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【完結】美人の先輩と虫を食う  作者: 吉田定理
秋の章
26/44

8 回顧と文化祭①

「らっしゃい、らっしゃい~! そこのおにーさん、お一ついかが?」

 両手に唐揚げを持った純白のナース姿の先輩が、歩いてきた若い男性の前に立ちはだかった。……何を言っているか分からないと思うけれど、事実として先輩は今、白衣の天使なのである。

 十一月半ば。静岡大学の文化祭――静大祭が三日間にわたって開催されている。その初日、我らが虫の輪は、広場に並ぶ露店の一つでカイコの唐揚げを売っていた。朱雀で出てくるのはカイコのサナギの唐揚げだが、今日、僕らが売っているのは成虫の唐揚げである。自分たちで捕獲したのではなく、市販されている業務用冷凍カイコを使っている。

 広場は老若男女でごった返していて、これぞ文化祭という賑わいだ。先輩は、売るためには目立つ必要があると言って、ナースのコスプレ衣装を身にまとって売り子をしている。

 この衣装、公序良俗に反するほどではないのだけど、スカートは膝上20cmで、白のニーハイソックスが作り出す絶対領域に、ついつい視線が行ってしまう。さらに、先輩の体のラインもはっきりと出てしまっているので、全体的にお子様には刺激が強めなのである。僕にとっては嬉しいけれど、じろじろ見るわけにはいかないので、手が空いたときにチラ見する程度にとどめている。今日の先輩に、僭越にも点数を付けさせていただくなら、三百万点といったところだろう。

 ちなみに純白ナースを選んだのは、カイコの体や繭が白いことから連想したらしい。正直、その発想と行動力はよく分からん。

 ナースの先輩は手に持っている唐揚げ入りの紙コップを、通行人に差し出す。

「カイコの唐揚げ、たったの300円です! なんと味付けは、カレー、プレーン、黒蜜の選べる三種類!」

 見た目はコンビニで見かけるような、何の変哲もない唐揚げだ。油でこんがりと焼き上げて、竹串を一本刺してある。なので、カイコと言われても、たいていの人はピンと来ない。

 だから男性が聞き返したのも無理はないことだ。

「ええと、カイコって何ですか」

「もちろん白くて美しいです。今日の私のように」

「へ?」

 男性が理解できずにキョトンとしていることに気付いているのかいないのか、先輩はその場でひらりと一回転のターンをしてみせた。ナースキャップが落っこちそうになって押さえる。

「すみません、今、なんと?」

です! オカイコさんです! シルクを作ってくれるヤツ。触覚がこう、ぴゅるん、ってなってて、バサバサーッて羽ばたくキュートなヤツですよー」

 先輩がジェスチャーで必死に伝えようとしている姿は、脳内に永久保存したいくらい可愛かった。五百万点。

 しかしそんな微笑ましい光景に目もくれず、男性の視線は先輩が持っている唐揚げに注がれていた。羽や足は最初から、もぎ取られているのだけど、よく見れば虫っぽい模様が薄っすらと見えたりする。

「騙されたと思って、どうですか? 買いませんか? もちろん買うって飼育じゃなくて購入って意味ですけど~!」

「あ、ええと……すみません」

 男性は曖昧な笑みを浮かべて、買わずに去っていった。先輩はめげずに次の通行人に声をかけに行く。時には露店から離れて宣伝しに行くこともある。

 一方、斎藤さん、石橋さん、僕は露店の切り盛りをしている。斎藤さんと石橋さんがカイコを唐揚げのもとに付けてフライヤーで揚げる調理担当で、僕が注文を受けて商品を渡す担当。

「カレーとプレーンですね、600円です。熱いのでお気をつけください」

 お金を受け取って、商品の入った紙コップをわたす。お客さんは僕が想像していたよりも普通に買ってくれるし、おいしいと言ってくれる。中には冷やかしというか、面白半分で見に来るだけの人もいるけれど、露骨にバカにしたりする人がいなくてよかった。

 以前、みんなで試食したとき美味しかったので、今日も自信を持って「食べてみませんか?」と勧めている。鶏の唐揚げと比べたらさすがに勝てないけど、メスはお腹に卵が入っていて、それがプチプチとした食感でクセになりそうなのだ。オススメはカレー味。

