あなたの探し物は、遥か高くに。
期待。好奇心。希望。前向きな感情と笑顔の人々がエレベーターに乗り込む。最後尾につけていた史乃もそれに続く。その表情は少し不安が見えた。けれど綺麗に切り揃った黒髪ボブの毛先とチェックのプリーツスカートの裾は、歩くたびに楽し気に揺れていた。
隅田川の花火の装飾を眺めているとドアが閉まり、時速三六メートルの旅が始まる。夢の国にある恐怖のホテル見学ツアーのような寒気がしたけれど、一分も立たないうちにエレベーターは停止し、ドアが開いた。
「わぁー……」
感嘆の声をあげてから周りにも人がいることを思い出し、頬を赤らめ早足でエレベーターを降りる。地上三五〇メートルの圧倒的パノラマビューを演出している窓に近づこうとすると、視線を感じ、そっちに目を向ける。
「なんだ、人じゃないじゃん」
腰まで伸びた金色に染めた髪を一つに束ねた人が背を向けている。髪の隙間からはスカジャンの背中に描かれた虎が史乃を睨んでいた。
「あれ、でもあの人……」
史乃より少しだけ背の高い虎の飼い主は、無表情で外を眺めていた。
「あの、あなた、高校生、だよね」
「えっ!? うわっ! これはちがっ……って、うん?」
史乃が近づき声をかけると彼女は慌てふためいたけれど、史乃を頭から靴まで眺めていくうちに冷静になっていった。
「なんだよ警察かと思ったじゃんかよ」
「平日の昼間からこんなところにいたらダメじゃない。学校は?」
「なんだよ警察ごっこか? というかそれはお前もだろ」
「えっ? あっ、そっか」
間の抜けた反応をする史乃を見た彼女は「なに言ってんだコイツ」とケラケラ笑う。
「しかも制服でほっつき歩くなんて、よく誰にも声かけられなかったな」
「あ……」
その反応を見た彼女は再び「バカだ。バカがいる」とケラケラ笑う。
「面白いなお前。気に入った。名前は?」
「……綾原史乃」
「史乃な。アタシは小笠原妃彩だ。とりあえずこれ着ろ」
妃彩はリュックから上着を取り出し、史乃に着せる。
「……なんでスカジャン着てるのにもう一枚スカジャン持ち歩いてるの?」
問われた妃彩は史乃が着たスカジャンの胸を指さす。
「今日のラッキーアイテムは龍だからな」
「いや……だったら始めからこっち着てくれば良かったんじゃ」
「ん? それもそうだな。天才か?」
「ぷっ……ふふふ。誰でも思いつくでしょ」
「うっせ。まあでも不愛想なやつを笑顔にできたんだから占いは本当だったな」
史乃は言われて口角が上がっている自分の唇に触れる。ちゃんと笑ったのはいつぶりだろか。
「史乃はあれだな。学級委員長だろ」
「え? なんでわかるの」
「アタシのクラスの委員長も口うるさいやつでな。さっき史乃がそうしたみたいにアタシが何かする度に注意してくるんだ」
「……面倒な人で悪かったわね」
「別に面倒なんかじゃない。注意してくれるやつがいるのは良いことだ。それよりなんだって優等生様がこんなところに」
「それは……」
「ああ、いい、いい。シケた面すんなって。あれだろ。探しもんを見つけにきたんだろ」
「……え? どう」
「どうしてわかるかって? それはあれだよ。今の史乃と同じ目をしているヤツをアタシは知ってるかんな」
妃彩は窓の外に目をやる。
「日本一の電波塔なだけあって、これだけ高いところから見渡せば普段は見えねぇもんがいろいろ見えてくる。だから何か見つかるんじゃねぇかって気になるよな」
「そう、だね」
「そんで、探しもんは見つかったか?」
史乃はもう一度広い空と巨大なジオラマを見渡す。それから静かに首を横に振った。
「ま、そうだよな」
不意に太陽が雲を隠し、少しだけ外が暗くなった。すると薄っすらと窓は鏡になる。史乃は自分の姿を見ると驚愕の表情を浮かべ、ぽつりとつぶやいた。
