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アンナのまほう -in The Polar Night Veil-  作者: 白ノ汽車
序章〝Polar Night Veil〟
9/11

No.9:夕暮れの茶会

 ホテルの離れに位置する三階建ての塔、その最上階の温室が茶会の開催場だった。ハーロルトさんが正面の白い塗装の金属の門をくぐったあとに続き、外がすっかり夕闇に包まれた時間帯でも浮かび上がるように明るい色の壁や床の廊下を歩いていく。

 明るい卵色のクロスの上から、額縁のように白いモールディングが施された壁が終わりを迎えたとき、そこは塔へ続く入口であった。

 華美な装飾ではなく、モールディング特有のカーブや凹みや段差でスッキリとした陰影を生む内装は好ましい。

 それに、燭台だけでも明るく見える卵色と白や素色の家具は、気分までほの暖かくする。

 何度も来たことがあるのか、ハーロルトさんがホテルの支配人に「案内は結構です」と断りを入れたため、ぼくは気楽にここまで来れた。今日一日で色んな騎士と従者を大勢見て、なんだか気が疲れてしまっていたのである。

 ここからは茶会だ。ハーロルトさんは、騎士と従者に分かれてそれぞれ離れた場所で席を取り、温室の花や木の間で従者たちだけになるから、ゆっくり話せるはずだと教えてくれた。

 リラックスできそうだが、会うのは初対面の騎士や従者たちである。胸の中が生まれかけの小鳥の心臓みたいになってきて、襟やボタンを直すふりをしながらそこを押さえた。

「ハーロルトさん……従者も五名いるのでしょうか?」

「どうだろうな。みんな自分の従者をつけずに来ていたときもあるし……。今日は議会だったから、必ず同伴しているわけじゃないぞ」

 議会への同伴は自由だが、従者が必ず主人についていくのは、平時ならなにかの催事や夜会前の茶会くらいだ。そう言ったハーロルトさんと、螺旋状に登る塔の階段を一段ずつ踏んでいく。

 景色が一段、塔のレンガの壁が一段、ぼくの体が一段……そうやって上がっていくたび、空気の層が変わったように香りが澄んでいく。

 ここはただの螺旋階段で、山を登っているわけでもないのに、窓が後ろへ消えていくごとに、どこまで続くのか不思議な感じがした。燭台がぼくたちの影を引き伸ばし、母上が時計の針を調整しているときに見た光景を思い出す。

