魔族の女
「ごめんなさい、メアツィオーネ。わたくし……しくじってしまいました……」
「何、急に畏まって。いつも通りメアって呼んでよ。得られればラッキーぐらいのものだったから、別に構わないよ」
リタを捕らえた後、療養所に使う予定だった廃屋に2人は撤退していた。メアの魔法で辿り着けないようにしてあるので、暫くは安心出来る。今はこれからどうするかを相談している所だ。
「メア……そう呼ぶのをまだ許してくれるんですの……?失敗してしまったのに……」予想外の事が重なり、予定通りに進まなかった事に対してベスティアは悔やんでいた。
「それより、ベスティアは大丈夫?」
別に大してベスティアに期待していなかったメアはそれをおくびにも出さず、心配そうな顔を作った。
メアが慰めるように言い、心配そうに覗き込んでいる表情を見ても、ベスティアは沈んだ心を上向かせられない。重いため息がベスティアの口から溢れる。
「ええ、ちょっと体に傷を負っただけです」
手に入れた羽の欠片が入った瓶を手渡しながらベスティアは言う。それを黙ってメアは受け取り、一旦自分のローブポケットにしまった。
「あと、ベスティアの針、まだ持ったままでしょう?」
「でも譲渡済みでしてよ?最後、悔し紛れに刺してやったの。魔法を封じた上でもう一回ぐらい攻撃してやろうと思った時にメアが撤退したから、それまでだったけど……」
「譲渡済みなの?なるほど……でも魔法を一時的に封じた所であのままではジリ貧だったと思うよ?」
「そうね、あの時撤退する隙ができたと思えば、あれで良かったのかもしれませんわ……」これでパトラは殆どの魔導具が使えなくなった。解呪するまではずっと……。解呪対象がなければ魔道具の登録を解除するのは難航する。それも分かっていて針を持ってきた。
ベスティアは正直、最後まで戦いたかった。どうせならパトラにコテンパンに叩きのめされたいと思っていた。そうすれば、自分の中にあるリオンに対する思いも断ち切れる。そう思っていた。だが途中で撤退したことでそれも叶わなくなった。ならばせめてもの悪あがきに、と魔道具針を持ってきたのだ。
一方メアは、魔力譲渡で与えた、イルから奪った魔力を使い切ったベスティアはそのまま戦い続ければ負けると予想した。最初から短期決戦のつもりで挑んだ戦いだったので、ベスティアが与えた魔力を使い切ったのを見て、すぐに撤退を決断した。
当初の予定はこうだ。まずベスティアと途中から御者を交代し、森まで運ぶ。ベスティアは魔獣を呼び、魔獣に乗って追従する。
人気のない所まで来たら、霧でメアが周囲を覆い、他者に立ち入られないようにする。
馬車を止めた際に異変があったと思わせるために魔獣を操り、馬車を揺らす。そうして馬車が止まればイルだけが出てくる計算だ。一度に2人を相手するのは骨が折れる。だからイルを先に仕留めるべく、ベスティアに扮したメアが御者席に座った。
そして予定では、この時にメアがイルから魔力を強制的に奪い、ベスティアに付与する。そしたらリタが馬車から降りるように誘導するなどして、リタとベスティアを戦わせて羽を奪う。メアは状態維持魔法を羽を失ったリタにかけて、拘束する。その後療養所に連れて来て、飼い殺しにするつもりでいた。
馬車が止まると案の定、イルだけが降りて来た。ここまでは計算通りだった。しかし中々鋭い奴で、最初の攻撃を避けられてしまい、戦闘する羽目になった。
最初の攻撃ですぐ魔力を奪い、ベスティアに魔力を譲渡する手筈だったので、先走った魔獣が馬車を攻撃し始めた。怯えさせて馬車から出て来させるつもりだったのだ。とは言えタイミングが早すぎて、イルから魔力を奪う前にリタが馬車から出てきてしまった。こうしたことで詠唱も聞かれてしまう失態を犯した。
その上、パトラに後をつけられていたのは計算外だった。今日は夜会があるので、予想外な動きはしないだろうと思っていたのもあった。まさかパトラがベスティアを気にかけているとは思わなかったのだ。不運が色々重なり、イルから奪った魔力をベスティアはパトラとの戦闘に使ってしまった。
