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アンナのまほう -in The Polar Night Veil-  作者: 白ノ汽車
序章〝Polar Night Veil〟
8/11

No.8:騎士の議会

 普通の屋内の二、三倍はあるのかと思うほど、議会堂の廊下や控室の天井は高かった。

 いや、実際に三倍くらいなら軽くありそうだ。豪奢な城を改築した士官学校と同じくらい廊下は広くて長く、天井だって鳥なら飛んで群れを作れるかもしれないと思うほど。

 内装も白が基調になっているのかと思えば、白大理石を用いて装飾されていたのは、支柱や天井の骨組み部分や回廊と、玄関に近い通路だけだった。

 官吏に案内された議会のための円形ホールと各部屋に繋がる廊下や従者の控室の壁は、重厚感のある黒オークの深い茶色の腰壁で、深緑色の地に織り目を変えて柄を出す織物クロスが貼られている。

 そのクロスの柄は、テオセア伝統の数理的な幾何学文様だ。規則的な配列による互い違いの模様が組み合って、前後に浮き出ているように見える錯視の柄だ。ぼくはあまり好まない。眺めていると目がチカチカしてくる。

 しかし、議会堂が城を改築した士官学校のように飾られていなくて良かった。廊下に伝説や歴史を題材にした古めかしい絵画が掛けられているくらいで、花や妖精の丸彫り彫刻が大理石の柱を包んでいたり、削って磨いた貝殻の裏側の破片が壁に貼られていたりという浮ついた装飾がない。

 ただの燭台がいくつかと暖炉、長いテーブルが一台、本棚が三連、ソファや椅子は人数分の控室にいる者たちが際立つくらい、部屋の調度は重厚で堅実なもので揃えられていた。

 残念なことに、この部屋にカナロアはいない。彼の主人である老騎士のオズさまがご出席かどうかもわからないが、たとえ出席していたとしても、従者の控室はここ以外にもいくつか用意されている。議会に出席する騎士の人数は多い。

 カナロアとは同じ部屋じゃなかっただけかもしれないが、一つ確実に言えることは、士官学校で同学年の別クラスに在籍しているなかの一人が、ここにいるということだ。

 六人の従者が収容された横長の部屋の真ん中より少し奥、窓の近くの壁に左肩を預けて胸下で腕を組み、外をじっと眺めている青年である。白く見えるほど輝く髪を綺麗に整えて、凛々しい面立ちを隠さず堂々としている彼の名は、リリエンタール家のフランツという。

 リリエンタール家はテオセアのエルヴァスティ領にある騎士の名家の一つで、紋章の形は百合と剣だ。多くの騎士は一代限りだが、歴史に名を連ねる騎士は違う。

 フランツ・フォン・リリエンタールの先祖である初代のフォン・リリエンタールは近衛騎士団長であり、誉れ高い武勲と仁徳によって当時の国王陛下から叙爵され、子爵のフォン・リリエンタールになったのだ。

 騎士から始まって爵位を得たことを歴史に持つ貴族家は、当家に生まれた子どもの中で一人は必ず騎士爵を得るように訓練させる。

 幼少期は騎士の親や家庭教師から礼節と馬術や剣術を習い、十五歳から三十歳までの貴族子弟や、ある程度の地位と財がある親の子どもに士官学校の門が開かれるため、騎士家の親はだいたいそこに子を放り込んで素養をつけさせる。

 五年制の士官学校に在籍できた騎士志望者は、四年から五年の間に従騎士になり、卒業後に主人のもとで修行するというのが理想だ。

 故に、月に一度、士官学校に併設された闘技場で催される一騎討ち〝士官学校杯騎馬術大会〟が鍛錬の成果の見せ時である。

 しかも、騎馬術大会は招待制だ。士官学校は、テオセアで名のある騎士や各騎士団へ招待状を送る。招待状が届いた者たちは、知り合いの騎士や親戚、友人を呼ぶ権利も持ち、騎士はもちろん上流階級の貴族子弟も多数集まるのだ。

