少女
ジャックは剣をおさめると、ちろりとアザゼルの方を見た。
「あ……」
少女は怯えた顔でジャックを見ている。
助けられておいて、その表情は酷いかもしれないが、ジャックはその顔には慣れていた。
むしろそれ以外の反応の方が少ない。
「これは、どういうことだ?」
ジャックの疑念は、少女に対してではなく、アザゼルへのものだ。
「何故、俺の身体は勝手に動いた?」
「ああ、それね」
アザゼルはフッと笑みを浮かべる。
「君の身体は、助けを求める人間を無視できない。そういう契約だからね」
「それは聞いていないが」
「うん。でも考えてもごらんよ。君ほどの悪党が、簡単に天国に行けるだけの徳が積めるわけないでしょ?」
悪びれもせず、アザゼルはひらひらと手を動かした。
「どうしてもいやなら、始祖の混沌に帰る? 僕はどちらでもいいけど」
「……わかった」
一瞬、体が分解されるような感覚を覚えて、ジャックはしぶしぶ納得する。
今のジャックは、完全にアザゼルにすべてを握られている。
いずれすきを見てなんとかするにせよ、今はその時ではない。
「ところで、お嬢さん、君の名前は?」
震えている少女にアザゼルは尋ねた。
「……ナキ」
アザゼルの柔らかな笑みに少し落ち着いたのか、少女は答えた。
「君は、この先の村の子だね?」
こくん。
ナキは頷いた。
「けがをしているね」
おそらく、逃げようとして足をひねったのだろう。
ナキが足を引きずって歩こうとするのを見たジャックは、また、無意識に彼女を抱き上げた。
ナキの目が見開き、ジャックは戸惑ったが、震えてはいなかった。
「村まで僕らが送ってあげるよ」
にこにことアザゼルは笑い、彼女の物と思われる籠を拾い上げる。
「ナキちゃんは、いつも一人で山に入るの?」
山道に戻りながら、アザゼルがジャックに抱かれているナキに問いかけた。
「ううん。でも、みんなが病気だから」
ナキの話によれば、村では今、疫病が流行っているらしい。
その病には、マクレタケというキノコが特効だと聞いて、山に入ったのだ。
「マクレタケねえ」
アザゼルは眉間にしわを寄せた。
「それは、お医者さんが言ったのかな?」
「ううん。村長さん」
ナキは首を振った。
「その村長は、君みたいな小さい子に一人で山に入るように言ったの?」
「ナキは、キノコ採るの上手だから。それにみんな、病気になっちゃったから」
村の大人も子供もほとんどが病に倒れている以上、ナキもじっとしているわけにはいかないと思ったようだ。
「それで、どんな病気なんだ?」
ジャックの記憶ではマクレタケというキノコは毒だった記憶がある。
キノコの形までは覚えていないから、同じものかどうかはわからないが。
「あのね、体が石になっちゃうの」
ナキは再び怯えた顔をした。
「石になる?」
「ひょっとして、青い色の石ですか?」
アザゼルの問いに、ナキは頷く。
「なんだ、その病気は。聞いたことがないぞ」
「間違いありません。瑠璃ですよ」
「瑠璃って、例の神宝ってやつか? そもそも、マクレタケが本当にその病に効くのか?」
毒キノコだから絶対に薬にならないとはいえない。
毒は薬にもなるものだということは、ジャックも知っている。
「マクレタケはね、魔力を増幅する効果があるんだ」
アザゼルは口の端をあげた。
「どうやら、瑠璃は、勢力を拡大しようと躍起になっているようですね」
「勢力?」
そもそも、青い『石』だという話は聞いたが、石がどうやって勢力を拡大するのだろうか。
ジャックには全く話が見えてこない。
「ねえ、ナキちゃん。一番最初に、その病気にかかったのは誰?」
「……わからない。村長さんとこのおおばばさまかも。ばばさま、もう石になって動かないの」
ナキは首を振る。
「とりあえず、行ってみないことにはわかりませんね」
「疫病って、俺たちは行っても大丈夫なのか?」
せっかく肉体を手に入れたのに、病気になってしまっては面白くない。
先ほどのような魔物なら充分戦えるが、病気と戦うのは医者で、ジャックには無理だ。
「大丈夫。僕の神聖力をなめてもらっては困る。たいていの疫病は、僕の前に無力だから」
「……だったら、お前ひとりで村に行って、全員治してやれば?」
「それは無理だよ。患ってしまったものを治すのは、僕にはできない──まして、原因が神宝であるなら、ね」
アザゼルは大きく息を吐く。
「なんのために、君を連れてきたと思っている? 僕はね、安っぽい同情でそんなことをするほど、暇じゃないんだ」
その言葉は、およそ天使には似つかわしくなかったが、おそらくは、アザゼルの本音だと、ジャックは得心した。
だが結局、なぜ、彼が自分を連れて行こうとするのか、それはわからないままだった。
すみません。今日で、終わりません(;^_^A 近日中に続きを書きます。