表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/27

なんてものを、作ったんだろう。/後世に残す、その功罪

「別府の『蜘蛛』というなら、わたしは土蜘蛛が怪しいと思う」

 っていうか、それぐらいしか蜘蛛の伝承を見つけられなかった。


「『日本書紀』には、景行天皇が討伐しに来た際、速津媛(はやつひめ)が敵対する土蜘蛛たちの情報を伝えて、見事天皇側が勝利したと記されているんだ。そのため、この辺りは『速津媛国』と呼ばれていた時期があったと、『豊後国(ぶんごのくに)風土記』には記されている。

 その際、滅ぼされた土蜘蛛の血で染まったのが血田、転じて知田という名前になった。稲葉川の近くにあったんだって」


「血と、川か」

「知田って、今のどこだ⁉」


 スマホを取り出すサトシに、わたしは、それはわからない、と返した。


「一応、それらしい場所はサイトごとに上がってはいるんだけど、やっぱり断定は難しい。

 ……ただ」



「もう一つ、候補地があるんだな?」


 ……よく気づくなあ、ケイは。

 ケイの言葉に、わたしは頷く。

 別府限定の蜘蛛の伝承、という意味では、土蜘蛛以外に思いつかなかった。けれど。


「『女』と『血』、それから、ここが神仏習合の先取った場所っていう所が引っかかっている。つまり……」

「つまり?」


 ――言いたくないな。

 こんなの、本当に言いたくない、認めたくない。想像もしたくない。

 唇を強くかみしめて、わたしは覚悟を決める。



「……血盆経。つまり、女性の、血の穢れのことなんじゃないかなって」



 なんてものを作りだしたんだろう。

 こんな概念、なんのために作ったんだろう。



            ■



 血の穢れ。

 東西の宗教や文化に存在し、今もなおインドのアウトカースト(ヒンドゥー教)などに根強く残る概念。

 日本でも、それらは多くの差別を生み出した。女性差別は、その一つに過ぎない。

 しかし生理や出産をする女は穢れているとして、まずは神事や朝廷、時代が下ればあらゆる山や島の聖域、祭りに女性が立ち入ることを禁じた。

 ……伝統なんて言葉で誤魔化しているが、要するに世の中の半数の人間を、()()()()()()()()()()()()()()、という意味なのだ。



「そういや昔、生理中の女は鳥居を潜っちゃいけないっていうのがあったって聞いたな」

「うん。今でも、相撲の土俵に女の人が上がっちゃいけないとかで、ニュースになったよね。


 でもね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 初めて女性の穢れが登場したのは9世紀半ばの平安時代。「死」の穢れと同じで他人に移すとされた「産」の穢れ、その次に月経の忌避が制度化された。

 だが、「産」と「月経」の穢れは、同一視されるものではない。


「まずそれ以前に、日本に『産』や『血』に穢れがあるとか、そんな考えはなかったんだ。特に月経は、712年に編纂された『古事記』からもうかがえる」



 その内容が、倭建命(ヤマトタケルノミコト)美夜受比売(ミヤズヒメ)の結婚だ。

 結婚の日、美夜受比売は、上着の裾に月経の血がついていた。倭建命が「月が立ってしまったね」と詠うと、美夜受比売は「あんたの帰りどんだけ待ったと思ってんの月ぐらい立つわ(超訳)。抱け(意訳)」と歌で返した。その後結婚したそう。

 この結婚は「御合(みあ)い」といい、=セックスの意味なので、二人は無事共寝をしたと言われている。



「血と豊穣の話が『播磨国風土記』で度々出ることから、元々血には力が宿っていて、穢れに転じた、という風に考えている学者もいるけど、わたしはそうは思わない」


 いや、あるにはあるんだろうけど。尿とか糞とか垢にも、力が宿っていると考えていたはずだ。イザナミの死体から神様が生まれた話とか、イザナギが身体を清めて生まれたアマテラスとか考えると。


 次に出産の穢れ。これも血の穢れ、どころか「血」の力とは関係なかったとわたしは踏んでいる。


「そもそも妊婦や産婦は、科学が発達した今でさえ『何かすごい力』を秘めているって思うでしょ。そこに、血を連想したり、……っていうかまず経血をリアルに想像出来る? 男子たちよ」

「まあたしかに……。なんか、別次元のすごさだよな。そもそも生理になったことねぇから、股から血が出るとかよくわからん」


 真顔で言うサトシの言葉に、わたしは頷く。


 土偶は、妊婦を崇敬したものと考えられているものが多い。

『肥前国風土記』では、吠えていた天皇の猟犬が、妊婦を見ると静かになったという話がある。今も宮崎の方では、妊婦がいるとたくさん獲物がとれると言われているらしい。──以上のことから、古代の妊婦は獣と関係が深いことがわかる。この辺り、ギリシャ神話のアルテミスを連想させる。彼女は処女神であるが同時に妊婦・出産の神であり、狩猟の神だ。

