7 恋する貴婦人③
「俺と石橋で買い出ししてくる。クモの処理は頼んだぞ」
斎藤さんが石橋さんを連れて出ていこうとしたところを、先輩が呼び止めた。
「私も行きたい! 選びたい!」
「LINEでリスト送ってこいよ」
「見て選びたいんだってば」
「行くなら荷物持ちするんだぞ?」
「それはイヤ」
先輩はいつだってはっきりしている。
「じゃあ料理な。渡辺に教えてやれよ?」
「うー……」
先輩は反論するでもなく素直に返事をするでもなく、変にうなるのが妥協点だったらしい。子供みたいに駄々をこねる先輩はいつも可愛い。
「じゃあ絶対ねぎま買ってきてよ、ねぎま。あとチョコ」
「へいへい」
僕は心のメモ帳の『先輩の好きなものリスト』に二つを書き加えた。
先輩には気の毒だけど、斎藤さんは最初からこういう人員配置にするつもりだったのだろう。何回ごはんを奢ればいいのか分からない。
僕ら料理班は研究室に戻り、ジョロウグモの下準備だ。本日のメインはジャガイモとジョロウグモのピザ。
僕もだいたいの流れが理解できているので、積極的に作業を手伝う。流しの下から鍋を出し、湯を沸騰させ、クモをゆでる。基本的に虫を食べる際は、加熱して病原菌や寄生虫を殺すことが必須だ。逆にたいていの虫は、きちんと加熱さえすれば食べても問題がないらしい。見た目はアレだけど、肉や魚と同じく立派なタンパク質である。
かわいそうだと思いながらも、熱湯の中に生きたクモを投入する。セミと違って叫びもしないけれど、クモたちの悲鳴が聞こえる気がした。このサークルに入らなければ、日常で豚肉や牛肉を食べるとき、自分の代わりに悪魔になってくれている誰かの存在や、その痛みを考えることもなかっただろう。
ゆであがった大量のクモは不気味だが、黄色、黒、赤の三色が鮮やかで彩りが良い。毒牙の部分――頭を一つ一つ丁寧に取り除いたら、ピザの具としての下準備は完了だ。
たくさん捕れたので半分は素揚げにすることにした。すでに加熱殺菌されているので、油で短時間、カリッと揚げる。塩を振りかけて完成!
「味見してみる?」
先輩に勧められて、一匹かじってみた。脚がサクサクしてうまい! スナック菓子みたいに食べられる。
「いい感じです。カニの味はしないですけど、おいしいです」
「渡辺くん、躊躇しなくなったね」
「あ、そういえばそうですね。さすがに半年経つので、慣れたみたいです」
「素晴らしい!」
ついに僕もこちら側の人間になってしまったか、と嬉しいような怖いような気持ちになった。
「渡辺さん、私も味見がしたいのですが」
凜ちゃんがそう言って僕の前で口を『あ~ん』した。
「なんで僕が食べさせるの!?」
「誰か指名するなら、渡辺さんがいいです」
「誰も指名しなくていいよ!?」
「うーす、戻ったぞー」
タイミングよく斎藤さんと石橋さんがマムの袋をたずさえて戻ってきたので、僕らは仕事を再開した。
僕はピーラーで、凜ちゃんはナイフで器用にジャガイモの皮をむいて先輩に渡す。先輩がスライスして、水にさらし、お皿に並べてレンジで加熱する。一旦レンジから出し、ジャガイモの上に輪切りのウインナー、チーズやピザソース、そしてゆでたジョロウグモを散らして、再びレンジでチンすると、本日のメイン――『ジャガイモとジョロウグモのなんちゃってピザ』の完成だ。生地がいらないから簡単で早い。
斎藤さんと石橋さんが買ってきたビールや焼酎、ジュース、お茶、ポテチやチョコ、やきとりやチータラを並べ、須藤教授がお皿や箸を置いていく。そして全員が席に着き、内定祝いパーティーが始まった。「おめでとう」と「かんぱい」のコール。
「それで猪俣さんはどんな会社に行くことになったの?」
教授に尋ねられた先輩は「お水の会社です!」と説明した。「ウォーターサーバーの天然水、売ってます」
「いいじゃないか。日本の自然が生み出す水は、これからもっと価値が出るね」
「ですよねー! さすが教授、分かってる!」
