12 赤の他人、黄色の他人②
「アーサーがっ! アーサーがああああああっ! マジでいいお兄ちゃんだったよね。今年一番いいお兄ちゃんだったわ……」
「今年が始まってまだ二か月しか経ってないですよ」
繁華街にある、普段なら行かないような、おしゃれなレストラン。その静かな店内に先輩の涙声が響いていた。
先輩はエンドロールの間ずっと泣いていて、映画館からレストランまでの道のりで泣き止み、現在思い出し泣きをしているところである。他の客の視線が少々痛いが、先輩となら耐えられる。
「連れ去られた妹にアーサーがやっと謝れたところ、一番やばかったよね!? 『俺の妹は世界でお前一人だけだ』……ぐっはー!! 私も言われたい! 生き別れたお兄ちゃん、早く私を見つけて!」
「お兄さんいるんですか?」
「ただの願望」
泣いたりニヤニヤしたりで先輩は忙しい。頬は今も少し濡れて赤らんでいるのだが、実際のところ、お涙頂戴のストーリーではなかったし、僕は全然泣かなかったのだけど、先輩の涙腺にはクリティカルヒットしたらしい。
虫以外のことでこんなふうにはしゃいでいる先輩を見るのは初めてなので、やっぱり普通の女子大生なんだな、と思う。とにかく先輩が楽しんでくれたようで良かった。
「先輩って、きっと感受性が豊かなんですね。僕、映画で泣いたことなくて」
「歳を取ると涙もろくなるんだよ。私だって渡辺くんくらいの頃はこの程度じゃ泣かされなかったけど、今はもうダメだ。小説でも音楽でもとりあえず涙出る。渡辺くんもじきに分かるさ」
あまり想像できないけれど、僕も映画を見て涙を流せる人になりたいなと思った。
楽しく食事をして、僕がお会計をして、店を出た。楽しい時間はあっという間に過ぎていってしまう。
計画では最後に夜景を見て終わりである。駅の近くのビルに展望台があって、無料で九時まで入れる。美しい夜景をバックに告白する作戦だ。
本当は告白なんかせずに、今までみたいにみんなと過ごす素敵な時間が続いてくれればいい。だけどそれは叶わぬ願いだ。今日という日にさえ終わりはあり、あと二か月もしないうちに僕を取り巻く人間関係は大きく変化する。だから僕は僕がやるべきことを実行しなければならない。甘えて何もしないで部屋に閉じこもっているのは、もうやめたんだ。
「先輩、夜景、見ませんか」
「いいね。どこかいいところ、あるの?」
「アオイタワーに展望台があるんです」
「へえ、そんなの、できたんだね」
僕らはアオイタワーへ向かって歩く。今日は雲がなくて綺麗な景色が見られそうだ。告白に最も相応しい場所に違いない。
途中、道端で商品を並べて売っている人がいた。木箱に板を乗せて作った台とコルクボード。それらを照らすレトロなランプ。どうやら手作りのアクセサリーらしいが、行き交う人はチラッと見るだけで、立ち止まって手に取るような人はあまりいない。こんな寒い夜に頑張るものだ。
僕は告白のことで頭がいっぱいだったから、よく見ないで通り過ぎようとしたけれど、先輩が僕の手をいきなりつかんで引き寄せた。
「渡辺くん、ちょっと待ったー!」
「ひぇっ!?」
驚いて変な声が出てしまった。先輩は僕が止まるとすぐに手を放し、アクセサリーをよく見ようと腰をかがめる。
また心拍数が上昇している。自分の手のひらに残る肌の感覚と体温とを、受け止めるのに必死だった。
心を落ち着かせると、淡い光にキラキラと輝くアクセサリーが目に入ってきて、先輩が足を止めた理由が分かった。そのアクセサリーは、どれも昆虫をモチーフにしていたのだ。定番のチョウだけでなく、テントウムシ、ハチ、クワガタ、カミキリムシ、バッタ、クモなど、けっこうバリエーションがある。金属製で、足の一本一本までリアルに作ってあるけれど、埋め込まれたカラフルな宝石が本物らしさをうまく打ち消していて、気持ち悪くない。
先輩は興味津々で瞳を輝かせている。イヤリング、ネックレス、ブローチ、他にもいろいろ。
「どうぞ、触ってみてください。どれも一品ものです」しゃれた帽子の女性店主が促した。
「はい! 触ります!」
先輩は遠慮せず宝石の虫を手に取って、光の当たる角度を変えて色合いの変化を楽しんでいる。
「これ、可愛いよねー」
「はい、いいと思います」
はしゃぐ先輩の横顔は宝石よりもキラキラしていた。
「先輩ってこういうの、付けるんですか」
「全然なんだけど、これだったらちょっと付けてみたいかなーって」
「きっと似合うと思いますよ」
「そうかなー」
「ぜひ付けてみてください。カレシさんも、見てみたいでしょ?」
店主の一言で僕は顔が熱くなり、挙動不審になってしまう。
「い、いや、その、カレシ、というわけでは……」
「ねえユーイチさん、どう?」
ノリのいい先輩がコートの襟にブローチを合わせて、甘えるような顔をした。僕をからかっている!?
僕はもう心臓発作でも起こしそうになり、まともに先輩の顔を見ることもできず、小さな声で「いいと思います」と答えた。……なんて破壊力だ! 先輩と恋人になれば、毎日こんな顔が見られるのかな……。