 ああ、ぼくは段差を上がる一瞬一瞬を噛み締めていたのだ。いつもより短い間隔でトクトク動く心臓が、ぼくにそうさせたらしい。

 やがて、燭台の光で橙色に染まっていた塔の中が白っぽくなり、大きな聖火のシャンデリアがドーム型のガラス天井の向こうでいくつも並ぶ、三階の温室へ到着した。

 陽光の下で見る緑というには、木々や草花の輪郭がはっきりしている。上や横から照らす光源があちこちにあって、影が物体のすぐ下や接触面にしかない。

 ドーム型のガラス天井を通り抜けてやってくる聖火のシャンデリアは、暖かい光のシャワーと呼んでもいいだろう。

 昼の陽光を浴びていることとさほど変わらない光の温熱で、植物たちも思い思いに葉を伸ばし、花を咲かせている。

 それにしても、貴重な聖火をランタンではなくシャンデリアにできるとは……このホテルは貴族のものだろうか。王家や神殿にゆかりのある、由緒正しいホテルに違いない。

 祝祭に先駆けて気持ちのいい光を浴びて、それだけでぼくの心臓は落ち着いて血を巡らせ始めた。上着が暑い。

 そこで、ハッとした。従者らしく、主人を気遣うのだと。

「ハーロルトさん、もし暑ければ上着を預かります」

「ああ、そうしよう。…………従者っぽいな」

 最後の言葉は、木の枝葉に隠れるように密やかな声で言われた。彼なりの褒め言葉だろう。ハーロルトさんは主人っぽいですよ、わりとずっと。

「おれは……主人らしくしているだろうか?」

「もちろん。ご心配なく」

 ぼくと出会う前から、きっとあなたは主人らしく振る舞えるかただったはず。

「……家が汚くても?」

「ご自分で口外しなければ、誰も知りませんよ」

 それだけは誰にも言わないでくれよ……とは、本当に、心の底から思う。

 彼は領地を持たない騎士だ。察するに、他の騎士より財がない。税金や物品を献上させたり、田畑を耕して家畜を育て、商売をする領民がいないのだから。

 それにしても、ハーロルトさん、なにを面白そうに笑っているんだろう。……ああ、もしかして、彼なりの冗談なのか、いまの。普通に笑っておけば良かった。受け取った礼装のマントを預かり、気まずさを隠す。

「今頃アンナが綺麗にしてくれているはずだからな。きっともう汚くない」

「あれは一日じゃ無理じゃないですか……?」

 廊下や玄関はともかく、あの家がいったい何部屋あるのか知らないが、魔法を使わずにアンナ一人の手作業で、生活に必要なスペースをすべて綺麗にできるとは思えない。

 アンナは今頃どうしているのだろうか。メッケルンの町は平和だが、なにも起きていないといい。

「なにが無理なんだ?」

「アンナには……」

「……あ、よう。おまえか」

 言いかけて、はたと気づいた。振り向くまでもなく、声の主は身軽にこちらの正面へ回り込み、ハーロルトさんの隣に並び立つ。

 礼装に身を包んだ若い騎士だ。鎧を模した暗褐色の革のジャケットを、同色の刺繍糸が格式高く装飾している。

 ……のに、ジャケットの前をパックリと開けて、白い襟のブラウスのフリルを崩すようにボタンを開けていた。まるで、山賊の着こなし。ぼくの脳裏に浮かんだのはそれである。

 若い騎士は片腕に自分のマントを抱えていて、従者を連れている様子はない。それより、ぼくが目を奪われたのは彼の頭上だ。

 ツノが……生えている。

 後方へ向けてカーブする、ヤギのような太く長いツノだ。細かな傷がついており、温室の光を受けたツノの稜線が燦々と輝いている。

「ハハ、こんにちは。初めまして、我が友ハーロルトの従者」

「こ……こんにちは」

「オレが誰だかわかるかい?」

 親しみを覚える柔和な顔立ちで、彼はぼくにニッと笑いかけた。

 このホテルに来る前、馬上でハーロルトさんから聞いた昔馴染みの三人の騎士のうちの誰かだ。グスタフさまは欠席だから、彼はヴィンツェンツさまかイヴァーノさま。

 そして、ヴィンツェンツさまのことはパレードで見かけたことがある。ぼくの眼前にいる彼ではない。

「イヴァーノさまです」

「その通り。〝摩羯の渓谷(ボッケンタール)〟のイヴァーノです」

 彼は北西の渓谷を守る大峡谷(シュルフト)騎士団の騎士だ。昔の摩羯の渓谷(ボッケンタール)はもともとタハティラ領だったが、数百年前にテオセア支配下に置かれた。現在、いくつもの険しい谷と急流に挟まれている地理的な事情があって、テオセアに吸収されたままタハティラ時代の文化を引き継いだ自治区になっている。

 ボッケンタールは有角の獣人族であるプッキ族による自治権が認められており、イヴァーノさんもその氏族の出らしい立派なツノが生えているのだ。

 彼はハーロルトさんに「うちの騎士団で、あのハーロルトが従者を連れてるなんて……って、話題になってたぞ」と話し掛けている。昔馴染みらしく、お互いに気さくな関係のようだった。

「まだ申請してないけどな。ギルベルトだ」

 ハーロルトさんがぼくの右肩に手を添え、イヴァーノさんに紹介してくれた。「タハティラから来ました。ギルベルト・フォン・ロートシルトです」と名乗って敬礼すると、彼も額に右手の甲を当てて返してくれる。

