三十年務めた会社を辞めてみた
三十年務めた会社を辞めてみた。
新卒で入社して、気が付けば三十年年以上同じ会社に勤めていた。
一昔前ならあと七~八年で退職というところ、今はさらに五年が追加されてしまった。
最終的に選択したのはもちろん自分だが、どうしても入りたかった会社ではなかった。
ではなかったが、入ってしまえばそこはそれ、一人の社会人として勤勉に励んだものである。
事務員として入社した。
自分の質に合っていたのか、入社したころは、初めて覚えるものばかりだったので、それなりに大変だったが、日々の業務をこなすのに否やはあまりなかったと記憶している。
自分で言うのもなんだが、基本的にまじめで物覚えもよく、要領良く熟すことができた質だ。
それが、十年十五年と過ぎていくと、業務もマンネリ化し、悪い意味で退屈になってくると、仕事中の意識が自分だけだった頃に比べて、自分に余裕が出てきているのか周りに向くようになっていく。
それがよくない。
さっきも書いたが、物覚えがよく要領良く熟せると、好むと好まざるとにかかわらず、自然と業務量が増えていく。
余裕がない頃は、自分の仕事だけに集中していたはずが、周りが見えだすと、することが多いにもかかわらず、周りのフォローもする羽目になる。
良くも悪くも経験値が上がり、中堅どころとして期待される頃である。
少々なら気分転換で構わないが、それが多くなると煩わしいことこの上ない。
元々の性格か、人付き合いが苦手で、自然と職場の人間関係も面倒になってくる。
思えば、初めて辞めたいと思いだしたのはその頃だったかもしれない。
年齢的にも、一般的に転職可能な上限でもあったし、職場関係が面倒で辞めたいと初めて家族に相談をした。
いろいろあったが、結局、二人目が生まれたこともあり、育休取得の名目で半年ほど会社を休むことにした。
復職してからも、辞めたい気持ちは減ることはなかった。
これだけ長く勤めていると、当然何カ所か異動をすることになる。
職種柄、どの異動先に行っても基本的にする業務は同じである。
業務をこなすことに雑作はないのだが、いかんせんつまらない。
家族には内緒にしているが、毎日行くのがつらかった。
自家用車で通勤することが多かったので、車内で「辞めたい!」とどれだけ叫んだことか。
出勤すればしたで、早く定時にならないかと、どれだけ時計をにらみつけたことか。
こんな自分でも、二十年以上も同じ会社にいると、昇格する羽目になった。
はっきり言ってとても嫌だった。
業務量が多くても、一人仕事であっても、まだ平社員の状態で、まわりにアドバイスをしている方が百倍もましだった。
一人仕事が好きな自分に、自分の業務をこなしながら、部下の面倒まで見ることなんて、絶対できるわけない。
どんな罰ゲームかと、人事異動を組んだ人を恨んだことか。
それから数年。
嫌で嫌でたまらなかったが、なんとか出勤し、するべきことをこなし、定時には逃げるように帰っていく毎日だった。
そしてその時が来た。
きっかけは、人事異動で上司となった人のやり方に、どうにも合わせることができなかったことだった。
ついに、限界が来たみたいだ。
幸い少ないながらも貯金はあり、退職金もそれなりにもらえるので、一年くらいならなんとか求職しながら生活できる目途はあった。
五十歳を過ぎて転職なんて、どれだけハードル高いのかと思わないでもなかったが、どうにも仕事が辛くてたまらないことをつたえると、家族は内心はともかく、辞めることを承知してくれた。
あまりにも辛いので心療内科を受診したら、適応障害の病名が付いた。
安直ではあったが、年度いっぱい病気で休みをもらい、年度いっぱいで退職することとした。
生活も大事だが、自分の心の健康も大事だと思う。
たしかに将来が未確定の状態では、しばらく辛いことが続くだろうが、職場で辛いよりは全然ましだと思うことにした。
自分の座右の銘はいくつかあるが、そのうちの一つに「天は越えられない試練を与えない」というものがある。
今までも何度かその銘に救われたし、今回もきっと何とかなるだろう。
三十年務めた会社を辞めてみた。
この後どうなったかは、今のところ内緒であるが、機会があったらまた書いてみたい。