怪異事件・ルールに忠実な妖怪
「とりあえず。出口に向かいがてら、話を聞いてもいいかな」
「え、出口って……窓も玄関も開かなかったんだけど」
わたしは、コートのポケットに入れていた、もう一つのモノを見せる。
「見える?」
「……これって、機織りに使うやつ?」
わたしは「杼ってやつ」と答えた。
「別に、ミシン糸でも毛糸でもいいんだけどね。『アリアドネの糸』って知ってる?」
「……確か、ギリシャ神話で、ミノタウロスを倒すとき、迷宮に迷い込まないように渡された奴? 『蜘蛛の糸』みたいな」
「ま、そんなとこ」
英雄テセウスは、『ミノタウロス』という怪物を退治するために、怪物の拠点である迷宮に入ろうとした。そこにアリアドネという王女から、「糸の先を入り口扉に結んでおけば、帰りは糸をたどることで迷宮を脱出できる」と糸玉を渡される。『蜘蛛の糸』というより、『ヘンゼルとグレーテル』で迷わなかったパターンだけど。
わたしたちは糸をたどりながら、廊下を進む。
「一応、夢原さんから事情は聴いているけど、今まで何があったのか、一通り聞いてもいいかな」
「……2月ぐらいに、失踪者が三人出たんだ」
ポツリ、と黒田くんは話しだした。
久留米の山々に囲まれたこの場所は、古くから怪異の土地として有名だったが――取り壊された旧校舎から少し離れた場所に作られた、比較的新しいこの中高一貫校の校舎は、今まで怪異とはなんの縁もなかった。
ところが前触れもなく、怪奇事件が起きる。
「失踪したのは、うちの学校に受験しに来た中学生二人と、受験の監督していた先生。受験日は在学生は立ち入り禁止だったし、その後も事件と新型ウイルスの流行が重なって学校に行けなくなったから、あの日どんなことがあったのか、捜査がどんな流れだったかは具体的には知らない。でもなんも解決しないまま、4月には部活も授業も普通になった。……代わりに、噂が流れたんだ」
それが、『踊り場の鏡』の噂だ。
『4時44分に踊り場の鏡の前に立つと、鏡の世界に引き込まれる』。学校の怪談でもポピュラーなタイプだ。あの1ー7のプレートが左右反対になっていたのも、ここが『鏡の世界』だからだろう。
噂によると、現実世界にある鏡の前には、引き込まれた人間の上履きが置かれているという。ちなみにわたしも上履きをとられた。画鋲が刺さったやつ。どうりで静かだったよ、1階の廊下じゃあれだけうるさかったのに。
「SNSで、『失踪者の上履きが踊り場の前に置かれていた』『受験生は試験のためにアナログ時計を持っていた』って情報が流れたんだ」
「アナログ時計での19時16分は、鏡の中じゃ『4時44分』だからか」
黒田君もわたしも、アナログ時計をつけてここに入った。
「もともとうちの学校にあった七不思議なんだけど、与太話だって誰も気に留めてなかった。19時16分なんて、7時間目受けてる特進科とか余裕で下校時間の範囲だし、一人や二人はアナログ時計ぐらいつけているだろうし。それに朝の7時16分はどうなんだよって。……けど、その噂が流れてから、何人か試しはじめて……」
「で、また一人失踪したと」
記憶を辿る。確か……やばい、この学校の生徒であること以外は何も思い出せない。このところバタバタしていて、記憶が飛んでいるんだろうか。
「そのうち学校側は、失踪したことを隠蔽し始めたんだ。これ以上評判が下がるのは、って、箝口令も出されて。何人かSNSで呟いた子がネットパトロールで捕まったなんてことも聞いて……同じ頃に、行方不明になった先生が実は学校のどこかに隠れてて、生徒を監禁しているとか噂も流れだした」
とうとう、そこにいない被害者の名誉が傷つけられるようになった、というわけだ。失踪者が出た時に、捜索を願う身内の家族が疑われたり、誹謗中傷されることはままある。
――けど誹謗中傷される側にとっては、「ままある」などという言葉で済まされていいはずがない。
「袴田先生は、良い先生なんだ。生徒思いで、でも、上とはよく揉めていたみたいで、多分、……」
そこで黒田君は言葉をやめた。
おそらく、「袴田先生をよく思わない人間が噂を流した」と言いたかったのだろう。けれど、袴田先生を犯人だと仕立て上げる周りと同じように、自分もまた、誰かを犯人にしなければ納得できないことに気づいて、何も言えなくなったのだ。