「おおっ、ロートシルト。じゃ、きみの父君はタハティラ公?」

 この流れも幼少期から慣れた。覚えてもらいやすいことも含めて、自分の家名を誇らしく思う。

「オレの母がタハティラ人の貴族だ。もちろん公爵家ほど地位は高くないが、きみに会えて光栄だよ」

 イヴァーノさんは「オレも誰か連れてくりゃ良かったなぁ」と顎を掻き、ぼくの出で立ちを眺めた。

「議会はさぁ、ほら、上のオジジ共みたいに食事会もある騎士ならともかく、下の従者は待ってるだけになっちまうから。あんまり連れてこねーんだ、オレは」

「それに、機密会議のときや、国王陛下や元老院も来られるとき、議会堂の中に従者は入れない。国政的には部外者だからな。おれたちより上の世代の騎士は、最初から従者は連れてこない方がいいって思ってるんだ」

「あれ? オレのこと、古いっつってる?」

「おまえは帰りに酒場へ寄るから砦に置いてくるんだろ」

 二人は軽快にやり取りをして、ぼくのことを気にせず笑っていた。砕けた喋り方のハーロルトさんを初めて見られて新鮮な気持ちになってくる。ハーロルトさんはイヴァーノさんから酒場へ誘われても断って「今夜は用事があるんだ」と付け加えていた。

「ギルベルトの従者登録の書類を書かなくては」

「夜にやんの? 明日で良くね?」

「明日の朝一番に出しに行くんだ」

「ふーん……ま、そういうことにしておこう」

「なんだと?」

 イヴァーノさんは肩をすくめて片眉を上げ「嘘じゃねーけど、なんか隠してるヤツのニオイだな」と言って、ハーロルトさんの本心を探るように彼の目と、ぼくを見比べる。

 たった今気づいたが、彼の瞳孔は横長だ。首を傾けても眼球が回転して水平に保たれるヤギ特有の眼である。普通の人間に見つめられるのとは違う鋭さがあった。

 ハーロルトさんの今夜の用事を、ぼくだけは知っている。本当のところは……アンナが自分の隠れ家で待っているからだ。旧友にも話すつもりがないのだろう。話がきちんとまとまるまでは。

「やかましいな……今度話すよ」

「……あれ? もしかして女の子?」

「違う。従者の前でそういうこと言うな」

「いや……」

 そこで途切れたイヴァーノさんの言葉とともに、二人の視線が、ぼく――ではなく。ぼくを通り越し、一本の姫林檎の木の向こうへ注がれた。温室の出入口の扉から、一人の女性騎士が従者を伴って現れたからだ。

 白く見えるほどの金髪はどちらも同じ風合いで、丸い頭の形に沿って綺麗に整えられているものの、毛先が緩く巻かれていて。凛々しい顔立ちと、胸元には百合の紋章……それが誰なのかわかったとき、あ、という呼気に音が乗りかけたが、それは向こうも同じだった。

「フランツ……」

「ギルベルト……フォン・ロートシルト」



 オズさんったら、トイレに行ってたぼくを置いて温室の新しい花を見に行っちゃった。タハティラ産の青い花と、星型のスズランの花壇のところにいる。ガラスで仕切られた向こう側に、オズさんの車椅子の車輪の端が見えた。普通のスズランは先っぽが六つに分かれてるんだけど、タハティラの国花の星スズランは五つに分かれているんだって。

 オズさんは従者も自由にさせてくれるからありがたい。自分も自由にしたいからってさ。

 でも、ぼく、花の近くにいると肌が痒くなるから、ここ苦手。温室の聖火のシャンデリアのおかげで海の中より明るくていいけど、歩いていると暑くなってくるし……。

 早く出たい。お茶する人たち、早く来ないかな。肌が乾いてパリパリになっちゃう。ぼくの加湿なんか、温室の水蒸気(ミスト)じゃ全然足りないよ。オズさん、なんで平気なんだろ。

 待つの飽きた。痺れを切らして椅子から降り、ガラスドアをそっと開けて彼のもとへ近づいた。特注の礼装に身を包んでいても、彼の足元でうごめく機嫌のいい触手は隠し切れない。

「なんじゃいカナロア。花は好かんじゃろ」

「そうだけど、退屈なんだもん」

「もう来たみたいじゃけどな」

 先の方ほどボロボロの吸盤が並ぶ触手が一本、木と木の間を示した。そっちを見てみると、礼装の騎士が三人と、従者らしき人が二人……どっちも金髪だ。片方は眩しいほど白い金髪で、もう片方は温室の景色にも馴染みやすい金髪の。あれ?