 さらに付け加えると、神功皇后の「身ごもったまま海に渡ったり・船に乗る時魚を引連れたり・戦ったりする」話は、北部九州のあちこちで残っている。


 そもそもイザナギとイザナミの国産みは出産そのものだし、その後も度々登場する出産シーンでは産屋を建てて、「見るな」のタブーを演出している。これは穢れではなくて、聖域の扱いだ(そして見た男は女からフラれる)。イザナギがイザナミに「お前が1日に1000人殺すなら1500の産屋建ててやるからな!」と宣言していることからも、出産は死の穢れとは対称的な位置にあったのは明確だ。


 そんな日本に入って来たのが、仏教だった。


 ブッダが本当にそう言ったのかは怪しい、というかブッダの女の弟子の話も数多くあるので(そもそもブッダは自分で経典を書いてない。経典は弟子とか後世の人たちの手で書かれている)、多分後世に広まったものだと思われるのだが。



「仏教では、『女は男の修行の障害である』とされていたり、『女は五つの仏にはなれない』とか(五障)、『成仏するにはまず男にならないといけない』(変仏男子)、なんて言う話が出来ていった。

 とんでもない差別だけど、でもこれ、9世紀までの日本じゃ、全然流布されなかったんだよね」


「全然?」


「全然。それを書いてる法華経は広まったけど、『五障』とか『変仏男子』はスルーされてたんじゃないかな。そもそも()()()()()()()()()()()()()



 その中でもっとも目覚ましい活躍をしたのが、光明皇后だ。

 また、ちょっと遡って飛鳥時代、日本で最初に出家したのは三人の尼さんだった。最初に建てられたのも、彼女たちによって作られた尼寺である。一応日本にも寺はあったし大陸から来た僧もいたんだろうけど、彼女たちは百済で留学して、しっかりと資格をもぎ取ってきた学問尼だった。

 国分寺は、僧寺と尼寺がセットで作られているし。ここテストに出るよ(キリッ)。



「ところで、さっき上げた『産』の穢れと月経だけど、別に血の穢れは女の人だけに留まらない。血の穢れが叫び始められた平安時代は、陰陽道が盛んで、何かあるたびに物忌みをしていた。男女問わずにね」


 なぜ血の穢れが流行ったのか、明確にはわからないが、わたしは8世紀(奈良時代)に流行した天然痘が原因なのではないかと考えている。

 他にも原因不明の病気も流行っただろうし、病に感染した産婦が死ぬことも多かっただろう。そもそも出産は母子ともに命懸けだ。血は感染経路でもある。

 病は物の怪に憑かれていたからだ、産には祈祷師を呼べ、と考えられていた時代、『血の穢れ』『産の穢れ』が発された最初は、差別意識ではなく合理的配慮だったのではないか。



「……でもこの後すぐに、『血の穢れ=女の穢れ』、さらに『女はとにかく穢れている』の思想で、朝廷や行事から女を締め出すんだ」



 神道の穢れと、仏教の穢れは違うものだった。神道の穢れは死の穢れ。一方、仏教は「死」を厭わない。そもそも成仏って、死なないとなれないし。

 そして、本来神道の穢れは一過性のものだ。物忌したり、清めれば身体から去っていく。ところが、ヒンドゥー教のカースト制度に影響を受けたであろう仏教の穢れは、「()()()()()」だ。

 ただ、「血の穢れ」の一部でしかなかった月経が、のちに「血の穢れ=月経の穢れ」になったきっかけは、斎宮の月経だと言われる。

 何にせよ、神仏習合、死の恐怖と陰陽道の物忌みの概念が混ざりに混ざり、「死もアウト」「血もアウト」「女もアウト」が結び付いてしまったのは想像に難くない。

 この頃末法思想とかノストラダムスの大予言とかマヤの予言とか言い始めるわけで(※ノストラダムスの大予言もマヤの予言もまだありません)、どんどん仏教に傾倒していく人が増えていくんだけど。


 なんというか、穢れという概念は、ダイエットの「まだまだ、もっともっと痩せたい」みたいに、()()()()()()沿()()()()()()()()()()という脅迫概念にかられ、ブレーキが止まらなくなっている感じがする。――まあ、この辺りはわたしの憶測だけど。


