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【完結】美人の先輩と虫を食う  作者: 吉田定理
秋の章
28/44

8 回顧と文化祭③

「少なくとも僕は先輩に会わなかったら、死ぬまで虫なんて食べなかったはずです。カイコの唐揚げを買ってくれた人たちだって、きっとほとんどの人は初体験ですし、あんなの絶対記憶に残りますし、その影響でいつかざざむしの佃煮も食べてみようって思うかもしれないじゃないですか」

 『かもしれない』は、根拠のない推測や希望だ。でも実際の商売はそれじゃ済まないし、遊びでもない。僕らはカイコの唐揚げが全く売れなくても笑い話で済むけれど、ざざむしの佃煮を作っている会社は死活問題だろう。

 僕の言葉が軽々しいのは分かっている。だけど、今の僕はそういう言葉しか持ち合わせていないから、何もない僕にできるのは、お粗末なセリフでも、とにかく気持ちを伝えたり、励ましたりすることだけ。

「先輩のやっていることは無駄じゃないです。おじいさんの会社や虫食いの文化を守るために、貢献していると思います。一つ一つは小さいことだとしても……僕はそう思います」

「……ありがとね」

 その感謝の言葉は、今までの先輩のどの言葉よりも、優しく響いた気がした。

 僕の拙い言葉で、少しでもいいから何か先輩に届いてくれていたら、と思う。

「渡辺くん、君は優秀な人材だよ」 

 先輩が僕の肩に手を置いたので、僕は動揺してしまう。いちいち意識するな僕!

「そ、そうですかね?」

「うん、非常に優秀です」

「それは、ええと……ありがとうございます」

 真っ直ぐに見つめてくる先輩と、視線が合わせられなくて若干挙動不審になる。この程度のボディータッチで、このザマとは情けない。

「カイコってね、飛べないんだ」

「え? 立派な羽が付いてるのにですか?」

「そうだよ。ペンギンと同じだね」

 僕は吹き出した。カイコとペンギン、全然似てないと思うのは僕だけか?

「実は木にも登れない。寿命もセミみたいに短い。人間に長く飼育されすぎて何もできなくなっちゃった究極の家畜がカイコなんだよ」

「へえ、退化したってことですか」

「そうそう。我々も、居心地いいところで、ずっとぬくぬくしてると、きっと退化しちゃう。私はカイコみたいになっちゃいけないと思うんだ。常に飛ぶことを忘れちゃいけない」

「あー、なるほど。だから先輩は黒蜜味が必要だ、と」

「やっぱり君は賢いね!」

 先輩に言われると、まんざらでもないから不思議だ。心の中でガッツポーズを決める。

「さあ、同士、渡辺くん。いざ、黒蜜味を食べに戻ろうか」

「はい、もうお腹いっぱいですけど……」

 僕らは広場に戻る道すがら、妙な人に出会った。ビジュアル系バンドみたいに派手な服装で、首から看板をぶら下げている男性だ。手にはお金を入れる箱。

「絶叫代行~。たったの10円で、あなたの代わりに何でも叫びま~す」

「渡辺くん、なにあれ面白そうだよ!」

 先輩はその人を見つけるなり目を輝かせて駆け寄っていった。

「なんて叫びましょうか? 拙者が覚えられる長さでお願いします。あと誹謗中傷や卑猥な言葉はNGなんで」

「渡辺くん、何にする?」

「特に、思い浮かびませんが……」

 ここで気の利いたアイデアを出せないのが僕である。

「んー、じゃあ、『斎藤くんのゲス!』にしようかな」

「それは誹謗中傷だと思いますが」

「じゃあゲスだけで」

 先輩、ゲスって好きだなぁ……。

「申し訳ないけどゲスだけでもダメなんで」

 男性に断られて、先輩が舌打ちした。

「あ、じゃあ、広場で虫料理売ってます、とかどうですか?」

「面白くはないけど、一回目はそれで」

 何回もやる気なのか? まあ10円だから懐は痛まないけど。

 先輩が箱に10円を入れると、男性は大きく息を吸い込んで、体を直角にのけぞらせて「広場で虫料理売ってまああああああす!!!」と絶叫し、その直後ゲホゲホとむせていた。驚いた周りの人たちがこっちを見るので恥ずかしい。先輩はその様子がツボに入ったのか、お腹を抱えて笑っていた。

「次は、内定しましたイエーイ! でお願いします」

 先輩が10円を箱に入れ、男性が「内定しましたイエエエエエエエイ!!!」と絶叫し、また激しくむせた。それを見て爆笑する先輩、縮こまる僕。

「もう一回!」

 10円、絶叫、そしてゲホゲホ。もし箱に1000円札をねじ込んだら、この人は死ぬと思う。

「一組、五回までで、お願いしゃす」

 男性は喉をさすりながら、ガラガラの声で言った。

「次、渡辺くんいいよ」

「ええと……まだ考え中です」

「じゃあ、凜ちゃんマジ美少女、天使すぎる愛してる、で」

「凜ちゃああああああん!!! マジ美少女天使すぎる愛してるううううううッ!!!」

「……何ですか、今のは?」

 振り向いたら、訝しむような顔の凜ちゃんと須藤教授がこちらに向かって歩いてくるところだったので、僕は戦慄した。凜ちゃんはいつもの制服姿で、スカートは短いけど、黒タイツで防寒している。須藤教授はニット帽にコートも羽織って真冬の格好。

「凜ちゃんへの溢れるほどの愛を全く無関係な男に叫ばせてました」

「気持ち悪いのですが?」

 凜ちゃんは先輩と絶叫代行の男性を氷点下の視線で串刺しにした。

 ……彼に罪はないのでは?

「やあ、二人とも。猪俣さん、似合ってるね。お蚕さんみたいに真っ白だ。だけどお店は?」

「でしょでしょ~? 教授、分かってますね!」

 なんで教授は一目でナース=カイコのイメージだと見抜けるんだ?

「お店は斎藤さんと石橋さんがやってくれてます」

「先生、凜ちゃん、何か叫びたいことありますか? この人が代わりに叫んでくれるので」

「ないなぁ」

「ないです」

「えー、じゃあ渡辺くんに言ってやりたいこととか」

 なぜそうなる?

「はい」と凜ちゃんが小さく挙手する。……おい。

「何?」

「渡辺さんは今日も素敵ですね」

「お兄さん、ラストお願いします」

「渡辺さんはァァアアアアアッ!! 今日もマジ素敵ですネ愛してるうううううううううアォッ!!!」

 ひときわ高い声でキャンパス中に響き渡る、無関係な他人が叫ぶ愛。嬉しくない。ゲホゲホと、爆笑と、頬を赤らめて恥じらうように顔を伏せた凜ちゃんと、複雑な表情の教授。

「いやいやいやっ! セリフ違いますし!?」

「ザービズ、じどぎまじだ……」

 男性はガラガラの声で言うと、やり切ったという顔で親指を立てた。

 余計なサービスだよ……。

「じゃあ、お二人とも、お店に案内しますね」


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