「あ、片方……友だちかも」

「おお、そうか。良かったの。おまえさんが声かけてくるか?」

 別にいいけど、なんか……睨み合ってる? 縄張り内を散歩中の野良猫同士が、見知らぬ相手の顔を見ながらじりじり距離を開けて素知らぬふりをしようとしてる、みたいな雰囲気。やだなぁ、あそこに声かけに行くの。

「一緒に行こ」

 オズさんの車椅子のハンドルを握って方向を変えた。「シャイか?」とか言われたけど、ぼく従者だし。ご主人さまのそばから離れて、向こうにもご主人さまの騎士がいるのに従者の友だちに話しかけるとか、普通に無理だよ。

 この車椅子、タコの騎士のオズさんの筋肉質な巨体用だからすっごく重たい。きしまないようになめらかな手触りで加工された木製で、温室の灯りで全部の面がワックスがけしたてのフローリングみたいに光を反射している。陸風の様式化された海藻の彫刻は特注の証だった。

 車輪の音もほとんど鳴らずに転がしていくと、まず最初に気づいたのは、一番最後に出入口から入ってきたらしき女性騎士の人だった。



 こんなところでぼくも知己と出会うとは思わなかった。カナロアはいるかもしれない、いたらいいなと思っていたが、まさかフランツ・フォン・リリエンタールまで。温室とはガラスドアで仕切られた茶室の円形テーブルを三人で囲んで座っているから、二人とも互いと隣り合い、向き合ってもいるという席順になった。

 カナロアは膝を揃えてコンパクトに座り、フランツは椅子に対して斜めがちに腰かけ、組んだ脚がテーブルの中に入らないようにしている。ぼくたち三人の前にはホテルの従業員がサーブしたコーヒーが置かれて、湯気とともにかぐわしい豆の香りが広がった。

「あ、ご主人さまたち、なんか食べてない? いいなぁ、おなか空いてきた」

 温室の最奥の花壇とアーチに囲まれ、段差床の上で半個室のようになっているスペースにいる騎士たちのテーブルに気づいたカナロアが、つまらなそうな顔をしながら運ばれたコーヒーに手をつける。

「カナロア、はしたないぞ」

「ギルはおなか空いてないの?」

「空いてない」

 ぼくは……議会堂のパンがおいしかったから、一人で四つ食べた。一人二つのところを、ハーロルトさんが自分の分をくれて。朝もぼくが起きないうちにサッサと済ませたと話していたし、少食なのだろうか。

 ぼくたちのやり取りを見ていたフランツは、なんだか煩わしそうに眉間をヒクつかせている。さっきから目線がこっちに向かないのだ。態度が悪い。

「フランツ、コーヒーが冷めるぞ」

 フランツは形がいい眉毛をぴくりと反応させただけでこちらを見ない。コーヒーソーサーの模様だけを凝視しているような伏目のまま、脚を組み替えた。コーヒー、熱さがちょうどよくなってきたのに。

「コーヒーは嫌いか?」

 紅茶の方が良かったのだろうか。ミルクと角砂糖が入ったポットがテーブルの真ん中にあるけれど、フランツは一瞥もせず、今度は温室の花を眺め始めた。唇が真一文字に引き結ばれたまま。

「あれ? フランツくんはコーヒー飲めない系?」

 あっバカ、カナロア、ぼくはきみにからかうきっかけを与えるためにフランツに声をかけたんじゃない。ニヤニヤするな。フランツはやっと「それはドレフティア流の冷やかしか?」と、コーヒーカップを手に取って一口飲んだ。