先輩はウォーターサーバーのマシンじゃなくて天然水のほうに魅力を感じたのだろうか。もしそうなら、先輩らしくていいかもしれないな、と思った。
「猪俣から水を買うヤツなんぞ、おらんぞ。こいつは水と焼酎の区別もつかないからな」
「さすがに分かるわーい!」
先輩が恰幅のいい斎藤さんの土手っ腹をベシンッとたたき、みんなが笑う。先輩、今日もテンションが高い。お酒もぐいぐい飲んでいる。
「ピザうまっ! 作ったの私だけどー」
「うむ、うまい」「いけるっすね」「さすが猪俣さんだ」「美味です」
「めっちゃ、おいしいです!」
やはり見た目はアレなんだけど。ジョロウグモは枝豆みたいな味で、ピザに乗せるなら個人的には脚がついていないほうが食感がいいかなと思う。
「焼酎プリーズ!」
ビールを飲み干した先輩がグラスを突き出したと同時に、斎藤さんが焼酎のボトルを僕に手渡してきた。僕はその意味をすぐに察する。
「先輩、おつぎしますよ」
「渡辺くん、君はホントいつもナイスなところにいるねー」
はい。いいところにいるようにしているので。
僕が先輩のコップにお酒をつぎ、それを先輩が飲んでくれるだけで、すごく意味のあることをしたような気がしてしまう。だけど実際は僕の思い過ごしにすぎない。
僕らはおおいに食べ、飲み、語り合った。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
おおかた食べるものがなくなり、そろそろ終わりの雰囲気が漂ってきた。酔っ払い三人と須藤教授には引き続きおしゃべりに花を咲かせてもらい、僕と凜ちゃんがぼちぼち洗い物を始める。
「私が洗いますので、渡辺さんは拭いてください」
「うん、オーケー」
「つまり共同作業ですね」
「そ、そうだね」
先輩と同じくこの女子高生も見惚れるほど美人なのだけど、どこか変わっている。素朴な黒髪ロングで理知的なオーラをまとっているのに、言動はたまにおかしい。相変わらず距離感が分からん……。
凜ちゃんがお皿を洗って水ですすぎ、僕にパスする。
「凜ちゃんって、休みの日とか何をしてるの?」
「いろいろ、平凡なことです」
「趣味とかある? スマホでゲームやったりマンガ読んだりする?」
「禁止」
「え、マジ?」
「されてません。します」
なんだよ、そのフェイント……。
「渡辺さんは?」
「前はけっこうゲームしてたけど、今はやってなくて、代わりにマンガ読んだりとか。凜ちゃんはどういう系をするの?」
「脱出ホラー系」
「へー」
「の、実況動画を見ます」
またフェイントかよ!?
いろいろ聞いてみると、ふつうに今どきの女子高生っぽい趣味の持ち主であった。話題の少年マンガとか、CMやってるようなゲームとか、有名なユーチューバーを知っていた。
「渡辺さん」
「うん?」
「これ、見てください」
凜ちゃんが洗い物をする手を止めて、ケータイの画面を見せてくれた。
恐竜の骨格の模型だろうか。何の恐竜だか分からないけど、マンガとかに出てくるドラゴンみたいなものもある。
「恐竜だよね? プラモデル?」
「骨です」
「うん、骨だね」
「骨アートです」
「骨アート?」
「手羽先などを食べて、骨を分解して、洗って、乾かして、組み立てます」
「じゃあこれ、全部トリの骨!?」
「トリだけじゃないです」
「す、すごいね……。すごすぎて、すごいとしか言えない……」
クオリティが高すぎる。趣味というより芸術だ……。飲み会で骨付きチキンの骨を大事そうにお持ち帰りしていたのは、このためか。やっぱりこのJK、ただ者じゃない! さすがは生物学科の教授の娘だ……。
凜ちゃんはケータイを上着のポケットにしまい、僕の耳元で囁いた。
「渡辺さん、猪俣先輩と仲がいいですね」
「へ?」
僕は動揺して、持っていたコップをぶつけてしまった。割れはしなかったが、その音で酒飲みたちが一斉にこちらを見た。
「だ、大丈夫です! 失礼しました!」
それ以上興味を示すことなくおしゃべりに戻る酒飲みたち。
まさか斎藤さん、石橋さんに続いて、凜ちゃんにもバレているのか!?