 騎士になりたい者たちの絶好のチャンス、それが士官学校杯騎馬術大会だ。

 ……ぼくも、一度出たことがある。

 去年の十二月の大会の初日におこなわれた一年生戦に。騎馬術大会は一年生戦から五年生戦まで五日の期間内でおこなわれる。

 ぼくは生まれつき力が強いし、積み重ねた鍛錬の分もあったが、大会に挑んだ全員そうである。

 必要なのは、なにかしらの天賦の才、日々のたゆまぬ鍛錬、そしてなによりも、対戦カードの運だった。

 対戦カードは、古式ゆかしく伝統に倣った大会の作法で決めるのだ。まず、円形の闘技場に参加者が集い、等間隔の円陣形に並んで、円形の中心に対して背を向ける。

 次に、目を閉じて、自分が嵌める右の手袋を外し、自分の背面側へ向かって放り投げる。円陣の中央を目がけて放物線を描いて落ちた、十個ほどの片手袋の中からどれかを拾い上げるという作法だ。

 拾った一つの手袋。対戦相手が得意とする武器に対して、こちらの得手不得手。当日借りる馬との相性。これら三つが、大会における対戦カードの運だ。

 彼ら、彼女らは当然強かった。ぼくが決勝まで上り詰められたのは、運が良かったおかげである。

 そして、決勝の相手は――フランツ・フォン・リリエンタールだった。

 彼は銀色の兜の下からでもわかるほど殺気立ち、なんとしてもこの試合を制そうという気合と熱意が伝わってくるくらい――槍を持つ手に力が籠もっていた。

 それをぼくに気づかれてしまったことが、フランツの唯一の誤算だっただろう。

 正面突破ですぐ片付けたいと言わんばかりに、彼の槍は真っ直ぐ突いてくる。これも読める手だった。

 前のめりになっているときに軸心を崩され、手綱さばきで馬ごと翻弄されるとひとたまりもない。ぼくが試合開始後、すぐに取った戦術はそれだった。

 フランツは士官学校でもリリエンタールという名家の紋章に恥じないように正々堂々としていたが、教官に教えられる〝優等生の戦術〟から抜け出せずにいたのである。

 騎士道によって歴史を紡ぎ始めて数千年のテオセアならそれで通じるだろう。テオセアの、士官学校でなら。

 ぼくはタハティラ人である。そしてタハティラ人にとって、騎士道よりも馴染み深い戦術は〝戦闘民族の戦術〟である。タハティラの先祖は、斧や弓矢を持ち、陸なら馬や戦車、海なら手漕ぎの船に乗って各地を馳せていた。

 数百年前のテオセア統治下、ロートシルト家が公爵としてタハティラに入ってから戦闘民族社会に騎士道が普及したものの、精神性の礎になっているのは間違いなく〝戦士の魂〟だ。

 だから、ぼくが大切にしている信条は〝騎士道に身を置けども、戦士の誇りも忘れない〟ことである。

 相手の隙を見つけたら、迷わずそこを突く。手加減と容赦は、騎士同士の戦いの礼と、自然の摂理をもとにした戦士の掟に反するからだ。

 ぼくが士官学校に入る前タハティラの父上やお祖父さまから教わっていたのも、戦士の馬術と騎士の馬上剣術である。

 力んでいたフランツは、士官学校では見慣れないタハティラ人の馬術に翻弄された。体勢を立て直そうとしても、闘争心が高まっていたところに挑戦的な横跳びや突進をされ、フランツの馬は怒りに我を忘れて指示を聞かない。

 ぼくの剣とフランツの槍が交わったのはほんの数回で、勝敗が決した理由は――落馬によるフランツの失格、だった。

 ぼくは勝敗が決したことよりも、彼が落馬するとは思わず……そちらに肝が冷えた。怒って力一杯暴れる馬に蹴られれば、鎧を着ていても無事では済まない。地面に転がるフランツの腕を、漁網を引くより力を込めて引っ張り上げ、二人ともなんとか無事だった。

 試合終了の握手のとき、兜を外した彼の悔しそうな……厳めしく凄みのある視線、意図のある力が込められた掌、そのすべてをまだ新鮮に思い出せる。

 そんなことがあってから、フランツはぼくを避けていた。この控室でもそうだ。

 しかし、フランツだけではなく、従者たちは互いに一定の距離を置いて、ソファや椅子に座っていても、本棚付近で立って書籍を閲覧していても、目線のみで一瞥する以上の接触や反応はない。

 気まずい、というより、この部屋の人間は全員が封鎖された孤島のようなものだった。

 議会が中断して昼時の休憩に入ったとき、やっと主人のもとへ向かうために退出することを許され、ぼくは一足先にハーロルトさんが待機しているエルヴァスティ騎士団の控室へ向かった。