「……わたしの姉が、今やっと飲み食いした。だから手をつけたんだ」

「ああ、待ってたんだ? ごめんごめん。すごいなぁ、フランツくんは」

 カナロアは素直に褒め言葉を口にしたが、ぼくはそれより衝撃がまさった。主人――フランツにとっては姉の騎士、フランツェスカ・フォン・リリエンタールが飲食をしてから手をつける、なんて。ここは彼女たちの目が離れたところなのに、ほんのわずか木々の隙間から見えるあちらに目配りをしているなんて。

 従者としての格が違う彼に、ぼくは賛辞を送れなかった。ぼくも目指すべきは当然彼のような従者で、称賛を送るなんてことはまったくの部外者や観客がすることだと、咄嗟に思ってしまい。鐘が突かれたあとのようにジンとする気持ちは胸に押し留め、自分の分のコーヒーを飲み干す。

「フランツくん、お姉さまの従者になったの?」

「そうだ。きみはコネだのなんだのとぼくをけなすか?」

「え、ううん、別に。誰かにけなされてんの?」

 カナロアのその質問は、彼の悩みの核心に触れたらしい。フランツはコーヒーカップの中に広がる黒い海の底に敵がいるよな苦い顔をして、血色が良くなった唇を歪ませた。彼から忌々しげに吐き出されたのは「姉上は素晴らしい騎士だ。ついていきたいと思うことの、なにが悪い」という言葉だった。

「なんにも悪かないよ、大丈夫大丈夫。言わせておけばいいじゃん」

「カナロア、ギルベルト。家族間で主従になることを避ける風潮があるのは、何故だと思う?」

「え、なんだろ、ぼく騎士の家族いないしわかんない」

 二人の視線がぼくに集まる。ぼくなりの見解として「公私混同……とかか?」と話すと、フランツは浅く頷いた。

「それもあるだろうな。だが、姉上に限って、いまのところそれはない。これからも、断じてない」

 これからも、とは、信頼が深そうだ。フランツはテーブルの上で強張っていた握り拳を緩めて膝に置き、一呼吸ほど開けてから主人たちが集うテーブルの方を見る。

「姉上の訓練は……教官たちよりも恐ろしいから、わたしは姉を選んだ」

 ――その言葉に、ぼくたちのテーブルの間に落雷が落ちた。フランツは淡々と「教官たちがぬるく思えるほどなのだ」と言い、コーヒーカップを空にする。

「公私混同という言葉が、身内には甘くなる……とか、そういう意味で使われているのだとしたら、わたしは違うと言える。でも、それが……身内だろうがなんだろうが、酷になる、という意味だったとしたら、わたしはその通りだと言うだろう」

 ああ、フランツの言いたいことがやっとわかった。姉上の従者になるという選択について、周囲からは、ぬるいだの甘いだのずるいだの……そういう感情や見解を多分に含んで、煩わしいほどなんやかんや言われているということだ。本人的に、自分にとっては誰よりも厳しく、尊敬する騎士を選んだという誇りをけなされて、心の底から悔しく、腹立たしいのである。

「……フランツ」

「なんだ」

「わかるぞ」

「なにをだ」

 士官学校より――まだ一年や二年だからかもしれないが――肉親の方が、鍛えてくれるよな。ああ、タハティラで砂煙にまみれた日々を思い出す……。



 ギルベルト・フォン・ロートシルト。あいつがまさかエルヴァスティの精鋭、〝夜の騎士〟ハーロルトさまの従者になっているとは。姉上(フランカ)と同じ〝魔物討伐精鋭部隊〟として十二騎士団の垣根を越えて組織された一人で、一昨年から単騎の夜狩りを始めた男。

 昨年の騎馬大会で見初められたにしては時期がズレているし、なにがきっかけで、どういう経緯だったのか――そういう話を聞きそびれた。なにせ目をキラつかせて「ぼくも父上が理想だった」と、おれと同じく肉親への憧れや畏怖を語り出すから。

 通りが良くて聞きやすい声で流暢に自分の父上を称賛するギルベルトは、幕が開けたときのそういう役者のようでつい聞き入った。カナロアが「うわぁ、始まった……」と嫌そうな顔をしており、目に見えて温度差があったので、きっかけがあれば始まる語り劇なのだろう。

