体育会系が学歴厨に目覚めちゃった
相談だからと放課後の空き教室に呼ばれ、この一言。
「俺、とうだいに行けるかな?」
私は、言葉を失った。意識の外側から隕石が降り注いで、クレーターだらけになったのだ。即座に声帯を奮わせられる人種は、もはや人間でない。
「……そんなに、意外かな? 前から、ずっと言ってきたと思うんだけど……」
連呼されて詰め寄られても、まだ亮太の突飛な発言が処理し切れていない。
亮太は、石頭の頑固オヤジも認めるスポーツ一筋。祖父母の血を蹴って前世紀のスター選手を輸血でもしたのだろうか。脳まで筋トレで鍛えられると豪語するほどには力至上主義である。力イズパワー。
教科書の片隅に、グラウンドと打球方向のシミュレーションがされているのを見たことがある。授業中に、漫画に隠して脳内計算しているそうだ。教科書を、漫画に隠す……? 私には、高度な謎解きで解読出来なかった。
「とうだい、って、海の灯台のこと? 自転車で一時間もすれば着くんじゃなーい?」
「へえ、美彩は三十キロも漕げるんだ……。そうじゃなくて、大学の方だよ、東京大学」
巻き上げた税金で舗装された道路は、自転車で縦断するのに持ってこい。山の蜂とチキンレースをしながら、一時間も経たない内に潮風の目くらましを浴びられる。通学用の自転車で沿岸まで遠征し、砂浜でヒトデを片っ端から袋に詰めていたのは遥か昔の話。ヒトデ、思ったより美味しくなかったなぁ……。
東京大学、略して東大。日本の最高峰にして、低学歴の目の敵にされやすい大学だ。やたらコミュニケーション能力の低い東大卒がクローズアップされ、それをダシに発信者が儲けている。
勉学に励み、進学校に集まった秀才の中の秀才がしのぎを削り合う。ある意味多数の死者が出る受験戦争を勝ち抜くのは、上澄み液の上澄み液。私のような凡人には、到底割に合わない。鉄とマシュマロを天秤にかけて、マシュマロは沈まないのだ。無重力状態はもちろん考えないものとする。
「……東京の大学、かあ……。だって、亮太はまだ引退したばっかりでしょ? 今から、勉強始めるんだよね? まだ、間に合うんじゃないかな……?」
「勝手に助詞を付けるなよ。こう見えても、脳みそは詰まってるんだ」
「空っぽだったら死んでるからね……」
亮太の良い間違いでも無かったらしい。正真正銘、ハードルの高さに挫折者が続出する地獄の関門に挑みたいようだ。背中を押す理由が見つからない気がするんだけど……?
「……亮太、テストの成績表の見方、分かる?」
「俺を甘く見るなよ! なんてったって、俺は野球部のキャプテン……」
「部員が常時ずる休みで定員割れしてたんだっけ。副キャプテンが、必死に勧誘してたって聞いたよ?」
私たちの学校の野球部は、時代に取り残された昭和の雰囲気がこびりついて離れない。女子部員は言わずもがな、熱血野球少年もおにぎりボールに大部分が流れてしまった。顧問が黒サングラスと釘バットを手に持ってたら、そりゃそうなるよ……。
結果、入部したのは野球バカ。良く言うと趣味に一途、最上級の軽蔑を込めるのなら『野球しか取り柄の無いアンポンタン』。亮太も、金属バットを闇雲に振り回すしか能の無い大型扇風機だった。ホームラン予告からの送りバント失敗は、フェンスの後ろから観戦していて忘れられない思い出になった。亮太、ベースをスタンドに放り投げてたなぁ……。
キャプテン選出は、くじ引き。天才肌で無いのに練習をサボりがちだった亮太に代わって、いつも副キャプテンが監督に雷を落とされていた。副キャプテン、メンタルが壊れて無いといいけど。
「……ちょっとくらい、部活の仕事を分担したらどうだったの?」
「俺には、野球しかなかったんだ……。白球に、青春を賭けてたんだ……」
まだ日の高い青空を傍観して、神視点から青春時代を見下ろす亮太。達観していて、ベテランの度胸が据わっている。隣の席の子に一目ぼれして、翌日に玉砕していたのは青春にカウントされないようだ。
自称スラッガーの亮太は、ポップフライか三振。臨時要因で打席に立った私の打率より低い。素人の女子に負ける野球部員の肩書は伊達ではなく、引退試合も一打席目に代打を送られていた。守備着く前で、流石に可哀想だったかな。日頃の行いの天罰が下った、って考えれば妥当だとは思う。
「……それより、東大。東大に入れば、安定した生活を手に入れられるんだ……!」
「どういう風の吹き回し? 『プロ野球選手で女子を上から選ぶ』って豪語してた亮太はどこにいったの?」
プロになれるチャンスは、原則として年一回。会議で選ばれれば、晴れてプロ野球選手としてのキャリアが始まる。亮太の場合は、お金欲しさに違いない。ゲームソフトが買えない、と利息マイナスで私からだまし取ろうとした記憶は新しい。誰がATMだ!
「……コスパが悪いから、あれは辞めた。やっぱり、東大が一番手っ取り早いよな。スポーツ枠で、経歴を修飾すれば……」
経歴は修飾語で盛るものではないし、亮太の学力ではその知恵も生まれない。大喜利選手権だと勘違いして、試験会場で注目の的になることは出来るかもしれないが。
それに、残念なお知らせがある。
「東大に、スポーツ推薦なんかないよ?」
野球部も、陸上部も、体育系の部活も。一般試験を通過して、ようやく選択肢のボタンが出現する。地図を持たない亮太が、砂漠を生きて横断できるはずがない。ミイラになってもらって、未来の考古学に貢献させてしまおうか。
亮太の目が、飛び出そうになった。ははーん、分かった。学力で叶わないのは承知の上で、『実力テスト』でゴリ押そうとしたんだ。現実って、全く甘くない。
「それなら、裏口入学……。正門からだと事務室で止められるから、門を乗り越えて……」
「普通に捕まるよ? 東大ともあろう大学が、セキュリティが緩いと思う?」
前向き思考は新たな発想を生みやすく。社会で提案をする点で有利だ。ポジティブシンキングは、全ての人に推奨される。
たがしかし、亮太は不死鳥の成れの果てになってしまってはいないだろうか。学歴に固執して、自分を見失っている。体育会系で学歴重視のギャップは、一文の徳にもならない。
「……そっか……、東大は、いささか難しいのか……」
「ほとんど、の間違い! お願いだから、新聞の一面には載らないでよ?」
亮太なら、金属バットを両手に教授の家を襲撃しかねない。生前最後の顔写真が新聞に掲載されるのは勘弁してほしい。曲がりなりにも、亮太はラフに話せる数少ない異性なんだから……。性格はルーズだけど……。
「……そうだな。美彩、東大は諦めるよ。バカでも入れるって評判の京大に変える」
「それ、私たちの目線からでもそう言えるかな……?」
バカ熱血魂を鎮静化させるのには、もう少し時間がかかりそうだ。