負傷した妖精族であればたとえ元が弱いベスティアであっても組み伏せるぐらいはできる筈だった。それなのに相手は魔力豊富なティグレ公爵令嬢。その公爵令嬢と戦った後にリタを組み伏せるなんてベスティアに出来るとは思えなかった。魔力譲渡で全能感に支配されたベスティアは魔力の使用配分を間違えて全てティグレ公爵令嬢との戦いに使ってしまうし、戦闘途中で譲渡した魔力がなくなるしで散々だった。
また、リタが魔力伝令で誰かに助けを送っていたのと、公爵令嬢を探しに他にも誰かが来ると思ったら撤退する以外になかった。
ベスティアはまだ戦いたそうだったことに、メアは気がついていた。しかしそれよりも捕まるリスクの方が高かった。戦っている最中に誰か来たとしても、決闘だと言えばその間は見逃してもらえるだろう。でも、決闘が終わった後に羽を千切られた本人がそこにいたらどうなる?最初にメアがイルに攻撃した際、外れた時点でもう撤退するべきだった、とメアは苛立ちを覚えた。
「それに僕はあれ以上、ベスティア傷ついて欲しくなかったんだ。だからつい……」そんな計算は一切ないかのように、ただ純粋にベスティアが心配でした、というような顔を見せてメアは聞こえの良い言葉を並べる。
「ううん、良いの。これで良かったんだと思う。あのままではどうせリタさんが呼んだ人達にも追われて、逃げることさえ叶わなかったかもしれないし」
「でも大丈夫、最後は僕がなんとかしてあげるっていったでしょ。後の事は僕がなんとかする」
「そうよね。もう公爵家にも、実家にも戻れなくなってしまったし……でも、これからはメアが一緒にいてくれるのでしょう?」
「そうだよ。これからは僕がずっと一緒だよ。ベスティアはもう妖精族の羽を狙う意味もなくなっちゃったけど……まだやる事はあるからね。とりあえず、今日の所は安心して眠りなよ」
ベスティアをベッドに横たわらせ、メアはベスティアの額に手を当てた。屈んだ際に、メアの赤く長い髪がサラリと一筋ベスティアの頭に落ちる。そしてルビーのように透き通った瞳がベスティアを艶めかしく見つめた。メアは同じく真っ赤な唇でベスティアの額に触れるだけのキスを落とし、おやすみを告げる。ベスティアはくすぐったそうに目を細め、微笑んだ。
「ありがとう」
「神経が昂って眠れないだろうから、僕が寝かしつけてあげるね『スリープ』」
スッと目を閉じ、すぐに眠りについたベスティアは、スゥスゥと寝息を立て始めた。警戒する様子もなく、無防備なあどけない顔をしている。
『麻酔』『増幅』
メアは静かに2つの魔法を詠唱する。スゥスゥと寝息を立てていたベスティアの呼吸が静かになり、深い眠りに入った。麻酔が効いていて起き上がったり、暴れたりする様子はない。
『メス』
胸元から取り出した魔道具針をナイフの形状に変形させる。それは細かい操作がしやすいように緩やかなカーブがついている。少し触れただけで簡単に皮膚が切れてしまいそうなほど鋭利だ。こんな芸当が出来るのはメアが持つ針だけだ。
ベスティアの耳にメスを当て、メスを差込み、耳を切り落とした。麻酔は聞いているので、痛がる様子も動く気配さえもない。
『焼灼器』
再度魔道具針の形状を変化させる。耳からダラダラ流れる血が鬱陶しかったので、焼きごてを使うように傷口に押し当て、傷口を焼いて止血する。最後に一帯を洗浄すれば済む話だが、出来るだけ痕跡を残したくなかった。万が一洗浄に漏れがあっては困る。メアは自分が肝心な所でそそっかしいのを理解していた。焦るとどうしてもミスが増える。
ジルクにデソレート街で怪しまれて後を追いかけられたのは少し戸惑った。すぐに撒いたので事なきを得たが、服の回収を急ぐ羽目になった。あの服には僅かだが、メアの痕跡が残っていた。
「あれは不味かったなー。あとちょっとでも動くのが遅かったら、服を騎士団に送られる所だった。もしそうなっていたらあの老婆から僕を辿られていたかもしれないしなあ」メアはデソレート街での事を思い出しながらブツブツ独り言を呟いた。
