3 学内の嫌われ者③
トントントントン、とリズム良い音が聞こえる。
僕は眠たい目を開けて体を起こし、辺りを見回した。オレンジ色のカーテンや寝具。
え? ここは先輩の部屋!? しかも僕が寝ているのは先輩のベッドだ。
「あ、渡辺くん、起きた?」
エプロン姿で台所に立っている先輩が、僕のほうを見た。寝ぐせのない長い髪をポニーテールにしている。控えめに言って天使だ。
台所では鍋がグツグツ鳴る音。いい香りもしている。
いや、これ、どういう状況だ!?
「せ、せ、せんぱいですよね!? すみません、僕、勝手にベッドで……!?」
「うん、構わないよ。それより、もう少しで朝ご飯できるから、いい子にして待っててね♡」
いい子にして!? 語尾にハートマークが見えた気がしたのは僕の妄想だとして、三つ年上の先輩から見たら、僕なんて小さな子供なのかもしれない。
先輩は間の抜けた鼻歌を歌いながら、料理の味見などしている。僕はその幸せそうな姿に見惚れて、ぼーっと眺めていることしかできなかった。
まるで新婚夫婦の朝のような光景。家庭的な先輩、尊すぎる……!
やがて先輩がエプロンをほどぎ、お盆に料理を乗せて持ってきた。
テーブルに並んだ料理は思ったよりも普通のものだった。ご飯、みそ汁、目玉焼き。僕らは向かい合うではなく、隣り合って座った。先輩の甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「あ、虫料理じゃないんですね」
「だね。はい、あーんして」
「へ!?」
「はい、あーん♡」
「い、いや、朝からそれはさすがに……!」
「遠慮しなくていいよ」
先輩が体をこちらに傾けてくるので、僕はのけ反って逃げようとするけど、そのまま先輩に押し倒されてしまった。
やばい。先輩の大きな瞳が、至近距離で僕を見つめている。垂れ下がった髪の毛先と、Tシャツからのぞく緩い胸元。心臓がバクバクと鳴っている。
「好き……だよ」
「え?」
僕は思わず聞き返した。すると先輩は頬を赤らめてもう一度、唇を動かす。
「好き」
「あ、あ、あの……僕も……」
「マダゴキ、好き」
「へ?」
「マダゴキちゃん……もっと触っていたい。好き。大好き」
「いや、あの……」
「私に会いに来てくれたんだよね? おいで」
先輩はもう僕を見ていなかった。先輩が伸ばした手を追って、僕は顔を右に向けてみた。すると床の上をマダガスカルゴキブリが歩いているではないか! しかも一匹ではなく、たくさん! 床を埋め尽くすくらい大量に! なんで!?
ゾゾッと嫌な感触がして、自分の体を見ると、床に突いた僕の手をマダゴキが登ろうとしていた。
「うわああああああッ!!!」
僕は叫び、反対のほうへ転がって逃げた。だがそっちにも無数のマダゴキが這いまわっていて、床は真っ黒。部屋がマダゴキに飲み込まれている!? いつの間にか先輩の姿も見えない。ブラックアウト。
「先輩、どこですか!? 無事ですか!?」
ダメだ、何も見えない。息も苦しいし、体が動かない……!
誰か助けてくれ……。
ハッとして目を開けると、そこは自分の部屋だった。寝汗をたっぷりとかいていて、ゾッとするような感触が手に残っている。
僕はブルッと震えて、「夢か」と呟いた。