 ……そういえば、フランツ・フォン・リリエンタールは、いったい誰の従者になっていたのだろう。

 士官学校杯騎馬術大会の一年生戦がきっかけで従者になったのなら、校内でも話題になったり、春休み前の集会で学長から祝辞があってもいいものなのに。



 午前の議会では、主に騎士団運営における財務状況や外交問題についての進展と、各領地の貧困問題への対応について取り上げた。

 十二あるテオセア守護騎士団は、大まかに、財務や外交、福祉医療など後方支援を担当する六つの騎士団と、戦時では前線を任され、平時では国防や国内の安全を守る六つの騎士団に役割分担されている。

 軍事を担う六つの騎士団であるエルヴァスティ騎士団に所属しているおれが関係するのは、午後の議会の一番最後、魔物征伐の戦況報告だった。

 午前が終わって昼食時になった頃、おれは一人で、とある人のところへ向かった。

 長い廊下の突き当たりの一室より四部屋手前、個室をあてがわれている騎士の一人――エルヴァスティ領主のツェベライ侯爵のもとへ。

 彼はエルヴァスティ騎士団の団長で、おれの主人である。十二の守護騎士団に所属している騎士は、領主に忠誠を誓って領民を守る使命を授かり、主人と民に身命を賭して仕えるのだ。

 群れからはぐれた野良狼のような孤児だったおれを拾って、士官学校へ放り投げ……、いや、入学させてくれたのも、騎士の叙任を受けられるまでに鍛え上げてくれたのも、ツェベライ侯爵である。

 久方ぶりに会った侯爵は、いつでも変わらない灰色の髭の下で穏やかに微笑んでいた。

「よくきたな、ハーロルト。そこに座れ」

「お久しぶりです、閣下」

「閣下?」

「……養父上(おじうえ)

「よろしい」

 今、己を閣下と呼ぶ必要はない。なぜなら、ここに他人はいないからだ。養父上(おじうえ)はそう言わんばかりのくつろいだ姿勢になって、二人掛けのソファで長い脚を組む。

 おれも彼の斜め前に置かれていた一人掛けのソファへ座し、暖炉の火で照らされた彼と向き合った。

 戸籍上、おれはツェベライ侯爵の弟君の養子である。ツェベライ家を出て、港町で商家を興した弟君とはお会いしたことはない。養子縁組についての伺いや手続きは、すべて養父上(おじうえ)と使者の方が書簡のやり取りで済ませた。

 実子の子育てを終えられたエルヴァスティ領主が、今頃になって新しく養子を一人――子と呼ぶには、すでに大人すぎる男を――迎え入れれば、跡目相続の問題に一石を投じたと見なされても弁明の余地がない。故に、おれは彼を〝養父上(おじうえ)〟と呼んでいる。

「ハーロルト、先日の書簡、受け取った。魔物に襲われた少女の具合はどうなんだね?」

「義足で元気に歩けるほどに回復しました」

 人体の欠損が、そんなに早く治るわけがない。咄嗟にそう言いたげに、何人もの手足が鮮血とともに飛んだところを目にし、何人もの重傷者を見送った彼の、深いシワの刻まれる瞼が持ち上がった。

「名を〝アンナ〟といいます。その少女のことを、すべて手紙に書くわけにはいきませんでした」

 おれは、自分の左眼を縦断し、左頬を横断して交差する古傷に触れる。体内の魔力が内側から皮膚を作り直し、色が違うまま落ち着いてしまった瘢痕に。これはおれの魔力不足だ。アンナなら、いずれ断面に綺麗な皮膚が張られるだろう。

 ツェベライ侯爵――養父上(おじうえ)は、おれの秘密を知る方だ。

「彼女は、おれと()()です。養父上(おじうえ)

 それを特定する言葉を使えずとも、内情を知る者同士にだけは通じ合う。

 おれのことを知るのは、この世で二人だけだった。

 一人目は、ツェベライ侯爵。二人目は、現在はムーエン村の兵舎で勤務する軍医であり、エルヴァスティ領主家の婿養子であるツェベライ侯爵のご実家と遠くない血筋の〝医師(ドクトア)コッホ〟である。

「……たしかに、書面では伏せるべきだ。よくやった。それで、どうする?」

 養父上(おじうえ)は遠く懐かしむようにおれの頬の傷痕を見ていた。……決めたことは一つだけだ。

「彼女を聖堂には置けない。おれがアンナの後見人になります」

 おれは、私的な飼い馬のセレンを伴って単騎での任務を許していただく代わりに、領地を返上した身だ。養父上(おじうえ)がおれの養子縁組の手続きをしたときのようにはいかない。

