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川姫という妖怪・朝のニュース

『――嫌いなのよ。仏教』


 あの時そう言ったあの人は、どんな気持ちで言ったんだろう。







『黄昏堂』の寮の利用者は、部屋を借りると言うより、一戸建ての家をまるごと借りている。

 ……というか『黄昏堂』は、現実世界にある参道の横に存在する路地――の、あちこちの次元を切り開いて、それぞれ建物を建てている。言わば「異次元にある街」だ。異次元がわからない人にわかりやすく説明するなら、一冊の本にそれぞれ別のページがある、とイメージしてくれたらいい。

 異次元の街にあるそれぞれの家で、気の合うメンバーが集まって暮らす。局長が桁違いの術士(&土地神さまの力も借りているらしい)だからこそ出来る結界術だ。

 そのため団員は自炊することもあるが、有償の食堂も存在するのだ。


 見た目は趣のある小料理屋さん。しかし内装は日によって変わる。今日は外装通りの料亭風。天井にはでこぼこした黒い丸太梁とか、木目が強調されるツヤツヤのカウンター席とか、丸ガラスの障子格子窓がついていたりする。

 ……大学の食堂並みに広いし、何ならビル並みに階数があるけど(エレベーターもついている)。

 この常識外れな食堂にも、局長の結界術が使われている。


 退治屋の食堂と言っても、システムはハイテク化されていて、QRコードが記載された食券を読み取りもしくはスマホのカメラに翳すと、作っている人たちに注文が届く。そして、テレビの隣には大きな画面があるから、そこに番号が書かれていれば取りに行く。『黄昏堂』のメンバーは、事務の人たちを入れて全部で500人いるので、効率化を図ってのことだ。

 福岡支部と言っているけれど、実際は北部九州全体で仕事することが多く、団員も常に支部に集まっているわけじゃない。だから食堂を利用する人数も、日によって多いときもあれば少ないときもある。


 わたしは一緒に住んでいるケイがご飯を作ってくれるのだけど、食堂のご飯も美味しいので、頻繁ではないけれど利用している。



「おはようございますー」

「おはよう。今日は早いのね」


 佐藤さん、もとい食堂のおばちゃんが、赤いエプロンと三角巾をつけて朝から立っていた。今日の朝ご飯の担当らしい。

 ちなみに佐藤さん、まだ「おばちゃん」と呼ばれるような年齢じゃないんだけど、本人の「おばちゃんと呼んで欲しい」という熱烈な希望により、そう呼んでいる。でも本人がいない場所では佐藤さんと呼んでいる。


 注文したものはすぐに来た。今日わたしが頼んだメニューは、オクラと海藻のサラダに、焼きおにぎり、玉ねぎと豆腐のみそ汁、卵焼きだ。

 わたしはその傍に置いてあった和風ドレッシングをかける。今朝は利用者がほとんどいないため、カウンター越しから話すことが出来た。


「今日、何でこんなに少ないんです?」

「今日は大きな仕事があるみたい」

「あー……」


 そう言えば、こないだのミーティングで言ってたな。

 基本退治屋の仕事というのは危険なものだ。だが、その危険度にもランクがある。今回は危険度が高く、未成年のわたしたちは駆り出されない。そしてその依頼内容も伏せられている。


 ……本来なら、こないだの久留米の『蜘蛛』も、本当はわたしたちに回るような仕事じゃなかった。


 調査員のサトシは16歳だし、校内の調査に乗り出すなら生徒のフリをした彼が一番適任だ。だからサトシに調査を言い渡されるのは、変ではない。けれど退治に関しては、ゴールデンウイークの夜だ。生徒のフリをする必要もない。

 超常的な回復力を持つ〈憑き物〉や〈血族〉、臨機応変に対応できる術士ならまだしも、道具を利用するために汎用性が低い『呪具使い』は、普通なら呼ばれなかった。

 それなのにわたしが呼ばれたのは、『蜘蛛』が別の意味で厄介だから。


 ――などと考えながら、ワカメと春雨をモキュモキュしてごま醤油の味を楽しんでいたその時。




「ただいまぁ~」




 ハートが乱舞しそうな声で、誰かが入って来た。――姫ちゃんだ。

 ピンクのキャミソールに、ジーンズのホットパンツ。肩には白いハンドタオルがかかっており、いつもはふわりとしている髪はしっとりしている。多分シャワーを浴びたんだろう。

 獣タイプの妖怪や〈憑き物〉は嗅覚が非常に利くため、人工香料によって体調を崩しやすい。そのため柔軟剤などの使用は禁止されているし、公共の部屋・施設を使う際は、必ず外からの匂いを落とすことがルールになっている。ちなみに妖怪や〈憑き物〉に関わらず、団員は皆鼻が利くので、サボったりすると一発でバレて袋叩きにあうぞ。香や匂いというのは、魔除けや退魔にも使うので、繊細に使い分けなきゃいけない術士にとっても混ざると死活問題なのだ。