良い人だな、とわたしは思った。
「その先生の名誉回復のために、駆けずり回ってたんだね」
けど、怪談より、そこにはいない人間を犯人に仕立て上げて『事件』にする方が、はるかに信ぴょう性が高かったわけだ。
そこで彼は、最後の手段に出た。自分が鏡に吸い込まれる証拠を、撮影していたのだ。それが学校全体のSNSに載った挙句、全校どころかインターネットにも流通することになった。
おかげで、わたしたちが調査に乗り出せたわけだけど。
「なかなか無茶をする」
命という意味でも、情報保護という意味でも。
「……まあ、部長にはすごい止められたんだけどさ。多分、あの後もすっごく迷惑かけただろうな」
「すっごい迷惑かけたし、滅茶滅茶顔色悪かったよ、夢原さん」
そう言うと、黒田君はとても気まずそうな顔をした。
けれど、彼がその手段をとった理由もわかっていたから、わたしは話を進めることにした。
「それで鏡の世界に閉じ込められて、『蜘蛛』に会った、ってこと? じゃあ、他の行方不明者には会ってない?」
「ああ。こっちに来てすぐ、でっかい蜘蛛に食われそうになったんだ。慌てて逃げて、それから一人で隠れてたんだけど、まさか10日も経ってたなんて……」
黒田君はためらうように一度区切り、「なあ、」とその言葉を口にした。
「袴田先生や、受験しに来た中学生たちは、ひょっとしてもう、『蜘蛛』に食われたのか……?」
「…………わからない」
少なくとも、ここに来るまでいろんな教室を見たが、遺骸らしきものはなかった。
まだどこかに隠されているのか、それとも骨も残されずに食べられたのか。
「実はこの学校、うちでもちょっと話題になっててね。『牛鬼』が住み着いているっていう噂があったんだ」
「牛鬼?」
「西日本のあちこちで分布している蜘蛛の妖怪。最も、近畿と九州じゃ大分タイプが違うんだけど……」
江戸時代に書かれた妖怪絵巻は頭が牛、胴体が蜘蛛だが、地域に伝わる元々の伝承はその名の通り、「頭は牛で、身体は鬼」だった。それがなぜ蜘蛛になったのかは定かではないが、恐らく土蜘蛛と混ざったのだろう。
近畿の『牛鬼』の多くは、源頼光に退治された土蜘蛛のように、病や毒をまき散らして人を殺す。
一方九州の『牛鬼』は、濡女や磯女などの子連れの妖怪に捕まって、身動きが取れなくなったときに牛鬼が喰いに来る。
おおよそ分けたが、牛鬼の話は多種多様だ。
「牛鬼は少し地域がずれただけで、対処方法や姿が全く異なってしまうんだ。その上、学校の鏡に住む牛鬼とか聞いたことがない」
だからこそこちらは、この学校の『牛鬼』を危険視していた。
妖怪は、ルールに忠実な、云わばプログラミング通りに実行するAIのようなものだ。恐怖を煽り、恐怖を糧とする妖怪は、人の考えていることに影響しやすい。
そのため問題は、妖怪も、人の噂や時代によって変わっていくということだった。インターネットやSNSが普及した現在、特に怪談が文字として残るようになった。昔の怪談はたいてい、「〇〇さんが言ったことなんだけど」と人伝えの上口頭で聞くものだから、起承転結や細部が曖昧になりやすい。だから矛盾した細部は打ち消され、共通とした大まかなルールが妖怪に反映される。
けれど、コピーアンドペーストが簡単に出来る今は、それを語る人たちの頭の中で、その細部がはっきりとしている。普通真贋とは本物は一つで、大量にある簡単にできた複製品は「偽物」だと言われるが、怪談では皮肉なことに、「たくさんの人に簡単に語られる」からこそ、すべて『本物』として語られるようになってしまうのだ。
そうなると、どうなるか?
――例え長点と欠点が矛盾していても、打ち消すことはなく、すべてが成り立つようになる。
『俺が考えた無敵の妖怪』とか作られると、伝統的な退治方法が使えない。もっとヤバイのは欠点がないから倒せないというパターンだ。そうなる前に、速やかに退治する必要がある。
「でも俺、そんな噂聞いたことないけど。鏡の奥に住んでいるのが蜘蛛だなんて、自分で見るまで知らなかったし」
確かに、うちの調査員も調べてくれたけど、少なくとも生徒間で流れている様子はないし、この地域に類似する伝承もない。
山には退治された牛鬼のミイラがあるお寺があるけど、それとはだいぶ毛色が違う。多分お寺の牛鬼みたいに、お経を読んでも退治は出来ない。