ベスティアがサンプルを仕立屋に渡すと手紙で報告してきた時もそうだった。ベスティアが仕立屋に渡す前に、先に見せてもらった時だ。その時も小さなミスを犯してしまった。あの時メアは自分の針の特性を使ってベスティアの魔力を上書きした事があった。これは正確には、増幅させた、が正しい。
本来であればベスティアの魔力では守護もただのおまじない程度で効き目が殆どない。守護の魔法陣を参考にして縫い込まれているお陰で辛うじて守護が働いているような代物だった。それをメアは効力を増幅させると同時に、縫い込まれた僅かな嫉妬や嫌悪も増幅させた。
そうした後でベスティアに送り返したのだ。どうせベスティアはメアを信用し切っているし、メアが何をしたところで魔力感知能力の低いベスティアには何も分からない。ならばベスティアは放っておいて、通関する際に問題が発覚するはずだ。メアはさっさとベスティアを陥れて、獣人族のパーツを回収するタイミングを狙っていた。
だがベスティアのしでかした事は明るみに出なかった。後になってどうやらパトラが何かをしたようだという事が判明した。その所為で中々ベスティアの獣人族の象徴を手に入れるタイミングを掴めなかった。
そうこうしている間に月日は流れ、メアがある日、また魔族の老婆の所で獲物を物色している時にリタを偶然見かけたのだ。その時リタは人族に絡まれており、空中にすぐ吹き飛んで行ってしまったが、その時にメアは今回の事を思いついた。自分が手を汚さずとも、ベスティアにやらせれば良い。4枚羽の妖精族を見て心が躍りだすのを感じた。
今から3歴前出会ったばかりの頃、ベスティアの悩みは聞いていた。メアは妖精族の羽について少し仲が良くなってから手紙で説明していた。自分にも分けてくれるなら、大幅に魔力を増幅させる方法を教える、と言って。
「僕が成し遂げようとしている事の為には、ある程度犠牲が出るのは仕方がないよね。大義親を滅すとも言うしね。ふふふっ」
切り落とした耳はそのまま小瓶の中に放り込む。もう片方も同様の処置を施し、先程と同じ小瓶の中に入れ込んだ。
次は尻尾だ。既にメアの手は血塗れになっている。仰向けで寝ているベスティアを横向きにする際、べったりと服に手についた血が付くが気に留める様子はない。横向きにさせたベスティアから尻尾を露にすると、根本から躊躇なく切り落とす。それをまた違う瓶に詰め込んだ。
仕上げに2つの小瓶に対し、詠唱をする。
『状態維持』
成し遂げようとしている事の材料がまた一つ揃った事にメアは機嫌を良くした。
この状態のベスティアをこのまま放っておけば、種族の象徴の大部分を失ったベスティアは状態維持をしていても徐々に衰えていく。そうなる前に、貰えるものは貰っておこう、とメアはあの魔法を唱える。
『魔力窃取』
この魔法を唱えてしまえば、ベスティアの命は助かる見込みはない。深い眠りに落ちているベスティアは突然、体を痙攣させ始めた。種族の象徴がない今のベスティアは状態維持をしているからまだ保っている。しかし状態維持を消失させれば、たちまち魔力を大気中から補給する事が出来ずに命を落とすだろう。
ベスティアから奪った魔力は使う先がある。リタの羽が入った小瓶を取り出し、ベスティアが寝ているベッドの横にあるサイドテーブルに置く。小瓶は状態維持がかかっているので、一度消失させる。そうしたらすぐに小瓶の蓋を開けて呟く。
『魔力譲渡』『状態維持』
すると、ベスティアの魔力を与えられたリタの羽の欠片はふわりと発光した。
「獣人族って、皆チョロいから好きだなあ。10暦前のあの時だって、すぐ獣人族の子が針を譲ってくれたし」
小瓶の中の羽をキラキラした瞳で見つめながらメアは言った。だがその羽はまだ欠片でしかなく、必要な量からは程遠い。手に入らなかった大部分の羽があることに不満げな表情を一瞬だけみせる。それでもいずれは残りの部分も手に入る。そう思うと欠片だけでも嬉しい気持ちになり、メアはほくそ笑んだ。




