山が村
豊臣秀吉の家臣で、奉行を勤めた石田三成は、同じく奉行を勤めた増田長盛、大谷吉継と伴に、諸国の検地に携わっていた。
「大谷殿の一行が戻っておらぬようだが?」
増田右衛門長盛は、今しがた、川向こうの一帯の検地を終えて戻って来たところである。
「しばし、お待ち下され。」
石田治部少輔三成は、川から、こちら側を検地し終えて、先ほど、戻って来たところである。
「名主。この辺りに、もはや村はなかろうな?」
「はい。」
地図を広げながら、三成が尋ねていると、山の方から、大谷刑部少輔吉継の一行がやって来た。
「遅参仕り、忝い。」
「あいや。我等も、今しがた到着した所故。」
吉継が、慇懃に頭を下げたので、長盛も、釣られて、頭を下げた。
「ところで、石田殿。山家で、某、妙な噂を聞きましたが。」
「妙な噂と?」
「左様。何やら、谷をひとつ越えたところに、人が住む村があると。」
「それは、真か?」
三成が、怖い目をして、尋ねたのは、吉継の方ではなく、たった今、三人が、検地を終えて来た村の名主の方であった。
「偽りを申すと、為にならぬぞ。」
三成がそう言うと、名主は、噤んでいた口を、ようやく、開けた。
「実は、噂に過ぎぬのですが、あの山の谷を抜けた所に、人に知られざる村があるとは言いますが、誰も、その村に立ち入った者は、おりませぬ。」
「山家の主も、そう申していたな。」
三成に糾明を受ける名主を不憫に思ったのか、吉継は、助け船を出した。
「明日、そこに案内せよ。」
「案内しようにも、所を知りませぬ。」
「ならば、その谷というところまで、案内するがよい。」
その夜は、名主の屋敷などに、分かれて宿泊した一行は、翌日には、皆、連れ立って、山を越えた谷に向かった。
「これにございます。」
獣道を抜けた先には、河原があり、川が流れていた。
「その村はどこにある?」
「さて…。」
名主は、本当に知らないのだろう。
「山家の者は、川の上流から、椀と箸が流れて来たと。」
昨日に続き、吉継が助け船を出した。
「椀と箸が流れて来たということは、田畑があり得るということか。」
名主には、村から、人足と食糧を持ってくるように伝え、長盛が、この場に残り、受け取ることになった。
「代はこのくらいでよいか。」
三成は、名主に、銭袋を渡すと、吉継と一行を連れて、川を上流へと、遡って行った。
「石田殿は、真に、村があるとお思いか?」
「椀と箸が流れて来たというならば、あるのであろう。」
吉継は三成のことを、高潔だが融通がきかない男だと思っている。このときも、どんどん先に行く三成に、代わり、後から来るであろう長盛一行の目印になるように、下役に、石に墨で目印を書かせていた。
「あれが、そうではあるまいか?」
一刻も、歩いたところで、川沿いの丘の上に、家が一、二軒、ぽつんぽつんと建っている。
「何の変わったことのない村ではないか。」
丘に切り出された路を通って、上に上がり、目先の家に下役を行かせた。
「村長のところに知らせにいったようで。」
「しばし、待つとするか。」
一行に、小休止を伝えるのと、時を同じくして、道の向こうから、数人の人たちがやって来た。
「何か御用で?」
「我等は、太閤殿下より村々の検地を仰せつかっておる石田治部少輔だ。お主が名主と見受けるが、この村は、名を何と申す?」
「名などは、ございませぬ。」
「名がない?それでは、他の村々から、何と呼ばれておるのか?」
「名などというものは、元来、余所者が、目印に名付けるものでして、この村には、余所から人が来ることはありますが、この村の者が余所に行くことはありませぬ故。」
「現に、我等が、ここに来ている以上、そのような言い逃れは許すまいぞ。」
「ならば、お好きなようにお呼びなされ。」
藪を突くような受け答えに、三成も、多少、驚きを禁じ得なかった。
「ならば、山家故、山が村とでも、呼ばせてもらおうか。して、名主、これから、田畑を検地仕る故、案内せい。あと、絵図などあれば、持って参れ。」
「絵図はございませぬが、田畑は案内しましょう。それで、あなた様方は、今宵は、こちらにお泊まりか?」
陽の照り具合から、昼は過ぎているようである。
「そうなりそうだな。とりあえず、先に、検地だ。」
村人たちに、案内されながら、三成と吉継は、二手に分かれて、検地を実施した。
「飯はおのおのとるが良い。」
一行は、兵糧を携行している。とは言っても、干し飯の類ではあるが、昼飯は、検地の合間に、それぞれが、各自で、摂ることになっていた。
