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アンナのまほう -in The Polar Night Veil-  作者: 白ノ汽車
序章〝Polar Night Veil〟
4/11

No.4:ヴェール・ムース

 昨夜、グラズルとともに急いで帰った。そして不在を隠した無断外出も慣れたもので、数時間の仮眠後にまた出発したのだ。休校日で本当に良かった。

 連日走らせることになるのでグラズルは借りられなかったが、雄の駿馬を借りてエルヴァスティ領のムーエン村へ戻ってきた。

 昨夜の少女が、その後どうなったのか気になって。初めて見たから耳を疑うほど驚いたが、人間も精霊も、見た目はそんなに変わらないのだ。容態の遷移もそう変わらない気がしている。

 兵舎へ向かうと、ハーロルトさんは昨日のあの子が黙っていなくなったから探して不在だというし、村中を探し回ってようやく見つけたのは、看板が傾きかけてボロボロの木造の宿屋の窓の中……あの子とコーヒーを嗜んでいるところだった。

 パッと見ても脚を無くしたばかりとは思えない顔色である。元気そうで良かった。

「アンナというのか。ぼくはギルベルト」

「昨日はお水、ありがとう」

 四人掛けの席の三人目を埋めたぼくに、ハーロルトさんは「ギルベルトも朝飯を頼め」と従業員を呼び止める。

「ぼくは会計を別にしてください。悪いので」

「真面目だな」

 いいえ、無断外出しまくっています。と、もし言えば、少しなりと怒りそうなのはハーロルトさんの方もだ。

 程なくしてアンナの朝飯が先に来たとき、ハーロルトさんが「食べていいぞ」と促したが、アンナは「悪いので」と、先ほどのぼくの真似のように言った。彼女はハーロルトさんの横に座るぼくの手元に、そっとスープを差し出す。

「外は寒かったと思うの」

「え、いいよ……きみが飲めばいい」

「ご婦人からの心遣いはいただいておけ、ギルベルト」

 騎士道の話なのはわかったが、いや、ご婦人って。アンナはにっこりとしていて、頬は熱いコーヒーで温まった色をしていた。

「……いただきます」

「うん」

 これは心遣いだからな。

 ほどよく暖かい店内と冷えた自分の温度差で鼻の中が潤んでいたところを、貰ったスープの湯気が追い討ちをかけてくる。

 ありがたく、器に唇をつけてちびちびと飲んだ。この店はボロボロだったが、スープもコーヒーも、器だけはピカピカだ。

 刻みパセリと植物油の膜が浮いた塩味のスープには、溶けて煮崩れ、ちいさくなったジャガイモと、やはり丸みを帯びたニンジンが少しだけ入っている。おいしい。

「……ところで、二人でなんの話をしていたんですか?」

「アンナが森で育ったという話だ」

「そうなのか?」

「うん」

 もう一口スープを飲み、口元に曖昧な笑顔を浮かべるアンナの顔を眺めた。

 彼女は葉レタスとハーブのサラダを食べているが、一口一口が小さくて、なんだか食が進まないらしい。ライ麦のパンには一度も手をつけなかった。

 窓際席のハーロルトさんは、椅子の肘掛けに左肘をつきながら村が活動を初めたのを眺めている。

 夜よりは明るいけれども、薄明な上に短い日照時間は午後零時頃までだ。貴重な光を無駄にしまいと、人々は用事を午前に済ませるために外へ出る。

 〝朝は夕方よりも賢い〟というし、ぼくも午前中の方が好きだ。

 馬車より牛車が多い穏やかな村の遠くで風車が回り、犬に追いかけられた牛や羊が牧草地帯に放り出されていた。

「食べ終わったらちょっと出るぞ」

 どこへ出かけるのだろう、と居住まいを正すと、ちょうどぼくの朝食の盆が運ばれてくる。

「……ハーロルトさんの朝食は?」

「おれはもう済ませた」

 ああ、さすが本物の騎士。夜遅くまで魔物狩りに出ているのに、早起きなのだろうか。コーヒーを飲むだけで様になっている。

 やっとちょびちょびとパンを食べ始めたアンナが「お菓子屋さんに行くんだって」とこの後の行き先を告げた。

 ハーロルトさんが、お菓子屋さんへ……?

