赤い雨
赤い雨が降っていた。
日の沈んだ空は暗く、街灯の明かりもない。
ただ、雨音だけが響いていた。
「これさ、どう思う?」
「どうって、何が?」
「これだよ、この表現。 ホラーっぽい、ダークな雰囲気が出てる感じしない?」
「はぁ……」
アサミは半ばうんざりした様子でため息をついたように見えた。
居間のソファで寝そべりながら携帯電話で友人と話している最中らしいアサミに、カズキが自分の書いた小説を持ってきて感想を聞いている。
いつもの光景だ。
アサミの面倒くさそうな反応を見て、カズキは不満げに言葉を続ける。
「はぁ、じゃなくて感想が聞きたいんだ、よく書けてるとか、もっとこうした方がいいとか」
「毎回私に聞かないでよ、友達とか、父さんにでも聞いたらいいじゃない。 あんた、友達いないの?」
手に持っていた携帯電話をソファにおいて、アサミはカズキの創作ノートを読み返した。
「それに、結局何が書きたいか、よくわからないもん」
「何って?」
どういうことだよ、と言わんばかりの顔をしているカズキに、アサミは続けて聞いた。
「アンタが本当に書きたいのって、こういう情景描写なの? それとも別の何か? それっぽい雰囲気を出したいだけ?」
アサミのその言い方に、半ばムっとしながらカズキはノートを彼女から取り上げた。
「なんだよ、頑張って書いてるんだから、もう少し褒めてくれてもいいだろ!」
「怒らないでよ、別に書いたものが悪いって言ってるんじゃない。 こういうのが書きたいとか、これが伝えたい、みたいなもの、ないの?」
「えっ」
「私みたいな全く専門外の人間の意見が参考になるかわからないけど、それっぽい世界を演出するのが本当に書きたいものなの?って思っただけ」
「書きたくもないもの、いやいや書いてても、大したもの出来ないんじゃない?」
「自分の書きたいものだけ書いてたら、小説になんないだろ!」
「……そうかもね」
アサミは短くそう答えて、横に置いてあった携帯電話を手に取って立ち上がった。
「先にお風呂入ってくるわ」
その場に取り残されたカズキは、自室に戻り、ベッドに寝転がりながら、ふと考えた。
「本当に書きたいもの……か」
しばらく考えたものの、すぐには思いつかなかった。
最初は、書いているときに楽しいと感じたことがあった気がする。
いや、誰かに褒められるのがうれしくて、書いていたような気もした。
「俺、何が楽しくて小説なんか書き始めたんだったかな……」
自分の今までに書いた物語を改めて読み返してみた。
学校の休み時間や、授業中、家に帰ってから寝るまでの時間にも書き溜めてきた。
改めて読み返してみると、特に初期の作品は、稚拙な部分が多かった。
誤字や脱字もあれば、読んでいて恥ずかしくなるような台詞もあった。
(前よりはうまく書けるようになったと思うんだけどな……)
「カズキ、いるー?」
アサミの声で、急にカズキは現実に引き戻された。
扉を開けると、パジャマ姿で、頭にタオルを巻いたアサミがいた。
「さっさとお風呂入んなさいって、父さん待ってるから」
「あ、わかった」
振り返って部屋の時計を見れば、いつの間にか1時間以上経っていた。
「たまにさ、初心に返ってみたらいいんじゃない? 昔はもっと楽しそうだったよ」
「楽しそう……?」
姉の言葉に、はっとさせられた。
「台所にホットミルク作ってあるから、飲んでいいよ。 ……私だって、カズキが頑張ってることくらいわかってるから。 成績とか、生活に悪い影響が出ないように、って気になっただけ。 父さんも心配してたよ」
「……わかった、ごめん、心配かけて」
アサミは口元を少し緩ませた。
それから少しの間があって、彼女は答えた。
「ん、私もちょっと嫌なことあって、イライラしてたかも。 ごめん」
「……じゃ、頑張って、おやすみ、まだ起きてるけど」
アサミは、軽く右手を挙げて自室に消えていった。
彼女がいつも使っている、ココナッツの香りシャンプーの匂いが残った。
そうだ、思い出した。
アサミに国語の宿題で書いた物語が褒められたことがあった。他の誰かじゃない、自分の好きな姉に褒められたことが嬉しかったことを。
大学生になった姉と話すことは昔よりも減った気がする。
もしかしたら、アサミには知らないうちに恋人がいたりするのかもしれない。
そんな想像が頭をよぎって、思わず首を振った。
そういえば、最近買ったばかりの新しいノートがあったことを思い出した。
いつもと違ったものが書けるかもしれない、久しぶりにそんな気がした。
拙い文章ですが、最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございました。