断罪してあげる
パトラにも先ほどの詠唱が聞こえたらしい。だが声の主は見当たらない。逃げたのだろうか。微かに感じられた気配もなくなっている。
「貴方がこの世界のいわゆる悪役令嬢ポジションなのかしら?あたしが幸せになるためには倒さないといけないのが貴女だなんて、悲しいわ……」
「いきなり現れたくせに、ヒロインぶってるんじゃないわよ!」
ベスティアは太く鋭い爪をパトラに突き出す!
「悪役令嬢は悪役らしく、わたくしに捕まりなさい」
キィンと甲高い音を鳴らしてその爪をナックルで受け止め、足でベスティアの胴体を蹴り飛ばす!
「ゲフッ!」
パトラの足がベスティアの鳩尾にヒットする!ベスティアはその足を掴み取り横になぎ倒すようにして振り回す!しかしパトラは動じない。宙に浮いた体を器用に捻り、地面に手を置き逆立ちする。パトラの足を掴んだままのベスティアも逆立ち状態になる。空いている足を使ってベスティアの顔面を目掛けて蹴りを入れる!
間一髪のところでパトラの蹴りを免れ、くるりと体を翻し、木の枝に着地した。
リタは針の矛先をベスティアに向けると詠唱した!
『蠢き!』
木の枝がうねり、ベスティアを捉えようと動き出す!木の枝がベスティアの体に触れようとした、その時。
バキッ!!!
ベスティアは力強くそれを叩き折る!
「今のわたくしなら貴女にも引けを取らない。増してや負傷した妖精族なんて、わたくしの敵ではないわ。大人しく羽を渡しなさい」
ベスティアは矛先を変更してリタに掴みかかろうとする!しかしパトラがその腕を肘で上から叩き落とす!しかしベスティアが怯む様子はない。叩き落とされた腕を持ち上げ、パトラにアッパーをかます!
「うっ!」顎にベスティアのアッパーが決まり、ぐらりと視界が揺れる。パトラは首を左右に振って意識をはっきりさせようと試みる。そして目に力を入れてベスティアを睨みつけた。
「さっきの詠唱の声は誰?協力者がいるのでしょう?」
ベスティアからシュッと繰り出された拳をパトラが掴み止める。ベスティアの拳を握り、ギリギリと圧迫する。ベスティアはさらにもう片方の腕を振り上げ、パトラの頭上に振り落とすが、それもパトラに受け止められる。互いの息がかかる距離で2人は押し合う。
「さあ、知らないわ。たとえ知っていたとしても言うわけないでしょう」
「そう……分かったわ。貴女を倒すしかないのね。……ベスティア、貴女はあたしが断罪してあげる」
パトラはそういうと、掴んだままのベスティアの両腕を強く引っ張る。パトラの後ろに腕を引っ張ると、ベスティアが前のめりに体勢を崩したので、鳩尾に膝で飛び蹴りをかました!
「うぐっ!」
ベスティアの胃の辺りに膝が当たり、呻き声が上がる。ベスティアは咄嗟にパトラの腕を振りほどき、拘束から逃れる。バックステップでパトラから距離を取り、息を整える。
「リオン様に……リオン様に相応しいのはこのわたくしであるはずなのに!」
ベスティアは地面を力強く蹴り、回し蹴りを繰り出す!パトラは腕でガードしたが、勢いを殺しきれずに地面に転がる!すぐにパトラは体勢を整え、蹴りが当たった腕をだらりと伸ばして起き上がった。
「貴女……リオンの事が好きだったのね……ごめんなさい、気がつかなかったわ」パトラは初めて気がついたようで、バツの悪そうな顔を見せ、口元を歪める。
「あなたに謝られる筋合いなんてないわ!獣人族なら力で奪い取るのみよ!」
しかしベスティアのセリフを聞いて、パトラはハッと息を呑んだ。婚約者になった時、リオンから獣人族の伝統については教えられていた。それを思い出したのだ。パトラの罪悪感は吹き飛んだ。
「そう、でも残念だったわね。ヒロインはこのわたくし。貴女ではないの」歪めていた口元からニヤリと不敵な笑みに変わり、パトラは余裕の表情で答える。
「決闘を申し込むわ」ベスティアは今なら負けない、とリオンの婚約者の座を賭けてパトラに戦いを挑んだ。
「そういうことなら、お受けするわ」
両者はじりじりとにじり寄って間合いをはかっている。ここでパトラは初めて詠唱した。魔法を行使した上での体術はあえて使っていなかった。ベスティアを出来るだけ傷つけずに捕らえたかったからだ。だが力は互角。手加減をしていても埒が明かない。それに、伝統の決闘であるなら話は別だ。本気で行く。
「これで決着をつけるわ!」パトラはナックルに力を込める。
『疾風粉砕!』
拳を直接ベスティアに打ち込むと肉が抉れて取り返しのつかないことになりかねない。宙で殴る動作をするとナックルから風魔法が発生し、竜巻がベスティアに向かっていく!風魔法は到達が早い。竜巻に巻き上げられたベスティアは空中高くに放り出される。竜巻で体中が切り刻まれ、プシュッと血が吹き出す。そのまま勢い良く地面に落下し始めるが、身体能力の高まっているベスティアは宙で体勢を整え、地面に打ち付けられる前に受け身を取る。地面に到達する瞬間、パトラがベスティアの落下する位置に現れた。パトラが先回りしていたのだ。
「?!」
ドガン!