「少し遡って9世紀初頭、山岳仏教が盛んになった。これは天台宗――このお寺もそうだね――とか、真言宗とかを指す。

 サトシ、君の期末テストには奈良時代が含まれてたっぽいけど、南都六宗のことは覚えてる?」


「おう。つっても、華厳(けごん)宗とかぐらいしか覚えてねーけど」

「華厳宗だと、さっき言った奈良の大仏がある東大寺だね。とはいえ、南都六宗のお寺は、今はあんまり見かけない。ある意味、平安時代に迫害された宗派なんだ」


 この『南都六宗』という名称は、平安時代に広まった天台・真言宗と対する名前で呼ばれたものだ。

 というのも、南都六宗は奈良仏教なので、奈良時代に絶大な力を誇っていた。奈良の大仏とか政治介入ができるほど。それが問題視されたのだ。



「その決定的な事件が、さっき言った宇佐八幡神託事件――道鏡を天皇にしちゃえ事件だよ」


「「ああー……」」

 サトシとケイの声がそろう。


 道鏡は法王の地位を、称徳天皇(孝謙上皇)から授かった。その際、度々政治介入を行ったとされる。これは南都六宗の介入もあっただろう。

 そうやって宗教に振り回されるのも問題だってことで、桓武天皇は南都六宗(奈良仏教)の力が及ばない場所に引っ越した。それが長岡京の後に建てられた平安京、794(鳴くよウグイス平安京)年である。


「で、南都六宗の代わりに、天台宗や真言宗などの山岳仏教が天皇から重要視された。天台宗を開いた最澄は中国で留学していたわけだから、奈良仏教と根本的に違う。

 女が修行の妨げになるからって、比叡山に立ち入ることを禁じたのも最澄さん」


「女が修行の妨げになる」という思想は、初期仏教が広まった中国でも度々意識されることだった。

 そして多分、この時期を境に、法華経の『五障』や『変成男子』が意識された。平安時代は法華経ブームで、当時は八講という、短期間で法華経を勉強するセミナールがあったらしい。『枕草子』にも、「経は法華経!」って書いているし。



「――とはいえ、やはり最澄さんに女は血で穢れている、という思想はなかったと思う。天台宗が重視した法華経は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、唯一の経典だからね」



 つまり平安時代には血の穢れはあったが、仏教ではイコール女の穢れではないではない。

 女は五障の身ではあるが、法華経は成仏の仕方を教えてくれる。つまり、どんな人でも助けてくれると信じられていた、ということだ。

 血の穢れと「五障」「変成男子」の身は、ここではまだ完全には結び付いていなかった。多分ね?



「南都六宗の力が削がれると、各地にあった国分寺……尼寺も、どんどん力を失っていく。称徳天皇(孝謙天皇)は、尼だけに与える位を作っていたんだけど、これも宇佐八幡神託事件を機に消滅してしまうんだ。

 とは言え、尼さんの活躍がなくなったわけじゃない。逆にすっごく増えていった」



 そこのところが、南都六宗のデメリットというか。良くも悪くも、学問・技術の扱いだったんだよな。いわば研究職、大学の先生。それを世間一般に・わかりやすく広めようというのが、下手だったのだ。



「さて、山岳仏教によって確立された女人禁制は、鎌倉時代になって強固になる。天台宗の教えを基礎とし、浄土宗を開いた法然もまた、『無量寿経釈』で女性は罪深いから霊験あらたかな山には登れない、と言っている」


 でもこれも血の穢れや産の穢れとは関係なかったかもしれない。あくまで山の聖域から排除するのに、『五障』を根拠に使ったように見える。

 それを反映するかのように、北条政子もしかり、鎌倉仏教は尼さんが強い。


「男たちは山の聖域に入ったけど、彼女たちはその下の世界で仏教を広めて活躍し、夫亡き後後家として菩提を弔って自問自答し続けた。けれど……」

「けれど?」

 サトシの言葉に、わたしは覚悟を決めて続けた。



「室町時代、月経や出産の度に血を流す女は、死後血の池地獄に落ちると言われるようになった。根拠となる経典が、『血盆経』。10世紀ごろに中国で作られたと言われる、偽経だ」



 なぜそんな経典が作られたのかは、わたしにはわからない。

 だが日本では、これが女人禁制と後世の女性観に結び付けられることになる。




「室町時代はね、絵解きや絵巻、『御伽草子(おとぎぞうし)』を通して、民衆に仏教を広めていたんだ。わたしたちがよく知る昔話の原型は、この時に出来ていると言われている。わたしたちが親しむ昔話は、元々は仏教のお話だったんだ。