 それ以前に、この国の法律では、所帯を持っていない人間に養子は取れない。もちろんおれには親類もいないため、おれがアンナにできることは、後見人制度を使って身元を保証することだった。

 おれの話を聞いていた養父上(おじうえ)は、なんだか目を丸くしている。なぜだろうか。

養父上(おじうえ)? なんでしょうか」

「いいや……わたしのもとに来るのかと思ったのでな」

「まさか。おれが責任を取ります」

「ふふ、わたしのようにする必要なんかない。だが、空き部屋の掃除をバァヤに言いつける手間がはぶけて助かった」

 脚を組み替えた養父上(おじうえ)は、すべての勲章を着けた礼装に身を包んだ体を、艶やかな革張りのソファの背もたれに預ける。

「見知らぬ孤児の後見人になる事由は適当に言っておけ。『ツェベライ侯爵から申しつかった』とか『同じ孤児として哀れだった』とかでもいいんだ」

 言葉も行動も、大事なのは〝迫真〟である。

 それが嘘や虚勢でも、たとえ真実でも、確固たる意思を介して掲げられていることだ。養父上(おじうえ)の教育で、おれはそう教わった。

 アンナについての話が一段落したとき、この部屋のドアの前に人が来た――が、すぐ、その足音で気づいた。これはギルベルトの足音だと。士官学校の軍靴の鋲の音だ。

養父上(おじうえ)。まだ騎士団に申請していませんが、最近抱えることにした従者を紹介します」

 ドアを開けると、妙に強張った表情と肩で立っておれを見上げるギルベルトがいた。おれの居所が一般騎士の控室ではなく、エルヴァスティ騎士団の団長専用の個室で驚いたか。ギルベルトは、指でつついたらそのまま倒れる木片のオモチャのようになっている。

「そう緊張しなくていい。おれもしていない」

「はい……っ」

 いいや、緊張している。するなと言っても無理か、この勲章の数と年季の入った髭の前では。この方は先王から〝灰塵の騎士(デア=グラウ)〟の称号を戴き、魔物討伐におけるテオセア随一の騎士だ。若かりし頃、魔物の灰を浴び過ぎて銀の鎧が黒ずんでいたほどらしい。

「初めまして、若き騎士よ。きみの名前はなんという?」

「ギルベルト・フォン・ロートシルトといいます」

「ロートシルト! 懐かしい名だ。公爵はご健勝かね?」

「お元気で過ごされているそうです」

 そつなく返事をしているが……肩肘が張り詰めていて、脳内の気圧は高そうだ。養父上(おじうえ)は緊張した騎士見習いに対して心底愉快な気持ちになっていることを髭の下に押し隠しているし、このあたりにしておこう。

 このまま放っておけば、エルヴァスティ騎士団の団長は、己に萎縮する若者に下町風の冗談を飛ばし始めるだろうから。

 切りのいいところでギルベルトとともに部屋から退出し、隣を歩く従者がやっと息を吸えてから「おれたちは昼飯を食堂で食べるんだ」と話し出す。

「うちの団長は控室で食べるか、他の団長と一緒に応接間でいただくだろうな」

「早く行きましょう。パンが無くなります」

 そんなに早く無くなるわけないだろう。ここは士官学校の食堂ではないんだから。

「ちゃんと人数分は用意されている。急がなくていい」

 それほど腹が減ったらしい。ギルベルトは今にも速歩(はやあし)になって、おれを追い越していきそうだ。従者は主人がいないと食堂には入れないのに。草原の彼方にでかい魔物を見つけたときのセレンもこんな感じである。

 食堂までの廊下を歩きがてら、ギルベルトに「そういえば、同窓の者は見つけたか?」と訊いてみると「いえ……なんというか、思っていた者とは違う生徒がいました。先刻話した友人ではなかったのですが、知っている生徒です」と答えた。

「そうか、残念だったな」

「いえ、知り合いと言われれば知り合いですから。その彼はリリエンタール家の者です」

 ああ、テオセア北西部の天馬騎士団領内の〝百合の渓谷(リリエンタール)〟出身なのか。騎士的にも歴史的にも、恐ろしく名家だ。

 ギルベルトもテオセア支配によって公国と化したタハティラを統治していた公爵家だから、共に張り合えるくらいだが。

「でも、リリエンタールが従騎士になっていたなんて知りませんでした。誰が主人なのか、ぼくにもわかりません」

 ギルベルトは、廊下ですれ違う騎士や、議会に参加している官僚と、その従者を眺めながら不思議そうに思い返している。気になったのなら話しかけてみてもいいのに、おれの言いつけを守ったらしい。