受け身の体勢にあるベスティアに思いっきり蹴りを入れる。ベスティアが木に体を衝突させた!
「ガハッ!」
背中から木にぶつかり、息を吐き出す。
「ぐぅ……!」苦しさで呻き声を上げながらも必死に両手の拳を握り、攻撃の構えをとる。ありったけの魔力を込めるとバッと手を開き、爪をむき出しにした。パトラを引き裂くつもりだ。
その状態で両腕をハの字にしてパトラに向かって走る!猫が敵を引っ掻く時のようにしてベスティアはパトラに向かって爪を立てた!パトラは後ろに体を倒し、爪を避けようとするが、肥大化した爪はパトラの腹を裂く勢いで向かってくる!
避けきれない!パトラが来るべく痛みに顔をしかめた。
「嘘?!爪が……!」
引き裂かれると思ったパトラの腹は裂かれることなく、ベスティアの爪が宙を切る!爪が元の大きさにまで縮んだのだ!魔力譲渡の詠唱が聞こえたので、あくまで一時期的な魔力増大でしかなかったのだろう。力を爪に込めた所為でそれを使い切ってしまったのだ。ベスティアからはヒョウのような斑紋が徐々に薄れていく。元の猫に戻りつつあるようだ。
このままでは負ける。苦し紛れにベスティアは隠し持っていた自分の針をパトラの腕に突き刺す!
「リオン様のお隣はわたくしが貰うわ」
「痛っ!……いやよ!」
刺さった!それにまさかすぐに望んでいた言葉が引き出せると思っていなかったベスティアは、ニヤリと笑みを浮かべると詠唱した。
『譲渡』
「この決闘を受けたのはあなたでしょう?まだ決闘は受けるのよね?」
「ええ、受けるわ!だからどうだっていうの?」
ベスティアは自分が針に魔力登録をした時を思い出していた。老婆にただの裁縫針はいやだ、と言った時のことだ。いきなりブスリと針で腕を刺されたのだ。老婆はその言葉を待っていた、と言った。この針に魔力を登録するには、『いや』という言葉を引き出すことと、魔道具針に登録者の血を捧げる2点をクリアする必要がある。なぜ『いや』という言葉が必要なのかは分からない。多くの場合、魔道具針を登録する際の方法は製作者が勝手に決める。魔力登録の方法は結局なんだっていいのだ。方法自体には大して意味はない。魔力登録をして、その登録者にしか魔道具が使用できない状態にすることに意味があるのだ。そして最後に必要なものは、譲渡する相手の同意だ。
「キャハハはハははハはハはハハハは!」
さらに笑みを深め、ベスティアはけたたましい笑い声をあげた。すると、針が青く発光し、パトラの手に嵌められていたナックルが弾き飛んだ。ベスティアは針をパトラの腕から引き抜き、素早く離れる。
「え?!なんで?」
「受けると言ったでしょう?!言葉があれば十分詠唱になりうるわ!この針はもう貴女のもの!ざまぁないわね!これで得意の魔法体術は使えないわ!」
獣人族は魔力を体の外に魔道具なしでは放出することができない。今までナックルを武器として使ってきたのだ。いきなり魔道具針を与えられて、それを武器として使いこなせるわけがない。それに身体能力に特化した獣人族が魔道具針を武器として使うのは向いていない。老婆が作る特殊な魔道具針を購入するのはそれを職業としている者ぐらいだ。普通の獣人族の貴族令嬢は、老婆ほどの魔道具針を使わない。なぜなら優れた身体能力を生かすのに魔道具針は適しておらず、老婆の針のような特殊な魔道具針に魔力登録をした場合、他の魔道具の使用が制限されることを知っているからだ。
ベスティアは自分がそもそも戦闘に不向きであることがわかっていた。だから器用さを必要とする魔道具針を自分の武器に選び、それを使いこなせるようこれまで練習してきたのだ。獣人族が魔道具針を武器として使おうとすれば、それなりに練習が必要となる。
妖精族のような器用で繊細な種族は普段から魔法行使が可能なので、魔道具針を人族が魔道具杖を使いこなすようにして扱うことも可能だ。しかし魔道具針をわざわざ購入する妖精族もそれを仕事としている者ぐらいしかいない。
これで強力な魔法体術は防いだ。だがそもそも体に膨大な魔力を宿しているパトラと、今のベスティアでは歴然とした力の差がある。魔法を防いだところでベスティアに勝機はない。するとタイミングを見計らっていたかのように、また中性的な声の詠唱が聞こえた。
『濃霧』『増殖』
ベスティアを中心に突然霧が発生し、その上その場にいる全員の目線を霧が覆った。
「ベスティアさん!」姿が見えなくなり始め、逃げられることに焦ったリタは詠唱する。イルがまだ目を覚まさない。何をしたのか聞き出さなくてはならない。逃げられては情報が得られなくなってしまう!
『疾風!』
風魔法をベスティアに向かって行使した瞬間、霧に包まれていたベスティアの姿が一瞬現れ、その隣に、何者かが立っているのが見えた。フードがふわりと風を帯びて膨らむ。目深に被られたフードからチラッと見えた目とリタの目が合った。
赤い目。魔族だ。
リタがそう気がついた時にはすでに気配は消え去り、辺りは真っ白な霧に包まれていた。