 その結果、平安貴族の間にしかなかった穢れの概念が、民衆にも広まることになった」




 わたしは、一呼吸おいて言った。




「……女性の穢れ、血の穢れを決定的に広めたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




「……それは」


「この辺りの話は、長くなるからこの辺で。

 でね、予言の話に戻るんだけど、わたしは、『女の蜘蛛によって、川や海が血に染められる』というのは、()()のことじゃないかなって思うんだ」


 だとするならば。

 その予言の時間は、簡単に推測できる。


「明日、七夕だよね」

「そうだな」

 それが? と尋ねるケイに、わたしはスライドをめくる。

 表示されるのは、織姫彦星天の川の絵……ではなく、機織りと針、そして川だ。



「織姫は別名、細蟹(ささがに)姫。細蟹っていうのは、()()のこと。

 七夕っていうのはね、元々中国じゃ乞巧奠(きこうでん)って言って、織物や裁縫の上達を祈るものだった。お供え物の瓜の上で蜘蛛の巣が張っていたら、上達できるって習わしがあったんだ」

「!」


 二人の顔色が変わる。


「さらに言うとね、中国じゃ七夕って、恋人の日だったり、結婚を祈ったり、()()が授かることを祈る日でもある。中国じゃ機織りって、花嫁修業の一つだからさ」


 そして日本では、七夕(たなばた)の由来である棚機津女(たなばたつめ)信仰があった。神の嫁になる処女が、水辺の機屋に籠って機を織り、朝に神が帰る時、人々が水辺で清めた邪気を持って行ってくれる……そんな伝説と混ざっている、と言われる。



「最もこれは、折口信夫が『水の女』で書いている事だから、本当にそうだったかがわからない。ぶっちゃけ思い込みじゃないかなー、ってわたしは思う」

「なんで?」

「折口信夫が活躍した時代、民俗学や歴史学で、今考えられている歴史上の女性像が出来ている。

 でも、科学的根拠・考古学的根拠・史学的根拠がすごく薄いんだ、これが。捏造って言っても過言じゃないぐらい」



 例えば原始時代の男が狩猟、女が採集とか(これは全世界共通の考えだけど)。

 女性には霊力があるから、卑弥呼は宗教のトップになって、実際の政治は弟がやっていたとか。

 推古天皇は女だったから、中継ぎとして選ばれたとか。女だったから聖徳太子を摂政にしたとか。




 わたしたちの主食がコメであるように、彼らの主食は備蓄できる木の実だ。コメと同じで、男も採集に携わっていたと考えた方が筋が通る。女の人の骨に狩猟痕があったり、墓の副葬品として狩猟道具が見つかったことは、海外メディアが報告している。


 卑弥呼が巫女であるという話も、実は『魏志倭人伝』には登場しない。これも明治時代に提唱された説だ。『魏志倭人伝』に出てくるのは、あくまで、「鬼道で人々を惑わし」である。この鬼道は、当時の「邪道」の意味合いに近くて、必ずしも宗教であったかは言い切れない(多分巫女でいいと思うけど)。はっきりわかることは、弟の名前は残らず、彼女の名前だけが残ったということ。卑弥呼は『親魏倭王』の金印を渡されるほど、外交力に特化した国のトップだったこと。『魏志倭人伝』に書いた人は、邪馬台国を『女王国』と見なしたことだけだ。


 推古天皇の政策はすべて聖徳太子がやっていたと考える説も、今では否定されている。彼女は公正であり、豪族のパワーバランスをとるのが非常に上手い人であった、と最近では評価されている。


 そもそも古代の女王の責任能力や執政権は、男王と同等だ。白村江の戦いで、女帝・斉明天皇(皇極天皇)が、68歳で北九州まで行っていることからもわかる。

 天武天皇に隠れがちだが、実際の律令国家の原型(戸籍とか身分制度とか)を作ったのは女帝・持統天皇だし、『古事記』『日本書紀』『風土記』の命を出したのも、天武天皇の後を引き継いだ女帝・元明天皇である。

 元正天皇は元明天皇の娘で(彼女は唯一母親から天皇の地位を引き継がれている)、晩年は身体が弱いうえ仏教ばっかりかまける聖武天皇に代わって、政治を行っていたらしい。

 そんで、さっき言った孝謙天皇(称徳天皇)は、女帝の中で唯一皇太子を経てなっている。



「天皇は男子のみと決まったのは、明治時代と言われているよ」

「ふーん……それなのに今、女性天皇がなんちゃらー、ってもめてるわけね」

「そりゃなれる人が、いなくなってるから……」



『まあ、我らからすれば、ヤマトなぞとっとと途絶えろ、と思うのだが』



 と、ここで別の人の声が混じる。

 わたしが着ていたカーゴパンツのポケットからフワフワ出てきたのは、キラキラと光る糸をたらした杼――〈ソメさん〉だ。


「あれ〈ソメさん〉、起きてたの」

『起きた。というよりも、不快な単語を聞いて起こされた』

「あー……ごめん」


 わたしはこそっと謝罪を返すしかない。

 サトシをちらっと見るが、サトシは特に疑問に思っていなさそうだ。よかった。


 っていうか、時間ないのに随分話が逸れちゃったな。そうだ、棚機津女の話。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