「ねえねえ、黒蜜味が全然売れないんだけど」

 先輩が露店に戻ってきてぼやいた。

「だから売れねえって言っただろ。唐揚げに黒蜜かけて食うヤツいねーよ」

「試食会でも微妙な点数だったっすよね」

 斎藤さんと石橋さんが作業しながら冷たく答える。露店の申請を出す前にサークルメンバーで行なった試食会では、他にもいろいろなフレーバーを試したのだけど、ほとんどは却下された。例年、カレー味、プレーン、塩味などが生き残るらしく、今年も似たり寄ったりになったが、先輩が「こんなのじゃ去年と同じだから面白くない! だったらもうやらない!」と駄々をこねたので、デザート枠として黒蜜味が強引にねじ込まれたのである。しかもこれ、プレーンに黒蜜をかけただけの雑な仕様であり、考案者は先輩だ。

「僕は黒蜜味も、嫌いじゃないですけど」

 さり気なく先輩をフォローしておくが、正確に言えば、嫌いじゃないけど好きでもない。

「渡辺くんは違いの分かる男だね! こっちのおじさんたちはもうダメだ」

「誰がおじさんだ!」

 斎藤さんが吠えた。だが先輩はさらっと流して僕の隣に来る。

「渡辺くん、余ったら二人で黒蜜かけて食べようね?」

「は、はい……ぜひ」

 それは勘弁してほしい……けど先輩に言われるとYESマンになってしまう。僕、うまく笑えているだろうか……。

「あ、私、いいこと思いついた」

「なんですか?」

「黒蜜味だけ100円にすれば爆売れするんじゃない!?」

「ダメに決まってんだろ!」

 斎藤さんの怒号が飛んできて、僕ら二人はびくりと肩を震わせた。先輩は横目で斎藤さんをにらみ、不満そうに頬を膨らませる。

「じゃあ生クリーム乗せよう」

「できねえよ! 事前に許可とってねえだろ!」

 また怒鳴られてしまったので、先輩は僕に顔を近づけて囁く。

「斎藤くんってホント、ゲスだよね。それくらいいいじゃん?」

「たぶん斎藤さんは意地悪してるわけじゃなく、大学とか保健所とかのルールなので仕方ないんですよ。万が一、勝手なことして食中毒とか出たら、やばいでしょうし」

「そうだね、確かに。内定取り消しにされたらやばい」

 僕は先輩の甘い香りにドキドキしつつ、ちゃんと斎藤さんのこともフォローしておいた。というか、心配するの、そこかよ!

「でも、それだったら、隣のお店で売ってる許可済みのアイスを買って乗せれば、保健所的にも問題ないのでは? 私って天才?」

「普通に赤字になるんじゃないでしょうか」

「それが唯一の問題だね」

 根本的にダメだろう。

「ところで、これ、まだ売れてない?」

 先輩は、販売スペースの隅にさりげなく置かれている別の商品に目をやった。手のひらサイズの小さなビンのパッケージには、『名物 高級珍味 ざざむし』と書かれている。中身は何やら黒い物体なのだが、その正体は『ざざむし』という虫の佃煮である。虫といっても、川の石の裏などに住んでいるムカデみたいな生き物なのだが。

「さすがに、この小さなビンで2000円だと難しそうですよね。あまり聞いたこともないですし、文化祭っぽいかと言われると、ちょっと」

「そっかー。おいしいのになー」

 これは先輩がコネで仕入れてきたという、市販の商品なんだとか。その横には商品を紹介する手書きのポップ。先輩はざざむしの写真を掲示しておきたかったみたいだけど、唐揚げの売り上げが落ちかねない不気味さなので、イラストに変更された。

「分かってたけど、現実は厳しいね」

 先輩は表には出さないけれど、内心はちょっと凹んでいるのかもしれない。

 文化祭は僕らの活動や昆虫料理をいろいろな人にアピールする良い機会だ。わざわざ虫なんて食べる気がない人たちも、非日常のノリでちょっと食べてみようと思ってくれる。食べない人も、虫料理が売られているのを見て、何らかの形で興味を持ってくれるかもしれない。

「すみませーん」

 お客さんが来たので僕らは仕事に戻った。

「ナースさん、一緒に写真撮ってもいいですか?」

「写真はカイコの黒蜜唐揚げを買ってくれた人だけのサービスです!」

 そうなのかよ!?

 でもそのおかげで黒蜜味が売れた。お客さんたちと一緒に写真を撮っている先輩を眺めながら、ああ、僕もナースの先輩と写真を撮りたいな……なんて思う。言えないけど。


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