 姫ちゃんがわたしの隣に座った。横座りになって、姫ちゃんと向かい合う。姫ちゃんは、すべすべつるつるの太ももを組んだ。


「姫ちゃん、ひょっとして朝帰り?」

「そうなの~、もうくったくただしお腹すいたし、ドライヤーで乾かすの面倒で~」


 姫ちゃんの笑顔はぽやぽやと赤い。これは酒も入っているな、とわたしは確信。

 カウンターの奥を見ると、厨房にいる佐藤さんがウインクで合図した。きっとしじみ汁でも用意していたのだろう。


 ちなみに姫ちゃんは人間じゃない。『川姫』という、若い男の精気を抜く妖怪だ。伝承では「見惚れていると奪われる」となっているが、姫ちゃんの場合は違う。

 物理的に(つまりセックスして)、精気を奪い取る。


「……お相手さん、生きてるよね?」


 一応『黄昏堂』にいる妖怪は、「一般の人間を殺してはいけない」という誓約があるから、死んではいないんだろうけど……。

 姫ちゃんは、「ちゃんと同意のもとよぉ~」とのんびり返す。

 ならいいんですが、……とはならない。

 姫ちゃんと一夜を過ごした男性たちが、朝どんな姿になって帰っていくのか知っているからだ。



 姫ちゃんに猛烈アタックした外部の術士は、次の日は隈だらけになり頬はエラが出ていた。

 鼻の下を伸ばしてデレデレとしていた恰幅の良い妖怪は、姫ちゃんの家から出てくる時には枝より身体が細くなっていた。

 どこぞのスケベ河童は、乾燥したワカメみたいにペラペラになっていた。


 なのに姫ちゃんは、この通り元気いっぱい。「食いつくす」という表現がぴったりだ。

 ――でも、うん、同意ならいっか。

 恋愛関係は、何人たりとも口にはさめないってばっちゃんが言ってた気がするし。わたし、自分のばっちゃん知らないけど。


 今のところ、姫ちゃんと一夜を過ごして無事な人は、局長だけらしい(噂)。



 などと考えながらみそ汁に口を付けた時、朝のニュースは次の話題に移っていた。



『次のニュースです。梅雨前線の影響を受けて、7月2日から3日にかけて東海地方や関東地方を中心に、記録的な大雨となりました。――』



 重々しく告げるニュースキャスターの言葉に、わたしは思わずお椀を置く。

 隣を見ると、姫ちゃんは食い入るようにテレビを見ていた。



「……雨、ひどいみたいだね」

「そうね」


 こちらを見ずに、姫ちゃんが答える。

 その頬からは酒で火照った熱は消えており、表情を無くして見つめる横顔は、石膏で出来た彫刻のようだった。いつもは間延びする声も、すっと切る。


 関東豪雨の前日は、沖縄で「50年に一度の記録的な大雨」が降っていた。今回の豪雨は九州(こちら)を通ることはなかったが、次はどうなるかわからない。この土地は、日本三大暴れ川と呼ばれる「筑後川」があるのだから、洪水や冠水、氾濫の被害は他人事ではない。

 毎年訪れる豪雨に、多くの家の床が浸水し、山では土砂崩れや川の氾濫で家が流れていくことだってある。

 そういう時、退治屋組織『黄昏堂』福岡支部は、宗教法人組織としてこの異次元の空間や(いつもは一般の人は入れないようにしている)、|異次元の『外』にある《宗教法人として持つ現実世界の》建物を緊急避難所として開放し、土砂崩れで出たゴミや片付けなどに従事していた。去年は新型ウイルスの流行もあって、わたしたち未成年は遠ざけられたけど、それでも活動自体はあった。


 その中でも姫ちゃんは、「川」にゆかりが深いせいか、こうやって豪雨災害のニュースには何時も身を乗り出す。

 一番積極的にボランティア活動に行くのも、姫ちゃんだった。姫ちゃんは主にシングルマザーや若い女の子たちのために、NPO法人と連携して家を避難場所として貸し出したり(姫ちゃんは何件か家を持っているのだ)、一緒に市役所に行って支援金の手続きを手伝ったり、ハローワークを通じて職業の斡旋などを行っている。


 川姫の伝説は、福岡県築上郡、大分県、高知県などの四国に分布するが、高知県では「川女郎」と呼ばれ、その伝説はほかの地域と少し毛色が違う。大水が出て堤が切れそうになった時、「家が流れる」と泣いて知らせるのだと言う。