「わかった、ギルベルト、きみの父上はタハティラのロートシルト公爵だな?」

「そうだ。父上は爵位に負けない素晴らしい方だ」

 ほう、同名の分家でもないわけだ。子爵から始まったリリエンタール家も、先祖が二度陞爵(しょうしゃく)を受けて、今は侯爵家だ。……と、おれが話す番が来ても、次に話す番が来たときのギルベルトの語尾は変わらない。父上がすごいらしい。

 ああ、おれも姉上について語るとき、周囲からこんな感じで見られていたのかもな、と、ギルベルトを見ていて考え直した。今日は会えて良かったよ、ギルベルト。騎馬大会の馬上で挑発的ないやらしいステップを指示して翻弄してきた輩的なイメージが払拭されて、良かった。

 この茶会の帰り際、おれたち相手に話し切ったのか、温室の水蒸気で蒸されたのか、つやつやした顔色でぼくに握手を求めて「フランツ、正直、さっきは痺れた」とか言い出し、今度は別の意味で目と耳がちいさくなってしまったとしても。

「急になんのことだ」

「きみの姉上が飲食してから……」

 ああ、なんだ、そんなことで。

「ぼくが目指すべきは、きみのような従者なんだと思った」

「そうか、ありがとう。共に励もう」

 おれも……きみみたいに喋り過ぎないようにしておこうかなと思ったよ。

 それについては黙しておき、女子にも見える可憐な容姿からは想像もできない力強い握手を交わした。



 議会ぶりに姿を見たフランツェスカ・フォン・リリエンタールから「ヴィンツェンツは任務で来られないそうだ」と聞いたときは残念に思ったが、彼女がテーブルに出した菓子が、貴重なチョコレートを生地に溶かし込んでさくらんぼ漬けで飾ったケーキで、ヴィンツェンツの顔は忘れてしまった。同じ国にいるのだし、出会う機会ならいつでもあるだろう。あいつは強い騎士である。

 そして、フランツェスカに「……ハーロルト。チョコレートが好きなのか」と聞かれたので深めに頷くと、彼女からおれに向かって発されていた緊張感がフッと消えた。

「ハイ、お二人さん仲直り〜っと。いただきまーす」

 おれとフランツェスカを隣り合う席に誘導したのは、どうでも良さそうな口ぶりで、丁寧にケーキの先からフォークで切り崩して食べていくイヴァーノと、コーヒーを楽しんでからゆっくりケーキを食べ始める〝海翁(かいおう)〟オズだった。

「なんじゃ、喧嘩しとったんか?」

「それが大喧嘩だったんですよ、おジーちゃん」

「食の前ではすべて忘れよ」

「その通り。これ、すっげーうまいね、(ねえ)さん」

「それは良かった」

 イヴァーノから、早く食べろと急かされてフォークを持つ。が、食べる前に少し眺めたい。

 贅沢にも、表面を飾るためだけにふんだんに使われたチョコレートの欠片が、白い生クリームによってケーキ全体を覆う外壁になっていた。

 カット面は生クリームとチョコレートスポンジが互い違いに重なり合い、異なる甘みを楽しめる地層になっている。

 そして、なによりも注目すべきは、一番下の層だ。さくらんぼのジャムと、さくらんぼを丸ごと砂糖漬けにしてカットされたものが敷かれている。

 菓子に、このように盤石な礎が築かれているなんて。この菓子には、きっと城が建つだろう。

 期待を胸に、ゆっくりとフォークを入れた。砕かれたチョコレートがパリッと割れ、それを受け止めるクリームとスポンジの姿勢は――極上のやわらかさ。このケーキの前では、どんな綿羊毛や絹でも負ける。