 主人とはいえ、私的な関係まで束縛するつもりはないが……あの控室、社交の場よりピリつくからな。おれも待ちぼうけの時間は退屈で、トイレのついでに抜け出したかった。

 ところで、リリエンタール家ならおれも一人知り合いがいる。この議会が終わったあとの夕方頃に向かう、私的な集まりのときにでも教えよう。

 きっと、今日は来ているだろうから。先日の夜、でかい獲物を一匹逃し、おれに始末させた借りを返すために。



 本日はお日柄も良く……なんていう、眠たくなる前置き各種を聞かなくてもいい集まりは気楽で好ましい。天馬で来られないことだけが不便だが、翼の一扇ぎで突風になりかねないわたしの〝慈悲(エイル)〟では、都心部に入るなんて無理な話である。帽子やカツラを飛ばしたら事だ。槍で解決できない話を聞くのは飽いた。

 理論と罵倒が飛び交い、素晴らしい熱気で包まれた議会がやっと終わり、ここに呼び集められた面々は、知己と歓談するか、二次会という名の意見交換へ行く。

 わたしは今回、その両方を選んだ。知己との歓談と意見交換が叶う会場に選ばれたのは、貴族が民間に売り渡した屋敷を改築し、気位や身分の高い者たちの食事所やバカンスの宿として営業しているホテルだった。

 わたしではなく、知己の一人――船上で港を守る騎士グスタフが押さえたらしいが、その本人は不在だという。祝祭前だと海中からの入港者や物品が多く、今日は無理だという話だった。

 六人集まるはずだったが、わたしはもう一人の不在を言い渡さねばならない。北の山岳地帯を守る騎士ヴィンツェンツも、今は自治領へ赴いていて席を空けるのだ。昨年まで、自治領の外れから攻めてくる山賊は落ち着いていたのに、先月から活発化している。

 春だからというわけではない。その内情を探るため、騎士の装備を解いた旅人の風体になり、少ない部下だけで向かったのだ。

 その行きの道中の山の裾野で彼らを見かけて、本人から直接聞いたので間違いない。騎士の鎧を着ていなくても熊のような体格の大男である。おかげでわたしの天馬(エイル)が寄りつきたがらなかった。

 他の三人は来ているのだろうか。ハーロルト、イヴァーノ、オズさま。オズさまは間違いなくご出席である。

 軍備を任される六騎士団から、精鋭の騎士を一人ずつ将に挙げ、〝魔物討伐精鋭部隊〟を組織しようと奮起した、初代にして先々代の将たちの生き残りなのだから。

 イヴァーノはいてもいなくてもどちらでもいい。お互い領地が離れているし、特別彼と話す理由は無い。

 我らは時間を問わず、魔物の出現を聞けば部下を連れて現地へ馳せていく。平時も、魔物が出現していないうちから巡回し、襲撃に備えながら待機するのだ。

 それ故に、将に選ばれる基準の一つは〝独り身であること〟だ。伴侶と子がなく、家督を継ぐ必要がない騎士のなかから、その騎士団で一番の精鋭が選出される。

 そして、討伐部隊の将のなかでもわたしと一、二位を争っていると呼び声が高い者は、〝夜の騎士〟ハーロルトである。

 一昨年に領地を返上して単騎になることを願い出たかと思えば、それ以来、議会や夜会への出席率が下がった。単騎になって魔物を追うとなれば、必然的に自らの領民は守れなくなる。

 彼が単独の別動隊になると願った書面には、エルヴァスティ領外にも出たい、という希望が書かれていた。騎士団の部下はエルヴァスティ領主のものである。彼一人が領外へ出ることの自由とは、権利の所在と規模が違ってくるのだ。

 エルヴァスティ領外も巡回して、暗闇から湧き出る魔物を掃討したい――そういう話である。

 最近、魔物の出現が多くなった。各領内にいる将たちが間に合わないとき、組織(ギルド)化されている傭兵団がやってくる。

 彼らを雇うための報酬額は高く、そう何度も依頼できない上に、いわゆる民営組織のため人員も限られており、都合よく来てくれるとは限らない。

 わたしの実家がある土地も田園地帯で、都市部ではないため魔物が湧きやすく、傭兵に頼ることはよくあった。依頼できるだけの資金が、領主や市民階級の地主から出るからである。