「なにを買うんですか?」

「明日の議会のために、知り合いへの手土産」

 なんだ、手土産か。そして明日の用事は、首都で行われる、十二の騎士団の合同議会らしい。

 テオセアの騎士団は、国王に仕える〝近衛騎士団〟と、十二の領主に仕える十二の〝守護騎士団〟が主である。他にも貴族家が私設した騎士団があるが、国の公務に出るのはこの二つだ。

 近衛騎士団は王家や要人を守り、守護騎士団は領民を守る騎士団である。

 ハーロルトさんはエルヴァスティ領内に自宅はあるが、決まった領地を持たない、単騎の遊軍だった。

「今日、首都に着いたらそちらの家にも寄るつもりなんだが……ギルベルト、ついてくるか?」

「もちろん、お供します」

 首都にも別邸があるようだ。ぼくも明日のために帰らなくてはいけないし、ハーロルトさんの申し出がなくても行き先は同じである。

 そして、この会話を聞いているのかいないのか、黙々と自分のパンを食べきったアンナが「ごちそうさまでした」と呟いた。

 二人ともぼくの食事待ちになってしまうな。スプーンを急かせると、アンナは「ゆっくり食べなよ」とぼくを制した。

「喉に詰まっちゃうよ」

「ちゃんと噛んでるが」

 まあ、わざわざ急がなくてもテオセアに来てから食事はさっさと終わらせるようになった。

 そして、スープ、きみがくれた分も合わせてとっくに二杯も飲んだんだぞ。ちょっと手伝ってくれ、と思い、小鉢に入っていたキノコの煮物を渡した。

「食べないの?」

「スープの代わりに……」

「ああ、うん、ありがと」

 こちらこそありがとう。スープのことじゃなくて、ぼくはキノコ料理は苦手だ。子どもの頃、キノコ狩りで当たったことがある。

 この店の朝食の献立はなかなかだった。ぼくが食べ終わってハーロルトさんが会計に立ったので後に続いたとき、ふと――アンナの出で立ちの違和感に気づく。

「……きみ、それ箒か?」

「仮の義足に」

 仮だとしてもお粗末すぎるぞ。ナイフを携えるようなベルトで箒をグルグル巻きだなんて、この村のカカシよりお粗末だ。

 アンナは幸いにも膝があるから、ちゃんとソケットを作った義足がいい。軍医の先生に頼みにいけるだろうか。

 しかも、昨日の寝間着のままだ。薄そうな綿地のワンピースと共布のベストに、下はアンダーウェアのような短いズボンだったはず。薄着すぎる。

 なんで寒そうじゃないんだろう。ぼくはテオセアよりずっと寒いタハティラ育ちだから、この時期の午前はすっかり春のように感じる。

 ……アンナを発見したときのことから考えてみると、寝ようとしたときに魔物に襲われたのかもしれない。

 ぼくはそこまでは聞けずに……しかも、アンナの左脚の箒に気を取られていたから、ハーロルトさんに会計を終えられた。

「おい、奢られた後に財布出すな」

「でも……」

「駄賃だと思え」

 なんの駄賃だろうか。昨夜の夜狩りだろうか。

 モヤモヤとしつつ店を出て「ごちそうさまでした」と、アンナと揃ってお礼を伝えた。

「菓子屋は兵舎と近い」

 ハーロルトさんは、薄暗い青色をした道の先を見た。

 高めの丘の上に兵舎が立っていて、兵舎の門から村の方を向いて右手側の道から行けるだろう。

 そこまでなら見えるが、その先は街路樹が並んでいて、店構えはわからなかった。

 テオセアは乾燥してる気候だからこうして遠いところまで見えるが、影の輪郭はぼんやりとしていた。

 青暗い空は朝焼けの終わりがけである。木々や建物の後ろにできる影は深みを感じるほど黒い。

 建物の影に入れば、人の形はすぐ闇に沈むだろう。

 ヴェールの影響なのかはわからないが、最近……暗闇がやけに黒くなった。

 光を通しにくい暗さだ。光源があっても、暗闇にある物体には反射光が届かない。

 ぼくが子どもの頃よりも、暗い……。

「どうしたの? 大丈夫?」

「えっ、あ……ごめん、考え事してただけなんだ」

「なんか深刻な顔してたよ」

 そんなに? アンナもぼくにつられたような顔になっている。

「話してみて?」

 三人で歩き出したとき、アンナはぼくに深刻な顔になった理由を話すことを促した。