 一番下まで辿り着く前に一度後退し、おれはフォークの先に一口分をすくって、やはりゆっくりとフォークを入れた。今度はおれの口腔内へ。

 食べても、体内に届けばケーキは魔力で消滅する。この身にはケーキ分の魔力が補給されるが、微々たるものだ。

 だから口内で味わい尽くす。生クリームが絡んだチョコレートスポンジをめちゃくちゃにしてしまうのは惜しい。

 なるべくゆっくり噛んで、スポンジのふわふわした食感と、鼻腔に広がるチョコレートの甘い香りを楽しんだ。スポンジと絡む生クリームが温度でとろけた頃、おれはやっと一口分を食べ終わった。

 ふと、視線を感じて顔を上げると。イヴァーノ、海翁(かいおう)オズ、フランツェスカの三人が、おれの食べ方をじっと見ていた。

「……皆さま、なんでしょうか。イヴァーノ、こっち見んな」

「オレだけ?」

 うやうやしく〝皆さま〟の中に入れるには、さっきの変な勘ぐりがおれの腹に据えかねている。反省しろ。

 オズは豊かな白いヒゲの下で品よく笑い、シワが深い目元でこちらを眺めていた。おれから目線を外したフランツェスカはやっと一口だけコーヒーを飲み、テーブルに並べてある他の菓子を自分の取り皿に寄せている。

 おれのヒバリの焼き菓子(レルヒェン・クーヘン)はどうだろうか。フランツェスカは、ナイフとフォークの先でちいさく切り分けて唇へ運び、静かに咀嚼して――次も食べた。悪くなさそうで良かった。

 イヴァーノはあっという間に自分の分のチョコレートケーキを食べ終えており、フランツェスカに続いておれの用意したムーエン村の菓子に手を伸ばしている。

「ハーロルト、これレルクー?」

「そうだ」

 そうだが……変な略し方をするな。

「いいね、この十字模様。このへんの店だと鳥型だもんな」

「鳥型のがかわいいじゃろ」

「食べるとき、なんか可哀想になってくるんですよ」

 それはわかる。頭から食べても尾から食べても、残った方が訴えかけてくるような佇まいになって。

 イヴァーノが持ってきた飾りクッキー詰めと、オズが持ってきたクレムフカまで食べ切れず、それらは各々で持ち帰るために包み直すことに。人間とタコの騎士は、このあとの晩餐が入らなくなることを懸念したのだ。

 持ち寄った菓子を包み直す作業が整ったとき、この茶会の本題に触れたのはフランツェスカだった。

「……祝祭の一週間、我が騎士団は空の隊を一つ増やす」

 天馬乙女(ワルキュリア)騎士団が増隊するとは、と、オズが関心している。天馬とその騎士を増やすことは、天馬の飼育と調教の難しさから断念され続けていたことだった。フランツェスカは「若い天馬がようやく使い物になって、何人か天馬乙女(ワルキュリア)が見出された」と続けた。

「そりゃいい。うちから増員は無いが、ボッケンタール付近の自治領からいくつかの隊商が入国申請してきた。去年よりでかくなった商人の隊列が、そろそろ国境を通過してるだろうよ」

 国防と客人は充分というわけだ。自治領からやってくる隊商には、用心棒として武装を許されている者たちが伴う。騎士たちが目を光らせなくても、ここ十年ほど隊商で特段の事件が発生したことはない。

 フランツェスカは「用心は怠れない。交通が増えれば盗賊が紛れやすい」とイヴァーノに釘を刺しているが、オズは「それよりも、人が増える。好いことよ」と言ってぬるくなったコーヒーを味わいながら飲んだ。

「天馬の配置は例年通りじゃな?」

「ええ、首都全域と郊外の上空へ」

 一年のうち七日〝自由週間(カデンツ・ウィーク)〟だけ、ヒスタル大陸に太陽が戻る。ヴェールが肉眼で観測できないほどごく薄くなり、中日には毎年テオセア国土が晴れ渡るのだ。それが五日後に迫り、テオセアの民や他所からやってくる旅人の安寧を守る。それがおれたち守護騎士団の役目だ。

