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【完結】美人の先輩と虫を食う  作者: 吉田定理
冬の章
31/44

9 鳴かぬ蛍が身を焦がす②

 十二月二十三日、土曜日。夕方。

 冬休み初日の今日、中華『朱雀』にて、虫の輪のクリスマス会&忘年会が執りおこなわれた。新代表である石橋さんの開会宣言で始まったこのイベントは、最初の一時間はまだ良かった。しかし古代ギリシャの偉人は言ったそうだ。『酒とは人間を映し出す鏡である』と。またある日本人は言ったそうだ。『酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ』と。

 僕は最初、石橋さんと須藤教授の間に座って和やかに会話していたはずなのだが、いつの間にか両サイドが先輩と斎藤さんに入れ替わって、舌戦に巻き込まれていた。

「渡辺くん、今日も集中講義受けてきたんだって? 今から頑張りすぎると、体も心ももたないよ! やめなよ!」

「はい、そうですよね。休むことも大切ですよね……」

「いいや、渡辺はむしろ全講義に出ろ。己の道を決めるには、勉強するしかねえんだ。迷ったら勉強するしかねえんだよ!」

「はい、今は、そんな時期かなとも、思います……」

「そんなのダメ!」先輩は身を乗り出して斎藤さんの前の枝豆をグワッとにぎり、ザザッと持っていった。「渡辺くん、もっと遊びなよ! いま遊ばないでいつ遊ぶの? 渡辺くんって徹夜で友だちとバカ騒ぎしたことないでしょ? 私には分かるよ、君はそういうタイプだって」

「はい、したことないです。そもそも友だちがあまりいないもので……」

「おい猪俣、渡辺に変なことを教えるな!」今度は斎藤さんが仕返しに、先輩が大事にとっておいた唐揚げを素手でかっさらっていった。「こいつが落第したらおまえの責任だぞ。どうすんだ?」

「いいよ私が責任取るよ!」先輩の長い腕が伸びて、斎藤さんの前にあった酢豚を皿ごと奪い取った。「そのかわり渡辺くんはもっと遊ぶこと! 私だって気分が乗らないときは、よくサボってたよ」

「偉そうに言うな!」斎藤さんが酢豚の皿をひっつかみ、空中で引っ張り合いになる。「あと先輩が後輩に、講義サボること推奨するんじゃねえ!」

「サボって何が悪いの! どの講義も欠席が二回まで許されるのは何のため? サボって青春を謳歌するためでしょ?」

「体調不良とか葬式のために決まってんだろが!」

「ねえ渡辺くん、代返だいへんって知ってる? 知らないでしょ?」

「おいコラ! 変なこと教えんなっ!」

「渡辺くんには知る権利があるよ!」

 にらみ合う二人。間に挟まれた僕は左右からぐいぐい押されているのだが、先輩の柔らかくて立派なものがずっと腕に当たっていて……理性が崩壊しそうだ。どちらも僕のことを思ってくれているようなので嬉しくはあるが、この状況を誰かどうにかしてほしい。空中でぶるぶるしていた危険な酢豚は、機転を利かせた凜ちゃんが全て胃袋におさめた。そのまま二人で仕方なくお皿を店員に渡す。だが両者とも不満そうである。