 このため、川姫を『人身御供』や『人柱』にされた少女の霊だと言う人もいるが、姫ちゃんにはそういう押し付けられた嘆きとか、悲哀さは感じられない。

 今、彼女の横顔を見て感じるのは、築き上げてきたものを守ると決めた、上に立つものが持つ責任感だ。


 ニュースが芸能人に関する特集に変わったのを見計らって、わたしは口を開いた。



「……姫ちゃん、ここでもまた被害が出たら、今度はわたしたちの家も解放して――」

「ダメよお」


 寒さでこわばった体が、あたたかいお風呂によってほぐれたような声が返ってきた。何時もの姫ちゃんの声だ。


「今年も新型ウイルスが猛威を振るっているわ。あなたを感染させるわけにはいかないし、あの家からケイ君を追い出すわけにもいかないでしょう? ヒビキちゃんも、あなたたちの家に住んでいるみたいだし」

「まあ……そうだけど……」


『ヒビキちゃん』とは、久留米の事件の被害者であり、加害者でもある、『牛鬼』の〈憑き物〉だ。ヒビキは未だ、ケイと佐藤さん以外に懐かない。外部の人が来るのはストレスになるだろう。それにケイもヒビキも嗅覚が鋭すぎる。外から持ち込んだ匂いに過敏に反応し、酷いときには疲労で寝込むこともあった。


 確かにわたしの案は、ケイやヒビキのことを思えば使えない。

 軽率なことを口にしたと、少し己を恥じた。


「支援の方は、私たちに任せて。八蝶ちゃんたちが、気に病むことがないようにするから」


 そう言って姫ちゃんは、ニッコリと笑う。

 大人たちとは違って、何も持たないわたしに出来ることはない。現実的なことは何も思いつかず、無責任な理想論しか言えない。

 でも。


「それでも、考えさせて。そこにいたのは、『わたし』かもしれなかったんだから」


 ただでさえ避難所の数は足りないのに、避難所とされていた学校が沈んでいる、なんていうケースもある。ハザードマップがしっかり機能していない地域も、少なくない。

 そして、ソーシャルディスタンスが叫ばれてからは、定員が制限されるようになった。


 そんな中、ギリギリで見つけられたとしても、避難所は決して安全地帯じゃない。

 ……避難所で起きる性犯罪は、少なくないのだ。

 毛布に忍び込み、人気のないところに連れ込み、大勢で襲って――挙句にはどんなにボロボロにして外に放り出しても、「災害」のせいだと白を切る輩がいる。

「住居を貸し出すよ」とか、「ご飯あげるよ」と支援をほのめかして、代わりに性交渉を条件に出す輩もいる。

 人の弱みに付け込む悪意は、災害時もその後も例外じゃない。

 その話を聞いてしまったら、「自分には関係ない」なんて、言えなかった。





「そうね。その通りだわ」


 姫ちゃんは、わたしを責めることなく、笑いながら言った。


「私、八蝶(やちよ)ちゃんのそういう優しい所が好きよ」

「……何も出来ないんだけどね」


 真っすぐな言葉。なんだか「良い子」として姫ちゃんを騙している感じがして、わたしは恥ずかしくなった。


「『何かしたい』と願っていれば、必ず行動は伴うわ。後10年思い続けていれば、心は行動になっている」


 姫ちゃんは、慰めでもなんでもなく、見てきた事実のように言ってくれる。


「……むしろ、ごめんなさいね。幼少組が、外部の人たちを見て少し不安になっていたみたいだから。困っている人を見て『いや』って言える子たちじゃないし、無理させているだろうなって」


 それは、確かにそうだ。


 核家族が主流となっている現在、先祖どころか祖父母より上の世代のことがわからない、という人たちも増えてきた。

 そのため、隔世遺伝として突如として現れた〈憑き物〉や〈血族〉の子は、両親に拒絶され虐待を受けたり、近所や学校でいじめや迫害を受けやすい。

 彼らにとって一般人というのは、「怖い人」なのだ。

 それでも幼少組は、「いや」とは言わない。よく言えば我慢強く、悪く言えば大人たちに「NO」と言うことを禁じられていた後遺症だろう。

 難しいわねえ、と姫ちゃんが言う。


「ここにいる子たちは、あなたを含めて『早く大人にならないといけなかった子』たちだから。……もっと『いや』って激しく言って、ゆっくり大人になってほしいな、なんて、老婆心が出ちゃうのよ」


 わたし、そんな風に思われていたのか。

 別に大人みたいにならなきゃって思ってないし、『黄昏堂』じゃかなり子どもやらせてもらっているけどなあ。昔よりずっと、子どもをやっている。そうやって『十分』と思うのも、わたしが『良い子』に見られたいからなんだろうか。うーん? 常にわたし、自分のことしか考えてないんだけど。


 なんてつらつら考えていると、スマホのバイブレーションが響いた。わたしのじゃない。姫ちゃんのだ。

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