「最近、物陰や夜がやけに暗く感じるだけなんだ……」

 ぼくが子どもの頃よりも。そう付け加える前に、ハーロルトさんが「やはり、そうだよな」と頷く。

 そのことに驚いて彼の横顔を見ると、ぼくとハーロルトさんの間にいたアンナはピンときていない顔で自分の両側を歩く二人を見比べていた。

「おれが子どもの頃より明らかに夕方が早くなって、影が暗くなった。探せばちゃんとした調査結果があるかもしれないな」

 ヴェールの調査は、どんな国でも盛んに行われている。闇の暗さをどう実数値に落とし込むのかぼくには見当もつかないが、天文学には〝見かけの明るさ〟という、星の明るさを目測で決めた概念があるから、闇の暗さも測れるのかもしれない。

 ハーロルトさんの話を聞いていたアンナが、暗い空に広がるヴェールを見て「最初はカーテンみたいだなって思ったんだ。こんな魔法聞いたことないけど」と、この場にいる二人にしか聞こえない音量で呟いた。

「……それ、なんだか魔法を知っているみたいだぞ」

 きみは……精霊らしいけど、アンナが精霊だっていうことは他言しないように、と、ハーロルトさんは昨夜ぼくに言いつけた。

 アンナ本人はといえば、箒の脚でも平気そうな顔をしてぼくたちの少し前を歩く。

 もしかして……という確信めいた期待は、彼女の「あ。あそこかな?」という声と指差しで遮られた。

 細い指先の向こうには、焼き菓子を象った看板を大きく掲げた店がある。

 ハーブや小花の鉢植えはまだ蕾だが、青い萼の窄まりから花の色を覗かせていた。出入り口やテラスには蝋燭入りのランタンがいくつも並べられていて、足元どころか屋根の上まで明るくなって華やいでいる。

 三人分の影が万華鏡のように四方へ伸びるレンガ道を歩き、入り口では一歩先に行っていたハーロルトさんが真鍮のドアノブに手を掛けてぼくたちを待った。

 これが洗練された騎士のエスコートか。眉一つ動じない顔で悠々とこなすハーロルトさんは、その名がつけられた通り夜のように控えめな人だが、いまのぼくには光って見える。

「……ギルベルト、いいから早く行け」

「あ、すみませんっ」

 つい目に焼き付けてしまった……。

 手足を多めに動かして店内へ入り、隅の観葉植物のそばでやっと息ができた。

 うーん、それにしても、あまりにもかっこいい。かっこいいものを生まれて初めて見たような顔をしているのは、ぼくだけじゃない。アンナもぼくより先に虫のようになって入店したからだ。

「ね、ねえ、なに? ハーロルトさん、なに?」

「騎士だ、本物の」

「うわぁすごい、初めて見た……」

 壁と観葉植物の片隅で、ぼくとヒソヒソ話をするアンナの目はきらきらしている。

「ところでギルベルトはなんなの? 兵士?」

「騎士見習いだ」

「えー……?」

 えーってなんだ。信じられない、とでも言いたげな目だった。

 ……たしかに、正式に見習いとして認められたわけじゃないけど。

 先ほどの宿屋よりも明るい菓子屋の店内で、表情がころころ移り変わるアンナの目の色が間近でよく見えた。若い苔色だ。瞳孔の周囲が金色の輪になっている。

 店の隅に集まったぼくたちを放っておいたハーロルトさんは、店内の商品から手土産の分を見繕ったあと「二人とも」と呼んだ。

「なにか食べたいか?」

「ぼくはいりません」

「わたしもおなかいっぱい」

「そうか」

 ぼくたちは食べたばかりだから……。ああ、そうだ。同室のカナロアにはなにか買っていこう。

 彼が次に寮へ帰るのはやはり明日だが、あいつは貰ったものをすぐ食べるかわからないから、日持ちする菓子を。



 ここの〝ヒバリの焼き菓子(レルヒェン・クーヘン)〟、ちっとも小鳥型じゃなかったな。

 中心に大きな交差模様が乗る、ただのカップケーキだったが……材料は首都のものと変わらないだろう。

 議会終わりの茶会に差し出すだけだからなんでもいい。おれのよりも他の騎士たちの土産が派手だろうから。

 壁に雪オーク材とレンガ造りを組み合わせて家庭風に統一された菓子屋の店内から、交差した梁の中心部で煌々と照らす一つの〝聖火のランタン〟と、菓子屋の店番がおれたちを見送った。