「石田殿。少し良いか。」
検地を終えた吉継一行が、三成の後を追って来た。
「この村の者共、どこか様子がおかしいぞ。」
もとより山地故、田畑は少なく、検地は、すぐに終わった。
「家屋敷の割に、人数が多い。」
「それもそうだな?」
村には、丘に沿って、一町に、一、二軒ずつ、家々が建っているだけである。それにしては、一町歩くごとに、十人、二十人の男女に出会う。
「田畑は、これだけか?」
「はい。」
「家屋敷は、締めて、十二軒に間違いないな?」
「はい。」
一軒に、五、六人いたとして、六、七十人である。
「大谷殿は、幾人、村人を見かけた。」
「四、五十人ほどかと。」
「某もそのくらいだ。」
相変わらず名主は、知らぬ顔でいる。
「やはり、何か隠しているようだな。」
間もなく、夕暮れが迫って来るだろう。
「ところで、増田殿は、まだか?」
食糧を受け取ってから、来るはずの長盛一行が遅れているようだった。
「名主、連れがおるのでな、今宵は、この村に宿を取ろうと思うが、どうか?」
「お泊まりなさいますか?」
「不都合か?」
名主は、一寸、頭を捻らせているようである。
「何か隠していると、容赦はせぬぞ。」
「隠し事と申しますか、ひとつだけお聞き入れ下さりたいことがございます。」
「申してみよ。」
「あそこに見えます林の社から奥には、決して、お近づきになって欲しくないのでございます。」
「何を隠しておるのだ、申せ。」
「それは、申せませぬ。」
「まあ、良い。」
一行は、三成が名主を手討ちにするかと思った。しかし、名主は、平然としたままである。
「山家故、宿はなかろう。我等は、河原に野宿、致す故、気になされるな。」
三成は、そう言うと、一行に指示を出し、野宿の準備をさせた。
「刑部。」
皆が寝静まった頃、三成は、秘かに、吉継を訪った。
「社へ参るぞ。」
「真か?」
「ああ。何を隠しているのか、この目で確かめてやろうと思う。おそらく、向こうも、我等を気に掛けておろう故、行くのは、お主と某、二人のみだ。」
三成の強引さに連れられて、吉継は、刀を手にして、丘を登った。
「社は、あちらだ。」
今宵は、満月ではないが、小望月ほどの月が、空に出ている。その月明かりを頼りに、三成と吉継は、丘の上を伝って、林の社のある方へと行った。
「誰もおらぬか?」
てっきり、篝火を焚いて、秘かに警固しているかと思ったが、社の鳥居の前から、見る限りでは、内に、人影はなかった。
「行くのか?」
「ああ。」
二人は、刀を持ち、辺りに警戒しながら、鳥居をくぐり抜けた。
「何だ、あれは?」
少しも歩かない内に、二人の目前には、月明かりに照らされて、大岩が鎮まっており、その先の一際、暗闇が濃くなっているのは、おそらく、洞穴であろうと思われた。
「抜け道か?」
「治部少よ。引き返したほうが良かろう。」
ちらほらと月が雲に隠れていた。
「明朝、名主に問い正せば良かろう。」
「いや、あの者は、一筋縄ではいかぬ。」
昼間の問答からは、全く手応えがなかった。下役の者たちにも、村の様子を尋ねたが、村人たちは、皆、一言も話すことはなかったという。
「もしや、謀叛など企んでおるのやも知れぬ。」
谷向こうの村々と示し合わせて、武器、弾薬などを、山奥の洞穴に隠しているのかもしれない。
「証の物なりとも、手にするのだ。」
そう言うと、三成は、闇の中を、洞穴のある方へ向かって行ったので、仕方なく、吉継も、後を追った。
「見よ。灯りだ。」
洞穴を少し、入ったところに、ちらちらと灯明が点してあった。奥を見ると、同じように、微かな灯りが、見える。洞穴は、高くも低くもなく、続いており、三成と吉継は、灯明の灯りを頼りに、奥へ奥へと、入って行った。
「誰ぞ、おるのかえ?」
暗闇の向こうから、若い女人の声がし、二人は、歩みを止めた。
「誰も、おらぬか。おれば、妾を助けよ。」
暗闇を相手に喋るその声に、三成は、聞き覚えがあった。
「その声は、よもや、小谷の御方にございますや?」
「その声は、石田殿か。よう参られた。」
三成の驚きは、天地もひっくり返るものであった。信長の妹のお市こと、小谷の方は、先年の、柴田との合戦において、越前北ノ庄で、自害したはずであった。そのとき、三成も、城への使者を務め、小谷の方とは、その今際の際に対面した。
「何故、このようなところにおられます。もしや、お囚われなされてございましょうや。」
「よう聞いた。妾は、気付けば、かような憂き目に会うておりました。どうか、妾をお助けなさいませ。」