「同じ……」
「同じ? なにが?」
「妃彩と私、同じような目をしてる」
妃彩は罰が悪そうに顔をしかめる。
「妃彩も何か探してるの?」
妃彩は口を噤んだまま、再び顔を出した太陽の光で煌めく隅田川の眩しさに目を細めた。それを横目に史乃はゆっくりと口を開く。
「私さ、怖くなっちゃって」
相変わらず妃彩は返事をしないけれど、話しを聞いてくれていることはわかった。
「親の希望とか、先生の期待とか、友達の信頼とか、そういうの、全部。だから私は、自分の居場所を探しに来たんだ」
刹那の沈黙のあと、妃彩は大きく深呼吸をした。そうして身体中の空気を出し切ったと思うと、史乃の手を乱暴に掴んだ。
「ちょ、妃彩。走っちゃダメだよ」
「うっせ。ここは学校の廊下じゃねぇ」
「むしろ廊下より走っちゃダメでしょ!」
平日の昼間だからお客さんがあまりいないのがせめてもの救いだった。
妃彩はエスカレーターを二階分走って下り、そうして、
「ちょ、ちょっと待って! それは無理!」
妃彩は勢いそのままにガラス床に飛び乗った。妃彩の力は強くて史乃では太刀打ちできずに、ここまで引っ張られてきた。けれど火事場の馬鹿力的な何かが働き、なんとかガラス床の一歩手前で止まることができた。
「大丈夫だ! こっち来い!」
「むりむりむりむり。絶対に無理だから!」
透明なガラス床を覗けば、地上三四〇メートルの景色が広がっている。床に乗らずともお腹がヒュっとする。窓から外を覗くのとは訳が違う。
「アタシが付いてる! だから怖くない!」
「で、ででででも」
足がガクガクと震えている。そもそもどうしてそんなことをしなくちゃいけないんだ。
「史乃!」
妃彩は怒鳴るように名前を呼ぶ。流石にお客さんと係員の視線が集まる。それでも妃彩は気にした様子はない。
「アタシを見ろ!」
妃彩はまっすぐに史乃を見つめていた。目を合わせると自然と力が沸いてくる気がした。
妃彩は史乃の手を放し、大きく一歩下がり両手を広げた。
「さあ、来い!」
史乃は大きく深呼吸をしてそれから、さっきの妃彩みたいに勢いよくガラス板に飛び乗った。そんな史乃を妃彩は優しく抱き留めてくれた。
「あれ……意外と、怖くない……?」
瞑っていた目を開き、下を見ると、恐怖よりも清々しさで心が満たされていく。
「な、怖いと思ってるものでも、意外と飛び込んでみりゃ怖くねぇんだよ」
妃彩は良くできました、とでも言うように史乃の頭を撫でる。
「史乃はさ、いろんな人から向けられるものが重荷になって、それを落とすのが怖くなってんのかもしんねぇけど、それを史乃が背負う必要なんて別にねぇだろ」
「でも……。しっかりした私じゃないと失望されちゃうかもしれない」
「大丈夫だよ。史乃はアタシに弱みを見せたけど、何も変わらなかっただろ」
「それは……」
「だからびびんな。今みたいに勇気だしてやってみれば、案外うまくいくもんだよ」
「妃彩……」
史乃はトントン、と自分が立っている場所を踏みしめた。それから笑顔を向け、
「ありがとう。私もう怖くない!」
史乃は妃彩の後ろに周り、背中をトン、と押した。妃彩から力を貰ったお礼に、より多くの力を妃彩に込めるように。
「妃彩の探し物はわからないけど、頑張れ! 妃彩ならきっと見つかる」
妃彩は驚いて振り返り、史乃を見つめ、それからくしゃりと笑った。
「探し物、見つかったよ」
「え? なんで? どこどこ?」
「はっ! 内緒だよ」
「あ、ちょ、ちょっと待ってよー妃彩ー!」
妃彩は再び上の階へ行くためエスカレーターに乗る。さっきと違って今度はその隣に史乃がいた。
今からならまだ学校に間に合う。それでも今日だけはずる休みを許してねと、史乃はいつもより少しだけ近くにある太陽に呟いた。
おわり