「酢豚ください!」「酢豚頼む!」

 二人同時に店員を呼びとめた。

「酢豚、二つネ?」中国人のお姉さんが確認する。

「一つです!」「一個だ!」

「ホントに一個、イイ?」

 結局一個だけ注文したみたいだが、非常に心配である。二個にしておけばいいのに。

 二人が店員さんとのやり取りに気を取られている隙に、僕は脱出して石橋さんの隣へ移動した。

「この二人、少し抑えたほうがいいんじゃないですか。めっちゃ飲んでますけど……」

「問題起こしたら出禁になると分かってるんで、たぶん一線は越えないっすよ」

「他に虫料理が出てくるお店を知らないからね、僕らは」

 須藤教授もあまり気にとめていないようだ。とはいえ、こっちの二人もお酒を飲んでいるので信用していいのかどうか分からない。

 僕は一番冷静に物事を判断できそうな人物――凜ちゃんに尋ねてみる。

「僕の歓迎会のときより激しいというか、荒れているような気がするんだけど、これが普通なの?」

「ザ・普通です」

 凜ちゃんはこぶしを突き出してビシッと親指を立てる。店内の熱気に当てられてもなお怜悧で冷静そのものの表情だが、まじめなのか冗談なのか……。

「父が全責任を取りますから、お構いなく」

「まあ、そうなるねぇ。監督者だから」

 さらっと言うけれど、それは全然安心できないですよね? それとも父親ってそれでいいものなのだろうか。

「ハイ、酢豚」店員さんが先輩と斎藤さんの間に皿をおいた。「ドリンク、ラストオーダーダヨ」

 終わりの時間が近づいていた。

「最後に一杯飲んだら宅飲みするぞ。みんな付き合えよ」

 斎藤さんの箸がすごいスピードで口と皿を往復し、豚肉だけをことごとく奪っていく。

「私も飲む! 今日はとことん飲む!」

 先輩はパイナップルだけを片っ端から素早く口に運ぶ。デザートが欲しかったのかよ。

 結果としてお皿の上には甘辛く炒めた野菜だけが残った。それを僕と石橋さんと教授と凜ちゃんで、ちまちまといただいた。

 二次会の会場は朱雀から一番近い石橋さんの家に決まった。須藤教授と凜ちゃんとは、ここでお別れである。

「良いお年を」とあいさつを交わして、二人はタクシーに乗りこんだ。凜ちゃんが車内から手を振っていたが、降り返したのは僕だけである。酔っ払い三名は帰る人のことなど考えていないのだ。

「さて、飲むぞ。石橋のうちには何がある?」

「うちはお茶くらいしかないっすよ。誰か買い出しに」

「私が行く!」

 先輩が挙手した。自分で選びたい人なのだ。

「俺は芋な」「ほろよいで」「あとなんかつまみ、テキトーに頼む」「あ、氷もお願いっす」

「私に一人で買い物させるの!? そんなに持てないってば」

 残る僕に視線が集まったので、手を挙げた。

「い、行きます」

 恐ろしいほど予定通りなので、緊張で足が震えてくる。

 熱気がむんむんしていた店内とは違って、クリスマス前々日の夜は寒い。星のない漆黒の空の下、先輩も僕もコートの襟を立てて、ポケットに手を突っこんで歩いた。

「いやー、寒い寒い。雪でも降るかな」

「この辺りって、降るんですか」

「大学入ってから一度もないよ。一回ぐらい降ればいいのに」

 先輩はすねたように口をとがらせ、小石を蹴飛ばした。子供っぽい仕草が可愛い。

「でも、雪降ったら大変じゃないですか。定年坂ていねんざかが凍ったら誰も登れないんじゃ……」

「だよね! いっそ誰も登校できないように、二メートルくらい積もらないかな?」

「先輩って時々、とんでもないこと言いますよね」

「そう? 私は本気でそう思ってるよ」

 僕は笑う。先輩の頭の中のことは、僕には理解できないことが多いけど、今はまだそれでもいいと思っている。それが先輩の魅力だから。

 僕らはおしゃべりに花を咲かせ、うまく会話が繋がっていく。目的のコンビニが見えてきたとき、僕は急に何かしなければと思い至った。買い物をして重い荷物を持った状態では、先輩と二人でどこかへ消えることもできないだろう。だがどうする? 会話は弾んだけど、さすがにまだ告白できる雰囲気ではないと思う。いくらなんでも唐突すぎるし、下手したら冗談か何かと思われてしまいそうだ。会話に夢中になりすぎて、あらかじめ考えておいたプランのプの字すら忘れていた。

 僕が買い物かごを持ち、先輩がみんなのリクエストの品を入れていく。適当にお菓子やおつまみも買って、コンビニを出た。次の作戦を考えている時間はなかった。

 僕と先輩は一つずつ袋を持って歩く。十分もすれば石橋さんのアパートに着いてしまうだろう。今日を逃したら年が明けるまで先輩とは会えない。二人だけでいられるチャンスも、あとどのくらいあるのか。早く何かしなければ……。

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