
水縄山地。別名、耳納山地。昔、この地に牛鬼が現れ、その削いだ耳を山に埋めたことから付けられた名前だ。
そしてここから見て南側に位置する八女の山々は、八女津媛と呼ばれる女神が住まう場所でもある。――天津神ではなく、国津神の影響が、いまだに強い土地。
なるほど、術士が喉から手が出そうな場所だ。さては退治にかこつけて、土地を奪う算段でもするつもりだったのか。
「周りは滅茶苦茶古代の神秘で囲まれてるのに、ここは真っ白なんだから、そりゃ狙われるよなー。なんで今まで無事だったんだろ」
『ゆえにあの付喪神がいたんだろうて。この学校の創立当時からいたようであるし』
なるほど。新しい校舎なのにわざわざ古い鏡を持ってきたのは、あの『鏡』自体がすでに守り神として知られていたからだったのか。鏡は古くから神が宿るとも言われているし、魔除けになっていたんだろう。願掛け程度なら、教育基本法15条には触れないだろうし。
少し曇ってはいるけど、いまだに割れもせず、シケもなかった。よほど、大切にされてきたんだろうな。
「……モノですら、大切にされるのにな」
わたしは腕に抱える猫のような身体――幼児と言っていいぐらいの術士――の身体を撫でる。
術士は、すうすうと寝息を立てていた。
毛並みはあまり、艶やかではない。撫でるほどフケやコナが出てくる。皮膚もボロボロのようだった。
モノですら大切にされるのに、人が大切にされないのは何故だろう。
この子が今までどんな扱いを受けてきたのか。わたしには想像もできないし、想像するのも怖くて、考えないことにした。
考えたくないのに、胸はどうしようもなく、痛かった。