「今、そちらへ参りますぞ。」
岩陰から飛び出そうとした三成の衣の裾を制したのは、吉継であった。
「待て。様子がおかしいぞ。」
吉継は、小谷の方の、声を聞いたことはなかった。それ故、三成よりは、この場で、冷静に物事に対処できるはずである。
「どうされた。石田殿。さては、臆したか。早うして下され。」
「小谷の御方にお尋ね致す。某、太閤殿下が臣、大谷刑部と申す。御方は、どうやって、今まで、このような洞穴にて、命を繋いで遊ばされたか?」
「ああ。悲し。悲し。何故に、そのような戯言を妾に、投げ遣るのかえ。妾は、この穴倉の中で、この地の飯を食らい、水を飲み、命を繋いで参った。さあさあ。早う。この穴倉から、妾を連れて行ってたもれ。」
涙を啜る音が、岩壁にこだまして聞こえた。
「もう良いであろう。」
三成は、吉継の手を振り切って、小谷の御方の下へ走った。そこは、今までで、最も暗く、小谷の方の顔貌も定かではなかった。
「何がどうなっておられます?」
確かに、そこには、人間の形があるようだった。
「石田殿よ。妾の手を引いて下され。そして、妾を洞穴の外まで、連れて行って下され。」
そう言うと、三成の右手に、そっと冷たいものが、乗った。
「石田殿よ。洞穴の外に出るまで、振り向くことはならぬ。けっして、妾の姿を見ることはなりませぬぞ。さあさあ。」
「では。」
三成は、小谷の御方の手を引いて、その場を去ろうとした。が、そのとき、暗闇の中から、もう片方の、三成の手を引く者がいた。吉継である。
「治部少よ。こっちへ来い!!」
「何をする!?」
「見よ!」
三成の手を引いて、体を引き寄せた吉継は、洞穴の途中から持って来た灯明の灯りを、小谷の御方に向かって、突き付けた。
「ぎゃあ!?」
洞穴の岩壁に映し出されたその姿は、体のあちこちから蛆がわき、ところどころ肉が腐り、骨が露わになったものだった。
「よくも、よくも。妾にかような酷いことを…。」
「逃げるぞ。」
吉継は三成の手を引いて、走った。
「逃がさぬぞ!!」
後ろからは、小谷の方が追って来る様子である。
「治部少。刀を抜け!!」
刀を後ろに振りながら、二人は、入り口に向かって走った。後ろからは、何とも奇怪な、おどろおどろしい、泣き声が聞こえてくる。
「振り向くなよ。治部少よ。」
しばらく、走ると、辺りが、明るくなった。月明かりに照らされた二人の目前には、大岩が鎮まっていた。
「あれを寄せるぞ。」
二人が力を合わせると、大岩は動いた。三成と吉継はそれを寄せて、急ぎ、洞穴の口を塞いだ。
「行くぞ。」
その後も、三成と吉継は、振り返ることなく、社を後にすると、河原に戻った。その間、三成は、一言も喋ることはなかった。
「皆、起きよ。荷物を纏め、早々に、ここから退去する。」
吉継は、河原に戻ると、一行を起こし、そのまま下知を下すと、河原を下った。月明かりの中、一行が、川を下り行った先には、焚き火の炎と煙が見えた。それは、長盛の一行であった。
「二人とも、無事であったか。」
「今まで、何をされていた?」
河原の石を踏み鳴らしながら、やって来た長盛に、吉継が尋ねた。
「いやあな。村名主の様子がおかしい故、まだ、何かを隠していると思い、問い糾していたのだ。聞けば、二人が向かった村は、よもつへぐいの村だと言うではないか。」
「よもつへぐいの村だと?」
黄泉竈食い。黄泉国の竈でできた食物を食べることで、それを食べた後は、もう現世には、戻れないと言う。その後、三成と吉継一行は、長盛らと、伴に、夜を明かした。
「我等は、行ってはならぬ所へ行ったのだ。無事に、戻って来られただけでも、有り難く思わねばなるまい。」
「左様だな。」
明朝、一行は、村には戻らず、そのまま、川を下ることにした。
「二人は、真に、よもつへぐいの村に行ったのか?」
後で聞いた話では、長盛一行は、吉継の目印を追って来たが、それは途中で途切れており、辺りを探したが、村のようなものは見当たらなかったという。
「我等は、山が村に行ったのだ。しかし、その村は、既に、人は住んでおらなんだ。」
そう言うと、三成は、山が村で付けた検地帳の類を、焼却した。
「行くぞ。」
三人は、川を下って行った。しかし、一行の誰もが気付いていなかったが、彼らが、村に行った前と後とでは、一行の人数が一人少なくなっていた。それは、最初に、三成が、村の様子を見に行かせた下役の男であり、彼は、その家に成っていた山桃の実を一粒口にしたらしいと言うことであった。