 祝祭のために他所からやってくるのは〝人間〟だけではない。〝海の騎士団〟の老騎士オズは滝のように胸元を覆う白い髭を撫でつけ、思案げな顔をしている。

「わしらの人魚騎士や海獣隊も数を増やした。綿人(ワタビト)陸人(オカビト)のようにはいかん……」

 オズのように、海中から上がってくる海の者や、岩場と砂浜に集う海の者もテオセアの海辺に集まるのだ。彼らがやってくるのを目当てにした国民もいるなかで、彼らが陸の法律を遵守するとは限らない。港を守るグスタフが今日欠席した理由には、海の者の対処案を構築するという業務が多分に含まれているはずだ。

 昨年、グスタフは大変だった。祝祭の日に〝人魚の秘薬(ジュース)〟と謳って、魚の神経毒や海獣の内臓を原料にした〝バブルキス〟という名の幻覚剤が海から陸に持ち込まれ、大量の数を売られてしまい、ここ一年間はその回収と売人の取締りに追われたという。

「覚えとるか? バブルキス。製造者のヒレの泡すら掴めん」

 人魚特有の言い回しだ。オズは「まだヒスタルの海域にいるのかわからんが、野放しになっている間はわしらの恥じゃ。……坊にも悪いことをした」と、心なしか肩を落とす。

 それを見て、すかさずイヴァーノが「陸じゃ人魚より人間が主犯の犯罪の方が多いですって」と励ました。

「人間には神経毒なんか耐性無いじゃろ。わしらには砂糖水じゃけどな」

 そう、あの幻覚剤は人魚にとってジュースや酒類と同等の代物だった。人魚の胃液や粘膜なら無毒化できても、人間にはできない。逮捕された人間の売人の多くは「有害だと知らずに取引した」と証言する新興の小売業者だった。

 まあ、それが嘘でも本当でも幻覚剤とみなせる物品を取引した事実でグスタフの逆鱗を撫で上げ、この老騎士の心を痛ませたことは変わらない。製造者も含めて処罰対象だ。

 同族に主犯が出て悲しむオズの肩を抱き、馴れ馴れしく〝おジーちゃん〟などと呼べる唯一の騎士イヴァーノはおれに視線を寄越して「エルヴァスティはどうよ、ハーロルト」と尋ねてくる。

「例年通り、南側で変わらない。増員もない。おれ個人は街のどこかにいる」

「また私服警備かよ?」

「いや、鎧を着てセレンと歩くことにした」

 先日、騎士一人が練り歩くだけで効果的なんだと再確認したからだ。セレンは途中で抜け出そうとするだろうけど、おれは自由週間(カデンツ・ウィーク)中は街をウロウロして巡回しようと思う。来たがるなら、温室のガラスドアの向こうにいるギルベルトも連れて。

 アンナも隠れ家で留守番じゃ悪いから、一緒に連れていこう。願ってなくても悪人が避けて通るおれといた方が安全だ。

 ……そうだ、アンナに関係することで、イヴァーノに頼みがあるんだった。オズとフランツェスカが各々の従者を伴い、馬車と馬に乗ってホテルから自領へ帰っていくとき、一人酒場へ向かおうとするイヴァーノを引き止めた。

「え? なに? 行く?」

「違う……頼みがある」

「おう。オレにできそうなことなら、できるだけ」

 プッキ族が好むこの言い回しをテオセア風に言うなら、自分にできることなら任せておけ、だ。イヴァーノは自分の技量や分野について大口を叩かないから好きだ。ボッケンタールの過酷で雄大な自然と人々が、彼を育てたのである。

 イヴァーノは寛容な目をして、おれが「自由週間(カデンツ・ウィーク)が終わってからでいい」という前置きで始めた話を快く聞き届けてくれた。馬上で背中を向けて大きく手を振り、夜の向こうへ溶け込んでいく。

 おれの頼みは――ここ百二十年間程度の、タハティラに面した北西地方の森林状況と魔物出現に関する情報をまとめた資料を寄越してくれ、というものだった。

 あの夜の発光を思い出し、手掛かりならどこかにあるはずだと思ったのだ。

 おれは、アンナのいう〝聖域の森〟を探したい。

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