 取りこぼされるのは、もっと下だ。エルヴァスティ領ならムーエン村の付近が最近の被害だろうか。被害報告会でハーロルトが直々に発表した内容では、孤児の十代少女が片脚を欠損した。

 鷲型の――空棲の魔物によって、である。

 空は我ら天馬乙女(ワルキュリア)騎士団の領域だ。獲りこぼしの一匹がエルヴァスティ領へ向かったと、融通が利きやすい単騎のハーロルトに連携を求めたのも、このわたしだ。

 多くの領民を捨てて一件単位の被害を減らす彼の策を、わたしは諸刃の剣として批判し、当初から反対していた。

 テオセアには十二の地方にそれぞれ魔物討伐部隊が置かれており、ハーロルト一人が単騎で国中を駆ける必要はない。彼と愛馬に負担がかかり過ぎる上に、部隊で動くこととは別途で費用が発生する。

 ハーロルトは単騎で動くとはいえ、エルヴァスティの魔物討伐精鋭部隊を解散させるわけではなく、そちらの管理と指揮は部隊長に、ということだったから。

 個人的には、わたしも含めた他の騎士団には任せきれない……とでも言っているように感じた。

 十二騎士団全部の団長も交えた決議は約半年も続き、わたしを筆頭にした反対派は負けたのである。

 魔物討伐精鋭部隊の将の騎士たちが、わたし以外全員賛成派に鞍替えしたことが大きい。中立だったイヴァーノ、グスタフ、ヴィンツェンツが、ハーロルトと昔馴染みだから……というわけではない。

 彼らが取ったのは利である。単純に、魔物の出現が領内で同時多発したときは分担して掃討した方がいいということはもとより、ハーロルトの愛馬セレンは天馬と同等の速さで陸を駆け、地形の不利も無に等しい。

 単騎で動ける――動かしやすい騎士(こま)が一人いたら、便利だ。

 そして、正直なところ、民営の組織(ギルド)に魔物討伐の任務が行き過ぎると、魔物討伐部隊の存在理由がない。

 国防費という名の税金で動いている〝貴族の〟騎士団と、隣近所に住んでいてもおかしくはない〝庶民の〟傭兵団とでは、神殿の権威とともに貴族の力が落ちているこの国の民の心象は違っていた。

 王侯貴族が民を動かすのではなく、民が民として動く。

 現在のテオセアには、そういう機運の岐路が訪れているように感じてならない。

 今後、組織(ギルド)に魔物討伐の任が行き過ぎないよう、ここで堰き止める役回りを試行してもいいんじゃないか。そういう一声を最初に発したのは、ハーロルトの主人でもあるエルヴァスティ領主のツェベライ侯爵だった。

 国の上にいる者が国の変化を肌で感じたとき、民はすでに変わっている。我々も変わったことをしてみたらいい。そういう革新派がツェベライ侯爵だ。

 その言葉は多くの賛同を呼び、わたしも先日、その決議の利益を受け取ったというわけである。

 もし、単騎で夜狩りをおこなうハーロルトがいなかったら。片脚を無くしたという少女は、もうこの世にいなかっただろうから。

 ハーロルトによる単騎の夜狩りは試行当初から好成績を上げ、毎回の議会で多数の出席者から「彼はまだ有益か」と再確認されていても、最終的に「国益である」という枠内に入り込む。わたしも認めざるを得ない。

 それに、先日の事件は、わたしの率いる部隊の借りだ。今日返さなくては。部下の天馬騎士(ワルキュリア)たちから持たされた菓子折りが、懐で重たく主張している。

 菓子なんか食べるだろうかと不安だったので、彼はコーヒーを嗜んでいたから、ついでにわたしの実家がある――百合の渓谷(リリエンタール)の温室で栽培され、焙煎した希少なコーヒー豆もつけてみた。

 時刻は五時過ぎである。昼よりも明け方と夕暮れ時の方が空に明るさがあるこの国で、晩餐の支度前におこなう夕方の茶会はすでに百年間保持された文化だった。

 貴族も庶民も、この時間を楽しんで過ごす。本格的に茶会を催すなら、昼から開くのが一番いいんだがな。

 さて、わたしも新しい従者を連れて、ホテルへ向かうとしよう。

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