 レンガ道をコツコツと歩く足音が二人分と、片側だけの足が擦るように歩き箒の柄がコンコンぶつかる音がついてくる。

 歩行に危なげがないのはわかったが、宿屋や菓子屋、行く道でも誰か他人が見たときにその都度二度見はされたので、ギルベルトが「せめて……」と自分の外套でアンナの寝間着姿を隠した。

「気づかなくてごめん。……本当に寒くなかったのか?」

「うん」

 ギルベルトはアンナの返答を聞いても尚、怪訝な顔をしている。彼は友人宛の手土産にクッキーを一袋買ったから、アンナに外套を巻いたあと片手の小さい麻布の包みを持ち直した。

「ギルベルトは寒くないの?」

「もっと寒い国から来たから、これくらい平気だ」

「そうなんだ。国ってどこ?」

「タハティラ」

 北の険しい峡谷を抜けた先にある〝星の国(タハティラ)〟。森はテオセアの雪オーク森林と違って白樺や白トウヒの森林が多く、人種のルーツも異にするが、国同士は今も昔も深く交流がある。

 歴史的にテオセアの被支配国だった年数も長いが、再び独立して数百年と、ヴェールが出現してからここ百年は同盟を組んでいた。

 そういえばアンナも、おそらくタハティラ人である。拾い子であるようだが、見た目的に近い先祖を遡れば間違いではないだろう。

 そんな二人はよく似た目の色をこちらに向けてきて、ギルベルトの方が「ハーロルトさんはどちらですか?」と聞いた。

「東の方の自治領だ」

 具体的にどこの出自かは黙秘しよう。どちらにせよとうに滅びたし、どの自治領に所属しているともいえない辺境だった。

 ヒスタル大陸の東端と西端と、その付近にあるいくつかの島嶼では、自治権を認められた先住民族が生活している。

 中には他国や他民族との交流を絶った民族が多数いて、今でもおれは全貌を把握し切れていない。

「エルヴァスティのかたではなかったんですね」

「まあな……行くぞ」

 己のルーツがハッキリわかるということは貴重である。黙秘したり、偽りを継承する必要もなければ、家そのものや家族、それらを知る者がいなくなったりしたことがないわけだ。

「わたしもタハティラ」

「そうなのか! 住んでいたのは森だったよな。どこの森だ?」

「うーん、でも……今まで暮らしたところはタハティラじゃない……」

 歩きながら二人の話を聞いていたが、その話題を自分から振るのか。アンナはちらりとこちらを見た。やっと自分のことを話したそうに。

「……ギルベルトになら大丈夫だ」

 場所は変えさせてもらっていいか、と、道行く人々が多くなった周囲を気配で探る。どこもかしこも人でにぎわっていた。

 そして、あの白樺の森も駄目だ。午前中は木こりの一団か、最後の樹液を絞りに来た農民がいる。白樺のサラサラした雪解け水のような樹液は、春の一か月の間しか採取できない。

 そもそも春は人間も活動的だし、祝祭の日取りが迫るここ十日では準備で忙しない。……村から外れよう。

「この道を右に逸れた村外れで話せ」

 そこなら橋のない川がある。その川を境界線のようにしてムーエン村の土地は終わり、草原と遠くの山岳と渓谷を越えれば、テオセア一小さい国境の砦と門まで、町や村がない。その門を出れば、すぐに他民族の自治領だ。

 もちろん灯りすらなくていつでも暗く、子どもも大人もそこだけは避けて通りたい場所である。

 おれも……話の続きを聞きたい。

 宿屋で聞いた分だと、アンナは赤ん坊の頃〝エルフィ〟――もとい、〝エルフリーデ〟という名の魔法使いの女性に拾われて、聖域の森で育った……ということだけだった。

 魔法使いの弟子として暮らしていたが、長さが腰まであって豊かに波打つ桃色の髪を編まされたり、物でごちゃごちゃの家の掃除や、侵入者の追い払いを一人でさせられたり。魔法の勉強を対価にしても、散々だな。

 そういう話ばっかり出てきたと思ったら、ふと泣きそうな顔になって……そこでギルベルトが入ってきたのである。

 思いがけず似たような背丈の者がもう一人来たおかげで、話しやすくなって良かったとよろこぶべきだ。

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