村長の家 2
村長の家に住んでいるのは、村長夫婦に長男夫婦。離れに長女の夫婦が住み、さらに使用人がナキを含めて五名ほどいるらしい。
そんな家族構成についての話をアザゼルとする村長を見ながら、ジャックは入れられた茶をすすった。
巡礼の神官を家に泊めると、その家には祝福が与えられることになっている。
おそらく夕食には家族全員が集められ、アザゼルから祝福を与えられるだろう。
ただの茶番に過ぎないが、アザゼルなら、本当に祝福を与えられるのかもしれない。何しろ、彼は天使であり、人ではないのだから。
とはいえ、ジャックはそのことを想像すると、ゾッとする。
もともと信心など欠片もない。
神が等しく祝福を約束するのならば、なぜ、ジャックは始祖の混沌をさまよう必要があったのか。
神は罪を許すという。
だが、天使どもは、罪人が嫌いだ。罪人を視野に入れるのも嫌う。
悪魔は確かに狡猾だが、人を選ばない。聖者にも罪人にも等しく『誘惑』をする。
とはいえ、悪魔は誰にでも平等な代わりに、誰も信じないし、愛することもない。
奴らはただ、罪に落ちる人をあざ笑い、もて遊ぶだけだ。
ただ、その感情はジャックにも理解ができる。
他人は所詮、他人であり、信頼などという言葉は、ただの気休めだ。
それならば、すべてのことを遊戯として楽しんだ方がいい──その結果が、ジャックにとって、始祖の混沌であり、現在の状況ではある。
──しかし、この家はどうにもおかしい。
ジャックは案内された客室を見回しながら、違和感を覚えていた。
窓は開かれていて陽の光も差し込んでいる。
何もないが、掃除の行き届いた部屋だ。
出されたお茶も、安茶ではあるが、この家の経済状況を考えると、奮発していると考えて良いだろう。
「どうしました?」
村長が出て行くと、アザゼルがジャックに声をかけてきた。
「話すなと言われた」
ジャックは面倒くさそうに口を開いた。
「そうですね。非常に助かってますよ。質問があれば、受け付けますが?」
アザゼルが微笑む。どうにもうさん臭さを感じてしまうのは、ジャックの勘違いだろうか。
「この家は忌中ではないのか?」
ナキの話では、村長の家のおおばばさまとやらが、一番最初に石になったということだ。
「そうですねえ。忌中の様子は全くないですね。葬式もしていないようですから、それは別段不思議はないかな」
石になっても葬式をしていなければ、死んだことにはならないという理屈なのだろうか。
「それにしたって、この村は二十より下の人間以外は病だという話だ。普通に考えたら、巡礼の神官にその話をするだろう?」
神官に助けを求めるにせよ、いつもと同じように招き入れて歓待するのは、どうにもおかしい。
よそ者が病に倒れたりしたら、普通はかえって厄介だ。
まして、『初めての』患者が出た家である。もちろん、そんな家だからこそ、神官の祝福を受け、汚れをはらいたいと願う気持ちはわからなくもないが、疫病について何も言わないのはあまりにも不誠実ではないだろうか。
「うんうん。君は思った通り、頭が良くて助かるよ」
アザゼルは満足げに頷いた。
「さすがに悪魔をだました男だね」
「おべんちゃらはいい。わかっているのなら、説明しろ」
ジャックはアザゼルをにらみつける。
全くこの『天使』は、回りくどい。この程度のことで、ジャックの機嫌を取ろうとするのは、この後、何かたくらみがあるからだ。
「君は少し、会話を楽しむということを覚えた方がいいよ」
アザゼルは呆れた、というように肩をすくめてみせる。
そのしぐさがいちいち、わざとらしい。
「あーほら、そんなに眉間にしわを寄せないで。君の顔は怖いのだから、みんなが怯えちゃうよ」
「うるさい。俺に何を求めている?」
アザゼルが本当に一夜の宿を求めて、ここに来たわけではないことなど、最初から分かっている。
しかもジャックに何かをやらせるつもりだ。
「始祖の混沌に戻るつもりはないから、やれと言われれば、やる。早々に仕事をさせろ。こんなままごとを続けることに、何の意味がある?」
ジャックは決して短気ではない。
手間暇のかかることを惜しんでは、人を騙すことは不可能だし、利益を得ることもできないことはわかっている。
ただ、生前のジャックには、先行きのビジョンが常に見えていた。
成功も失敗も、自分自身のシナリオによるものだから、ゲームとして楽しめたのだ。
他人の意志で動かされること、しかも先行きの見えぬことに、価値が見いだせない。
「うん。とりあえず、この村で一番若いという男の子に会ってみましょう。予想が正しければ、巡礼の神官は、その子にとって、とっておきの御馳走のはずですから」
アザゼルは口の片端を上げる。
「おっと。人が来ますね。これ以上、君が焦れることはなさそうです。また、しばらく黙っていてくださいね」
アザゼルの言うとおり、足音がして、ノックの音がした。